第2話 牢城雫

 か~ん、ころ~ん。


 5限の終わりを告げるチャイムが鳴った。蒼月館では依頼(クエスト)を受注して実技の単位を稼ぐというカリキュラムの性格上、5限で一日の授業終了である。


「ふぃ~、終わったぁ。さて、今日はどーすっかね、寮に帰って寝るか、その前に本屋に寄るか……」

 新羅辰馬はぽや~んと言って、頭の中に欲しい本リストを広げる。この半魔の美少年は異常なほどの読書好きであり、特に歴史を愛好すること厚い。今日の午前、序列戦での優勝賞金2000弊(約20000円)を手に入れた辰馬は、並大抵の本なら余裕で買えると珍しくほくほく顔だった。


 そこに、


「たぁく~ん、いる~? たぁくんたぁくんたぁくんたぁく~ん、雫おねーちゃんだよ~、たぁく~ん、どこー?」

 大声上げて飛び込んできたのは、ピンクの長髪をポニーテールに結い上げた、エルフ耳の小柄な少女。レオタードにショートパンツ、見せブラという一歩間違うと扇情的な格好ながら、あまりいやらしさを感じさせないのは全体にまとう快活そうな雰囲気のゆえか。


 少女の名前は牢城雫。辰馬の幼なじみであり、どう見ても年下だが実際には8年年長。23才は学生であろうはずもなく、こうみえてれっきとした教師である。


「……辰馬サン、いいんすか、あれ?」

「ほっとけ。すぐに飽きて帰るから、あのひと」

 シンタにつつかれた辰馬は両手で頭を抱え、隠れるように縮こまる。しかし「いやー、そうでもなさそうでゴザルよ、主様(ぬしさま)」という出水の言葉どおり、雫が教室から立ち去る気配はない。


 むしろ中へ奥へと踏み込んで、


「たぁくんみっけたー♡ やははー、もう、なに隠れてんだよーたぁくん、こらー♪」

 辰馬を見つけるともう猫まっしぐら。とんとんとーん、と滑るようなステップで駆け寄ると、華奢で小柄な体躯からは信じられないような怪力でぎゅう、と抱きしめる。


「こーなるからだよ、バカ姉! いつもいってんだろーがべたべたすんなって……ぁ、ぎゃーっ!!」

 威勢よく反駁していた辰馬が、美少年らしからぬ身も世もない悲鳴を上げる。雫が辰馬の手やら頭を誘導して自分の身体……胸やら腰やらお尻やら……を触らせてくるからで、これはいつもの光景ではあるのだがいつもながら辰馬はこのおねーちゃんの逆セクハラに慣れない。


「やんっ、たぁくん手つきえっちぃ~♡ やらし~♡ もっと触っていーからねぇ、あ、でもほかのみんなはダメだよ? 雫おねーちゃんはあくまでたぁくん専用でーす♪」

 辰馬の身体を自由自在に操作して、あちこち触り回らせる雫。ある意味辰馬を使ってオナニーしているようでもある。シンタを代表とする男子勢は美少女教師を思う存分に堪能する(実際には逆)辰馬に羨望のまなざしを向け、女子は憧れの先生を汚す辰馬に憎悪と殺意のこもった視線を飛ばした。


「……っぷぁ! 大概にせーよしず姉ばかたれ! つーか職員室からなにしにきた? 用件言ってはやく帰れ!」

「あ、用件。忘れてた。えーとね、たぁくん、あたし今日夜勤で遅くなるから。だいじょーぶ、一人でごはん食べられる? 寂しーよね、あたしも出来るだけ早く帰れるようにするからね?」

「そんな、夜勤ぐらいで大げさな。しず姉と一晩会わんくらい……」

「寂しーよね?(#^ω^)」

「……はい、雫お姉さまと会えない時間は一日千秋、耐えがたい虚無の寂しさでございます……」

「ふふーん、そうだよねぇ~♡ よし!」

 そこでようやく、雫は辰馬を解放。女体に酔わせられた辰馬はふら、とふらつき、なんとか机に手をついて踏みとどまる。午前中、圧倒的強さで序列戦優勝をかっさらった新羅辰馬は見る影もなかった。


