第25話 盾姫懐旧
朝。
「おきなさい、おーきーなさーい!」
「んぅ……?」
いつもなら気持ち悪いくらい優しい雫の揺り起こしで目覚める辰馬だが、今日はなにやら勝手が違う。えらい騒々しさ、怒鳴り声。さらにはなにやら金物を打ち鳴らす音。
「なんら……くぁぁ……ぅ……」
半覚醒の頭でぼーっと目を開けると、金色が映った。
「はれ……しずねーじゃない……?」
「アンタなにボケてんの!? 牢城センセは今朝早番。だからエーリカさんが起こしに来てあげたのよ! ったく、一国の姫をこんなパシリに使うんだからあんたらもいーご身分よね……つーかたつま、朝くらい自力で起きなさいよアンタ、16にもなって」
朝からおこごとが耳に痛い。まだ眠い辰馬は聞き流して布団に丸まろうとするが、エーリカは布団をひっぺがしてそれを阻む。やむなくたたき起こされた辰馬はむー、という顔でエーリカを上目遣いに睨む。
「ぅ……かわいー……。ってダメダメ、アタシは牢城センセみたいに甘やかさないかんね! さっさと立って顔洗ってきなさい!」
「……ふぁい……。で、エーリカ、メシは?」
「そんなの学食に決まってんでしょ! アタシに家事スキルを求めるな」
「学食かー……人ごみ、酔うんだよなー、おれ……」
「アンタあんだけ平衡感覚すごいくせに、なんで三半規管弱いのよ……?」
「知らんよ。精神的なもんかもな……んじゃ、着替えるか……」
その場で汗を吸ったシャツをもそりと脱ぎだす辰馬。エーリカは真っ赤になって顔を背ける。
「ぎゃー! アンタいきなり脱ぐのやめなさいよ! 心臓に悪いでしょーが!」
「? あー、そっか。しず姉とおなじ感覚で脱いでた」
「それはそれで聞き捨てならないんだけど……。アンタら姉弟、もうすこし線引きしたほうがよくない?」
「それはしず姉にいってくれ。おれがどんだけ言ってもあのひと変わらんからな。しず姉が慎み深くなってくれればおれとしては大いに助かる」
「案外物足りなくて泣きそーな気もするけど……、まあ、牢城センセが自重する姿は想像できねーわね……」
「だよなぁ……。にしてもシャツ脱いだくらいでエーリカが恥ずかしがるとは思わんかった。お前のいつもの強引さ考えたら……」
「うっさいわね。アタシは自分から攻めるのはいーけど攻められるのは苦手なのよ」
「防御重視のガーダー職とも思えん言いようだな」
「それとこれとは別でしょーが!」
「ま、そらそーか……っし、着替え終わり! 学食行くか……学食ねぇ……」
「落ち込むな! そりゃ、牢城センセの食事に比べたらマズいかもだけど! 学食のおばちゃんたちだって必死に料理作ってんのよ!」
「まあ、そーだなあ……」
「素うどんおごってあげるから! 行くわよ!」
「あいよ。……別におれは素うどんにこだわりねーんだけど……」
というわけで、二人は部屋を出る。秋風庵はいちおう女子禁制(半分がた名目ばかりの寮則ではあるが)なので、エーリカはいったん辰馬と別れてスササ、と離脱。ゆっくり追いかける辰馬と、学食で再会する。
「これよこれ、この味!」
「……なにをどーしてもただの素うどんなわけだが……どこにそんな感動要素があるんかね……?」
「なに言ってんの、アタシがこの国にきて最初に食べた料理よ? 忘れられるわけないじゃない♪」
「そーいうもんかね……ずず……」
二人はテーブル席に座って素うどんをすする。辰馬がほかのメニューを頼もうとするとエーリカは頑として素うどん一択、譲らなかった。
「まあ、あんときお前死にかけてたからな……」
「そーそー」
エーリカ・リスティ・ヴェスローディアがアカツキ皇国にやってきたのは1年前、帝紀1815年の初春……というか晩冬。
ヴェスローディアで父王が歿し。正統後継者として指名されたエーリカではあるがまだ幼く。実兄と、父の弟である叔父大公の政争の道具とされることはわかりきっており。なので行動力溢れるこの姫君は利用される前にみずから国を出奔、父と親交のあったアカツキ梨桜帝(りおうてい)を頼って長距離汽車に飛び乗る。
