第37話 黒き翼の大天使
「おはよう、ご同類」
女神は言って、艶然と笑む。それだけで感じる絶無のプレッシャー。鳴動する桁外れの神力波にさらされながら。
「ご同類とか。一緒にすんな、ボケ」
新羅辰馬は普段通りに、悪態をついてのけた。いや、むしろいつも以上。この女神が村の皆にしでかした悪行を思い、闘志はいつになく燃え、凍気ゆらめき立ち上る。
「それが「盈力」。なるほど、怖いわね」
女神サティアは薄く笑う。酷薄ではあるが邪気のない笑みは無垢ですらあった。
「けれど。その力。周囲の皆はどう思っているのかしら?」
この言葉に。
ぴくりと辰馬の盈力が動揺する。
「化け物とか、いわれたことがあるでしょう、あなた?」
「………………」
「人間なんて勝手なものよ。あなたの力が必要なときはおだてあげてその力を利用する。そして一転、あなたが不要になればその力を悪魔の力として弾劾するの」
「………………」
「それが人間の本質。彼らのために命をかける価値、ないんじゃないかしら?」
女神サティアは自分の揺さぶりに絶対の確信を持ち、言い放つ。それは確かに人間というものの本質、その一側面をついていた。
「わたしならそんな裏切りはしない。あなたを迎え入れ、永遠の同胞として守り抜く用意があるわ……だから」
「あー……。話長い」
長く続きそうな女神の言葉を、辰馬はいかにも退屈そうに手を挙げて遮る。その瞳が「人間に対する不信」の動揺を感じていないわけではないが、辰馬の精神力はそれをねじ伏せ、克服した。
「人間が裏切るとか裏切らんとか、バケモン言われるのなんのとか、んなこたぁこの際どーでもいい。人間全体のことは知らんし、おれのダチはんなことで裏切らんしな。おれはお前がやったことが許せんから、とりあえずお前をブチしばく!」
辰馬はそう咆えて跳躍、一足でサティアの間合いに入り、古神バイラヴァの力を解放、初手から全力で、凍気をたたきつける!
が。
「残念ね」
辰馬の全力を持ってして、女神の肌に凍傷の一つもつかない。圧倒的な神力の障壁、女神のまとう水羽衣が巨大な水竜に変じて、辰馬の力を完全に弾く。
そして羽衣は攻防一体。竜は守勢から攻勢に転じ、流水の竜哮を放つ。直撃こそ避ける辰馬だが、流水の威力は想像以上。辰馬の側の障壁が、ガリガリと削られ肉体にまでダメージを及ぼす。
いったん床に転がって逃れ、障壁を張り直す辰馬。女神はとくに追撃するわけでもなく、不可解げな瞳で辰馬を見下ろす。
「本当に、残念。虫けらどもに筋立てしても裏切られるだけ、ということがなぜ分からないの?」
「こっちゃ見返り求めてなにかやってるわけじゃ、ないんでね。裏切られるもなんもあるか」
「本当かしら。たとえば……」
女神は軽く虚空に指を走らせ、なにか描いてのける。象られたそれは瑞穂であり、雫であり、エーリカ、またシンタであり大輔、出水、シエル。ほか辰馬がこの1月ほどのあいだに関わった人々が次々現れて、辰馬をバケモノとののしり、指弾し、弾劾する。
幻覚と分かっていて、なお払いがたい現実感。向けられる憎悪の圧力はそれほどに強い。
「くあぁ……っ」
「そのまま、仲間たちの手で潰れなさい。一度精神を完全に壊して、盈力はそのまま新しい人格に入れ替えてあげる」
「く……ふざけんな……って」
辰馬は眉間に力を集中。バイラヴァを全解放にして幻覚をなぎ払う。力技でどうにかくぐり抜けたものの、精神へのダメージは大きい。かなりの消耗だった。
そこに竜哮、竜哮、さらに竜哮。
たてつづけの竜哮が、邸内を撼がす。精神消耗で動きに精彩を欠く辰馬の回避もおぼつかない。
かろうじて。紙一重で躱し続けていると。
<辰馬。力を貸そう>
ここのところ、無口に徹していたバイラヴァが珍しく口を開いた。
(なんかあるのか、奥の手?)
<あるとも。あんな小娘などものの数ではない……この「名」のままではこれが限界だが>
そして、バイラヴァは真の名を明かす。
<使うかどうかはお前次第。……使ってくれんと困るがな。せっかく受肉した身体に、簡単に滅びられては困る>
(あー。そうだな、一蓮托生。やっぱりお前はお前か……)
<そういうことだ>
短いやりとりを済ませ。辰馬は竜哮の中に棒立ち。
瞳を閉じ、柏手を打つや、高らかと神讃の詠唱。
「
刹那、辰馬の纏う空気が、明らかに質を変える。内に向かい高められた力は恐ろしいほどに凄絶、その高まりとは反対に外に向かう力は激しさをなくし、静かに凪ぐ。静謐な力は引き絞られた弓矢のごとく、恐ろしく研ぎ澄まされた一極集中。
「真なる創世の神、破壊神シヴァ……。ずいぶんな大物ね。こうなってはさすがに危険。本格的に覚醒する前に殺してしまう!」
竜哮の後ろで、女神は虚空に腕を突き刺し一本の光の剣を取る。神王剣クラウ・ソラス。それはまばゆいばかりの光輝をまとう神力を破壊力に変換した神剣であり、その威力は一撃で一つの都市を消し飛ばすほど。女神はそれを頭上で二、三度くるりと旋回させると、辰馬にめがけ投擲する!
