第七話 騎士になるために

 忙しい朝の仕事が一段落してから、やにわにゾロゾロと現れた領主の騎士団一行に、村の人間は皆驚いた。祭りや買い出しなどで自分達がレーゲンブルトに行くことはあっても、領主がここに来たことなどない。一月に一度、領主館の行政官が様子を見に来て、不都合がないかを村長に聞く程度だ。(実のところ、ヴァルナルは何度かこの村を訪れていた。その時には行政官の下っ端役人として来たので、誰も気づかなかった)

 村人の動揺に、ヴァルナルはすぐさま騎士達に村の外に出て待機するように命じ、自分とパシリコだけでオヅマの家へと向かった。


 村の中心部から少しだけ離れた場所にあるオヅマの家の前では、ちょうど朝から押しかけてきた村長のドラ息子に、ミーナが応対しているところだった。


「母さん!」


 オヅマがヴァルナル達よりも一足先に走り寄って声をかけると、ミーナはあわてて駆け出し、オヅマを抱きしめた。


「どれだけ心配したと思ってるの!」


 怒りながら、きつく抱きしめてくる。ホッとしたのか涙がこぼれ落ちた。


「勝手にご子息を引き留めてしまうことになり、申し訳ない。夫人」


 ヴァルナルが話しかけると、ミーナはハッとしたように見上げた。

 その領地に住んではいても、一年のほとんどを公爵の本邸か帝都で過ごす領主様の顔を見知る領民は少ない。

 いぶかしげに見るミーナに代わって、その騎士について教えたのは、背後で腰を抜かした村長のドラ息子だった。


「ヒッ…ヒェ……りょ、領主様」


 ミーナはその言葉を聞き、もう一度目の前の中年男を見上げ、あわててひざまずいた。


「む、息子が大変失礼を致しました! どうか…何をしたのかわかりませんが、お許し下さいませ!!」


 ヴァルナルは一瞬キョトンとしてから、鷹揚おうように笑った。


「いやいや。こちらは大変有益な情報をもらったというか……。少しお話ししたいことがあるのだが、お邪魔してもよろしいだろうか?」


 ミーナは戸惑いつつも、とりあえず家の中に領主を案内した。

 ドラ息子は目を白黒させながら、転ぶように走り去っていった。おそらく村中に、領主がオヅマの家に来たことを触れ回ることだろう。

 オヅマは先に家の中に入ると、土間の台所と続きになった薄暗い部屋を素早く見回した。


「お兄ちゃん!」


 マリーが気付いて抱きついてきたが、オヅマは気忙きぜわしく言った。


「マリー。大事なお客様なんだ」


 せっかく帰ってきた兄の態度が素っ気なくて、マリーはプンとむくれたが、すぐに戸口からヴァルナルが姿を現すと、驚いて固まってしまった。


「おや、君が妹か」


 ほがらかにヴァルナルは話しかけたが、父のせいもあってマリーは大人の男に対してとても臆病であったので、すぐにオヅマの背後に隠れた。

 オヅマは机の上に広げてあった木の実を、かごの中に殻も一緒くたに入れた。後ろでマリーが「あっ!」と声を上げる。どうやらマリーは皮むきをしていたらしいが、今はそれどころではない。


「すみません。むさ苦しいところに…」


 ミーナは小さな声で謝りながら、ヴァルナル達に椅子を勧めたが、細い骨組みの古びた椅子は、ヴァルナルの体重に耐え切れそうになかった。


「いや。こちらには、夫人がお座り下さい。私はこれで十分」


 ヴァルナルは丁重に断って、もうひとつの椅子 ―― 丸太を切っただけの木の椅子に腰掛けた。背後にパシリコがビシリと背を伸ばして立つ。


「単刀直入に申し上げます。私はオヅマ少年の願いを聞き入れて、あなた方を領主館で雇いたいと思っております」


 唐突なその申し出にミーナは目をしばたかせた。


「え? ……領主…館…ですか?」

「はい。昨日、オヅマ少年が私の館に来て、取引を申し出たのです」

「まぁ! 取引だなんて…」


 ミーナは困惑しながらも、オヅマにキッと強い視線を送ったが、その時オヅマは、すっかりむくれてしまった妹の機嫌をとるのに忙しかった。


「彼は非常にいい材料を出してきましたよ。よくも騎士である私の欲しいものを見抜いたものです。なかなか目の付け所がいい」

「はぁ…」

「とりあえず彼の出した条件として、夫人、あなたと自分と妹が領主館で働けるようにしてほしいということでした。私はそれを了承します。夫人さえよければ、是非、うちに来て働いて頂きたい」

