第五十四話 天敵?

「年は?」

「十歳」

「じゃ、俺の一つ下か。アドリアンって長ったらしいから、アドルって呼ぶぞ。いいな?」

「………」

「返事!」

「……はい」


 オヅマは眉を寄せると、ハアァと嫌味ったらしく大きな溜息をついた。


「お前さぁ、その小さい声だと通じねぇよ。ここじゃ」

「………」

「だからぁ、返事っ」

「はい」


 アドリアンはいつもより大きな声で返事したものの、オヅマは首を振った。


「お前にゃ、発声練習からだな」

「発声練習?」

「いいから、とりあえず…これ持て」


 オヅマは片手で持っていた箱をアドリアンに差し出す。アドリアンは何気なく受け取って、思っていた以上の重さに、箱を落とした。


「あ~っ! なにやってんだよ、お前!」

「……すまない」

「すまないとか言う前に動け! 拾え!」


 アドリアンはあわててしゃがみ込んで、駒取りチェスの駒や絵札トランプや、見慣れぬ赤い棒を拾う。これが、重さの理由だったようだ。


「これは…なんですか?」


 七寸(*二十センチ)ほどの長さの赤い棒。一体何で作られているのか、やたらと重い。


「何って…棒亜鈴ぼうアレイだよ。これで指を鍛えたりするんだ」

「指?」


 オヅマは人差し指だけで棒を掴む。しばらくして今度は中指。薬指、小指はさすがにプルプル震えてすぐに落ちた。アドリアンも他に散らばっていた棒でやってみようとしたが、中指で持ち上げることすら無理だった。重い。

 オヅマはアドリアンの白く細い指を見て、せせら笑った。


「無理だな」


 アドリアンはさすがにムッとなった。

 最初からいい印象でないのはお互い様だ。だいたい馬車の中で、ヴァルナルから同じ年頃の少年を騎士として養育していることを聞いた時から、アドリアンは少しばかり心が波立った。日頃の鍛錬で顔には出さなかったが。

 ヴァルナルはこの少年 ―― オヅマと自分が仲良くなってくれるだろうと思っているようだが、今のところそうなる兆候は皆無だ。


「この棒、いただいても構わないだろうか?」

「ハァ? お前、これで練習すんの?」

「あぁ」

「ムリムリ。やめとけやめとけ。素人が最初ハナっから赤棒なんて」


 あからさまに馬鹿にしたオヅマの言い方も態度もいちいち気に障ったが、アドリアンはぐっとこらえて反論した。


「今日すぐには無理でも、毎日の努力が成果に繋がるとヴァルナルは言っていたぞ」

「オイ!」


 オヅマの表情が一変した。アドリアンを厳しく睨み据えてくる。


「領主様のことを、呼び捨てにすんな!」


 あっとなって、アドリアンはうつむいた。

 あれほど行く道で小公爵であることは忘れるように、と言い聞かせられたのに。


「申し訳ありません」


 アドリアンが消沈して謝ると、オヅマはフンと鼻息をならして腕組みする。


「お前さぁ、領主様の知り合いの息子だから、近所のおじさんくらいの気持ちでいるんだろうけど、ここで騎士見習いとしてやっていく以上、領主様はおじさんじゃなくて、騎士団長だし、ご領主様だし、男爵様なんだ。ちゃんとわきまえろよ」


 そういう自分はいまだに時々気安い口調で話すし、なんであればそのご領主様の息子になど、さんざん無礼な口をきいているのは棚に上げて、オヅマはもっともらしげに言う。

 アドリアンは自分の不注意を後悔しつつも、やっぱりオヅマの態度に苛立った。それでも内心の怒りを拳に握りしめて、もう一度謝る。


「はい。すみません」

「も、いいから。拾えよ」


 オヅマはもう興味もなさげに手を振ると、赤棒を拾って箱に入れていった。アドリアンも近くに落ちていた本を拾って、表紙の題名に首をかしげる。

『侯爵夫人の蜜の誘惑』 ――― ?

