第十一話 遊んじゃいけません

 騎士団が帰ってくると、ようやく朝食の時間になる。

 兵舎の横に備えられた食堂には、厨房ちゅうぼうから当番兵が運んできた大鍋が三つと、大きなかごの中に山盛りのパンが石積みの台の上に乗っている。

 兵士達はめいめいで皿に料理を盛り、一人につき二個までのパンをとって食べる。

 オヅマもこの中で食べることになっているが、子供ということで、パンは一つまでとされていた。


「えらくあわててたな、オヅマ。サボってたんじゃねぇだろうな」


 ドカンと前に座って声をかけてきたのは、サロモンという騎士だった。

 オヅマと同じ年くらいの息子がいるらしく、何かと声をかけてくる。


「いや、途中でお腹が痛くなって…」

「腹が痛いィ? お前、腹減ったからって、馬の餌でも食べたんじゃないだろうな?」

「そんな訳ないだろ」


 サロモンは大笑いした後で、握り拳二つ分はあろうかというパンを三口で食べてしまう。

 オヅマからすると勿体もったいない食べ方だが、なにせ迅速を尊ぶ騎士団においては貴族よろしくゆっくりと食べる習慣などない。


「あの、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

「なんだ?」

「領主様に息子がいるって聞いたことがあるんだけど……ここにいるの?」


 サロモンはチラっと隣にいたゴアンを見て、ゴアンはオヅマの隣に座っていたアルベルトに目配せする。

 彼は副官カールの弟で、騎士団の中では一番の弓使いだ。 


「お前ぇ~、その話、誰から聞いたんだよ?」


 サロモンが少し怒ったように言ってきて、オヅマはキョトンとする。


「村で前に大人が話してたのを聞いたよ」

「なんだ、村でか」


 わかりやすくサロモンはホッとした顔になった。


「箝口令がひかれてるってのに、誰が言いやがったのかと思った」

「かんこうれい?」

「余計なことをしゃべるな、ということだ」


 アルベルトは静かに言った。


「執事殿から、お前達兄妹きょうだいに、領主様の若君については話すな、と指示された」

「なんで?」

「さぁな」


 澄ました顔でアルベルトはスープをすする。

 カールとアルベルトは、ヴァルナルの主筋にあたるグレヴィリウス公爵家に代々つかえる騎士の出で、主に平民出身の傭兵ようへいなどからの志願者が多いレーゲンブルト騎士団の中では、際立って作法が良かった。


大方おおかたきたならしいガキが、領主様の息子に興味持って会いに行ったりしたら、面倒クセェと思ったんじゃねぇの?」


 サロモンが適当に言うと、ゴアンがうんうんと頷いた。


「子供同士ってのは、引き合うからな。気がつきゃ勝手に遊び始める。それが身分違いであっても関係ないもんなぁ、子供の頃は。俺も帝都で昔……」


 自分の話を始めるゴアンを無視して、アルベルトはオヅマをジロと見た。


「どうしていきなり若君の話をするんだ?」

「えっ? いや…その…」

「村で聞いた話を、今頃聞いてきたのは何故だ?」


 この弱味を徹底的に突いてくるあたり、カールの剣術と似たものがある。やはり兄弟だ。


「えー…っと、その…声が…聞こえてきて」

「声?」

「その、なんか叫んでる…ような、声?」


 オヅマはとりあえず嘘はつかないことにした。すべては話さない。だが嘘も言わない。


「あぁ…あれか」


 ゴアンが思い当たったのか溜息をつく。


「なんなの、あれ? あの…叩かれたりとかしてるんじゃないよね?」


 思わず聞いてしまったのは、マリーの話のこともあるし、階段に上がる前にネストリがオリヴェルを叱責しっせきしていたのを思い出したからでもある。


「領主様の息子を叩くような人間がいるわけないだろう。あれは……癇癪かんしゃくだ」

「癇癪?」

「母君もいらっしゃらなくて、領主様もお忙しい身だ。世話人の女も長く続かないし、色々と不満に思うことが多くて、叫びたくなるのだろう」


 アルベルトが丁寧に説明してくれる。


「母君…って、領主様の奥方様?」

「……で、いらした方、だ」


 オヅマが首をかしげると、サロモンがあけすけに言う。


「別れたからな。ま、別れて良かったさ。ここにいた時だって、なんかっったら、ド田舎だのクサいだのと当たり散らして散々だった。一年持たずに都に帰って、男作りやがって、領主様に離縁状なんぞ送りつけてきやがった」

