第8話 ユスティニアの姉妹
蒼月館を出た辰馬たちは太宰の町の大通りに出た。1816年のこの時点で400万(16年前はアカツキ全土で400万だった)の人口を擁する大都市であり、辰馬は武芸練達の腕前でありながらもこう人通りが多いと人いきれに酔う。存外に三半規管が弱かった。
「ぇぷ……さて、次はいよいよ蓮華堂だが。その前にちょっとウチ寄ってくか」
「アーシェさんっスね!?」
「そーだけど……なんでそんなに嬉しそうなんだよ?」
「いやー、へへ……」
「お前、かーさんにヘンな気起こしたらブチしばくからな。わかってんのかシンタ」
「わかってますって! そらもー、おれは見て愛でるのが好きなタイプのスケベですから! 手は出しませんって!」
「なーんか、安心できねぇが……ま、いくぞー」
………
……………
…………………
新羅家は太宰の町を二分する川、艾側の流れ沿いにある。白雲連峰から流れる艾側を中心に西側が1等市街区、新羅家が属する東側は2等市街区にあたる。
新羅家ーー新羅江南流古武術講武所の歴史は古く400年前、アカツキという国家が分裂期にあって東西戦争を繰り広げた頃、東側の皇帝に仕えて勇名を馳せた女傑伽耶聖(かや・ひじり)を祖とする。もっとも、聖は西軍相手に衆寡敵せず、寡兵よく戦ったが敗北し、皇帝もろともにこの艾側で斬首された……一説には斬られる前、西軍の兵士たちによる陵辱を受けたともいう……のだが、その伽耶の嫡流が新羅を名乗ったのが起こりである。辰馬は血統を誇るタイプではないものの、やはり名将・伽耶聖の血脈という矜持はどこかにあって、それに恥じないようにはしているのだった。
………
……………
…………………
「とうちゃーく。たのもー、誰かいるかー?」
一個人の邸宅としては破格に広い、道場併設の玄道建築にズンズンと入っていき、辰馬は茫洋と声をかけていくが人気はない。父・魔王殺しの勇者新羅狼牙は冒険者ギルド「蓮華堂」の仕事を手伝っているとして、母や祖父もいるはずだが……。
「んー……」
「誰もいねーんスかね? がっかり……」
「ひとのかーさん目当てで露骨に落ち込むな……。んー、あっちは……いや、いかん」
「? どーしたんスか辰馬サン? あっちにアーシェさんいるんスか!?」
「……っ、バカ、シンタ、大声出すな!」
「へ? ……う、うぉほおぉぉぉぉっ!?」
辰馬が止める暇もあらばこそ、シンタは巧みにその横を抜けて先にあるものを見てしまう。格子を立ててある窓の向こうは浴室であり、そこに目を向けると全裸で入浴中の先代聖女、アーシェ・ユスティニア・新羅の姿が。
「うおはあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~ッ!!!」
「てめぇは! いつまで! 見てるんだばかたれ!!」
辰馬が殴って蹴ってしてシンタを引きずり下ろす。ついでに「記憶を消せ!」とばかり目打ちを喰らわすが、実際記憶は消せるものではない。
「いやー……アーシェさん、めっちゃデカかったっス……肌も真っ白で……」
「誰か……いるの?」
騒いでいれば当然、気づかれる。手早く着替えて脱衣所から出てきたアーシェに、辰馬はばつの悪い思いで対面することになった。のぞきを働いたのはシンタなのだが、なぜか自分がのぞいたみたいな状況。
アーシェ・ユスティニア・新羅は32才、もと「神国」ウェルスのウェルス神教総本山の高司祭、聖女であった。ウェルス神教は創世の竜女神グロリア・ファル・イーリスを奉じるアルティミシア大陸の主流宗教であり、その聖女であったアーシェは神術使いとして超一流、ただし16年前魔王に攫われて魔皇子ノイシュ……つまり辰馬のことだが……を産んでからは、いろいろとあって心身を崩した。横溢する神力の加護のおかげなのか実年齢よりすこぶる若作りであり、見た目二十歳そこそこにしか見えない。しかも息子の遺伝的特徴の提供者である彼女が美女でないはずがなく、絶世の佳人といっていい。
この絶世の佳人(しかも関係性・母親)が怒りに燃える瞳で睨み付けるわけで、辰馬は本当に生きた心地がしない。
「あー……かーさん?」
「最低ね、辰馬」
「ぅぐ……」
多少、あるいは多分にか、マザコン気質の辰馬はアーシェに弱い。というか新羅家の男たちというのは儚げで薄幸の女性に代々弱く、辰馬の祖父・牛雄は魔族に犯されて傷ついている少女を妻に迎えて生まれた半魔の子を養子に迎えたし、その半魔である狼牙はまた魔王にとらわれ陵辱を受けたアーシェを妻とした。牛雄→狼牙→辰馬は三代続けて養子なので実際の血縁関係はないわけだが、どうにも気質は似ていくものらしい。
「いや、かーさん? あの……のぞいたのはおれじゃなくてな……」
「……ふふ、分かっているわよ、ちょっといじめてみただけ。辰馬はそんなことをする子じゃないものね。おかーさんは信じてます」
この一言に辰馬ははぁふ……と大きくため息をついた。母に嫌われたらどーしようという気分のストレスが、ずいぶんと重くのしかかっていたらしい。取り払われた開放感で辰馬は天にも昇る気持ちになった。
