第十三話 けんか
オヅマ達
ある日、オヅマが騎士団の訓練から帰ってくると、マリーが部屋でポツンと一人、肩を落としていた。
「どうした? オリヴェルと喧嘩でもしたか?」
気軽に尋ねると、マリーは力なく首を振る。
喧嘩なんぞあるわけもない。
オリヴェルはマリーに対して怒ったことなど一度もないからだ。オヅマにはけっこう物言うが。
「なんだよ? あ…じゃあ、エッラか? またいじめてきたのか?」
エッラは女中の一人だ。
館の中でも領主様の寝室などを整頓したりする女中なので、ちょっとだけ女中の中でも地位が高い。それを鼻にかけていて、何かとミーナやマリーにキツく当たってくる。ネストリの女版だ。
「ううん。何も言われてない」
マリーはうつむいたまま小さな声で言った。
「じゃあ、何?」
オヅマはシャツを脱ぎ、手拭いを濡らして絞るとゴシゴシと体を拭いた。
だんだんと春の陽気で暖かくなって、訓練の後にはけっこう汗をかくようになってきた。
「オリヴェルが…楽しくないことを言うの」
「うん?」
「自分なんてどうせもうすぐ死ぬんだ、って。生きてても仕方ないんだ…って」
オヅマは眉を寄せた。
時々、オリヴェルは投げやりだった。
小さい頃から病気がちで、長く生きられないと大人達が話すのを聞いていたからだろうか。
オリヴェルが体が弱いのは同情するとしても、このオリヴェルの諦めきった感じが、オヅマにはどうにも気に入らなかった。
翌日になってオヅマは
少しだけ開いたカーテンの間から、オリヴェルが見えた。ちょうど起きたところのようだ。女中のゾーラに顔を洗って拭いてもらっていた。
オヅマは小鳥の真似をして口笛を吹いた。
オリヴェルは途端に気難しい顔になって、ゾーラをドンと押す。
「痛いじゃないか。どうしてそんな拭き方をするんだ! もういい!! 出ていけ!」
ゾーラは内心でやれやれと溜息をついた。
最近は
それでも一応頭を下げて謝ると、床に落ちた手拭いを取り上げ、
「お前のせいで頭がまた痛くなった! しばらく誰も入ってくるな!」
オリヴェルはゾーラに重ねて怒鳴りつけた。念には念を入れねばならない。
ゾーラはあからさまな溜息をつくと、振り返ってお辞儀することもなく、バタンとドアを閉じて出て行った。
「……なんか、お前うまくなってきたね」
入ってくると、オヅマはニヤと笑って言う。
オリヴェルはさっきまでと打って変わって微笑んだ。
「そりゃあ、君達が追い出されないように僕だって必死だもの」
「申し訳ないことですね、若君」
オヅマがおどけて言うと、オリヴェルは肩をすくめてソファに腰掛ける。
「どうしたの? こんな朝早い時間に。珍しいね」
「あぁ、ちょっとさ。言いたいことがあるんだよ」
「言いたいこと?」
「お前、マリーにまたどうしようもないこと言ったろ? どうせすぐ死ぬとか、何とか」
オヅマが言った途端に、オリヴェルはフイと目を逸らした。気まずい様子でブツブツと言い訳する。
「だって…マリーが春になったらピクニックに行こうとか、大きくなったら帝都に行きたいとか……無理なことを言うから」
「帝都はともかく、ピクニックなんて、なにが無理なんだよ?」
「無理に決まってるだろ。僕はここから出るのだって、駄目だって言われてるんだぞ」
「………」
オヅマは白けた顔だった。
納得いっていない様子を見て、オリヴェルは苛立たしげに
「君達にはわからないよ。外に出て風にあたって……少し歩いただけで息切れするんだ。君みたいに騎士達と一緒に走ったり、馬に乗ったりなんて……僕には一生できないんだ……」
打ちひしがれた様子で言うオリヴェルに、オヅマは面倒そうに返事する。
「あー……お前が色々とやりたくても出来ないことがあるのはわかった」
オヅマはとりあえずオリヴェルの怒りをなだめた。それからジロリと睨むように見つめる。
