第七十四話 母と領主様(3)
ヴァルナルは真っ直ぐなその目と対峙しながら、ゴクリと唾を呑み込んだ。
この威圧感は何なんだろうか。ただの子供と思えぬ、暗く沈んだ迫力は。
ヴァルナルは軽く息を吐くと、やや強張りながら笑みを浮かべた。
「ミーナを不幸にするなど、絶対にあってはならないことだ。それはお前と同じ意見だよ、オヅマ」
「………」
オヅマはふと我に返ったようだった。急に瞳の力が弱くなって、項垂れるように頭を下げた。
「すみません。生意気なことを言いました。……失礼します」
そのまま立ち去ろうとするオヅマに、ヴァルナルは思いきって呼びかけた。
「オヅマ! 私は………お前の父親にはなれないか?」
ピタリと歩みを止めて、オヅマはゆっくり振り返った。さっきと同じ暗い顔でボソリとつぶやく。
「俺は父親はいらない」
「…………」
ヴァルナルの胸に乾いた冷たい風が吹いた。
はっきりと、一線を引かれた。
騎士として、領主としてのヴァルナルへの敬意はありながらも、こと親子ということに関して、オヅマは明確に拒否した。
ヴァルナルは言葉が出なかった。
しかしすぐに、オヅマ達家族が、父親を失ってまだ間もないことに気付く。
「あ…いや……そうだな。すまない。まだ父親を失って一年も過ぎていない内から……無神経だった」
ミーナから聞く限りひどい父親であったと思うが、子供の思いはまた他人にはわかりえぬものだろう。
オリヴェルとて、何年も実の息子を放任してきた不人情な父親であっても、父として慕ってくれているのだから。
しかし、オヅマはヴァルナルの言葉に、フッと皮肉げに頬を歪ませた。
「あんな野郎が父親? 冗談でしょ。あんなのは父親じゃない。だいたい血も繋がってないんだから」
ヴァルナルはオヅマが既に自分の出生について知っていたことに驚いた。思わず問いかける。
「オヅマ……お前、知ってたのか?」
「何を? あのクソ親父が自分の父親じゃないってことをですか? そりゃ、本人に嫌ってほど聞かされたんだから、知ってますよ」
オヅマは話しながら、ヴァルナルがその事実を知っていたことこそ驚きだった。あの口の堅い母が教えたのだとしたら……つまり、そこまで親密だということか。
さっき二人を見た時の苦い気持ちがまた甦る。
生まれた時からずっと一緒にいて、いつも自分とマリーを見守っていてくれた母。
オヅマの決断を受け入れ、新たな生活を与えてくれた尊敬する領主様。
どちらも大好きな存在なのに、二人が二人だけの世界にいることが、オヅマにはひどく落ち着かない。
「母さんからも聞いてます。はっきりと言われたわけじゃないけど、否定しなかったんで。本当の父親のことも聞いたけど、教えてくれなかった。いっそ、死んだって言ってくれればいいのに、迂闊に『死んだ』なんて話して、そいつが
ギリ、とオヅマは奥歯を噛みしめる。
幼い頃のやり取りが脳裏に浮かんだ。
―――― 母さん、俺の本当の父さんはどんな人なの?
―――― それは…教えられないの。ごめんね、オヅマ。
―――― …ううん。いいよ。だって母さんを捨てた奴だもの。悪い奴だよ。
―――― オヅマ、そうじゃないの。母さんが愚かだったの。物知らずだったのよ。だから恨まないで…
虫酸が走る。あんな男のことを庇うなんて。
そう思ってから、オヅマは少し混乱した。
あんな男? 自分は一体、誰を思い浮かべた?
一方、ヴァルナルは嫌悪感もあらわなオヅマの顔に、この少年のまだ短い半生を思った。
一体、どれほどの虐待によって、この根強い不信が植え付けられたのだろうか……。
「悪かった」
ヴァルナルが頭を下げると、オヅマは戸惑ったように見た。
「なんで領主様が謝るんですか?」
「いや。言葉足らずでいらぬ誤解をさせた。しかし、安心してくれ……というのも変だが、ミーナにはしっかり断られてるんだ」
「え?」
「一度、正直な気持ちを打ち明けたが……断られた。きっぱりとな」
オヅマはまじまじとヴァルナルを見た後に、またボソリとつぶやいた。
「馬鹿だな……」
ズバリと言われ、ヴァルナルは情けない笑みを浮かべる。
「いや……ま、その通り。馬鹿な男だ。きっぱりフラれてるのに……いつまでも
「違うよ」
オヅマはやや大きな声で否定した後に、俯いて言った。
「馬鹿なのは、母さんだよ。どう考えたって、あんな男より領主様の方が絶対いいに決ま……」
語尾はかすれ、喉に何かが引っ掛かったのか、それとも照れ隠しにか、オヅマはゴホゴホと咳き込んだ。
「…………失礼します」
ヴァルナルがポカンと口を開けている間に、オヅマは走って部屋に戻っていった。
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