第六話 夢の助け

 翌朝。


 オヅマはマッケネンに夜明け前に起こされた。

 井戸の水で顔を洗って、マッケネンの乗る馬に一緒に乗る。


「よく眠れたか?」


 既に用意を終えたヴァルナルが馬上から尋ねてきた。


「はい! 毛布も暖かかったし、ごはんもおいしかったです」

「それは良かった。すまないが、朝食は朝駆あさがけが終わってからだ。お前の言う通りにヘルミ山で馬に会えたら、食わせてやろう」


 そう言うと、ヴァルナルは走り出す。

 続いて騎士達が我先にと馬に鞭を当てて走り出した。


「しっかり掴まってろよ」


 マッケネンもオヅマに声をかけると、ピシリと鞭を打って走らせ始める。

 オヅマは初めて乗った騎士の馬に、最初は舌を噛みそうだった。

 今までロバや、荷馬車を引くおとなしい老馬に乗ったことはあったものの、こんなに大きくて速い馬に乗ったことはない。

 必死でたてがみを掴んで振り落とされないようにするのが精一杯だったが、しばらくすると速いながらも一定のリズムがわかってきた。


「……慣れてきたか?」


 マッケネンが声をかけてきて、オヅマは一瞬だけ振り返ってニッと笑った。

 町を抜けて麦畑の間の道へと出る頃には、すっかり慣れていた。

 一定間隔で腹に響く振動を、なぜか感覚があった。

 また、だろうか。

 なんだか一昨日おとといに目が覚めてから、妙にべったりと絡みつくの記憶に振り回されている気がするが、オヅマは深く考えないようにしていた。考えると頭が痛くなるし、どうせ何もわからない。


 なだらかな丘陵きゅうりょうが続く、平坦な光景が広がっていた。

 西の空には三日月が皓々こうこうと光り、星々もまだ夜の中できらめいている。だが東の地平はうっすらと明け始めていた。


「総兵、止まれ!」


 急に鋭い声が響くと、騎士達は馬を止める。

 ヴァルナルが馬首ばしゅを東に向けると、騎士達も一列に並んで東に向いた。整然と並んだ馬と、背筋を伸ばして夜明けの空に向かう騎士達の姿に、オヅマは驚き圧倒された。

 やがて濃紺の闇がはがれてだいだい薄水色うすみずいろの空が東から広がっていった。

 遠くうっすら見える山の間から太陽が上り始めると、誰ともなく騎士たちはこうべを垂れる。

 オヅマはその光景をポカンとして見ていた。

 彼らは無骨で屈強な騎士だというのに、なぜかとても美しく思えた。


「お前もちゃんと祈っておけ」


 マッケネンが小さな声で言ってくる。


「祈る?」

「ちゃんと馬が見つかりますように…ってな」


 オヅマはそんな心配はしていなかったが、何となく従った。

 自分も彼らの一人として、厳粛で神々しい朝の光景の中に加われると思うと、少し嬉しい……


 ヴァルナルが馬首を再び目的地へ向けると、騎士達も特に合図もなくまた再び走り出す。早朝でもあるので、騎士団は村の中を行進することは避けた。要塞跡をグルリと回って、一度帝都へと向かう道へ入ってから、側道に回り込み、北の森へと入っていった。

 牧童ぼくどうが滅多と来ることのない騎士団に目を丸くしていた。

 マッケネンと一緒に乗っていたオヅマと目が合ったので、もしかするとミーナに伝えに行ってくれるかもしれない。


 北の森はヴェッデンボリ山脈のふもと一帯に広がる広大な森で、ヘルミ山はもっとも村に近い場所にあり、山脈の中では小さい山である。

 オヅマは山の中腹に来たところでマッケネンに言った。


「ここからは歩きでないと無理だと思うよ」


 マッケネンが手を上げて知らせると、ヴァルナルがこちらに向かってきた。


「では、案内してもらおうか」

「わかった」


 オヅマはぴょんと馬から飛び降りると、勝手知ったる山の獣道を進み始めた。

 ヴァルナルは一団の三分の一に自分と一緒についてくるように、残りは馬と待機するよう指示した。


 今日はまだ風はましな方であった。ひどい時には立って歩けないこともあるからだ。それでも裏崖うらがけに近づくに従って、風は冷たく強くなってきた。

 オヅマは先頭で、岩場を時に這ったりよじ登ったりして、マッケネンに語った水場を目指していく。馬は移動しているので、当然見つける場所はいつも違っていたが、あの水場であれば、いる可能性は一番高い。