それはよかったのだが、問題は路銀。エーリカは国を出る際、王権の象徴であるティアラといくつかのかさばらない宝石を取って飛び出したのだが、旅の途中宝石を気前よく切り崩しすぎた。ぽいぽいとその都度その都度、気前よく金払いしていたらいつのまにか宝石は底をついてしまい、アカツキ近郊に来たところでエーリカは無賃乗車で汽車から放り出されてしまう。寒空の下土地勘のないアカツキ、太宰近郊で迷ったエーリカはまる一日彷徨した結果行き倒れ、そこにたまたま、通りかかった新羅辰馬に助けられる。そして蒼月館の学食に連れられて、最初に食べたのが素うどん……単純に、辰馬の持ち合わせが少なく一番安いメニューだったから……だった。その縁でエーリカは辰馬になつき、素うどんの異常な信奉者にもなったのである。ちなみに当初エーリカは辰馬のことを女の子だと勘違いして認識しており、それで一足飛びに距離を近くしていたら途中で男だということに気づき、気づいた時にはもう離れがたくなっていたというのがある。
結局エーリカが頼った梨桜帝は17年前の時点ですでに亡くなっており、いまはその息子、永安帝の御代。亡命を冀(こいねが)ったものの父とは比較にならない愚帝である永安帝はヴェスローディアとエーリカの価値をひき比べてヴェスローディアに軍配を上げ、エーリカ保護を断った。まあ、強制送還されるよりは100倍マシだったのだが、それでエーリカの人生プランは大きく崩れる。異郷の地でどう暮らせばいいのかというところに手を差し伸べたのはまたも辰馬であり、蒼月館に留学生として編入を勧められたエーリカは言語の壁という越えがたい試練を必至の受験勉強で乗り越え、かろうじて編入試験に通った。かろうじて、とはいうものの国語と歴史がサッパリなだけで、実のところ数学と政経の計算問題に関しては高等学生のレベルを軽く超えているほどの才媛なのだが、エーリカが自分からその隠れた才能をひけらかすことはないのでみんな「エーリカはアホの子」と思っている。
「……そんなこともあったなぁ」
「あのときたつまに助けてもらわなかったら、アタシ今頃ここにいないのよね……あらためてあんがと、たつま♡」
「どーいたしまして。まあ偶然だったからな」
「にしても……たつまってやっぱり女顔よね~」
辰馬の顔をじーっと見て、エーリカはしみじみと言う。辰馬は憮然とした顔になったが、さすがに違うと言えない程度には自分を知っているので反論できない。
「これだから間違えんのよ。アタシあのころ女の子にときめいて自分っておかしーんじゃないかと思ったんだから」
「やかましーわ。勝手に勘違いしてどーこーゆわれても困る」
「あー、そんなムスっとしないで。からかってんじゃないのよ。こんな女顔なのにたつまって男の子よねーって実感しただけ」
「そら、男の子だが」
「うんまあ、たぶん意味わかってないんだろーけど、いいわ」
「?」
エーリカが言うのは辰馬の男らしい部分、事に臨んでの垂範率先ぶりだったり意外に剛毅なところだったり、いざというときには誤らない判断力の確かさや妙な具合にやさしすぎる心根やら、そういうもの全部含めてのことなのだが、それは辰馬にはわからない。自分のそういう美点に対して無頓着であるのがまた、新羅辰馬の美点であった。
「ちぃーっス、辰馬さんちぃーっス!」
トレイをもって辰馬の隣席に、断りもなくどかりと座るシンタ。トレイの上にはエビフライ定食40弊。
「おー。お前朝からいーもん食ってんな」
「そっスか? なんならエビ一匹食います?」
「いーの?」
「そらもー。どーぞどーぞ」
と、トレイを差し出すシンタの前にエーリカはズビシと箸を突き付ける。
「ちょっとシンタ、たつまを餌付けするのやめてくんない? あと、エビは一尾よ!」
「あ? んだよエーリカお前、妬いてんの?」
「うっせーわね、だいたい、アンタ男でしょーが! なんでいつもたつまにベタベタ馴れ馴れしーわけ、この赤ザル!?」
「そんなもん、オレが辰馬サンに惚れてっからに決まってんだろーが! ゲイ舐めんなよ、ウシチチ王女が!」
「ゲイってアンタあれいつものヤツ本気で言ってたの!? うわー……」
「うるせーよ。別にお前に理解求めてねーからどーでもいいけどな!」
「お前ら朝から元気な……。つーかシンタは本気でゲイなわけじゃねーよ、女好きだし」
「まあ……そーね。いつも体育の授業でアタシたちの胸とかお尻見てるし」
「女は観賞用に好きだけど! 精神的なね、魂が好きなのは辰馬サンなの! わかる!?」
