第十二話 子供達の秘密結社

「……やっぱり」


 バルコニーの窓から覗いてマリーの姿を見つけた時、オヅマは頭を押さえた。

 マリーは馬鹿ではないのだが、たまに頑固なくらい自分を曲げない。

 軽く溜息をついて、オヅマはコツコツと窓を叩いた。

 マリーと話していたオリヴェルがこちらを向く。ニコリと笑って、歩いてくると窓を開けた。


「やぁ、いらっしゃい」


 なにがいらっしゃい、だ。

 こちらは下手すりゃ解雇クビになる覚悟で来ているのに ―― とはいえず、オヅマはポリポリと耳の後ろを掻いて軽くお辞儀する。


「………どうも」

「本当に来てくれるとは思わなかったよ」


 何気なく言われてオヅマは引き攣った笑みを浮かべつつ、チラリとマリーを見る。マリーはオヅマと目が合うと、プイとそっぽを向いた。

 オヅマは内心でマリーに拳を突き上げていたが、まさかオリヴェルの前で叩くわけにもいかない。


「マリーが花を持ってきてくれたんだ。庭に咲いてるんだって。なんて言ったっけ?」

桜草さくらそうよ。可愛くてキレイでしょ?」

「本当だね。マリーみたいだね」

「…………」


 なんだ、このおとぎ話ごっこは。

 オヅマはげんなりしながら、素早く部屋の中を見回した。

 油断なく辺りの気配を探って誰かいないか、じっと聞き澄ます。


「大丈夫だよ」


 オリヴェルはほがらかに言った。


「さっき眠たいから寝るって言ったから、しばらくみんな休憩して来ないよ」

「そっか…あ、いや……そうですか」


 オリヴェルはクスッと笑った。


「いいよ。無理しなくて」


 日差しのある中で見ると、オリヴェルの右目の下にほくろがあるのがわかった。

 それにしてもずっと暗い中にいたからなのか、肌が白くて透き通って見えそうだ。


「じゃあ言うけど……本当は今日、ここに来るつもりはなかったんだ」


 オヅマははっきりと言った。

 マリーが走ってきて、オヅマの足にしがみつく。


「やめて! 言わないで!!」


 オリヴェルはびっくりしていたが、オヅマと目を合わせると何となく事情は察したようだった。フッとさっきまでの明るい顔がかげる。


「マリー! ここを追い出されるかもしれないんだぞ」


 オヅマが強い口調で言うと、マリーはいつにないオヅマの真剣な顔にビクリと震えて後ずさった。

 オヅマはオリヴェルに深く頭を下げた。


「すみません。俺…僕らは、坊っちゃんと遊んじゃいけないんです。余計な病気が移ったりなんかしたら、大変なことになるから。ネストリさんに禁止されているんです」

「………いまさら僕が病気になったって、別に心配もしないくせに」


 オリヴェルは幼い顔に皮肉な笑みを浮かべてつぶやいた。


「いいよ。もう行くがいいさ。そうして二度と来ないで、忘れればいい」


 そんな憎まれ口をききながらも、オリヴェルの目には涙が浮かんでいる。

 下ではマリーが容赦ない力で、オヅマの下腹をポカポカ殴りまくっている。

 オヅマは嘆息して天井を見上げた。

 漆喰しっくいで塗られた白い天井には、ところどころげてはいたが、創生神話の絵が描かれていた。オヅマ達の住む元物置小屋と違い、なんとも豪華なことだ。


 ―――― 領主様の息子は可哀相じゃないの?


 屈託なく尋ねてきたマリーの言葉がよみがえる。


 こんな暖かい部屋で、綺麗な絵のある天井で、食うにも寝るにも困らない生活をしていても、オヅマから見てオリヴェルが幸せであるようには見えなかった。

 おこがましいかもしれないが、自分がその身分になりたいかと問われても、今のままでいいと答えるだろう。

 母親は自分を置いて去り、忙しい父からは放任され、多くの召使いにかしずかれながらも、一人ぽっちのオリヴェル。

 泣き叫んでいたのは、一体なんのためだったのだろう?


 ぼんやりと天井の絵を見ながら、オヅマはもうなんだか考えるだけ無駄な気がしてきた。


「……わかった」


 オヅマは二人の説得を諦めた。

 だいたい不条理なことを言っているのは大人の方だ。

 どうしていつも従わねばならない?


