第六十八話 雪月夜の剣舞

 夏は夕闇の頃に始まったが、冬の夕暮れはあっという間に過ぎ去った。

 昼頃に少しだけちらついていた雪も止み、今は綺麗に晴れて月がくっきりと濃紺の空に浮かんでいる。

 雪上の四隅の篝火かがりびからは、パチパチと木のぜる音。


 だが、それより何より夏との違いで一番オヅマが驚いたのが……


「なんだって、こんなに人が来てるんだよ!?」


 予想外の観衆に戸惑うオヅマに、ゴアンが言った。


「夏にお前の剣舞見た奴が教えたんだろ。かっこいい子供ガキが剣舞を舞ってた、って。それで今回もやるって聞いて、広まったみたいだな。前回見られなかった奴らは相当期待してるみたいだ……」


 雪深い田舎においては、こうしたことですら数少ない娯楽の一つだった。

 サフェナに住まう人々の多くが、帝都から帰還した領主様の立派な姿を拝見することと、二人の子供が舞う剣舞を楽しみにしていた。

 これから先、大帝生誕月までは祭りらしい祭りもない。雪籠りの前の、ささやかともいえる話のタネだった。


「皆、少し遅くなったが、新年をつつがなく迎え、明るき年に幸多いことを願う。今年の収穫も例年と変わらず、これも皆の精励せいれい恪勤かっきんによるものと有難く思っている。今年の実りをもたらしてくれた昨年の年神リャーディアに感謝を、来年の実りを約束してくれる今年の年神イファルエンケへの祈りをこめて、これより小さき騎士達が舞を舞う。大層練習したようだ。私もだが、皆も期待していることだろう。共に楽しもう!」


 ヴァルナルは領主らしい威厳を持ちながら、快活な弁舌で領民達を労い、オヅマ達の登場を盛り上げた。

 オヅマがその大袈裟な紹介に辟易していると、見物人の中から声がかかる。


「オヅマー!」

「オヅマ親ぶーんッ!」


 オヅマはゲッとなって見物人の中をざっと見渡した。おそらくラディケ村でよく遊んでいた子供達だろう。親分、と呼ぶのは特にオヅマについて回っていた粉屋のティボだ。


「親分なのか、君?」


 ざわめきの中で聞こえにくいはずなのに、アドリアンがしっかり聞きつけて尋ねてくる。

 オヅマは渋い顔になった。


「……村にいた時の友達ダチ公だよ。まさか村から来るなんて。あいつら今日こっちに泊まるのかな?」

「そんなに遠いところからも来ているのか?」

「いいとこ見せないとなぁ、オヅマ」


 ゴアンが笑って、背中を叩く。


「冗談じゃねぇよ……ったく」


 オヅマはくしゃくしゃと前髪を掻いた。

 急になんだか落ち着かない。


 その様子を見たアドリアンは、クスリと笑って仮面をつけた。涅色くりいろ地に、目の周りに金色の装飾的な線が縁取られた、今回の衣装に合わせて作られた仮面だ。


「珍しいな、君が緊張するなんて」

「うるせぇや」


 オヅマはイライラと言い返した。正直なところ、昔の知り合いに見物されるなんて考えてもみなかった。小っ恥ずかしいし、失敗もできない。

 眉間に神経質な皺が寄って唇が乾いた。ハァ、と何度もため息をつく。


 本当に珍しいオヅマの緊張した様子に、アドリアンは目を丸くした。ふと、昔、ある人にしてもらったことを思い出す。

 アドリアンは人差し指と中指を伸ばして軽く自分の唇に触れた後に、オヅマの額にその二本の指を当てた。


 オヅマが首を傾げる。


「なんだよ、今の?」

「おまじないだよ。知らないか?」

「………」


 オヅマはなんとなく知っているような気もしたが、結局思い出せなかった。

 一方、そばでその様子を見ていたゴアンは息を呑む。


『なんと……小公爵様はオヅマにを刻んだぞ!』


 盟誓を刻む……それは自分に忠誠と服従を誓った騎士に対し、主が騎士たるの承認を与えることを意味するものだ。

 本来の儀式においては、あるじが二本の指で唇に触れ、その指で剣身を撫でるような仕草をした後に、頭を垂れた騎士の後背部にその剣をそっと当てるのだが、時に簡略化してアドリアンのように指で行うものもある。


