第五十話 ヴァルナルの提言

 シンと静まり返った中で、コホンとわざとらしい咳をして手を挙げたのは、グレヴィリウス公爵の妹の夫であるマキシム・グルンデン侯爵だった。


「…それで、アドリアン小公爵様への処遇ですが…皆様におかれては、どのようなものが適切と考えますか?」


 そもそも、その話であったことを皆が思い出す。


「左様ですな…まぁ、言っても子供の喧嘩ですから、鞭打ち程度がよろしいのでは?」

「三十もすれば十分でありましょう」

「その上で、しばらく謹慎して頂いて……」

「反省文などもしたためて、大公家に送ってもよいかもしれませぬ」

「いや。下手に弱味は見せぬほうが良かろう。あのヴィンツェンツェが後に利用して何をか仕掛けてくるやもしれぬぞ」


 口々に言っている中で、ヴァルナルはやっと時が来たと思った。

 無言で手を挙げると、公爵が気付いて眉を上げる。


「レーゲンブルト領主クランツ男爵」


 家令のルンビック子爵が淡々と呼び上げると、ヴァルナルは立ち上がった。


此度こたびのこと…仔細しさいは不明ですが、恐れ多くも皇帝陛下の催す園遊会において、小公爵様に不埒ふらちがあったことは間違いなく、相応の罰が必要と思います。なれど、小公爵様におかれては、まだ心身ともに成長の途上にあります。できますればただ罰を与えるのではなく、今後の精神的向上をたすけるような処遇を為すべきかと考えます」


 公爵はようやく口を開いたヴァルナルを見て、フッと口の端を歪めた。


「それで? 男爵には既に腹案がおありのようだが?」


 皮肉げに言うと、ヴァルナルはニコリと笑った。


「アドリアン様にはしばらくレーゲンブルトにて、お過ごし頂きたいと思います」


 ヴァルナルが言ったことを、その場にいた人間はすぐに理解できなかった。

 レーゲンブルトなどという公爵領においては僻地へきちともいえる地域に、たった一人の大事な後継者を送リ出せるわけがない。

 しかし公爵は思案しながらつぶやいた。


「つまり、しばらく放逐させるていをとる…ということか?」


 ヴァルナルは頷いてから、先程までの殺伐とした雰囲気を紛らすように明るく申し述べた。


「私の考えでは、おそらく大公殿下がこの事に目くじらを立てることはないと思います。今回、特に何も言ってこないのも、たかだか子供の喧嘩だと気にも留めていらっしゃらないのではないでしょうか?」

「ふん…ま、そのようなところであろうな」


 公爵もその意見には同意する。

 確かに一緒に現場を目撃したヴィンツェンツェは何かしら考えるところはあるかもしれないが、いつも悠然として鷹揚な大公が、この程度の子供のいざこざに苦言を呈するとは思えなかった。

 とはいえ、一応はこちらは身分上、必要がある。

 ヴィンツェンツェもわざわざ『両成敗』と言い置いて去った。

 アドリアンは、罰せられなければならない。


「しばらくの間、公爵本邸への立ち入りを禁じるというを課せば、おそらくは老獪ろうかい側用人そばようにんに文句をつけられることもないでしょう」

「それでアドリアンを連れて、帝都から直接レーゲンブルトに向かうということか?」


 ヴァルナルは返事の代わりに頭を下げた。


「公爵閣下、どうかアドリアン小公爵様を私めにお預け下さい。決して、信頼を裏切ることは致しません」

「…………」


 公爵は長い間、ヴァルナルを無表情に眺めた。

 案外と策士になったものだ。大公家への忖度だけでなく、これでレーゲンブルトに早々に帰る口実もできる。

 まったく。そうまでして帰りたいのか……と、公爵はうっすら苦笑する。

 ヴァルナルは不意に微笑んだ公爵に首をかしげたが、公爵はすぐさま表情を戻してジロリとヴァルナルを見た。


「お前の案に乗ってもよいが、条件がある」

「いかようにも」

「レーゲンブルトにいる間、息子を小公爵として扱わぬようにすることだ。既に知っている者には、一切口外せぬことを命じ、知らぬ者に伝えることを禁じる。一介の騎士見習いとして扱う。それが条件だ」


 居並ぶ者達は顔を見合わせた。

 それまでヴァルナルの提言を妙案だと思っていた者達も、公爵のこの言葉に顔色が変わる。

 とりあえず大公家への面目が立つようにと、一時的にアドリアンをレーゲンブルトに送るということだろうと思っていたのだ。しかし、公爵はそこで小公爵に安穏とした生活をすることを許さぬらしい。

 公爵の息子に対して苛烈であること、獅子が我が子を谷に落とすが如くである。

 しかしヴァルナルはその条件に、むしろ意を得たりとばかり莞爾かんじと笑った。


「よろしゅうございます。幸いにも、領主館にいる大半の人間は地元で雇い入れた者達でございます故、小公爵様の顔は存じ上げませぬ。閣下の仰言おっしゃる条件は簡単に果たせるでしょう」

「クランツ男爵!」


 叫んだのは、先程までアルテアン侯爵の隣で談笑していたニーバリ伯爵だった。


「仮にもグレヴィリウス公爵家の後嗣こうしであられるアドリアン様に、失礼などあってはならぬ!」


 立ち上がった伯爵は公爵に向かって、いかにも恭しく頭を下げる。


「恐れながら、公爵閣下。ひとまず小公爵様に本邸への禁足きんそくを命じて、いずこかに蟄居ちっきょさせるというのであれば、我が伯爵家にてお預かり致しましょう」


 すると口々に、居並ぶ者たちが声を上げた。


「いや、そうであれば我が家にて面倒をみて……我が家には小公爵様と同じ年頃の娘もおりますゆえ……」

「レーゲンブルトなど遠くてアドリアン様には長旅でお疲れになることでしょう。まして冬に向かい、凍てつく寒さ。もし、体を壊しでもすれば大変です。我が領地であれば雪も少なく、温暖な気候でありますゆえ……」


 今更ながらにアドリアンを預かることで、公爵への恩を売ることができると思ったらしい。彼らの売り込みは熱を帯び、次第に公爵の眉間の皺が深くなっていく。

 そろそろ…という頃合いで、ダンッと机を叩いたのは、公爵家直属騎士団の団長代理であり、公爵の腹心とも呼ばれるルーカス・ベントソン卿だった。

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