最終話 親友

[髪、伸びたな」

 直の前髪が眉にかかりそうだ。

 以前は眉の上で切りそろえていて、子供っぽかった。眉毛が薄いから、との理由。就活が始まって短くしたのが、今また伸びてきている。

 衝動を抑えきれず、伊織は直の額に指を近づけた。

 中指で、前髪をかき分けると、一瞬、額に触れ、しっとりとやわらかい感触に指が吸い付きそうになる。

「眉毛、薄いよね」

「そうかな」

「伊織がうらやましい、きりっと太い眉毛で」

「髭も濃いんだ」

 朝剃っても、夕方にはくっきり生えてくる。退社時まで持たないだろうと今から憂鬱なのだ。

「マジ、永久脱毛したいよ」

「ええっ?」

 直には想像もつかない悩みだろう。

「脱毛ったって髭だけど」

 話しているうちに、気持ちが落ち着いてきた。


 直の体を奪うなんて論外だ。かといって、完全失恋したばかりの直に告白はできない、どうする?

 もう一つの方法があることに伊織は気づいた。

 それは、直にならうこと、直が雄太郎への思いを断ち切り、片恋を終わらせたのと、同じ道を選ぶことだ。

 このまま何も言わずに、直への思いを封じよう。

 誰かが言っていた、物事には終わりがあるからこそ美しい、と。

 他の男と遊んできたように見える俺だけど、心はいつも直だけを思っていた、一緒にサッカーできなくなった中学、同じ学校にさえ行けなかった高校時代。大学時代も縁は薄くなる一方で。

 それでも直が好きで大切だ、誰よりも、もしかしたら自分自身よりも。だから告白なんかして困らせたくない、幸せになってほしい、見守り続けて、できることがあればしてやりたい。

「またね」

 いつもと同じように穏やかに微笑んて、直は帰っていった。


 数日後、直が連絡してきた。

「ボール蹴りたい。付き合って」

 なんだよ急に、と思いつつ、伊織は嬉しかった。直とサッカーをしたのは小学校以来だ。いそいそとボールを引っ張り出す。

 土曜の朝。

 七時に近所の公園で落ち合う約束だったが、玄関を出るとジャージ姿で直が立っていた。

 少年団に行くときも、こうして迎えに来てくれた、と、伊織は顔をほころばせた。

「おはよ」

「オス」

 直もボール持参だ。並んで歩きだすと、息が白かった。朝はもう寒いのだ。

「なんで七時?」

「内緒だから」

「ん?」

 今時、公園ではボール遊びも許されない。この時間にちょこっとだけなら見逃してもらえるだろう、と直は言うのだ。秘密を共有するみたいで伊織は楽しくなった。

 公園には誰もいない。時折、カン高い声で冬鳥が鳴くのが聞こえるだけだ。

 伊織がボールを軽く蹴る。直がやわらかく、それを返す。二人の間をボールが行ったり来たり、少し離れて蹴ったりフェイントをかけたり、汗が出てくる。

 あの頃に戻ったみたいだ、小学校六年、はじめて直と会った頃。


「あー、腹へった」

 久々に動いたから、と直が笑う。

「うん。でも楽しかったな」

 帰り道。直は頷き、

「伊織。フットサルやらない?」

「何、いきなり」

「久しぶりにボール蹴ったら、やっぱ楽しい。あれなら五人でできる」

「いいな」

 昔のサッカー仲間に声をかけてみよう。三人くらい、すぐ見つかりそうだ。

 直が札幌に発つまでには、まだたっぷり時間がある。フットサルチームを作って、試合もできる。


 親友として、直を喜ばせることができるなら最高に幸せだ。

「あとでまた相談しよう」

「うん」

 伊織は直と笑みを交わしあった。


(了)

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恋を終わらせる三つの方法 チェシャ猫亭 @bianco3

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