第五十八話 騎士見習いアドリアン

 アドリアンは疲れきっていた。

 結局、着いたその日からこき使われたが、騎士としての訓練らしきものは一つとしてなかった。


 帝都から新たに仕入れた剣や槍、盾などを武器庫に運び、帰還兵の甲冑を一つ一つ磨いて所定の位置に組み上げる。本当はその後に馬の世話もあったようだが、慣れないアドリアンが甲冑を磨いている間に、オヅマは厩舎での仕事も終えて戻ってきた。


 その後にようやく食堂で食事を取ることになったのだが、おそらくそれまでには騎士団全員にアドリアンに関する箝口令が敷かれたのであろう。自分をチラチラと見てくる騎士達の好奇心まじりの視線に、アドリアンはいつもの無表情で押し通した。


 実際のところ、騎士団の面々は公爵邸で直接アドリアンに対面したことがなくとも、公爵そっくりの黒檀色の髪ととび色の瞳を見て、推測することは容易たやすかった為、ヴァルナルは予め騎士団全員に小公爵が来ていることを伝えた上で、決してこの事を口外しないように命じた。もし破った場合には騎士権の剥奪、という強烈な罰則を聞かされて、騎士達は一気に緊張した。


 そんな必死に口を噤んでいる騎士達の目前で、何もわかっていないオヅマは小公爵様相手に、不遜で無礼な口を叩きまくっている。


「ハァ? かたいだぁ? 文句言ってんじゃねぇーよ」


 レーゲンブルト騎士団名物とも言うべき、(騎士の)拳二つ分の大きなパンはいつもアドリアンが公爵邸で食べていたのものと比べると、いくら手で千切ろうとしてもひねることすらできず、かぶりついても歯が立たない。

 困ったアドリアンが諦めてパンを置くと、オヅマは眉を寄せた。


「なに、お前? まさか残すとか?」

「食べられないんだから、仕方ない」

「フザけんなよ、この馬鹿! まともに食べない奴が、戦場で生きれるかってんだ」


 怒鳴りつけながら、オヅマはアドリアンのパンを掴むと苛立たしげに一口大に千切って木の皿に置いていった。テーブルに落ちたパン屑は集めて、自分のシチューに放り込む。


「とっとと食え!」


 言っているオヅマは自分のパンを二つに千切ってから、一つに齧り付いて噛みちぎっていく。動物的なその所作に、アドリアンは内心で引いていたが、とりあえず千切ってもらったパンを口に運ぶ。やっと食べられたが、正直、ボソボソしてて味もない。


「マズそうに食うなぁ、お前。大して働いてないからだな」

「……ちゃんと武器を運んで、甲冑だって磨いたろう」

「あんなもん働いたうちに入るかよ。ま、今日は来たばっかだからな。明日からはしっかり働け。そうしたら、いやでも食べたくなるさ」


 アドリアンは憂鬱になった。

 騎士団での修練だと聞いていたのに、随分と話が違う。こんな小者にさせるような仕事ばかりさせられるなんて。


 一方、二人の様子を見ていたゴアン達は互いに目配せしながら、ボソボソと話していた。


「おい…それとなく、なんとなく言っておいた方がよかないか?」

「駄目だろ。領主様だって言ってたろうが…オヅマには知らせるな…って」

「しかし、あれ…いいのか?」

「知らないから許されてるんだろうが。知ったら対番ついばんなんて、気が重くてできないぞ」

「いや…オヅマの場合、知っても態度が変わらない可能性があるぞ。何せ、領主様の若君に対してだって、あの態度だ」


 この夏の間に何度か訪れたオリヴェルとオヅマの様子を見ていたサロモンは危惧する。


「あいつ、妙に堂々としているというか、そういうこと気にしないからな。知ってて無礼を働いたとなれば、後で領主様が責任をとる…なんて羽目になりかねない」


 その言葉に周囲の騎士達は頷いて確認した。

 絶対に、オヅマには目の前にいる黒檀色の髪の少年が小公爵様であることを知られてはいけない、と。


 自分がひどく危うい存在に思われているとは露知らず、オヅマは早々に食べ終えると立ち上がった。


「終了ーっと。じゃ、俺は館の方で仕事あるから。とっとと食えよ。早食いも騎士の素養の一つなんだからな」


 早口にまくしたてて、オヅマは食器を水の張った樽の中に放り込むと出て行ってしまった。


 アドリアンは咀嚼していたパンを呑み込むと、呆然として空席となった向かいの椅子を見つめた。いたらいたで怒られるばかりで困るが、いなくなったらどうすればいいのかわからない。


 所在なげに、もそもそと食べるアドリアンに声をかけたのは、副官のカール・ベントソンの弟であるアルベルトだった。


「食べ終えたら、宿舎に行きます」


 挨拶もなく、アルベルトは単刀直入に話し出す。


「宿舎? 領主館ではないのか?」

「騎士団の見習いは客ではありません。あなたはオヅマの対番なので、オヅマの住む小屋で一緒に寝泊まりしてもらいます」

「………」


 どこかで、やはり自分への特別待遇を期待していたのだろうか。

 アドリアンはレーゲンブルトへ向かう馬車の中でヴァルナルに言われたことを思い出した。



 ―――― あくまでも一見習いとして扱います。それが公爵様からの条件ですから。



 ヴァルナルの話すレーゲンブルトの美しい冬の景色ばかり思い描いて来たが、そもそもこれはなのだった。今更ながらに、本来の意味を思い出す。


 アドリアンはスープの最後の一匙を啜ってから、アルベルトに言った。


「父から、レーゲンブルトにおいては一見習いとして過ごすように言われて来ています。そのつもりで接して下さい。敬語は必要ありません。僕も…気をつけます。もし、先程のように図々しいことを言った場合には、気兼ねなく叱って下さい」