「でも、バレないようにしないと駄目だ」


 オヅマはコソッとつぶやくように告げる。

 オリヴェルの泣きそうになっていた顔がみるまに笑顔になり、マリーはオヅマに抱きついた。


「秘密だね」


 オリヴェルが言う。


「おう」


 オヅマが頷く。


「三人だけの秘密!」


 マリーがクフフと笑う。


 この日から三人の子供による秘密結社が出来た。

 やることは遊ぶことと、大人には内緒にすること。





 オヅマはそれでも雑用や騎士団での訓練などもあって忙しく、そう毎日行くことはできなかったが、マリーは厨房が忙しくなる時間帯を除いて、昼過ぎにはミモザの木に登ってオリヴェルの部屋へ向かった。

 幸いにもちょうどこの時、一番の難敵であったネストリは不在だった。実家で不幸があったらしい。

 おかげで子供達はわりと気楽に遊ぶことができた。オヅマ達と遊ぶようになってから、オリヴェルは確実に変化していった。

 まず、食べる量が増えた。マリーはオリヴェルの食事を、母のミーナが作っていることを教え、


「この前、木イチゴのブラマンジェが出たでしょ? いいなぁ。私、一回だけ食べたことがあるの。とってもおいしいでしょう?」


なんてことを訊いてくる。

 そうなると俄然がぜん、オリヴェルとしてはその木イチゴのブラマンジェが楽しみになってきたりする。

 他にもマリーがパウルじぃと菜園で野菜を育てていて、夕食の具材になっていることを話すと、やはり嫌いな人参であってもがんばって食べるようになった。

 おかげで多少、顔色もよくなってきた。

 主にオリヴェルの世話をしていた女中頭のアントンソン夫人は、その変化をいぶかしんだ。


「最近では、好き嫌いもなくされたようで……結構でございますね」


 夫人が微笑みながらも探るような目で、自分を見ていることにオリヴェルは気付いた。三人で約束した秘密がバレれば、マリーもオヅマも領主館を追い出される。

 オリヴェルはすぐにオヅマに相談した。

 話を聞いたオヅマは、ふとあることに気付いた。


「そういや、お前、最近あんまり叫ばないよな?」

「え? ……あぁ…うん」


 以前は五日に一度くらいは癇癪かんしゃくを起こして叫んでいたのが、最近はマリーやオヅマと話すことで不安な気持ちもなくなって、叫ばなくなっていた。


「時々、やっとけ。怪しまれるから」


 オリヴェルは言われた通り、オヅマが去った後、すぐ大声で叫んだ。

 ここ数日はなかった癇癪がまた始まったと、召使い達が慌てて走り回る。

 オリヴェルはその様子を内心、面白がった。

 こうした巧妙な工作によって、彼らの秘密はどうにか保たれていたが、実はこの時、一人だけ気付いていた大人がいた。



 庭師のパウル爺は、マリーが昼過ぎになるとどこかに出かけているらしいことに気付いた。

 その日も、注意深く辺りを見回してから走っていくマリーを見かけて、後を追ってみれば、西棟の裏手にあるミモザの木をするする登っていく。

 その先が領主様の若君の部屋だというのは知っていたので、そこでようやく合点がいった。


 そういえば何日か前に、マリーが桜草さくらそうをとっていいかと聞いてきたことがある。てっきり自分たちの家にでも飾るのかと思ったのだが、もしそうであればミーナは必ず礼を言ってくるだろうし、息子のオヅマだって何かしら言ってくるはずだった。


 マリーがこっそり領主様の若君に会いに行っていることを知って、パウル爺はしばしの思案の後に何も見なかったことにした。

 うるさい執事が妻であるヘルカばばを通じて何か言ってきたことがあったが、知ったことではない。

 パウル爺はこの領主館において、ヴァルナルが領主となる前からいた古参の使用人だった。でしかないネストリになど、正直何らの敬意もない。

 彼の言うことに従うのは、尊敬する領主様が彼を執事として任用しているから、それだけだった。


 パウル爺はずっと思っていた。

 領主様の息子が病弱なのは、ずっと部屋に引き籠もってばかりで、周囲の大人が彼に対して無関心であるからだろう、と。

 世話はしても、親身になってやれる人間は彼の周囲にいないようだった。

 と言っても、たかが庭師の自分が若君の部屋を訪問できるわけもない。

 内心、赤ん坊の頃に一度だけ見た若君を気の毒に思っていたのだが、マリーが彼の友達となってくれるのであれば、喜ばしいことではないか。

 あの元気なマリーと一緒にいれば、きっと若君も元気になられるだろう……。


 パウル爺は、マリー達の秘密を穏やかに見守った。

 時々、マリーにそれとなく温室の花を渡したりしつつ。

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