狙いは過たず辰馬に直撃。爆散させるはずがしかし辰馬は痛痒も感じない。
「なるほど。これが破壊神の力、か」
軽くぐっぱっと拳を開閉。かつてないほどの力だった。これが自分の中に内在していたものだとは信じがたいほどだが、考えてみれば辰馬は魔王オディナ=真なる創世神シヴァの息子にして転生同位体。この程度のポテンシャルはあって当然。
「クラウ・ソラスで無傷。恐ろしい神力ね。けれど……」
女神は冷や汗を覚えながらも、まだ自分の優位と判ずる。いくら旧世界最強の破壊神とはいえ、実体を失って久しい古神。肉体をもち、さらにこの霊穴宮代から力を吸い上げ、かつ鵜戸御社媛神の神力を奪って最高潮にある自分に負けはない。
「あー。このままだとまだ、届かんかもな。神力に神力ぶつけんのも不毛だし。だからまあ、もう一段上に行かせてもらう!」
「!?」
驚愕する女神の前で、もう一度、辰馬は柏手一つ。
「我が名はノイシュ・ウシュナハ! 勇ましくも誇り高き、いと高き血統! 銀の魔王の継嗣なり!」
叫び、最後に一つ残した封石を外す。
世界がゆがむ。あまりに巨大な一撃にキャパシティを一瞬で突き破られたかのように、一度世界は死に絶えて、そして須臾の間に再生する。破壊と再生は世界の内にある者の誰一人にも観測されることがなく、結果として「ゆがみ」の認識のみが残る。
かの魔王の力に耐えるもの、として再構成された世界に、荒れ狂う奔流、暴河の奔騰。煉獄の灼熱と絶対地獄の氷獄、相反する極大の力は無限の混沌を包み、威力は三界の端々にまで響き世界を震撼させる。天……神にあらず魔にあらず、天地にあまねく世界意思……が謳った。宇宙万象の根本原質が歓喜に震え、16年の空位を経て玉座に登った魔王の登位を祝福する。
新羅辰馬はかるく腕を振って舞い上がった煙を払う。その背に広がり伸びるは12枚、6対の光の黒翼。焔のように燃える光の羽根、その一本一本が世界を支えるに足る力。全身を漆黒の神御衣で鎧った辰馬の全身、指先一本一本、赤い瞳の奥にまで、黒い稲妻を思わせる盈力のほとばしりがバチバチと火花を散らした。
「さて。そんじゃ、行こーか」
「……っ!」
悠然と言ってのける辰馬に、女神も身構える。竜の羽衣が鎌首もたげ、辰馬に襲いかかるが……瞬時にズタズタに裂かれるのは竜の方。サティアは空間を裂いて光の剣を抜き、矢継ぎ早に辰馬へと投擲するもやはり、辰馬へのダメージはない。
そして辰馬の姿がかき消え。
ズン!
次の瞬間、サティアの脇腹に重く深いダメージ。
「か、は……っ!?」
愕然と呻くサティア。ダメージそのものよりも、圧倒されている、その事実がサティアの精神を苛んだ。生まれ落ちてから100数十年、彼女をここまで圧倒した存在は母神グロリア・ファル・イーリス以外にない。母に匹敵する力を辰馬の中に認めて、今度こそサティアは恐怖し、震え上がった。
「あんまし女殴るのもどーかと思うが。お前は許されんことしたからな、とりあえず、覚悟してもらう!」
「く……いいでしょう。こちらも本気よ!」
サティアは豊満な乳房の谷間から、瓶詰めの何かを取り出すとそれを一息で呷る。それは宮代(御社)の民と霊穴の守護女神鵜戸御社媛神の神力の精髄であり、幽閉した姫神を殺して作り出した霊薬。本来、母をしのぐためにこの地に潜んでいた彼女がいざというときのための虎の子として作ったものであり、一瞬だけなら創世女神グロリアや、目の前に立つ「真なる創世神の転生」にも拮抗しうる。
効果は覿面、たちまち、爆発的に力を増すサティアの神力。
「しまいには同族食らい、かよ……本当に最悪だな、お前!」
「なんとでも、好きに言いなさい! 最後にはわたしが勝つ!」
こうして。
宮代最後の戦い、その最終局面が始まった。
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