第二十六話 憧れの騎士
結局、オリヴェルの願いが届くこともなく、ヴァルナルは今年も
玄関ホールまで見送りに来たオリヴェルとミーナに、いかにも名残惜しそうに何度も振り返って出て行く領主様に、彼らは心の中で静かにエールを送った。
最初の結婚で失敗して以来、とんとそちらの方には興味を示さなかった領主様の、ようやく芽生えた恋心だ。身分違いとはいえど、むしろそれが故に若い女中などは色めきだった。それとなくミーナにどう思っているのかと聞けば、当の本人はたわいない冗談だと取り合わない。
無論、一部には馬鹿馬鹿しいと
騎士団は五分の一を残して、ヴァルナルと共に向かった。
一応、平時においても領内における騒乱や災害などが起きた時のため、あとは形式的ながら北方の守りのため、兵力を少しは残しておかねばならない。
オヅマは当然のごとく残留組だった。
帝都に向かうカールに代わって、剣は最初にオヅマを気にかけてくれたマッケネンが教えてくれる。また、旅立つ間際にヴァルナルの許可をとって、とうとう
「お前は本当に勘がいいな。たった二ヶ月そこらで、ここまで乗りこなすとは」
マッケネンは素直に褒めてくれる。
カールはひねくれてるから滅多と褒めないし、アルベルトに至ってはそもそも口数が少なくて、人を褒めることに慣れていない。
オヅマは嬉しいが、多少おもはゆい気分だった。
「まぁ、馬場で練習してたから」
軽く謙遜すると、同じく残留組になったサロモンが豪快に笑った。
「んなこと言って、今日の晩には内股が悲鳴を上げるだろうぜぇ。馬場でちょこちょこ乗るのとは訳が違うんだ。しっかり軟膏塗って、冷やしておけよ」
それでも朝焼けの景色の中で、馬を並べて太陽に礼拝する……あの一団に加われたことに、オヅマは我が事ながら感動していた。もっと先の話かと思っていたのだが、案外と早く叶った。この先は騎士として、早く認められるようにならねば。
苦手な弓も頑張って練習した。指にも
「オヅマ、お前、騎士になりたいと言うが、どんな騎士になりたいのだ?」
マッケネンは剣の指導を終えた後に、道具を片付けているオヅマに尋ねた。
オヅマはすぐさま大声で叫んだ。
「ご領主様! ヴァルナル様みたいな騎士になりたいです!」
周囲で同じく片付けをしていた騎士達が吹き出す。サロモンは大笑いして、オヅマの肩をバンバン叩いた。
「ハッハッ! ま、大望を持つのは自由だからな!」
「なんだよ! わかんないだろ」
オヅマはムキになって言い返したが、同じく騎士のスヴァンテは冷笑した。
「ハハハ……どうだか。ご領主様を目指すとなれば、
「黒杖の…騎士?」
聞き返したオヅマにマッケネンが説明してくれる。
「黒杖の騎士は、皇帝陛下より直接その栄誉を受けた一握りの騎士だ。無論、それだけの実績も能力も必要だ。大貴族の息子というだけでもらえる
「魔法!? そんなのあるの?」
「いいや、ない」
すげなく答えたのは、騎士団においてパシリコに継ぐ長老のトーケルだった。白髪混じりの髭をしごきながら淡々と言う。
「
「いずれにしろ…ヴァルナル様を目指すというのであれば、剣術だけでは駄目だな」
マッケネンはそう言って、ニンマリ笑った。
その何かを含んだ笑みを見た時、オヅマは自分の発言を少しだけ後悔した。
しかし、やっぱりヴァルナルはオヅマにとって憧れだ。
騎士達がなかなか乗りこなせない
あんな格好いいところを見せられて、憧れないほうがどうかしている。
翌日、どしゃ降りの雨で訓練が臨時休止になると、オヅマはマッケネンに食堂に呼び出された。
机の上に乗っている本を見て眉を寄せる。
「……なにこれ?」
「読み書きの本だな。それと算術の本もある。あとは礼法」
マッケネンは三冊の本をオヅマの前に並べた。
「昨日、お前の母であるミーナから聞いたが、お前、書く方はすっかり放り出しているらしいな」
「………」
オヅマは背をすぼめながら、視線を逸らした。
実のところ、まだラディケ村にいた頃から、時々ミーナはオヅマに文字を教えてくれようとしていた。お陰で読むのはまぁまぁできたが、書くのはインクを買うのも難しかったので、すっかりやる気をなくしてそのままだ。
「正直、お前の母のような身分の者が文字を読み書きできる上、礼法まで完璧なのは珍しいくらいだが、せっかく親に
「だ…だって、いいじゃないですか。騎士の仕事は戦うことなんだし……」
「お前が傭兵か、下級騎士で十分だというならそれでもいいがな。お前は将来どうなりたいと昨日言ってたんだっけ?」
「領主様みたいに……なりたい、です」
「だったら、最低でも上級騎士……その上で黒杖を賜ることができるほどにならないとな。そのためには文武両道。これが最低限の素養だ」
マッケネンの言葉は逃げ出す余地がなかった。
ここで逃げ出せば、オヅマは自分の言葉に嘘をついた恥知らずになる。しかもヴァルナルの名前まで出して、自らの将来の目標を語ったというのに、早々に投げ出すようではヴァルナルへの不敬と取られかねない。
オヅマは目の前でニコニコ笑っているマッケネンを恨めしく見て、怒鳴るように言った。
「わかりましたよ! 勉強すりゃいいんでしょ、勉強!」
「結構」
マッケネンは頷くと、すぐにオヅマに字の書き方を教えた。
食事の時間が近付くと、オヅマにインクとペンと紙を数枚渡して、
「ちゃんと今日やったところの復習をするようにな。明日点検するから。もしやっていなかった場合は、朝駆けには連れて行かん」
オヅマはあんぐりと口を開けて、涼しい顔で立ち去るマッケネンを見た。
知り合ってから短い期間ではあるが、マッケネンはオヅマの性格を熟知していた。 オヅマにとっては、素振り五百回とか、城壁周りを延々走るとかよりも、朝駆けに参加できないことの方が罰として効果的だ。
オヅマはその日から毎晩、小屋で勉強する羽目になった。
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