「え……あ…」


 ミーナは昨日オヅマがレーゲンブルトに向かったということを村の大工から聞いて以来、驚くことばかりが続いて、すっかり動転していた。


「母さん、領主館の料理人はお婆さんで、手伝いが欲しいらしいんだよ。さっき聞いたんだ」


 ねて隣の部屋に籠もってしまった妹のことは諦めて、オヅマはミーナを勇気づけるように言った。


「母さんハルケンスさんの店で時々手伝いに行ったりもするし、料理もおいしいから、絶対うってつけだよ」


 ミーナはオヅマをまじまじと見つめた。

 昨日、切羽詰まった顔で家を出て行ってから、オヅマなりに必死で母親の就職先を探してくれていたのだろうか。なんだか一晩見ないうちに、息子が随分と大人びた気がした。

 それでも少し考える時間が必要だ。


「あ…の…ちょっといきなりで考えることが出来なくて……」


 ミーナがおずおずと言うと、ヴァルナルはやさしく笑った。


「構いません。ゆっくりと考えて頂ければ。ただ、一つだけ」 


 ピシリと人差し指を一本立てて、ヴァルナルはやや語気を強めた。


「オヅマ少年については、是非にもこちらでお預かりしたい」

「……オヅマを?」

「彼には稀有な才能があるように思う。私の下で育成して将来的には騎士にしたいと思っています」


 オヅマは驚いた。

 自分はミーナと一緒に領主館で下男として雇ってもらうつもりだったからだ。

 けれどヴァルナルは、オヅマがラディケ村から領主館までわずか五時間ほどで走ってきたのだという話をした時から考えていたのだった。戦となればその俊足も、持久力も、非常に有益な能力だ。


 ミーナは複雑な表情になった。

 チラと息子を見ると、嬉しそうに目を輝かせて領主を見つめていた。

 おそらく騎士になりたいのだろう。けれど……


「……少し、時間を下さいませ」


 ミーナが頭を下げると、ヴァルナルは頷いて立ち上がった。


「朝の忙しい時間に面倒をかけました。館の執事には話しておきますので、心が決まったらいつでも来て下さい」


 オヅマはヴァルナルにいて家を出ると、はっきりと言った。


「俺、行きます。絶対に」

「あぁ、待ってるぞ」


 ヴァルナルはオヅマの肩を叩くと、帰っていった。

 道まで見送り、その姿が見えなくなるまで、オヅマは手を振っていた。

 ヴァルナルの温情おんじょうが嬉しかった。

 これで自分の未来が大きくひらかれた気がしていた。



 


 結局、ミーナはオヅマの願い通りに領主館で働くことに決めた。

 どうやらあの朝、ドラ息子はまだ喪に服しているミーナを口説いていたらしい。めかけにならないか、と。

 オヅマはその話を聞いて、ゾッとした。

 あんな下膨れの、豚のように太った男に面倒を見てもらうなど御免だ。

 いや、ひょっとするとミーナだけを連れて行って、オヅマとマリーのことなど放っておく気であったかもしれない。有り得る話だ。

 ミーナはドラ息子の話などは最初から受ける気もなかったが、まだ帝都へ行くことに未練があるようだった。


「あなたが騎士になりたいと言うのなら、なおのこと帝都キエル=ヤーヴェに行けば、もっと栄達えいたつの道もあると思うのだけど…」


 オヅマはムッとして言い返した。


「母さん。俺は騎士になりさえすればいい訳じゃないんだ。あの領主様の下で騎士として認めてもらいたいんだ。はっきりとわからないけど、きっと領主様は騎士としても立派な方だと思うんだ」

「随分と…頼もしくなったものね」


 息子がいつの間にかしっかりと自分の意見を言うようになったことに、ミーナは少しだけ寂しく思いつつ、やはり嬉しかった。

 考えてみれば父を亡くして、男が自分しかいないという自覚がうまれたのだろう。

 まだまだ子供なのに、そんなふうに気負わせるのは申し訳なかったが、現状、オヅマはミーナにとって頼りがいある息子となっていた。


 帝都に行けなくなったマリーはむくれていたが、午後になってからマッケネンが「約束だったからな」と、わざわざ往復して届けてくれたパンとベーコンと林檎を食べた途端に、あっさり転向てんこうした。


 引っ越しするほどの荷物もない。

 三日後にはレーゲンブルトに向かった。

 ヴァルナルはオヅマ一家の選択を非常に喜んだ。

 ちょうどその日にくだんの料理人であるヘルカ婆がぎっくり腰になって動けなくなってしまっていたのだ。

 ミーナは早速、料理人としての器量を問われることになったが、結果はヴァルナルを唸らせるほどに見事な晩餐を用意した。

 オヅマはまだ正式に騎士としての訓練を受けるには早かったので、下男として働かせてもらいながら、時折騎士達から剣術や馬術の指導を受けた。

 マリーは庭師のパウル爺(彼はヘルカ婆の夫であった)といつの間にか仲良くなり、小さいながらも花壇の草抜きなどを手伝ったりして、あっという間に領主館に馴染んでいった。

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