第五十七話 告白(2)

 顔を上げたミーナは静かで無表情であったが、告げる言葉は少し震えていた。


 ヴァルナルは今見た光景にまだ呆然としながらつぶやく。


「………確か、以前は帝都近郊の…ルッテアの商家で働いていたと…前に聞いたが」


「はい。けれどその商人が不正で逮捕され、私は幼いオヅマと一緒に職を失って路頭に迷いました。その時に、人に騙されて…奴隷商人に捕まってしまったんです」


 ヴァルナルは眉を寄せ、拳を握りしめた。


 奴隷売買は帝国においては建国当初から禁止されているが、周辺では未だに残っている国もある。そのせいでか、そうした悪徳商人が帝国内にも隠然と存在していた。 

 奴隷という存在が支配欲をくすぐられるのか、上流階級の中には隠れて者もいるらしい。


「私も、オヅマも…奴隷としての辱印じょくいんを押されました」


 奴隷は身体(多くは肩)に無数の針で出来た判子を押されることで、束縛される。その針には一種の麻薬のような薬が塗られており、この作用で奴隷は主人に服従することになる。その後は、定期的にこの判子を主人が奴隷にことで、される。


「…でも、売りに出される前に、夫が私を見初めてくれて……結婚を条件に私を奴隷から解放してくれました」


 実際にはコスタスはミーナから一時的にオヅマを取り上げたのだった。

 その上で飲み仲間だったその奴隷商人に、田舎の母から渡されていた嫁探しの費用をすべて支払って、ミーナとオヅマを買った。


 コスタスはミーナを脅したのだ。


 自分と結婚すれば奴隷身分から解放し、オヅマも返してやる、と。ミーナに選択肢はなかった。


「奴隷から解放され、解役薬ハグルをもらって、私の印は少しずつ薄くなっていきましたが…」


 淡々とミーナは話す。

 解放時には奴隷印の麻薬を中和するためのハグルの根から作られた薬が渡され、それを服用することで押された印も薄くなる。


 建国以来から奴隷を持つことを禁止されている帝国においては、奴隷を嫁にしているなど恥とされるため、コスタスはミーナを結婚と同時に解放したが、オヅマには解役薬ハグルを与えなかった。

 オヅマは禁断症状によって、ひどい熱と嘔吐を繰り返し、一時は生死をさまよったが、ミーナの懸命な看護によってどうにか一命をとりとめた。その後は順調に成長したものの……


「自然解役(*解役薬ハグルを使わず、自らで禁断症状を克服する方法)は、かえって印を濃くするらしいのです。あの子の肩には辱印が残っていましたが……マリーを庇った時に火傷をして……」


 ヴァルナルは一度見かけたオヅマの背中の火傷痕を思い出した。

 そういえばその時に、平気な顔をして言っていた。


「あぁ、ちょっと竈の火で火傷しちゃって…」


 それ以上は言いたくなさそうだったので、あえて聞かなかったが……


 ヴァルナルはギリと歯噛みした。


 聞けば聞くほど、腸が煮えくり返る。

 主を失って困り果てた親子を騙して奴隷にしたその商人も、金で買って無理やり結婚した元夫も、この場にいたら叩き斬ってやりたい。


「僅かな期間であったとはいえ…奴隷であったような女は、領主様に相応ふさわしくありません」


 ミーナは微笑みを浮かべて、はっきりと断った。


「こうしてお仕事をいただけるだけで、十分にありがたいことだと思っております。どうかこのまま……お仕えすることをお許し下さいまし」


 ヴァルナルはミーナの下げた頭の、耳元から垂れた淡い金の髪に手を伸ばしかけて、やめた。


「………その箱は受け取らない」


 もう一度、最初の言葉を繰り返す。

 ミーナはゆっくりと顔を上げると、箱にそっと手をやって仕方なさそうに微笑んだ。


「では…マリーがもう少し大きくなったら、あげることに致します」

「…………」


 ヴァルナルが黙り込んで考えていると、ミーナは静かに立ち上がった。


「失礼致します」


 箱を持って丁寧にお辞儀をし、出て行こうとする。


 ドアノブを掴んだミーナの背後で、ヴァルナルがはっきりと言った。


「あきらめるつもりはない」

「…………」


 扉を開きかけて、ミーナは止まった。


 凍りついた心にピシリと亀裂が入る。

 固く引き結んだ唇が震えた。

 じわじわと温かな何かが自分を満たしていく。もうとっくに枯れ果て、置き忘れていた場所に……。


 ヴァルナルは立ち上がると、ミーナの背後までゆっくりと歩いていった。

 開きかけた扉に手をかけながら、そっとミーナの右肩にもう片方の手を置く。


「私達が出会って、まだ一年も経っていない。貴女の心がそう簡単に私を許すとは思っていない。受け入れられるまで…いくらでも待つ」 


 ミーナは無礼だと承知しながらも、返事ができなかった。

 振り払うように出て行くと、廊下を走り去った。


 ヴァルナルはまだ手に残るミーナの肩の感触を握りしめた。


「こんな年で…情けないな……」


 苦く笑うヴァルナルは知らなかった。

 角を曲がったミーナが、紅潮した顔を手で覆いながら、泣いていたことを。 

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