「……こいつはなかなか…面倒な」


 ブツブツと文句を言う騎士達に、副官であるパシリコがげきを飛ばした。


「これも訓練だぞ!」


 そう言われてしまうと誰も文句は言えない。

 騎士達は寒さに身を震わせながらも、必死に岩を這い登った。


「オヅマ、お前寒くないのか?」


 ヴァルナルは先頭を行くオヅマに問いかけた。

 ツギハギだらけのシャツとズボン、それにせいぜい防寒具といえばたぬきの毛皮のチョッキだけだ。足も、底が剥がれそうなのを、布切れでグルグル巻いたような、粗末でしなびた革靴で、当然靴下など履いてない。

 見ているこっちが寒くなるくらい軽装だが、オヅマは平気な顔をして岩場を飛び跳ねていく。


「寒いけど、慣れてるから。それに……」


 オヅマは言いかけてやめた。

 正直、その重そうな甲冑かっちゅうを脱いだらもうちょっと身軽に動けるのに…と思ったのだが、甲冑は騎士にとって大事なものであろうから、下手なことを言って怒らせたくはない。


 大きな岩を半周して、ようやく水場の見える場所にたどり着いた。

 灌木かんぼくの間からそっと顔を出せば、何頭かの馬が水を飲んでいた。

 その中に一際目立って大きな、黒葦毛くろあしげの馬がいる。丸く湾曲わんきょくした黒い角、長い銀のたてがみは、まるでこの地をべる王の威容いようだった。


「……あれは」


 ヴァルナルはオヅマと同じように見て言葉を失った。

 見事な馬である。

 角がある馬など初めて見たが、隆々とした筋肉質の、今乗っている馬に比べても明らかに一回り大きい体格の馬であった。足は太く、ひづめはガッチリと大きい。速さはわからないが、少なくとも重い鎧をつけた騎士を乗せても、そうそうくたびれることはないだろう。


「さて…どうするか」


 ヴァルナルは灌木の影に身を潜めて小さな声で言った。


「この距離で縄を飛ばしても避けられる可能性があるな」


 その言葉を聞いて、オヅマはホッとした。

 どうやらヴァルナルはあの馬に興味を持ってくれたようだ。

 副官達とコソコソと話しているのを、黙って見つめていると、ヴァルナルがふと気付いたようにオヅマを見る。目が合うと、悪戯いたずらっぽい笑みが浮かんだ。


「お前は、あの馬を手懐てなずけることができるか?」


 オヅマは灌木の隙間からチラと馬を窺った。まだ、こちらには気付いていないようだ。この辺りは風の音が岩場に反響して、音が聞こえづらい。それにそもそもヘルミ山には滅多と人が来ないので、警戒心が薄いのかもしれない。


「できたら、領主様の館で雇ってもらえますか?」

「なに?」

「母さんと俺と、妹…妹は働けないかもしれないけど、邪魔しないようにさせます」

「……それがお前の希望なのか?」

「はい」


 ヴァルナルは思っていたよりも簡単な申し出に気が抜けた。

 何であればオヅマに関しては、騎士団で面倒みようかとも思案していたので、むしろ有り難いくらいだ。 


「勝算があるなら、やってみろ」


 ヴァルナルは言ってから、自分の気持ちをはかりかねた。

 どうもこの少年には不思議な魅力がある。と、思わせるのだ。


 オヅマは静かに立ち上がると、そうっと岩場に向かった。

 スゥと息を吸い込む。

 正直なところ、勝算などない。もし、あの馬の前に立って、角で突かれたりなんかすれば、大怪我を負うかもしれない。どうにか背に乗れたとしても、振り落とされれば岩場を転げ落ちて死ぬかもしれない。

 ゆっくり歩きながら、オヅマは必死に手立てを考えた。

 とりあえず静かに近寄るのだ。あの馬の後ろの岩場に行って、飛んで、馬の背に乗る。それから角を掴んで、絶対離さないようにして……

 考えるうちに、また不意にが訪れる。



 ―――― あいつらを言い聞かせるのは簡単さ…



 顔はおぼろげで定まらない。声と姿だけが、脳裏にゆらゆらと映る。

 細かな幾何学模様が織り込まれたアイボリーの長衣、頭に巻かれた白い布から伸びた紺の髪、ジャラリと首から垂れたネックレスが音をたてる。

 異国の格好をしたその男は、いつもてのひらの中で、胡桃くるみをゴリゴリともてあそんでいた……。

 そう……

 元々は、この男が黒角馬を見つけたのだ……

 この男が『黒角馬くろつのうま』と、名付けたのだ………



 オヅマは混乱した。

 自分は一体、何を見て、何を考えているのだろう?