「でも……、実際見たわよね?」
「う……ん、まあ、ちょっと」
「そっち、シンタくんも」
「うえぇ!? お、オレは見てねぇっスよ!? そんなまさか辰馬サンじゃあるまいし! オレは紳士なので!」
「テメーは都合良いこと言ってんな、ばかたれ! しばくぞ!」
結局二人並んでアーシェの聖女げんこつをくらった。非力なアーシェの拳だが、この世界における神力のブーストというのはなまなかではない。こん、と殴られると地面にぐちゃ、と這い蹲らされる。
………
……………
…………………
「そんじゃ、かーさんの体調も悪くなさそーだし、そろそろ行くか。しず姉から働けーって言われたからな」
「そう……、勤労はいいことよ、辰馬。……あ、ちょっと待って。出かける前に祝福を。……霊峰の神域にまします創世の女神、イーリス様に誓願奉ります、わが息子たちのゆく道行きに、幸い(さきわい)あらんことを……」
祈りの唱句が発せられると、ほのかな淡い光が辰馬たち4人(+妖精1匹)を包む。
「おぉっ、漲るぅ!? これがマジモンの聖女の祝福!?」
大喜びのシンタ。大輔、出水も身の内にわき上がる新たな力に感激の面持ちである。大輔にせよ出水にせよ、アーシェの清冽清楚でありながらどうしようもなく魔性な身体には視線を向けないようにしているが。そうしないと獣になってしまいそうなくらい、アーシェ・ユスティニア・新羅は男の劣情を惹起するものをもっていた。
「うし、行くぞ。次はいよいよ、蓮華堂だ!」
………………
そして、道具屋「銀鍵亭」で手持ちのナイフやナックルガードを新調した辰馬たち一行は、2等市街区の商工業街区に向かい一目散にギルドに向かう。ギルドと言っても造船ギルドだったりビール造りギルドだったりお菓子作りギルドだったりいろいろあるが、辰馬たちの目当てにするところといえば冒険者ギルド「緋想院蓮華堂」の他にない。16年前、もと王城の官僚で魔王討伐の勇者一行の一員・十六夜蓮純(いざよい・はすみ)がたちあげたギルドで、それまでアカツキには紐帯性の低い互助会しかなかったものを一躍発展させたものである。
「たのもー!」
「はいはーい♪ ギルド「緋想院蓮華堂」へようこそ! ……って、なんだ辰馬か。なんか用?」
「接客態度のなってねー受付だな。相手が甥っ子だからって手ぇ抜いてんじゃねーよ、おばさん」
ヒラヒラ手を振る受付嬢は、長い髪を三つ編みに、髪飾りを挿してはいるが、髪を切って髪飾りを外すと辰馬にうり二つであろうと言うことが一目で分かる程度にはよく似ていた。ルーチェ・ユスティニア・十六夜。このギルドのマスター、十六夜蓮純の妻であり、辰馬の母アーシェの実妹、つまり辰馬にとっては叔母に当たる。ただし、爆乳の姉と違って妹の胸はどこまでもフラットなアイスバーンであるが。
「おばさんー? なんか聞き捨てならない言葉がきこえたんだけど、おばさんって誰のことかなぁ、辰馬―?」
「うわ……しず姉とおなじ絡み方だし……。つーか31才はじゅーぶんおばさんだろーが」
「かわいくないよねーぇ、辰馬って。キミたちはどう? あたしっておばさんかな?」
ルーチェは辰馬にからむのを止めると、今度はシンタたちに向けてふぁさ、と髪をかき上げてみせる。その態度はともかく、姉や甥に劣らない美人であるのは間違いなく。
シンタ「い、いえ滅相もない!」
大輔「全然若くてお美しいです! 人妻でなかったらナンパしたいくらいで……!」
出水「3次元女子には絶望しかない拙者でゴザルが、ルーチェ女史とアーシェ女史の姉妹は別格でゴザルよ~!」
「お前ら……金でも積まれてんのか……?」
「へっへーん、これが正直な世間の声ってやつよ。辰馬には女の子を見る目がない!」
「……いや、かーさんが美人なのはわかるが、おばさんはおばさんだろ……?」
「こら、アンタぶっ殺すかんね。アーシェお姉様より、あたしのほーが1才若いの。おわかり?」
「知らん。……で、今日もまじめなおれは仕事取りに来たんだけど。なんかある?」
「まじめって……本代捻出するためにしか働かないくせによく言うわ。……っと、まあ、あるわよ、あんた向けの仕事」
「んー、なんよ」
「攫われた齋姫の、救出以来」
「ブフゥ!」
出水が吹いて「ヒデちゃん汚いよー!」とシエルにたしなめられる。が、想わず吹くのも無理はない大事件を、さらりと言われた。
「ヒノミヤの宮女さんからの依頼で、疾走した姫さまを探して救出して欲しい、って。あたしの星見によるとこれが、いま盎山(ほとぎやま)の山賊のアジトにいるみたいなんだよねー……」
「盎山。白雲連峰の、白山の近くか」
「そう。このまま姫さまが殺されちゃったりでもしたら大問題だし。お願いできる? 辰馬?」
「あいよ。報酬はたっぷり貰うけど。……んじゃ、行くか!」
かくて、
新羅辰馬一行はようやく、冒険に向かう。
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