第6話 葛藤

 直の気持ちを知った今、どうすればいいのか。

 おまえが好きだ、なんて言えやしない。おまえがアニキを慕ってきたように、俺も十年、おまえのことがずっと好きだったた、なんて。

 伊織は、大きく息を吐いた。

「あのさ、北海道に行くのも、やっぱアニキののせい?」

 そうだよ、と直は答えた。

「ずっとそばにいたかったけど、もう思い切らないとね、北海道に行きたかったのも本当だし」

 父親が札幌に単身赴任し、訪ねていって雄大な自然に魅せられたと、いつか直から聞いていた。

「そっか」

 伊織の心は乱れる。

 告白なんか無理だ、そのために直を呼んだのに。

 思い人の弟から告られるなんて、ただの友人だと思い込んできたヤツは、どこまでいっても友人に過ぎないだろう。

 この気持ちのやり場は? どうすりゃいいんだよ。

 直の心は、まだアニキのものだ。

 俺にとっても直は初恋だった、同じくらいの月日を、アニキを思って生きてきたんだ、辛い練習や受験勉強に耐えて、後を追ってきたんだ。テニス部に入ったって、一年でアニキは卒業してしまうっていうのに。高校ではもう、アニキには彼女がいたのに。

 生まれて初めて、伊織は兄に嫉妬した。

 だったら、いっそのこと。

 伊織の胸に、どす黒い炎が渦巻いた。


 ヤッちまうか。

 おあつらえ向きに、直はベッドの上。うつぶせにして押さえつければ、あとは簡単だ。

 どうせ直は俺のものにはならない。だったらカラダだけでも。

 はじめて男の味を知った日も、これが直だったら、と妄想し、それからは誰と寝ても、これが直だったらいいのに、なんで直じゃないんだと悶々としてきた。

 伊織はぎらつく視線を直に向けた。男が男に欲情する眼。

 その時、直が泣きそうな顔で言った。

「本当に、本当に好きだったんだよね」

 伊織は、はっと我に返った。

 何考えてんだ、俺は。

 直を無理やりなんて、そんなことしたら何もかもおしまいだ、ダチでさえいられなくなる。

「真夜中の観戦も、おしまいだね」

 楽しみだったんだよなあ、と直が伊織を見る。

 雄太郎の隣でテニスの試合を、ああでもないこうでもないと盛り上がって観戦した日々。

 俺は端っこで眠くて退屈で。

 でも直は大好きな人の隣にいられて幸せだったのだ、思いが実ることはないと痛いほどに知りながら。

 直太郎と千里は八年、付き合ってきて、そろそろ結婚、という話は出ていたが、園田家の都合で入籍だけでも、ということになった。

 祖母の病状が思わしくなく、元気なうちに孫の晴れ姿を、との願いに応えた形だ。二人はタキシードとウェディングドレス姿で祖母を見舞い、両親や伊織もその場に立ち会った。千里が輝くばかりに美しかったのを伊織は覚えている。

 二人は来年には新居を構え、結婚生活を始める。園田家のソファでテニス観戦、に雄太郎が加わることはもうないだろう。そして直も。


 来年は、この家に俺ひとり、ご近所さんだった直も、北海道に行ってしまう。

 失恋して、からっぽになった俺が、ひとり取り残されるんだ。

 告白はできない、カラダを奪うことも。

 俺はどうやって、この恋を終わらせればいい?

「伊織、聞いてくれてありがとう」

「う、うん」

「こんなこと誰にも言えないもん、話せてよかった」

 まっすぐな直の瞳がまぶしい。

 俺はそんな、感謝される資格はないんだ。おまえを無理やり、なんて考えてしまったんだ。

 伊織は、胸が苦しくなった。







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