第四十六話 園遊会にて
「おぉ、ヴァルナル。来ていたか」
帝都にいるほとんどの貴族の集まる園遊会において、皇帝から声をかけられるなど、大貴族の中でも数えるほどであるのに、いきなり呼びかけられて、ヴァルナルは飲んでいたワインを喉に詰まらせかけた。
「……は…ッ…陛下におかれましては……ご機嫌麗しく…」
あわてて振り返りつつ、頭を下げ、右腕を曲げて胸に
「よい。頭を上げよ。話したいことがある」
皇帝はすぐさま礼を解くことを許した。
(*「よい」、とあえて言うのは二度目の許可でようやく頭を上げて良いとされる本来の礼法を無視してよい、という意味)
ヴァルナルが頭を上げると、
ジークヴァルト皇帝。その正式なる名をジークヴァルト・リムエル・ボーヌ・シェルバリ・グランディフォリア。
神より与えられたという
二十歳で先帝である祖父の死によって皇帝の地位を継いでから、今年で在位は二十七年を迎える。
本来であれば、父であるシクステン皇太子から皇位を受け継ぐはずであったのが、その父が早世したために、ジークヴァルトはしばらく不安定な地位にあった。
そのため、皇位継承においても色々と憶測をよんだが、ジークヴァルトに従っていたダーゼ公爵をはじめとする忠臣達の働きによって、それらの風聞は口にした者を含めて粛清された。
グレヴィリウス公爵家は現在の当主の一代前であったが、あえて積極的にどこにつくこともしなかった為に、功をたてることもなかったが、敵対勢力とみなされることもなく過ごした。
だが、それも昔の話である。
現在の皇帝は穏やかなる品性によって、国民からの支持も高く、貴族達もおおむね平穏なるその治世に満足していた。
ヴァルナルは緊張しつつも、皇帝の背後にグレヴィリウス公爵の姿を見つけて、内心ホッとした。
「運の良い男だな、そなたは。いい馬を見つけたそうではないか」
皇帝は公爵からヴァルナルが連れてきた
「その馬がいるとわかっていて、サフェナ=レーゲンブルトなどという貧弱の地を引き受けたのか?」
「いえ…まったく存じ上げませんでした。偶然に、教えてくれる地元の子供がおりまして。彼のお陰です」
「ほぉ…日頃より民と親しく接しておるそなたであればこそ、そうした
皇帝が背後に立つもう一人の男に問いかける。
深緑の絹地に、金糸で唐草模様の刺繍がされた豪奢な頭巾を被った男が頷いた。
艶のある
「誠に。諸侯も
落ち着いた穏やかで深みを感じさせる声は、
ヴァルナルはこちらを向いてニッコリと細められる紫紺の瞳に、思わずまた頭を下げてしまった。
皇帝とは違った意味で、非常に緊張させられる相手だ。
ランヴァルト・アルトゥール・シェルバリ・モンテルソン大公殿下。
先帝の末息子で、現皇帝よりも五つ年下ながら、皇帝の叔父という立場である。
幼い頃より頭脳明晰で、三才で素数を理解して当代一の数学者の出した暗号を解き、五歳の時には帝国全史を読破して、三十点に及ぶ
その上で武芸にも秀で、十九の年には隣国と長く続いた戦役をわずか半年で終結させた功労もあって、
たいていの大貴族の子息であれば、騎士としての形ばかりの成人儀式の後に
だが、黒杖はその人品と技量、実績が伴っていないと戴けぬ名誉である。帝国の歴史においても、白杖と黒杖の二つを同時に持っていた人間はいない。
騎士を名乗る者であれば、ランヴァルト大公 ―― 本来であればモンテルソン大公と呼ぶべきだが、大公本人の意向で多くの人間は彼を名前で呼ぶ ―― は、おそらく当代における英雄として、尊敬の対象であろう。
それはもちろん、ヴァルナルもそうであった。
「恐縮にございます」
深く頭を下げたヴァルナルに、皇帝はやや意地の悪い笑みを浮かべた。
「やれやれ。ヴァルナルは私よりも大公に会う方が畏まるようだな」
あわてて取り繕おうとしたヴァルナルよりも先に、大公がハハハと笑った。
「クランツ男爵は、同じ黒杖の騎士として、先輩の私を敬って下さっているだけですよ」
「ふん。そうなのか? クランツ男爵?」
皇帝がとぼけたように皮肉っぽく言うと、ヴァルナルはもうカチコチに固まって「は!」とだけ返事した。
「陛下、先程も申されました黒角馬でございますが……」
見かねたグレヴィリウス公爵が話を元に戻す。
「量産化も含めて研究する必要もございますので、専門家を派遣しようと思っております。できますれば
「………そうだな」
皇帝は瞳を細めて、油断なく公爵を一瞥した。
グレヴィリウス公爵家の財力をもってすれば、それくらいの人材も設備も資金も
おそらく、良質な馬を量産して皇家に対する叛逆を企てている…などという根も葉もない噂が立つことを、予め回避しようとしているのだろう。当然、その人材の中に、皇家からの
まったく……可愛げのない男である。
皇帝はしかし内心の不満をおくびにも顔に出さず、「よかろう」と頷いた。
「量産がかなえば、我が国の軍備も増強される。是非にも成功させるように。援助は惜しまぬ」
「有難き幸せにございます」
公爵が深々と頭を下げると、皇帝は軽くヴァルナルの肩を叩いて去っていく。
「公爵」
大公は皇帝が侍従らと共に去っていくのを見送ってから、振り返って声をかけた。
「何でしょうか、大公殿下」
「その専門家だが、すでにめぼしい者はいるのか?」
「いえ。これから人選に入る予定です」
「では、私の方から何人か紹介しよう。今日、ここに来ている者の中にもいる故、一緒に来るとよい」
そう言って大公は歩きかけて、足を止めると、振り返ってヴァルナルに笑いかけた。
「クランツ男爵は、少々、休憩が必要であろう? ここでそなたの主人に斬りかかる者はおらぬし、ゆるりと楽しまれるがよかろう」
「お気遣いいただき、恐縮にございます」
ヴァルナルは言いながら、チラリと公爵を見る。公爵はゆっくりと瞬きして頷いた。
「ではな」
大公と公爵が立ち去った後、ヴァルナルはハアァーと長く息を吐いた。
本当に正直なところ、ここで休憩をもらわねば酸欠になりそうだった。
グルグルと首を回して、固くなった肩をほぐす。
あぁ、早くレーゲンブルトに戻りたい…。
だが園遊会はそのまま穏やかに何事もなく終了 ――― という訳にはいかなかった。
皇帝と大公と公爵から解放され、ワインでほろ酔いになったヴァルナルは酔い醒ましに、
酔っ払いでもいるのかと顔をしかめたが、その時、甲高い怒鳴り声が響いた。
「アドリアン・グレヴィリウス! 貴様、ただで済むと思うな!!」
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