「はぁ……?」


 オヅマはいきなり怒り出したサロモンに呆気にとられ、何と返事すればいいのかわからなかった。

 アルベルトがパンをちぎりながら冷静に訂正する。


「正式には奥方が直接、離縁状を送ってきたわけではない。その男が別れてほしいと言ってきたのだ」

「同じこったろ」

「あのような女ごときに、離縁を申し出て領主様が受けたなどと噂されてはならぬ。言葉は正確に伝えろ」


 領主様とその元奥方に関してはさておき、つまるところオリヴェルは母親に捨てられたも同然ということだ。

 オヅマの脳裏に、オリヴェルの諦めきったような寂しい目が浮かんだ。

 ヴァルナルは今はこの領地に戻ってきているが、一年の半分以上は公爵の本邸か帝都にいるらしい。おそらくわざわざ病弱な息子を連れ回すようなことはしないだろうから、オリヴェルはほとんど一人ぼっちだ。たとえ、領主館に人がたくさんいても家族はヴァルナルしかいないのだから。


「オヅマ」


 アルベルトが声をかけてくる。

 こちらを見ずに、ほとんどきれいになったスープの皿をパンでキレイにぬぐっていた。これは貴族の作法でない。食事を残さずに食べて、なるべく洗うときの水を少なくすることは、騎士団ではいくさに備えた行動規範とされていた。普段から行うことで、即座に戦時体制に対応できるようにしている。


 オヅマはまた痛いところを突かれるかもしれないと、内心で戦々恐々としつつ、平静を装って返事する。


「はい?」

「興味を持つくらいは構わないが、若君に会おうなどとは思わぬことだ。ネストリが知れば面倒なことになる。あの執事は……色々と厄介だからな」


 アルベルトには珍しく不満げな表情だった。

 いつも表情を崩さないので、鉄面皮てつめんぴ渾名あだなされているくらいなのに。


「……気をつけます」


 既に会ってしまった……とは口が裂けても言えない。口が裂けたらもっと言えない。

 オヅマは愛想笑いを浮かべて、そう言うしかなかった。





 母はさすがに領主様の子供のことは知っていたようだ。騎士たちと同じように、ネストリから厳命されていた。領主様の子供のことを、オヅマたちに教えるな、と。

 ネストリは嫌味たらしくて、鬱陶うっとうしい人間ではあるが、人物観察には秀でているようだ。オヅマとマリーを見ていて、好奇心旺盛で無鉄砲なところがあるのを見抜いていたらしい。

 ……実際、そうだった。


 オヅマはマリーに今日、オリヴェルに会ったことは絶対に大人には言わないこと! と、約束させた。

 その上で、母のミーナには騎士達に聞いたのと同じように、朝に子供の声を聞いたんだけど…と話して、教えてもらえなかった理由を聞き出した。


「若君はお体が弱くていらっしゃるから…あなた達から風邪でももらったら大変なことになるの。だから、ね、もしお見かけしたとしても、近くに寄ってはいけませんよ」

「えぇぇ!?」


 不満そうにマリーが声を上げる。

 オヅマは机の下でマリーの足を軽く蹴る。マリーはオヅマを睨みつけたが、口をとがらせて黙り込んだ。

 オヅマはミーナを安心させるように言った。


「大丈夫だよ。若君なんて身分が違い過ぎて、さすがに一緒に遊ぼうなんて思わないよ」

「……そうよね。ここは村みたいに子供がいないから、あなた達には少し寂しいかもしれないけど」

「俺は騎士団で馬の世話もしなくちゃいけないし、館でだって雑用もあるんだから、遊んでる暇なんてないからいい。マリーは…ちゃんとパウルじぃの言うこと聞いて、うろつき回らないようにしろよ」


 それとなく釘をさすと、マリーはうつむいて少し涙を浮かべた。

 オヅマが「マリー…」と手を伸ばして頭を撫でようとすると、ゲシッと思いっきり太腿の辺りを蹴られる。


ッ!」


 そのままマリーはベッドに潜り込んだ。


「まぁ、どうしたの?」

「いや。なんか…今日嫌なことがあったみたいで、機嫌が悪いんだ」


 オヅマは笑って誤魔化すと、溜息をついた。

 マリーとしては、約束したのに行かないでいるのは、オリヴェルに嘘をつくみたいで嫌なのだろう。しかし今ここで言い聞かせるのは難しい。明日、ちゃんと説明すればわかってくれるはずだ。


 その日はぐっすり眠って、次の日の朝からはまた忙しかった。

 だから昼頃になって、探してもマリーが見つからないことに気付いた時、オヅマは仕方なしにミモザの木に登るしかなかったのだ。

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