もう一匹の蛍
この日、私はとある展覧会に来ていた。一般の人からも作品を応募し選ばれた作品がプロの作品と共に並ぶという展覧会だ。
太一とお別れをしてから私は再び絵を描き始めた。もう太一に見せる事は出来ないけどそれでもあの時の絵をちゃんと描こうと。そして最近、その絵を完成させた私はこの展覧会に応募してみた。
「あっ、あった」
歓喜を極限にまで抑えたのに少し跳ねた声で呟くと二枚の絵へ体を向ける。一枚は蛍の飛ぶ中、前を見る少女の横顔。そしてもう一枚は同じように蛍の飛ぶ中、前を見る少年の横顔。太一が描いたあの時の私の横顔と私が描いたあの時の太一の横顔だ。
こうして見ると何だか私の絵も中々悪くない気もする。でもやっぱり太一の絵の方が上手いように感じるのは実際にそうだからだろうか。それとも私が太一の方を気に入ってるからなんだろうか。
そんな事を考えながらも私は自分の絵がこうして展示されている事に不思議な感覚を覚えていた。
「いい絵ですね」
すると横に並んだ男性が感慨深そうな声でそう言った。
「そうですね」
一瞬迷ったが、自分が描いたという事を言うのが少し気恥ずかしくて結局はそんな風に言ってしまった。でも心の中では嬉しくて堪らず、もしかしたら知らぬ間に口元を緩めていたかもしれない。
「片想いのようで実は両想いっていうのがむず痒いというか。この二人はちゃんと想いを伝えられたのかな、なんて考えちゃう――」
絵を見ながら話しをしていた男性だったが急に言葉を止めると私の方へ顔を向けた。私は自分と太一の絵についてのその感想を男性を見ながら聞いてたもんだから、つい目が合った。
「あっ。すみません。勝手に話し出したりなんかして」
気恥ずかしそうに軽く頭を下げる男性は少し赤面してて、ちょっと可愛らしかった。
「いえ。気にしないでください」
「でもこの作者の方に会って訊いてみたいです。この物語について」
私はどうしようか迷っていた。さっきはまるで自分もこの作品をお客さんとして見てる風に返事をしてしまったから、今更自分がその作者だって言うかどうか。
でも私の顔から再び絵に顔を戻した男性は本当にこの絵が気に入ったと言うような表情を浮かべてたもんだから。
「――いいですよ」
「え?」
私の言葉にきょとんとした表情へと変わった男性の顔がこっちへ戻ってきた。
「実は私なんです。これ描いたの。正確には片方だけですけど」
「本当ですか?」
「さっきはいい絵って言われてちょっと恥ずかしくて、違うように振る舞っちゃったけど。本当です」
男性はまるで子どものように素直に表情へ心を浮かばせた。花が咲くように彼は笑みを浮かべた。
「あっ。僕、一真って言います。宮本一真です」
「私は大――相ヶ瀬双葉です」
「あの、それで。早速なんですけどこの二人はどうなったんですか? というかこの絵の少女ってもしかして双葉さん?」
少し興奮気味で一真さんは質問をしてきた。それに私はちゃんと答えた。この絵を描いたのが太一で私たちは高校で付き合い始めたと。でも立ち話にしては全部を話すには長すぎるから私は質問にだけ答えた。だけど一真さんはもっと聞きたいって言って、私は一真さんとそのまま夕食へ。そこで丁寧に話してあげた。太一と私の物語を。
それから私は一真さんとよく会うようになった。食事に行ったり展覧会や個展へ行ったり映画とかも。
そしてこれは二回目に会った時に知ったのだが、少し年上の一真さんはなんと画家だった。あの日の展覧会にもプロの枠で作品が並んでたらしい。それを聞いて私はプロに向かってあの絵について話をしたのが少し恥ずかしく思えてきて同時にプロの人に褒められたのが嬉しく思えた。少しだけ先に言ってよって思いもした。
そんな風に何度も会う内に私と一真さんは(明確にそういうやり取りがあった訳じゃないけど)いつしか恋人のような関係になっていた。互いに確認したりする事もなかったけど、私は彼の事を好きになってたし彼からもそれを感じてた。相手を互いの家に招く事もあったし泊まることも。何気ない瞬間に手を握り、キスを交わして、体を重ね合わせ。
「アンタそれほんとに大丈夫? ただ遊ばれるだけじゃない?」
でも七海に話したらそんな事を言われた。
「そんな事ないよ」
「好きって言われた事は?」
「ない。私も言った事ないし。でも一真さんはそんな人じゃないよ」
「流石! 男経験が豊富な双葉様が言うと言葉の重みが違いますねぇ」
「ちょっと七海ちゃん、そんな言い方……。でも私も経験あるよ。私はもう恋人同士って思ってたけど、その人からしたらそうじゃなかったってこと」