「わからん。わかったら怖いわ」
わいのわいの。ぎゃーのぎゃーのと騒ぐこと10分ばかり。
「……そろそろ出るか。ウチの通学路は安全じゃないからな」
「まあ、三人いりゃあ余裕じゃねっスか?」
「シンタ、アンタはガードしてあげないからね。自分の身は自分で守りなさい」
「心の狭い王女サマだよなぁ、おめーみたいなのが為政者になると国を誤るんだよ」
「なに言ってんのよ、アタシは歴史に名を遺す名君になるんだから! そしてその横にはたつま! ホモはお呼びじゃねーのよ! だいたい、アタシたちとっくに肉体関係なん゛から!」
「知るかよボケ! 一度寝たぐらいで男が自分のものになったみたいな言い方、バカっぽくね!? あとホモゆーな、訴えるぞ!」
「なによ!?」
「あ゛ぁ!?」
「喧嘩すんな。行くぞー」
「あぁもう、先行かないでよ、たつまー」
「辰馬サン、待ってくださいって!」
……
…………
………………
さすがに2年トップクラスが三人いると、通学路に配されたモンスターくらいでは相手にならない。辰馬たちは無人の野を行く快進撃で突き進み、蒼月館校舎までたどりつく。
「そーいえばさ」
「ん?」
「これ、あたしのグラビア載ってるやつ。あとで感想聞かせて」
教室について授業前、ふと思いついたようにエーリカが、一冊の雑誌を持ってくる。表紙には真っ赤なビキニ姿のエーリカ。瑞穂に比べるとたいしたことないように見えてしまうエーリカの胸だが、97㎝はやはり単独で見るとデカい。というか知人のこういう姿、直接見るならともかくとしてこんなグラビアで見るとまたヘンな気分になってしまって困る。
「あー……うん、いーんじゃねーの?」
「だから後でって言ったでしょ! 放課後までに原稿用紙1枚」
「そんな書くことねーわ……胸がでかいですね、くらいしかねーよ」
「表情が素敵ですね、とかいろいろあるでしょー!?」
と、言い合うところにまたシンタがやってきて。
「つーかエーリカ、その仕事紹介したのオレだからな。感謝しとけよー?」
と、ニヤリ。実際エーリカにグラドルの仕事を紹介したのはシンタである。アカツキに住むことにしたエーリカだが宝石を使い切って完全に無一文だったので、周囲の好意で生活必需品はひととおり、そろえたものの即時に金が必要だった。最初新聞配達のバイトを始めたものの給与の少なさと支払いの遅さでどうにもならず、そんなときにシンタが「エーリカってそのカラダだし王女サマだし、グラドルとかいけるんじゃねースかね?」と実家の上杉子爵家系列のスタジオを紹介したのが始まり。なのでシンタに恩があるといえばある。とはいえ。この二人は単独で置いておくと今朝のように辰馬をめぐって反目しあい、仲はあんまり、よろしくないのだった。
「おまえら喧嘩すんなって……。授業はじまるぞ」
辰馬がいつものことに溜息をもらしたそのとき、教室のドアが開き。
晦日美咲が現れた。
右手に、金髪……というかきつね色の髪の、どうやら人間を引きずっている。よく見ればそれは水色のサマーセーターを着た少女、頭頂には狐耳、お尻からは狐の尻尾が生えている。まぎれもない人妖、人里には極めて珍しい、妖狐だった。
「昨日から学園の周りを徘徊していましたので、とりあえず捕獲しておきました。賢修院学生会長、源初音さんで間違いないかと思いますが」
目を回して返答できない少女に一応そう確認して、美咲は辰馬に「どうしますか?」と聞いてくる。
「おれに聞かれてもな……」
「学園抗争関係のことは新羅さんの管轄かと思ったのですが……?」
「いや、アレは明芳館との一件で終わりだからな。おれは永代蒼月館の先鋒ってわけじゃねーし。そもそも賢修院とは今、抗争とかべつにない……よな?」
エーリカとシンタを見るが、二人ともかぶりを振る。当然ながら知らないらしい。
「んじゃ、放課後会長のとこ行くか……そいつはとりあえず解放でいーよ。なんか、大したこともできなさそーな感じだし」
辰馬はそう言い、美咲は「そうですか」と少女を学外まで棄てに教室を出る。美咲が戻ってくると同時で、一限目の教諭が教室に入ってきた。
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