第4話 神楽坂瑞穂
新羅辰馬たちがグラウンドに向かったところで、ときを一週間ほどさかのぼる。
ところは太宰郊外白雲連峰(はくうんれんほう)の主峰、白山。標高638メートルの山頂に聳える玄道(和風・神道)建築の偉容を日ノ宮(ヒノミヤ)という。姫巫女と言われる聖女たちを奉じ、武装独立、独立自治を掲げるヒノミヤの威勢には国家権力もうかつには手を出せない。公権力のアカツキに対して、ヒノミヤはこの国最大の宗教的権威であった。
その枢要、内宮府(ないくうふ)。
「そう……ですか、お義父さまは、まだ……」
鈴を転がすような声の主は、神楽坂瑞穗(かぐらざか・みずほ)。ヒノミヤ姫巫女衆の筆頭、齋姫である。ただし就任したのは今年の1月からであり、いま起こる事態はまだ幼い瑞穂の肩には耐えがたいことなのであるが。
「は……。それもこれも、すべては神月(こうづき)派の謀略! 神月め、大旦那様の厚恩を仇で返しおって……!」
憤懣やるかたないという顔で、老齢の宮女、采女(うねめ)が言った。
現在ヒノミヤの派閥は二つ、一つは瑞穂の父・神楽坂相模を当主とする神楽坂派。これは旧来のアカツキの主神・女神日輪火之赤媛神(ホノワホノアカノヒメガミ)と齋姫を頂点とした姫巫女たちに主導される派閥で、穏健派と言って良いが保守派であり、頑迷でものごとを革新していく意欲に薄い。女神崇拝=女性主権、そこからの流れで女尊男卑の風があり、瑞穂は男を見下すわけではないが、やはり当然この神楽坂派に属す。
いまひとつは神月五十六率いる神月派。こちらは女神がすでにその肉体を失って久しいことを根拠として女神も姫巫女たちも尊崇に足らぬと主張する、男性原理を標榜する急進覇。過激と言って良いほどの行動力を持ち、革新力において神楽坂派より数段先を行く。
爾来この大陸アルティミシア自体が創世の竜女神グロリア・ファル・イーリスに創られたこともあり、アカツキという国も維新の数代前までは完全な女権国家。女神崇拝は根強く、神月派はあくまで異端でしかなかったのだが。
6月に入り、急遽神楽坂相模が謎の病に倒れ。すかさず手を打ってきた神月派の工作は電光石火。たちまち切り崩された神楽坂派は2週間にしてそれまでの勢力首座から転落してしまう。
「それを言ってはいけませんよ、采女。心を凪がせて」
「しかし、姫さまーー!」
なお言い募ろうとする采女の手を取り、瑞穂は自らの胸元にもっていく。121センチ、たわわすぎる乳房は采女の手をまるごと覆い尽くすに十分であり、瑞穂を幼時から見守り、養育してきた采女はその発育の著しさに驚きを禁じ得ない。
「大丈夫、ホノアカ様は決してわたしたちを見捨てません。事態は必ず好転します、女神とわたしを信じてください、采女」
………………
そうして采女を下がらせた瑞穂だが。
「はぁ……ふ……」
ため息をついて椅子に座り込み、顳顬(こめかみ)をおさえる。采女の手前大丈夫とは言ったものの、神月派の猖獗(しょうけつ)を止める、その手立てがない。ドラスティックな手段に訴えてよいのならいくらでも手はあるが、瑞穂の性格上それはどうしても出来ない。穏当な手段で神楽坂と神月の両派を融和させる、その恐ろしく困難なことを模索し、それがおよそ不可能であることに絶望する。瑞穂が纏うのは女神の神力を注ぎ込まれた神聖な神御衣(かんみそ)だが、今の事態にそれがなんらの力も貸してくれることはなかった。
神月五十六の軍師・磐座穣の顔を思い浮かべる。第3位の姫巫女はその頭脳において瑞穂とヒノミヤの双璧を謳われる才媛だが、瑞穂には出来ない大胆で苛烈な策をためらいなく打つことが出来る。才能的にはともかく性格的な要素において、瑞穂は穣にどうあっても敵わない。
「わたしの性格まで見越しての手の打ちよう……お見事です、磐座さん……」
ため息とともに、そう呟く。いろいろな諸要素を考えてみて、すでにこちらに勝ちの目は限りなく薄い。
「すでに外堀は埋められ、搦め手を使う余地も無し……この勝負、神楽坂の負け、でしょうか……」
泣き言が口をついた、そのとき。
「………………」
物音が、聞こえた。
「? ネズミ……にしては大きいような……?」