 それはその場で聞いている他の騎士達にも言ったのだった。何人かが感心したように頷く。


 アルベルトは、小公爵の申し出を素直に受け取った。口調がすぐに切り替わる。


「わかった。では、皿に残ったスープやソースはパンで拭って皿をキレイにするように」


 アドリアンは貴族の食事作法からすればひどく下品とされるその行為に、少し抵抗があったが、言われた通りにした。

 本当にそんなものがあるのかと思って、何気なく辺りを見回すと、なるほど確かに皆、パンを皿にこすり付けて、残ったスープの痕も残さず食べている。


 かたいパンに四苦八苦しながらどうにか食べ終えると、アルベルトは兵舎から離れた、領主館の庭の一隅にある小屋にアドリアンを連れてきてくれた。


「荷物は既に置いてある。自分で整理するように。朝はオヅマの指示に従うといい」


 そう言って、アルベルトは持ってきたランタンをアドリアンに渡した。


「わかりました。有難うございます」


 ランタンを受け取ってから、アドリアンは小屋の中に入る。

 思っていた以上に狭い。

 アドリアンの持ってきた旅行鞄は持っている中では中くらいの大きさのものだったのだが、それですら、この小さな部屋の中では大きくのさばって見えた。


 アドリアンはとりあえずランタンを小さなテーブルの上に置いてから、部屋の真ん中を占領していた鞄を端に寄せた。それから整理をしようとしたのだが、ベッドを見ると、もうとにかく横になりたくて仕方なかった。


 誘惑に負けて(これも生真面目なアドリアンには珍しいことだったが)、アドリアンはベッドにドサリと倒れ込んだ。


 もう無理だ。もう動けない。本当に、本当に疲れた。


 おいしいとは言えないまでも、食事によって腹も満たされ、ふわふわと眠気がやってくる。

 抗えずに目を閉じると、アドリアンはすぅすぅと寝息をたててそのまま眠ってしまった。



 オヅマは館での下男としての仕事を終えた後に、ソニヤからヤギミルクを貰って小屋へと戻った。

 途中でそういえば……と、あの陰気な黒茶髪少年のことを思い出す。

 一緒に小屋で寝るように、とヴァルナルは言っていた。まだ、食堂にいるのだろうか? だとすれば連れて来てやらないといけない。


「あーあ、面倒だなぁ」


 オヅマはとりあえずミルクを小屋に置いてから、行こうかと思っていたが、戻ってみれば当の新米見習いは気持ちよさそうにベッドで眠っていた。


「テメェ……何勝手に人のベッドで寝てやがるんだよ」


 オヅマは靴も脱がずに寝ているアドリアンを睨みつけた。

 ギリと歯軋りしてから、とりあえず暖炉の隅に積んだ煉瓦れんがの上に、ヤギミルクの入った鍋を置く。

 手早く暖炉に薪をくべて火をつけた。いつもならこの時期などはまだ火を起こしたりしないのだが、


「南から来た人間には寒いだろうから、暖かくしてあげなさい」


と、ミーナから言われたのだ。


 誰かから聞いたのか、母はオヅマが新しく来た騎士見習いの子と一緒に暮らすことを知っていた。


「おい、起きろ」


 オヅマは声をかけたが、アドリアンは目を覚まさない。


「起ーきーろー」


 耳元で大きな声で言っても、すぅすぅと寝ている。


「起きろって!」


 ガン、とベッドを蹴りつけたものの、まったくアドリアンは起きなかった。


「帝都からほとんど休みなく帰ってこられたらしいわ。きっとその子も疲れているだろうから、今日はしっかり寝かせてあげなさい」

 ――― と、言っていた母の声が聞こえてくる。


 オヅマは苦虫を噛み潰した。


「チッ!」


 舌打ちして、仕方なくアドリアンの靴を脱がせると、乱暴に足を掴んでベッドの上に放り投げた。

 うーん、と寝返りをうって、アドリアンはやっぱり眠り込んだままだ。


「今日だけだからな!」


 オヅマは怒鳴りつけてから、毛布をバサリと被せた。

 どうせどこぞの下級貴族か、商人の子供なんだろうが、ふてぶてしいったらない。

 オヅマはテーブルの上にドサリと本を置いてから、温めたミルクをコップに入れた。


 今日の領主様の帰還でなくなるかと思ったのだが、マッケネンは突発的な騒動があったにもかかわらず、明日には国語の試験を行うと言ってきた。

 テーブル下に置かれたりんご箱から紙とインクとペンを取り出して、本を見ながらスペルを紙に書いていく。


 時々、集中が途切れる度に聞こえてくる寝息に苛立ちつつ、オヅマは蝋燭の火が揺らめいて消えかかるまで勉強した。

 最後の方はもう欠伸しか出なかったが。

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