 騎士団にあるのだから、用兵の本か何かかと思っていたのだが、違うのだろうか?

 まじまじ眺めてしまっていると、オヅマが尋ねてくる。


「なに、お前。そんなの興味あんの?」

「興味があるというか……何の本かと思って」

「見たらいいだろ」

「いいのか? 勝手に人の本を……」

「本なんざ回し読みだよ。誰のなんてことねぇ」


 言いながら、オヅマは遠くまで転がっていた駒取りチェスの駒を取りに行く。

 アドリアンは中を開いた。ペラペラめくって、いきなり女の裸が描かれた挿絵が現れてバサリと本を落とす。


「ハハハハハッ!」


 オヅマはそれまで耐えていたのが弾けて大笑いした。

 アドリアンは青い顔をしていたが、一気に赤くなってペタリと座り込んだ。


「な、なんだ! それ!」


 恥ずかしさを隠すように、アドリアンは大声で怒鳴った。

 しかしオヅマは平然として、アドリアンの落とした本を拾う。


エロ本。騎士団の必須アイテムだろ」

「なんで必須なんだ! そんな訳ないだろう!!」

「そうかぁ? どこでもこんなモンだろ。男所帯なんだから」

「レーゲンブルト騎士団は帝国において、皇家こうけの騎士団とも並び称される誉れ高き騎士団と聞いていたのに……」


 アドリアンが信じられないようにつぶやくと、オヅマは肩をすくめた。


「おとぎ話じゃあるまいし、貴族のお坊ちゃんばっかが集まったような近衛騎士と違って、傭兵上がりの騎士なんざこんなもんだよ。まぁ、やることやってりゃ文句もないだろ。ホラ、いつまで腰抜かしてんだよ。それとも、別の理由か?」

「別の理由?」

「なんかよくわかんねぇけど、ああいうの読んだら、股の間が熱くなるんだろ?」

「ちっ…違うっ!」


 アドリアンはすぐに立ち上がった。実際、多少は…少しばかり熱い……ような気はしたが。

 オヅマはすべて拾ったのを確認すると、再びアドリアンに箱を差し出す。


「両手でしっかり持てよ。お前、力ないから」


 不本意ではあったが、アドリアンは両腕でしっかりと箱を持った。

 この重さのものを片手で、なんであれば差し出す時などは中指でつまむように持って渡すなど……どういう指の力なんだろうか。

 無言で歩き出したオヅマの後を追いながら、アドリアンは沈黙がひどく気になって、思わず問いかけた。


「君も…読むのか?」

「は?」

「さっきの…あの…ああいうの」

「俺は興味ない。本とか読むの嫌いだし。読むんだったら、まだ算術の謎解き本とかやってる方がいいな。解いた時にスッキリするから」

「そうか…」


 アドリアンはホッとした。あんなものを始終見せられたら、まともに騎士の訓練などやってられない。


「なに? お前、興味あんの? 詳しい人教えてやろうか?」

「ない! まったくない!」


 大声で即答すると、オヅマはニヤリと笑った。


「声出てきたな。その調子だ」

「…………」


 アドリアンは眉間に皺を寄せた。

 それから仏頂面になっている自分に気付いて、困惑した。

 いつもは平常心でいることを心がけて、決して表情を崩すことのないようにしているのに、どうにも調子が狂う。

 目の前で楽しげに口笛を吹いて歩いて行くオヅマの亜麻色の髪を見て、ここに来る元凶となった大公の息子のことを思い出した。

 そういえば彼も同じ亜麻色の髪だった。さほどに珍しい髪色ではないが、こうして背を向けていると、妙に似通ってみえる。

 アドリアンは嘆息した。

 亜麻色の髪の公子と喧嘩して放逐された先で、同じ亜麻色の髪の少年にこき使われるとは……よほど自分は亜麻色の髪の人間と相性が悪いらしい。……

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