「さて。たぁくん成分も補充したことだし、そんじゃ職員室に戻るとしますか! あ、たぁくん、今日はちゃんとギルドに行ってお仕事するんだよー? いつもみたいにこのまま寮に帰っておやすみじゃだめだかんね?」

「う……はい……」

 さっさと帰って寝よ、と思ったところに釘を刺される。行動パターンを見透かされているので、存外雫は侮れない。


「依頼はギルドに行って受けるんだよ? それと装備の確認も忘れないこと!」

「わかっとーわそんくらい! さっさと職員室帰れ」

「はーい、いってきまーす♡ さぁて、お仕事お仕事っ♡」


………………

「いつもながら、嵐みたいなひとですね、牢城先生……」

 雫がいなくなって途端に静けさを取り戻した教室で、大輔がふはぁ~と息をついた。女子慣れしていない武人少年としては、雫のようなタイプは苦手……というわけではないが圧倒されてしまう。


「あのアホっぽさでこの蒼月館の教師やってるんでゴザルから、世の中わからんでゴザル……」

「そーなー。確かにアホっぽいんだけど、雫ちゃん先生人気はあるんだよなー……」

 出水とシンタもそんなふうに言い交す。アホっぽいのなんの言いつつも口調や態度は好意的であり、それはほかのクラスメートにしても同様。牢城雫は学園のアイドル教師といってよく、辰馬との夫婦漫才にしてもおおむね肯定的に受け止められる。ただし、辰馬のほうは女子から一方的に憎悪されてしまうのだが。


「あのひと見た目だけはいーからなー……さて、そんじゃ帰るか……」

 鞄を肩に引っ提げて教室を出ようとする辰馬を。


「あれ? 蓮華堂行くんじゃ?」

 シンタが怪訝そうに呼び止める。辰馬は二、三度かぶりを振ると


「やだよめんどくせぇ。それに、しず姉に言われたから仕事するとか、なんか負けた気になるだろーが」

 と返したが、このなんとも大人げないというかなんというかの言葉にクラスの大半の生徒が「うわ……小さい……」と思ったのは言うまでもない。


「おめーら聞こえてっからな。いーんだよ別に小さくて。ともかく、おれはお疲れちゃんなので帰ります。OK?」

「辰馬サンがそれでいーんなら問題ねーっスけど」

「むしろなんか問題あるのかと問いたいが。なんかあるか?」

「サボるとあとで怒られますよ?」

「う゛……」

 大輔のひとことに、辰馬は苦しげにうめく。


「牢城女史、サボりには厳しいでゴザルからなぁ~……」

 さらに、追撃の出水。辰馬は渋面をつくり、指先で眉間をおさえる。雫はあっぱらぱーに見えるがやはり一応教師、怒るべきところはしっかり怒り、それは最愛のたぁくん相手でも、というか最愛のたぁくんだからこそ激しく怒る。先日もこってり絞られたことを思い出し、辰馬の胃はキリキリ傷んだ。


「つーわけで。いらん意地張らんほうがいーんじゃねっスか?」

「……そーだな。下手に抵抗してわけのわからんセクハラとかされたらたまらん」


 と、新羅辰馬とその仲間たちは冒険に出ることになる。ときに帝紀1816年6月19日。


「出かける前にちょっと、学園内ぶらつくか……。とりうえずトイレに……うわ、急に尿意来た、急げ急げ!」

「辰馬サン、あんまし廊下急ぐと危ねぇーっスよ!?」

 急な尿意に廊下を駆けだす辰馬。シンタが呼び止めるも止まらない。


「いやマジでやばいってこれ。膀胱破裂5秒前だから!」

「ヤバいヤバい、漏れるってこれ! 間に合えーっ!」

 廊下の反対側から、同じようなせりふを吐いてかけてくる人影ひとつ。普段の辰馬ならわけもなく回避するところだが、今は膀胱が危急存亡の秋。目を回しながら走る辰馬は突然飛び出した相手をかわすことができず、


 激突。前のめりに倒れた辰馬だが、衝撃は予想外に少なく、また柔らかい。


「あたた……ったいわねぇ、おしっこ漏れるかとおもったでしょー……って、たつま?」

「お……エーリカ……」

 噛みつかんばかりの剣幕でくってかかる少女は、またしても知り合い。西方の経済大国「商国」ヴェスローディアの王女、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアだった。

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