訝るまもなく、天井からどさり、と何かが落ちた。瑞穂が予想したように、大きい。人間サイズの、というかまぎれもなく人間だった。
「齋姫……神楽坂、瑞穂さま、はやく、逃げて……」
身の丈、年の頃は瑞穂と同じくらい、赤毛の少女だった。ニンジャかなにかがまとうような黒い隠密装束を纏い、しかしシニヨンにまとめた紅い髪はどうにも目立つ。隠密装束のあちこちは乱暴に裂かれ、からだ中に殴打痕があった。
「あなた……ひどい怪我です! いますぐ治癒を……!」
「無用です……それより、早く脱出を……神月、五十六はあなたを、儀式の……」
「おっと」
そこに割り込んでくる男。容赦ない手刀が少女の延髄に落とされ、それまでのダメージの蓄積もあってだろう、赤毛の少女はあえなく倒れ伏す。「お、長船さん……」瑞穂は思わず青ざめる。男は神月五十六の精鋭私兵部隊、【先手衆(さきてしゅう)】の副隊長にしてヒノミヤの監査官、三白眼の若白髪、長船言継(おさふね・ときつぐ)だった。それに続いて、筋骨隆々の兼定玄斗(かねさだ・げんと)、一見優男の長谷部一幸(はせべ・かずゆき)。
「先手衆のみなさんも……わ、わたしを、どうするつもりですか……?」
怯えた気弱な声で、瑞穂は3人に対する。もともと気が強い質ではなく、ましてや目の前の3人はヒノミヤ屈指の札付き。瑞穂が怯え、構えるのも無理はなかった。
「なーに、安心してくださいよ。神月の旦那は紳士的な対話をお望みですぜぇ?」
「げへへ、そーそー。紳士的な、なァ!」
「敵対が望みなら、叶えてやってもいいが……!」
性急な長谷部が地を蹴る。懐から暗剣を抜き、瑞穂の胴を凪ぐ。瑞穂はもともと対した運動性能を持たないが、神御衣の効果で神力と身体能力を底上げされている。こちらも懐刀を抜き、長谷部の剣を受け止めた。
「く……いきなりですか……!?」
「下がれよバカ、一幸。……ったく、こっちから手ェだしちゃダメだろー、お前。このガキに先に手ェ出させて、きっちり正当防衛でボコらねーとだろーがよ?」
長船は長谷部を制すものの、その口調や態度は争いを避けようとしていない。あくまでも自分たちの大義名分を手にしてから殴りかかりたい、そういうことらしい。
「……すみません、つい、気が逸り」
「ま、わかるけどなぁ。ガキの癖してこのカラダだ。ボッコボコに嬲り回して、思う存分ハメ倒したくもならぁな」
「まったく。齋姫のくせにドスケなカラダしやがってよぉ~、こっちゃ祭儀のたびにチンポが硬くなってしよーがなかったっつーの!」
監査官と巡察使は言い合って下品に笑う。瑞穂の中で恥辱と、怒りが湧いた。
「あなたたちは……わたしを、そんな目で……」
男を見下すつもりはない瑞穂だが、やはり下賤な男に劣情など向けられると腹立たしい。瑞穂が強い視線を向けると、長船はおどけたように肩をすくめた。
「おっと失礼。まあ、ともかくご同道願いますよ、姫さま?」
「お断りします……」
「あ゛? なんていーました、姫さま?」
「お断りします! みすみす虎口をくぐるほど、この神楽坂瑞穗を愚かだとお思いですか!」
「……ち、めんどくせぇ……」
勇気を振り絞る瑞穂に、長船は舌打ち一つ。その長船を急かすように長谷部が身体を乗り出し、
「神月大神官への反逆、口実は十分でしょう。さあ、望み通り踏みにじってやりましょう!」
「そーだなぁ……んじゃ、これ使うか……」
長船は懐紙に包まれたなにかを取り出し、封を切る。中から現れたのは一枚の符で、そこに刻印された神代文字の呪術的意味を悟った瑞穂はぎょっとする。
「それは……封神符!?」
封神符。対神術使いの必殺アイテムである。対象の神力を符の形成する封神結界に吸収させることにより、力を封じ込める。瑞穂ほど並外れた神力の持ち主を相手には符1枚で5分かそこらが限界だとして、そこは精鋭、先手衆。5分あれば十分ということだろう。
「そーいうこってす。これであんたは、ただの無力なメス、って訳だ。そんじゃいくぜぇ……!」
長船が吼えた。
瑞穂は自分を支える力が根こそぎ失われていくのを感じる。この状況で5分を凌ぎ得るか、否か。絶望的劣勢での戦いが始まった。
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