「でも、マリーの前で『どうせ死ぬ』とか言わないでやってくれ」
「どうして?」
「どうして? 聞きたくないからだよ。友達が『生きてても仕方ない』なんて言ってるのを聞いて、いい気分になるもんか」
「…………」
オリヴェルはうつむいた。
さすがに自分よりも幼いマリーを悲しませたのは、申し訳ないと思った。
でも、物心ついてからずっと引きずってきたあきらめは、そう簡単に取り払えない。
「君には…わからないよ」
自分でも素直でないとわかっていたが、オリヴェルはつぶやく。
オヅマはハアーッとわざとらしい溜息をついた。
「ああぁ…もう。そうやって不幸がるの、やめろよ」
「な……それ…なんだよ、その言い方!」
「わかってほしいから叫んでたんだろ、ずっと。マリーはお前が叫んでいる声が可哀相だって言ったんだ。聞いてて悲しくなるって。だからここに来たんだよ。望みどおりしてやったろうが!」
「うるさい! 君になんかわかるもんかっ!」
「わかってたまるか! お前みたいなひねくれ者!」
売り言葉に、買い言葉。
オヅマはバルコニーへと出ていくと、ほとんど落ちるようにミモザの木を降りていった。ちょうどその時にアントンソン夫人が顔を出したので、良かったのかもしれない。
「どうなさいました? 坊ちゃま」
アントンソン夫人は怒鳴り声が、いつものオリヴェルの甲高い声と少し違ったような気がして、まさか誰かいるのかと、部屋を見回しながら尋ねた。
オリヴェルはキッと睨みつける。
「なにもない! 入ってくるなと言っただろ!! 出てけ!」
「……はい。失礼致します」
アントンソン夫人はこめかみに軽い痛みを感じながら、お辞儀をしてドアを閉めた。どうやら久しぶりに頭痛薬が必要なようだ。
◆
その日からオヅマはオリヴェルと絶交状態に
マリーはそれでも顔を出して、兄とオリヴェルの間を一生懸命取り持とうとしたが、男子二人はこじれると厄介だった。
「うるせぇ、ほっとけ」
と言う兄の方は、それでも必ずマリーにそれとなくオリヴェルの様子を聞いてきたし、オリヴェルはたまに小鳥の鳴き声を聞いては、ハッと必ずバルコニーを見るのだった。
そのくせ二人に仲直りしよう、と言っても頑として聞き入れない。
「フン。どーせ俺なんざガサツで、頭の悪ぃ小作人の
オヅマが口をとがらせて言う。
本当はそんなこと思ってないくせに……。
憎まれ口をきく兄をマリーは睨みつけた。
「オリヴェルは…偉そうなことは一回も言ったことないよ。俺は領主の息子なんだぞーって威張ったりしないよ」
「それは…そうだけど」
オヅマはそこは認めつつも、やっぱり謝る気はないようだった。
オリヴェルはオリヴェルで、すっかり
「オヅマは、やっぱり僕と遊ぶのは嫌だったんだ。最初から嫌だって言ってたし」
「嫌だなんて言ってないよ。それにお兄ちゃん、オリヴェルは自分より年下なのに、とっても物知りだって……すごい、って何回も言ってたよ」
マリーは本当のことを言ったのだが、オリヴェルは力なく首を振った。
「僕はここで本を読むぐらいしかできないもの。オヅマみたいに騎士達と剣の練習や、馬に乗ったりすることなんてできないから……」
マリーは途方に暮れた。
どうして二人とも悪いと思っているなら、同時に謝って元に戻ることができないのかしら?
そんなちょっとした喧嘩をしている間に、とうとうネストリが戻ってきた。
久しぶりにネストリに会ったオリヴェルは、蛇に睨まれた蛙のような気分だった。
ねっとりしたネストリの視線は、顔色が良くなって、多少肉付きも良くなったオリヴェルを注意深く見ていた。
その場では何も言わずにいたが、疑っているのは明白だった。
だが、領主館はそれどころでない事態が
使用人達が相次いで熱を出して倒れ始めたのである。
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