声と蛍3

 実家にすら連絡せず久しぶりに帰ってきた地元。私と太一が出会い、恋人になり、結婚し、生まれ育った場所。

 私は真っすぐあの場所へ向かっていた。とっくに日も暮れ夏と言えど辺りは暗い。プロポーズをされたあの日以来、この場所へ来るのは初めてだった。でも森の中へ誘うような道も月明りしか頼れない暗さもあの日と同じ。だけどあの日とは違って今日は一人で、気分はあまり良いとは言えない。そしてそんな中、私は時折頭を垂らした草に撫でられながらその道を進んだ。

 そう長くない道を進むと少し開けたその場所は、今もちゃんとそこにあった。相変わらず響き渡る川のせせらぎと辺りを舞う蛍の温かな光。告白にプロポーズ、色々な想い出が詰まったこの場所に来るとやっぱり懐かしさに包まれる。でも同時に太一を思い出し悲嘆が滲むように広がり複雑だ。

 するとそんな感情で立ち尽くしていた私の聞き間違いかこの場所で物音が聞こえた。それが何か考えるより先に、反射的に私はその音の方を見遣る。

 そこには女性が一人座っていた。アコースティックギターを抱えた髪が短くピアスをした若い女性が。

 目が合ったまま数秒だけ時が止まった。


「あーっと。――こんばんわ」


 戸惑いながらもお姉さんは低めの声で先に挨拶をしてくれた。


「――どう……も」


 言葉が静かに消えると再び沈黙に包まれ少し気まずい。


「あの、よかったどうぞ」


 どうしていいか分からず落ち着かないでいるとまたお姉さんが先に声を掛けてくれた。「座ってもいいよ」とお姉さんの横に向けられた手。少し迷いはしたがここで断ったら更にどうすればいいか分からなくなるので一言お礼を返し、お姉さんの横に腰を下ろす。

 足を抱えて座った時、私は初めてクッションのようにここに生えていた草がシロツメクサだと言う事に気が付いた。同時に昔、太一と四葉のクローバーを探したのを思い出した。先に見つけた方の勝ち、なんて言って。でも結局お互い一つも見つけられなかったけど、私にとっては探しているその時間が幸せだった。四葉のクローバーを見つけるまでもなく私の幸せはそこにあった。


「ここ、よく来るんですか?」


 視線をシロツメクサに向けているとお姉さんが会話をしようとしてくれてるんだろう、そんな質問をしてくれた。


「久しぶりですね。昔は何度か来たんでけど。綺麗でいい場所だから」

「分かります。蛍が綺麗ですしいいですよね。私は最近たまたま見つけてちょくちょく来てるんです」


 まだ二~三言葉を交わしただけなのに、ここに足を踏み入れた時に込み上げてきていた感情は少し落ち着きを取り戻していた。人と話をして気分が紛れたのだろう。そう思うとここに人が居て良かったのかもしれない。

 実はここまでの道のりの間、少しだけこの場所に来るのが怖かった。想い出が詰まっているからこそ、この場所に来たら今まで以上に恋しくなって会いたくなるんじゃないかって。余計に辛くなるんじゃないかって思ってた。

 だけど思ってたより心の状態は良い。きっとこのお姉さんのおかげなんだろう。


「ギター弾けるんですね」


 私はそう言いながらずっと気になっていたギターを指差した。


「いや……まぁ。上手くないですけど、ちょっとだけなら。まだ練習中です」


 お姉さんは照れくさそうにしてたが全く弾けないどころか触ったことも無い私からすれば十分に凄い。


「あの、もしよかったら何か聴かせてください」

「えっ? えーっと」

「迷惑でなければでいいですけど……」

「そんな。迷惑じゃないですけど。ちょっと自信が……。でもまぁ、いいですよ。あっ、期待はしないでくださいね」


 まだどこか抵抗があるようだったけどお姉さんはギターに視線を落とした。


「ありがとうございます」

「えーっと。それじゃあ知ってるかは分からないんですけど……」


 その言葉の後、世界へすぐさま溶け出してしまいそうな音を先頭に漣のような心地好さの旋律が辺りを漂い始めた。それを追いかけるように聞こえてきた色鮮やかで透き通った歌声。触れれば消えてしまいそうで心奪われる程に美しい声が旋律に乗り私を包み込む。

 何の偶然か私はその曲を知っていた。まだ始まったばかりだったけど、確信が持てる程に私はそれを知っていた。それは彼のプレイリストに入っていた曲で彼が好きだった曲。

 気が付けば私の頭には曲を聴く太一の姿が思い浮かび、心に愁雲が垂れ込める。穏やかな蛍景色を眺めながら次々と浮かんでくる数えきれない太一との想い出。連鎖するように心には太一への愛が溢れ出し、その想いは雫となって目から流れ落ち始めた。一滴また一滴と流れる速度は増していき次第に止まらなくなる。

 叶わないと分かっていても願ってしまう。このまま時間が止まって、戻ればいいのにって。幸せだったあの瞬間まで。そしてもう一度私の元へ帰って来て欲しい。こんな最期じゃなくてお互いによぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんになって、それからどっちかがどっちかを看取り、あの世で再会する。そんな最期が良かった。なのにこんなのおかしいよ。


「なんで……。こんなに大好きで愛してるのに……」


 泪と共に零れる想いの欠片。

 そんな私を慰めるように聴こえる闇夜をふわり舞う蛍のような旋律と玉を転がすような歌声。

 すると突然、不思議な事が起こった。泪でぼやけた視界の見間違いなんかじゃなく。水面を飛び回っていた蛍たちが私たちを囲うようにゆっくりと広がり始めたのだ。生い茂る夏草に囲まれたこの小さな空間一杯に広がる無数の蛍火。

 そしてそれは宇宙を思わせるようにゆっくりと上へ上がっていく。まるで夜空に吸い寄せられるように上へ、そのまま星となって夜空を彩るように高く。それは幻想的かつ神秘的で美しい光景だった。舞い上がる蛍たちを見上げ口を半開きにし思わず見入ってしまう程に美しい光景。

 だけどそれでも泪だけは絶えず溢れ頬を伝い続ける。


「双葉」


 最初、その声は脳裏で私が再生している太一の映像のものだと思った。強く想い記憶を再生していたから本当に聞こえたような気がしたんだと。


「双葉」


 でもその声は私の頭じゃなくて前方から聞こえてきていた。気のせいだと分かっていても私はその方へ視線を向けざるを得なかった。私の心が――太一を求める気持ちが顔を上から前へ動かしたのだ。

 だけど私はその光景に目を見張った。それはあまりにも強過ぎた想いが見せた幻なのか。そう思いながらも私は自分の目を疑いつつその光景から目が離せないでいた。

 だってそこには蛍たち紛れるように太一が佇んでいたのだから。

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