第十五話 助けなければ…

 オヅマがヴァルナルの執務室に飛び込む少し前のこと。



 オヅマは騎士団の厩舎きゅうしゃ黒角馬くろつのうまの毛づくろいをしていたのだが、血相変えて飛び込んできたナンヌを見るなり、何かしら嫌な予感がした。


「オヅマ! マリーが…マリーが折檻せっかん部屋に…ッ」


 走ってきたナンヌはそこまで言って、ゴホゴホとせる。

 オヅマの顔色がサッと変わった。


「マリーが…なんだって?」

「折檻部屋に…ネストリさんに入れられたの! 若君の部屋から出てきたみたいで…怒られて…」

「どこだ? 教えて!」


 オヅマはナンヌの手を引っ張って走り出す。

 ナンヌは息切れしてよろけながらも、どうにかオヅマを東棟の地下室へと連れて行ってくれた。

 暗く黴臭かびくさい、もう何年も閉め切ったままであったろう空気の淀んだ陰気な場所だった。扉の脇にある、ほとんどなくなりかけの蝋燭がチロチロと燃えている他に灯りはない。奥にある丈夫な木の格子こうしの向こうで、マリーがぐったりと倒れているのがかろうじて見えた。


「マリー!」


 オヅマが叫ぶと、マリーはかすかに動く。


「マリー! 大丈夫かっ? マリー! マリー!」


 暗闇に自分の声だけが響く。

 オヅマの心臓がものすごい勢いで早鐘を打つ。

 格子を握りしめながらオヅマは揺すったが、ビクともしなかった。


「…………お…兄ちゃ…」


 弱々しい声がした。


「マリー! 大丈夫かっ?」

「………ごめん…なさい…ないしょ…って、言ってた…のに」


 オヅマはブルブル震えながら、また格子を揺すった。錠前を引っ張った。

 だが、何をしても扉は開かない。

 暗がりにいるマリーがどんな様子かもわからない。

 ナンヌの話では相当にネストリに殴られていたという。怪我をしているかもしれない。


「クソッ!! ひらけよ!」


 オヅマは格子を蹴りつけたが、太い木の格子は何年も置き捨てられていたにもかかわらず、堅固だった。

 オヅマは振り返ってナンヌに問うた。


「ここの鍵って!?」

「そんなの…私、わからないわ」


 ギリッとオヅマは奥歯を噛み締めた。

 本当に自分の選択は合っていたのだろうか、と疑いたくなる。

 こんなことになるなら、レーゲンブルトへの道を選ぶべきでなかった。母の言うように帝都に行けば良かったのか……?


 また…………がやって来る。


 いつも同じだ。マリーが傷つけられ、オヅマは何も出来ない。今と同じ。

 オヅマは立ち尽くし、固まった。

 隣にいたナンヌはオヅマが急に人形か何かになったように見えて、おそるおそる呼びかけた。


「……オヅマ?」


 オヅマの目がギラリといきなり光る。

 驚いたナンヌの脇を通り抜けて、オヅマは走って出て行った。


 ナンヌは呆気にとられていたが、チラリと格子の向こうのマリーを心配げに見た後、エプロンのポケットから真新しい蝋燭を取り出した。

 ナンヌの仕事の一つとして館内の蝋燭交換があるのだが、小さくなった蝋燭を見つけた時にすぐに交換できるように、常日頃からポケットに何本か持っていた。

 ナンヌはほとんど消えかけていた蝋燭の火を、新たな蝋燭に灯すと、その蝋燭を燭台しょくだいに立てた。

 これで少なくとも一晩は持つはずだ。こんなところで真っ暗闇になったら、きっとマリーは恐怖でおかしくなってしまうだろう。

 残念ながら女中の中でも下っ端のナンヌに出来ることは、それくらいしかなかった。


「……きっとオヅマが助けてくれるだろうから。待っててね、マリー」


 ナンヌは自分に言い聞かせるように声をかけて、そっと折檻部屋から出て行った。





 オヅマは北棟にあるヴァルナルの執務室に向かっていた。

 オリヴェルと遊んでいたことが、とうとうバレたのだ。こうなってはもうどうしようもない。きっと追い出されるだろう。

 だが、今はとにかくマリーを助けなければならない。

 ネストリの命令をくつがえせるのは、唯一ヴァルナルだけだ。


「領主様ッ」

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