第三十三話 騎士団見学
眉を寄せてあわてて走ってくるミーナに、オリヴェルは朗らかに言った。
「見てよ、ミーナ。オヅマが僕のためにわざわざ修理してくれたんだ。車椅子。これだったら、館の隅から隅まで行っても、そう簡単に疲れないよ」
ミーナは奇妙な車椅子の存在に気付くと、眉を寄せて全体を見た後に、不思議そうに傘を見上げた。
「………これは、何?」
「車椅子だよ。オヅマ特製の。ね?」
オヅマはオリヴェルが座ってくれたことで、途端にホッとなって、胸を張った。
「おう! どう? 母さん。これだったら、オリヴェルも修練場まで行って帰って来れるだろ? もちろん、気分が良けりゃ途中まで歩いてもいいし、疲れたら座って戻ってこればいいんだ。母さんが押してもいいし、マリーだって押して行けるよ」
「ありがとう、オヅマ。これでもう恥ずかしくないよ」
オリヴェルは心底から言った。
いつも人に抱っこされて運ばれる恥ずかしさを、オヅマはやはりわかってくれていたのだ。
「ま…あ…そう…」
ミーナは嬉しそうなオリヴェルの様子に、何も言えなかった。
数日前に『待っていて』とオヅマが言ったのは、この事だったのだろうか。
近頃、とみに生意気になってきた息子の扱いに困っていたものの、やはり心根は優しい。……
ミーナは少し、申し訳ない気持ちになった。
「じゃ、早速行こう!」
オヅマはゆっくりと車椅子を押した。マリーが歓声を上げる。
「すごい! 座ってるのに動いてる!」
「そういうもんだからな」
「いいなぁ…私も乗ってみたい!」
「じゃあ、僕が押すよ。マリーが乗ってごらん」
オリヴェルは立ち上がると、マリーを乗せて車椅子を押していく。
「なにか掴まるものがあるだけでも、歩くのが楽だよ」
オリヴェルは心配そうに
オヅマは途中から走り出して、修練場にいるマッケネンにオリヴェルが見学に来ることを伝えた。
騎士達は初めて領主様の若君がやって来ると知って、俄然、やる気がみなぎる。
マッケネンは素早くその日の修練内容を修正した。
オリヴェルが馬を見たがっていることを聞いて、本当は予定になかった馬術を急遽入れる。
オヅマと新米騎士の二人があわてて、馬房から馬を連れてきた。
しばらくして車椅子に乗って現れたオリヴェルを見るなり、騎士達は歓声を上げた。
野太い男達の雄叫びに、オリヴェルはやはり自分が来たのが迷惑だったかと勘違いしたが、マッケネンが丁重な挨拶の後に、教えてくれた。
「若君にいらしていただけると聞いて、皆、とても喜んでおります。ありがとうございます」
まさか礼を言われると思わず、オリヴェルは驚いた。
考えてみれば、初めてではなかろうか。大人から『ありがとう』と言われるのは。
ミーナがそっとマッケネンに耳打ちして、そう長居できないことを伝えると、マッケネンは頷いて早速、馬術から始めた。
オヅマは少しばかり不満だった。
修練場での馬術訓練は、非常に繊細な調教訓練でオヅマは苦手なのだ。今回は特にマッケネンの指示で、
その後はいかにも見学者にわかりやすいよう剣技の型の集団演舞。こちらもオヅマの不得手なものだった。
それでもオリヴェルはすっかり興奮して、ミーナはその様子に少し心配になって、それで切り上げてしまった。
「また、見にくるね。今度は、普段通りでいいから…」
帰り際にオリヴェルはマッケネンに言った。
マッケネンは領主の息子が、訓練内容を変えていることに気付いていたことに驚いた。同時に、子供とは思えぬ思慮深さに感心した。さすがはあのご領主様のご子息だ……。
「ハッ! お待ちしております!!」
肘をつき出して騎士礼をすると、後方で同じように騎士達が一斉に敬礼する。
その列の端にはオヅマもいた。いっぱしの騎士然として、胸に拳をあてて肘を突き出したオヅマの姿を見て、オリヴェルはクスッと笑った。
それを見てオヅマは少しだけバツ悪くなった。
おそらくオリヴェルは、オヅマの野望に気付いていたのだろう。
それはオリヴェルだけではなかった。
「残念だったな、いいところ見せられなくて」
オリヴェルが車椅子に乗って去った後、早速マッケネンとゴアンが、ニヤニヤとからかってくる。オヅマがムッと睨みつけると、ゴアンはわざとらしく身を震わせた。
「おッ! 怒ってるよ。怖いねぇ」
「ま、持ち越しだな。また来ていただけるなら、今度は剣撃訓練から開始してやるよ」
こうしてオヅマにはやや不満の残る結果とはなったものの、オリヴェルにはやはり相当に新鮮で、楽しい時間だったようだ。
それまで話もしたことのなかった騎士と話せたことも、馬を間近で見たことも。
その日は興奮気味で夕食後には早々に寝てしまったが、特に体調を崩したというわけではなく、心地よい疲労感の中で眠りについた。
それもまたオリヴェルには初めての経験だった。
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