「ほらぁ。八重だって今の旦那に出会うまで色々な男を経験してんのよ。アンタはずっと一人の男を愛して愛されたからその必要も無かったけど。気を付けないと。傷つくのはアンタなんだから」
「私もちゃんと確認した方がいいと思うよ」
「そうかなぁ」
私は二人に押され一真さんにちゃんと確認することにした。でもやっぱり私は私。少しだけそれを実行するまでに時間が掛かった。
だけどある夜。私はベッドの中、一真さんの隣にいる時に思い切って訊いてみた。
「あの。一真さん」
「なに?」
「あの、私たちって――」
「僕たち?」
寝返りを打ち彼の方へ体を向けた。
「そういうのちゃんとしてないけど――恋人同士って思っていいんですよね?」
一真さんは少し間を空けた後に軽く笑いを零した。そして彼は私と同じように寝返りを打ち私の方を向いた。
「僕はそのつもりだったけど、確かにちゃんと言わないのは不安にさせちゃうよね。ごめん」
そう言いながら伸びてきた彼の手は私の頭から頬へ優しく撫でた。
「いえ。不安っていうか。――でも良かったです」
「そうだ。明日一緒に僕のアトリエに来てくれない? 見せたいものがあるんだ」
「はい。それって期待してもいいやつですか?」
「自分でハードル上げるのはあれだけど、もちろんいいよ」
最後に唇を重ね合わせた私たちは寄り添い眠りについた。
そして次の日、私は一真さんと彼のアトリエへ。数回だけ来たことがあるけどいつ来てもこの場所は言葉に出来ないものを感じる。なんかすごい。
「おぉー」
「ここ来る度に言ってるよね。それ」
「なんだかここに来たら一真さんが本当に画家なんだなって感じるんですよね。それに自分がそんな創作に溢れた場所に居るんだなって」
「あれ? 僕って普段そんなに画家っぱくない?」
「まぁ――そうですね」
言葉がアトリエ内に消えると私と一真さんは同時に笑った。
「まぁいいけどね。それよりこっち」
一真さんについていった先にあったのは一枚の布が掛けられた横に長い少し大きなキャンバス。
「これなんだけど。いい?」
そう確認しながら一真さんは布を掴んだ。私は何だろうと思いながら返事をした。
「はい」
そして一真さんが一気に布を取るとキャンバスに書かれた絵が露わになった。私はその絵を見た瞬間、表情を驚色に染めた。
そこに描かれていたのは、手を繋いだ少女と少年。二人は互いを見つめ合って暗い周りには蛍が飛んでいる。
「これって……」
「そう。あの双葉と太一さんの描いた絵。それを僕なりに繋げて一つの絵にしてみたんだ。どうかな?」
それは表面的な現実には存在しなかったが、確かに存在していた瞬間だった。そこから私と太一は密かに始まってた。私にとってそれは、まるで目には見えない世界の真理を絵にしたようなそんな絵。同時に(別に忘れてた訳じゃないけど)太一との想い出が一気に私の中に溢れ出して、彼が懐かしくなって少し恋しくなって。泪が頬を伝った。でもこれは淋しさの泪じゃない。純粋な太一への愛。
「素敵です。本当に」
「良かった。――それともう一つ」
そう言う一真さんへ視線を向けると、彼はその場で片膝を着いていた。
「ちょっと急で準備は出来てないけど。相ヶ瀬双葉さん――いや、大宮双葉さん。僕と結婚してくれませんか?」
指輪の代わりに差し出された手。私はその手をただ見つめていた。それを受け入れたい気持ちはあったけど私は……。
「でも私……」
「君が太一さんの事を愛してるのも分かってる。彼の事を忘れろとは言わない。彼との想い出のモノを持っててもいいし、想い出を語ってもいい。それに命日はお墓参りに行っても。むしろ良ければ僕も一緒に行きたい。――それを全部分かった上で、僕は君と結婚したい」
それでも私は少し迷ってしまっていた。
でもその時。単なる幻覚かもしれないけど、私は一真さんの後ろに立つ太一が見えた。気がした。莞爾として笑う太一はゆっくりと頷くと口を開いた。
『幸せになってね』
そしてスッと消えてしまった。
私は少しその虚空を見つめた後、一真さんへと視線を戻した。泪を流しながら笑みを浮かべ、その手を取った。
「はい。よろしくお願いします」
安堵の笑みを浮かべた一真さんは立ち上がると私を抱き締めた。私もそんな彼を抱き締め返す。
そして少しの間、抱き合った私たちは体を離すとキスをした。
蛍の燈火とさよならを 佐武ろく @satake_roku
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