 けれど足は止まらない。

 さっきまでどうしようかと悩んでいたのに、今はもう


 ヒラリと岩場からオヅマが飛び降りると、ヴァルナルは思わず立ち上がった。

 水場にいた馬達が、いきなり現れた人影に驚いていななく。

 ほぼ同時に、オヅマは目をつけていた最も大きな黒葦毛くろあしげの馬の背に乗っていた。

 馬は突然のことに驚いて、前足を大きく上げた。


「オヅマ!」


 ヴァルナルは叫んだが、オヅマは馬の角を掴むのに必死だった。

 ねじれた二本の角はしまのような溝があってザラザラしていた。一度しっかり掴めば落ちることはなさそうだ。だが馬にとっては角を持たれることこそ嫌でたまらぬであろう。遮二無二暴れまわって、どうにかオヅマを振り落とそうとする。グッと歯を食いしばって、跳ね回る馬にしがみつきながら、オヅマは角と耳の間を探った。

 懐かしい男の声が響く。

 


 ―――― 耳と角の間にな、毛に隠れて見えないけど、があるんだ。指先ぐらいのくぼみさ。



 左側の耳と角の間にポッコリと窪んだその場所を見つけると、親指でグイと押し込んだ。馬はそれでも落ち着かない。右側も左と対称となっている場所辺りを探ると、やはり小さな窪みがあった。そこも親指で押さえる。



 ―――― ツボを押さえるとな、中に何かコリコリした玉みたいなのがあるんだ。それを動かすように指先でグリグリと回してやるのさ。



 の記憶にある男の言葉を頼りに、オヅマは指先に感じた皮下ひかこぶのようなものをグリグリと刺激した。続けるうちに、黒角馬の赤く光っていた目が、ゆっくりと黒に戻っていく。馬は徐々に跳ねるのをやめて、コツコツと水場の周囲を歩き回った。

 オヅマは馬の足並みに合わせて体を揺らしながら、落ち着くのを待った。同時に自分の荒くなった呼吸も整える。

 やがて馬は足を止め、大きな黒い瞳でチラとオヅマを見ると、もういいと言いたげにブルンと首を振った。

 オヅマはから指を離すと、長く伸びた銀のたてがみを掴んだ。


 オオォとまるで狼の遠吠えのように馬がく。

 崖の下の方から三頭の馬が駆けてきた。どうやら家族のようだ。

 角のない真珠色の美しい毛色の馬と、やや体つきの小さいのが二頭。角がないのは、おそらくつがいメスだろう。仔馬は一頭ずつ、両親の容姿をそのままに受け継いでいた。


 オヅマが見上げると、ヴァルナルは満足そうな笑みを浮かべていた。

 まだまだ手懐けたとまではいかないが、とりあえず合図を送ってみると、よほどにを押したのが効いたのか、馬はオヅマの指示に従って、岩場を軽々と飛び跳ね、ヴァルナル達の待つ場所まで連れて行ってくれた。

 後ろから家族の馬達もいてくる。


「……大したものだな」


 ヴァルナルは心底から感嘆していた。

 自分はもしかするととんでもない拾い物をしたかもしれない。

 馬と、少年と……


 だが褒めるのはそこまでにしておいた。せっかくの才能の片鱗へんりんを曇らせるようなことになってはいけない。


「お前の家はラディケ村にあるのか?」

「はい」

「じゃあ、このまま向かおう。お前の親に会わねばならない」

「………はい!」


 オヅマは大きな声で返事する。

 満面の笑みはとても晴れやかで、嬉しくてたまらぬようだった。




 これでもう帝都に行く必要もない。

 あのも消えてなくなるはずだ。……



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