第六十七話 指導教官アドリアン

薄墨空うすずみそらの月の朔日ついたちに神殿に参拝に向かう。ついては、オヅマ、剣舞を頼むぞ」


 ヴァルナルににっこり微笑まれて、オヅマは顔を引き攣らせた。

 夏の参礼でのオヅマの剣舞は案外と評判になっており、伝え聞いたヴァルナルとしてはどうしても見たかったのだ。


「いやぁ、もう忘れちゃってぇ……」

「じゃあ、ゴアンにもう一度教えてもらうか?」

「いや! やっぱ覚えてます!」


 即座に否定する。またあのやる気満々のゴアンの熱血指導がされるかと思ったら、それだけで日々の労働が増える気がする。


「よし。アドルと二人で舞ってもらうからな」

「はい?」

「頼んだぞ」


 ヴァルナルは否を言わせない。ニッコリと笑顔だけを残して去った。


「……君が剣舞を舞うとは意外だな」


 しばらく間があって、アドリアンが言うと、オヅマはジロリと睨んだ後で、はあぁーっと長い長い溜息をついた。


「なんだってまた剣舞なんぞ…」


 アドリアンは首を傾げた。


「君は時々、妙なことに拘泥こだわるんだな。神殿で剣舞を舞うくらい、ちゃっちゃとやれば済むことじゃないか」


 ちゃっちゃとやれ…というのはオヅマの口癖で、今やアドリアンの耳にこびりついて離れなくなっている。


「お前、やったことあんの?」

「そりゃあ…一応」


 公爵邸で神殿に参拝する際には、他の親戚の子供らと一緒に舞うのが恒例行事になっていた。しかも自分は公爵家の継嗣であるため、一人で舞う部分もあるくらいだ。もっともそんなことをオヅマに言うわけにはいかない。


「とにかく、領主様のご命令なんだから仕方ない。さっさと流れを決めてしまおう」


 珍しくこの件に関しては、アドリアンが主導権を握ることになった。

 剣技の型は決まっているので、それさえマスターしていれば、あとは剣技と剣技の間を繋げる舞で流れを作ってしまえばよい。

 適当に……とは思っていたものの、実際に任されるとアドリアンは手を抜かなかった。剣技の型についても、止めるところはピタリと止め、払う時の角度にまで文句をつける。


「ダーッ! 無理、もう無理!」


 あまりに厳しい駄目出しにオヅマが匙を投げようとすると、アドリアンは憎たらしいほどに冷静な顔で訊いてくる。


「君、マッケネン卿に聞いたけど、ヴァルナ……男爵のようになりたいんだろう?」

「………」

黒杖こくじょうを授与された者は、皇帝陛下の御前ごぜんで剣舞を披露することになってる。当然、男爵もしているんだ。その緊張感たるや、相当だったろうな」


 実際にはヴァルナルは剣舞は下手だった。剣技の型は覚えているのだが、舞うとなると別物になるらしく、繋ぎの部分がどうしてもぎこちなくなってしまうらしい。

 だから、ヴァルナルに比べればオヅマなど相当に上手と言っていいのだが、今はとにかくやる気を出させなければならない。


「ったく…どいつもこいつも、なにかっつーとを持ち出しやがって…」

?」

「領主様みたいになりたいって言ったけど、なれるかどうかなんてわかんないだろ!」

「そりゃそうだろうね。じゃ、諦める?」

「…………」


 オヅマは文句は言うが、一旦引き受けたことは投げ出さない。いかなる時も。一ヶ月近く対番ついばんとしてそばにいて、だんだんとわかってきた。


「文句言い終わったんなら、次の型にいくよ」


 アドリアンは手拭いで汗をふいてから、再び剣を持ってスタスタと歩いて行く。

 オヅマは長い溜息をついてから、ヨイショと立ち上がった。


「だんだん生意気になってきやがった……」

「これで普通だけど」

「うるせぇ。湿気シケたクッキーみたいな顔しやがって」

「…………君のその悪口はいまだに意味がわからないよ」


 むっすりと言ってから、アドリアンの口の端に思わず笑みが浮かぶ。

 オヅマとこういう軽口を叩き合うのも悪くない気がしてきていた。





 薄墨空うすずみそらの月、朔日ついたち


 朝に降っていた雪がやんだ頃合に、ヴァルナルは神殿へと馬橇ばそりを走らせた。


 オリヴェルは今回も来ていた。

 オヅマと一緒にアドリアンが剣舞を舞うというのが気に入らないが、またオヅマの舞が見れるのであれば無視などできるわけがない。

 しかも、今回はちゃんと画板にスケッチ用の画用紙を数枚と、尖筆せんぴつ(*黒色顔料を細長く削って周囲に布を巻き付けたもの)も持ってきていた。

 今度こそ目にも焼きつけて、できうる限りその姿を紙に描いて留めないと。


 オヅマはオリヴェルが剣舞の絵を描いていると知ると、


「へぇ。見せてくれよ」


と気軽に言ってきたが、オリヴェルは絶対に見せなかった。ミーナにも見せていない。マリーだけが知っていた。

 マリーは「せっかく上手なんだから、皆に見せればいいのに」と言ってくれたが、オリヴェルはとても人に見せられるものではないと思っていた。

 だって頭にこびりついた映像の十分の一も写し取れていないのだから。


 今回もビョルネ医師が同行していた。

 オリヴェルに何かあった時のため……ということもあったが、当人としては珍しい冬の参拝ということで「大変、興味深いです」と、むしろ嬉々として随行している。


 ヴァルナルは神殿に辿り着くと、すぐさま本殿で礼拝を行う。

 その間にオヅマとアドリアンは剣舞を舞う予定の境内けいだいを確認しに行った。夏には白砂が敷き詰められていた境内は、今は真っ白な雪に覆われていた。


「とりあえず、踏み固めておこう」


 アドリアンが言う。

 新雪は柔らかく、しっかり踏み固めておかないと、まともに剣舞などできたものじゃない。やってきた騎士団員総出で境内を踏み固めてから、簡単な流れの確認を行う。

 今回は見物に回ったゴアンは感嘆した。


「いやぁ……なんとも見事だな。アドルが構成考えたのか?」

「あ、はい」

「大したもんだ。流麗っていうのか……淀みがないのに、決まるとこ決まってるしな」

「……ありがとうございます」


 アドリアンは素直に頭を下げながら、なんだか恥ずかしかった。こんなにあけすけに褒められたことがないので、慣れない。


「良かったな。この人、嘘だけは言えないから」


 オヅマが言うと、ゴアンは「この野郎」と捕まえにかかる。オヅマはペロリと舌を出して逃げた。ケラケラ笑って走り回るのをアドリアンはやや呆れて見ていた。

 雪道を二刻(*約二時間)近く歩いてきたというのに、元気なことだ。


「じゃあ、三ツ刻みつどきの鐘がなったら着替えることにしよう」


 アドリアンが声をかけると、「おぅ」と返事したオヅマがゴアンに捕まって雪の中に埋もれた。

 まったく…戦場においては鬼の集団と、味方からすら恐れられるレーゲンブルト騎士団の実体がこんなのだと知ったら、帝都の近衛騎士団などひっくり返ることだろう。………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る