第三十話 反抗期

 領主館の春は穏やかに過ぎ、初夏の様相となってきていた。


 ネストリはヴァルナルからよほどにお灸を据えられたのか、オヅマらに対する態度は極めて事務的ながら概ね平静だった。それでも陰口や、婉曲な嫌味は時折言われたが。


 これまでの下男としての仕事や騎士団での訓練に加えて、勉強までする羽目になったオヅマは、以前のようにオリヴェルに会っても遊んだりすることはなくなっていた。来ればたいがい騎士団のことばかり話すオヅマに、マリーは「面白くなーい」とそっぽを向いて絵を描いたりしていたが、オリヴェルは熱心に聞いていた。

 今日もオヅマが子供の黒角馬くろつのうまに髪の毛をむしられた騎士の話を始めると、もう笑いが止まらなかった。


「よりによって、ゾダルさんなんだぜ。あの人、ただでさえ髪が薄くなってきて、いつも気にしてたのにさ。もう半泣きになっちまって……」

「そ、それは……大変だね」


 オリヴェルは一応ゾダルに同情しつつも、その場面を思い浮かべると、こらえきれずに笑みがこぼれた。オヅマと一緒にひとしきり大笑いしたあと、ふぅと息を整えてから、少しだけ寂しそうにつぶやく。


「いいなぁ…楽しそうで…」

「お前さ、そんなに興味あるんなら、見に来たら?」


 オヅマの提案に、オリヴェルは悲しげに首を振った。

 新しい医師の助言もあって、体を動かすようになってきたが、少しでも無理をすると、その夜には体調を崩した。

 この前も気分が良いからと庭を散策していたのだが、マリーがパウル爺を見つけて一緒に庭いじりを始めると、オリヴェルはその様子を眺めているうちに倒れてしまったのだ。それ以来、オリヴェルはすっかり自信を失くし、また外に出なくなってしまった。


「もう暑くなってきましたからね…」


 ミーナがそれとなく同意すると、オヅマは口を尖らせる。


「まだ緑清りょくせいの月だってのに、どこが暑いって言うんだよ」

「あなたには平気でも、若君には季節変わりの急な暑さはこたえるの」

「あーあ! 面倒くさい!!」


 オヅマが苛々して叫ぶと、ミーナはキュッと眉を寄せた。

 近頃のオヅマの言動は少々目に余る。

 騎士団で勉強を見てもらい、稽古をつけてもらうようになって、自信を持つのはけっこうだが、通り越して不遜な態度は問題だった。


「オヅマ! 物言いに気をつけなさい!! 若君やご領主様が許して下さっているからって、あなたは図に乗りすぎです!」


 久しぶりに叱られ、オヅマはビクリとなりつつも、ムッとミーナを睨みつけた。


「なんだよ! 友達なんだから、それくらいのこと言うだろ!」

「友達でいることをんです! わきまえなさい!!」

「そんなの知るか!」


 オヅマが怒鳴った途端、マリーが泣きわめいた。


「わあぁぁん!! お兄ちゃん、お母さんを怒らないでぇよぉ」


 マリーは遊び疲れてソファでうたた寝していたのだが、母と兄の言い争う声でうっすらと目を覚ましていたのだ。

 オヅマの怒鳴り声でパチリと目を開くと、剣呑たる兄の形相を見て、一気に恐怖に襲われ、身を震わせた。


「やだあぁ! お母さんを叩かないでぇ!」


 目覚めたばかりで混乱しているのか、マリーはしゃくりあげて泣きながら、ミーナのところへ行こうとして転んだ。オヅマが走り寄る前に、オリヴェルが素早くマリーを助け起こす。


「大丈夫だよ、マリー。オヅマは叩こうとなんてしていないよ」


 背をさすってやさしくマリーをなだめるオリヴェルを見ながら、オヅマは唇を噛みしめた。

 マリーが自分と、コスタスを重ねて怖がっていることが、ひどく理不尽に思える。ずっと、あの非道な父からマリーを守ってきたのは、自分だというのに……。


「オヅマ…」


 ミーナがそっと肩に手をのせてくるのを、オヅマは拒絶して乱暴に払う。


「オヅマ!」


 オリヴェルがとがめるように声を上げた。


 わかっている。自分が言い過ぎたのだ。自分勝手なことを言って、ミーナに叱られて、反省するどころか一人怒っている。

 オヅマは拳を握りしめると、クルリと踵を返して、無言でオリヴェルの部屋を後にした。

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