 公爵家配下の騎士達はすべて皆、公爵に対し忠誠を誓い、公爵からの盟誓を刻まれる。

 確かにまだ見習いでしかないオヅマと小公爵では、おまじない程度の意味しかなさないものではあるが、将来的にオヅマが小公爵によって騎士に叙任されることを約束した……と、取れないこともない。


 呆然としているゴアンを置いて、アドリアンとオヅマは月明りに照らされた境内けいだいへと出て行く。

 わあっと歓声が上がった。

 二人が中央で半眼を閉じて佇立ちょりつしていると、徐々に興奮を帯びた静けさがその場を覆っていく。


 ドン、と太鼓の音が響くと同時に、剣舞が始まった。



 それは夏のものとはまた違っていた。


 二人は互いに剣を交わらせて、戦っているかのような動きを見せたかと思うと、次には指の先までもピタリと合わせてまったく同じ舞を見せる。

 蹴り上げて宙を飛ぶ雪ですらも、彼らの舞の一部であるかのようだった。


 カキンと剣を打ち鳴らし、クルリと回って位置が入れ替わると急にザクリと剣を雪に突き立てる。そのまま二人とも、まるで精巧に仕組まれた人形かのように、ピッタリ同時に後ろに宙返りした。


 見物客から「オオォ!」とどよめきのような喝采が上がる。


 雪の上に降り立って、格闘術の技の型を二つほど披露した後、今度はその場で剣の方へむかって体をひねりつつ横向きにまた跳躍して回転する。同時に雪に突き立った剣をとって、再び剣技の型を次々に見せていく。これが恐ろしいほどピッタリ息があっていた。


「すごいな……」


 オリヴェルは横で父がつぶやくのを聞いた。同じように聞こえていたカールが、隣でそっと囁くように話す。


「小……アドルが相当にしごいていたようですよ。さすがというべきか」

「そうだな。私も教えてもらいたいくらいだ」

「アドルの負担が増えるからやめて下さい」

「……ひどいな」


 ヴァルナルが拗ねたように言うのを、オリヴェルはポカンと見ていた。

 視線に気付いたヴァルナルがオリヴェルの方を振り返る。少し気まずそうな…なんとも言えない顔で見つめた後、ぎこちなく笑って尋ねてきた。


「……描けているか?」

「あ……はい」


 オリヴェルはあわててまたオヅマ達に視線を戻す。


「できたら見せてくれ」


 オリヴェルは尖筆せんぴつを走らせながら、チラとヴァルナルを見た。やさしい目と目が合って、またあわててオヅマ達の剣舞を必死で見ているフリをした。


 ミーナがオリヴェルの世話をするようになってから、父との距離はどんどん近くなってきてはいたが、帝都から帰ってきてからというもの、話しかけてくることが多くなった。

 以前は、一緒に食事していてもほとんど黙々と食べているだけだったのに、最近はミーナやマリーから色々と教えてもらうのか、オリヴェルの読んだ本の話や、オヅマの話をしているうちに、自分の見習い騎士時代の話までしてくれるようになった。

 オリヴェルは父の変化が嬉しくもあったが、同時に子供っぽく喜ぶのもなんとなく気恥ずかしくて、時に素っ気ない態度になってしまうことが申し訳なかった。

 ある意味、この親子はそろって不器用なのだろう。


 境内ではオヅマ達の舞が終わりを迎えていた。

 最後に再び剣を交わすと、剣技の型を一つ行ってから、最初に立っていた位置で静止して佇立する。

 ゆっくりと剣を胸の前にまっすぐに降ろしてゆき、柄頭ポンメルを下腹に押し付けると、剣身を眉間に触れる寸前まで寄せて、そのまま恭しく本殿に向かって拝礼した。


 おぉぉ、と観衆が感嘆と称賛の声をあげる。

 

 鳴り止まぬ拍手と歓声の中を、アドルとオヅマは粛々と歩き去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る