第三十二話 車椅子

 マッケネンから諭された後、オヅマはとりあえずその日の夜にはミーナのところに行って謝った。ただ、


「オリヴェルは騎士団の訓練とか見てみたいと思うんだ。だから、それは叶えてやりたいんだよ」

とオヅマが言うと、ミーナは嘆息した。


「それは…若君も望んでおられるでしょうけど…無理をさせる訳にはいかないわ」


 今日のことでも、オリヴェルは気に病んで、夕方に微熱があったくらいだ。


「わかってる。無理はさせないようにする。考えるから、オリヴェルにもちょっと待っとけって言っておいて」

「またあなたはそういう物言いを…」

「あー…ハイハイ。えーっと、お待ち下し…下さい…って言っておいて」


 言い慣れない言葉遣いに舌を噛みそうになりながら、オヅマは早々に母の前から立ち去った。最近、ミーナの小言がひどく鬱陶しい。


 とにかくその日から、オヅマはオリヴェルが無理せずに修練場に来て、見学できる方法を色々と考えた。

 マッケネンに言われたように、自分の勇姿を見せたいというのもあったが、単純にオリヴェルが憧れている騎士達の剣撃や、馬を見せてやりたかった。


 ちょうどそんな時に、下男のオッケと一緒に東塔にある不用品の整理をすることになった。

 この前の紅熱こうねつ病で急遽、隔離施設として使用された東塔は、これまで放っておかれたのだが、その内部を見たヴァルナルはこれを機に片付け、今後は緊急用施設として維持管理するように命じたのだ。


 その不用品の中に車椅子を見つけた時、オヅマはこれだと思った。

 車輪の外れかけた車椅子をもらって帰ると、そこから数日は稽古と仕事の合間に修繕作業に没頭した。

 ガタついていた座面には、これも廃棄されていたソファからクッション部分を一部切り出してそれを張り、背もたれの裏側に中が空洞になったポールを取り付け、その先に大きな傘を差した。これはミーナが心配していた日差し避けである。


 以前に比べれば歩くようになったオリヴェルだったが、それでも修練場と自室の往復はまだ厳しい。おそらく途中でへばってしまい、そうなればいつも通りに庭師見習いのイーヴァリか、騎士の誰かに運ばれることになるだろう。

 オヅマはオリヴェルがこの事をとても恥ずかしがっているのを知っていた。

 自分の足で満足に歩くことすらできない上に、運びながら「若君は軽いからいつでもどうぞ」なんて言われて、ひどく自尊心を傷つけられたようだ。

 悔しくて泣いていた。


 だから、少しだけオヅマは不安ではあった。もしかすると、オリヴェルはかえって嫌がるかもしれない…と。


 久しぶりにオリヴェルの部屋に訪れる時、オヅマは少しだけ緊張していた。

 扉の前でスーハーと深呼吸を繰り返していると、いきなりガチャリと開いてマリーが顔を出した。


「あれ? どうしたの、お兄ちゃん」

「よ、や…やぁ…」


 マリーはぎこちなく挨拶したオヅマを見て、ブッと吹いた。


「なにー?『やぁ』だって! おっかしいの」

「うるせぇな! オリヴェルに会いに来たんだよ!」

「じゃあ、入ればいいじゃない。なんでボケーッと立ってるの?」


 マリーは大きく扉を開くと、オヅマを中に招き入れた。

 入って行くと、オリヴェルが向こうも少しだけ緊張した面持ちでソファから立ち上がっていた。


「あ…あの……」


 オリヴェルはなにかを言いかけて、もどかしげに黙り込む。


「なんだよ? …言えよ」


 オヅマは待った。いつもならここに訪れるなり、オリヴェルが話す隙も与えずに、オヅマが息切れするまでひたすら喋りまくるのだが、今日は待つことにした。

 オリヴェルは大きく肩を上下して深呼吸して、大声で言った。


「僕、本当は行きたいんだ!」


 オヅマはしばらくじーっとオリヴェルを見つめた。


「………どこに?」


 しれっとして尋ねると、オリヴェルは困惑したように言葉を探す。オヅマはニヤッと笑った。


「もぅ! お兄ちゃんってば、どうしてそんな意地悪言うのよ!」


 マリーが相変わらず容赦なくオヅマの背を叩く。


ッ! お前、力強くなったな、マリー」

「うるさい。ちゃんとオリヴェルの言うこと聞いてあげて」

「わかってるって。今日は、俺の野望を叶えに来たんだからな」

「やぼー?」

「野望?」


 マリーとオリヴェルはほぼ同時に聞き返す。

 オヅマは頷くと、オリヴェルの手を掴んだ。


「天気もちょうどいい。多少、日が強いけど風が涼しいからな。絶好の見学日和ってやつさ」


 言いながら、オリヴェルを部屋から連れ出そうとする兄を、マリーはあわてて止めた。


「ちょっとお兄ちゃん! 勝手にオリヴェルを連れて行かないで! 外に行くなら、ちゃんとお母さんに言って、上着だって着ないと…」


 しかし言っている間にもオヅマはオリヴェルを連れて部屋を出ていく。マリーは薄手のカーディガンを持って、後を追いかけた。


「もう! 勝手に出ちゃ駄目だってば!」


 マリーは叫んだが、オリヴェルは既にオヅマの手を借りながら階段を降りているところだった。

 下まで降りると、そこには少々風変わりな車椅子が置いてあった。


「これ…って」


 オリヴェルはポカンとして車椅子を眺めた。


「なぁに? この椅子。ヘンな椅子ね」


 マリーが車椅子の周囲を一回りしながら言う。

 背もたれにある長いポールの先に刺さったものを指差した。


「これ、傘? 開くの?」

「おぅ。ホラ…」


 オヅマが留め金を外して傘を開くと、マリーはわっと興奮したように声を上げた。


「すごい! すごい!」


 オヅマはマリーには威張ったようにそっくり返っていたが、オリヴェルの反応に内心ではヒヤヒヤしていた。

 矜持プライドの高いオリヴェルは、車椅子なんて馬鹿にされたと怒り出すかもしれない……。


「オヅマ…これ…君が作ったの?」


 まだ驚いた様子のオリヴェルに、オヅマは苦笑して手を振った。


「いやいや。さすがに作っちゃいないけど。この前、東塔の整理した時に出てきたんで、ちょっと修理したんだ」


 オリヴェルはまじまじと車椅子を観察しながら聞いていたが、急にクルリとオヅマの方にに向き直る。

 その時、ミーナの声が響いた。


「まぁ! オヅマ! 何をしているの!?」


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