夏の終わり5

 だけど当然ながら何事もなく全てが順調だったという訳じゃない。

 私がお見舞いに行くと平気そうに笑ってる日もあったけど頭痛や吐き気で辛そうにしている時もよくあった。ずっと眠っていたり起きてるけど動けず横になったままだったり。そういう時、私は少しでも何か役に立ちたくて(いや、というより自分が不安なだけなのかもしれない)彼の手を握り締めていた。

 そして放射線治療が始まり少しして、その副作用により太一の髪の毛は抜け落ち始めた。酷い倦怠感に襲われる事もあるらしくそういう時も太一はベッドでじっとしている。

 また私にはよく分からないけど視界に異常がある時もあったみたいだし、(あとで名称は看護師さんに教えてもらったのだが)せん妄が現れる時もあった。ぼんやりとした状態でじーっとしてたり、ここがどこだか訊く時もある。でも話しかけたら返事をしてこっちを見てくれるし、説明してらすぐに思い出していたりとどれもそこまで酷いものじゃなかった。それに特に暴れたり幻覚を見たり変な事を言ったりするようなことも無かったから、看護師さんからその話(他の患者さんのせん妄の話)を聞いた時には良かったと胸を撫で下ろした。

 そしてそんな風には体調が悪くない時、太一は液タブを使って絵を描いている事がある。私が来た時とかに描いてる事もあったし、何か描いて欲しいのがないか何度か訊かれた。話しをするのも良かったけどそうやって真剣で楽しそうに絵を描く太一を見てるのも私は好きだった。


「あっ」


 すると反射的に零れた声と共に彼の手から逃げるようにペンが床に落ちた。私は「拾うよ」と立ち上がり反対へ回ると、それを拾い彼に差し出すが彼は自分の手を見つめていた。


「どうしたの?」

「力が入らない」


 私はペンを液タブの横に置くと彼の手の中に指を数本入れた。だけど彼の手は触れる程度で全く握らない。太一は溜息を零しながらベッドに体を預けた。

 片手や片足に力が入らなかったり、痺れや感覚に異常があったり。それが長く続く事も大きな症状として現れる事もあった。でも太一にとっては折角、絵が描ける時にそれの所為で描けなくなる事が一番堪えてるように私は見えた。

 そんな惝怳とする太一を見ながら私は椅子へ戻り腰を下ろした。真っすぐ前を向く彼の顔を見つめそれからその視線の先にある液タブに顔を向ける。そこには描きかけの桜。


「これあとどれくらいで完成するの?」


 その質問に太一の顔が私の方へ。


「んー。もうちょい。でもこう下の方を海にして空を宇宙っぽい夜空にしたらもっと綺麗かなって」

「何それすごい。聞いてるだけで綺麗だってわかるもん。完成したら一番に見せてね」

「いいよ。――あっ、そうだ。これって見せた事あったっけ?」


 太一はそう言いながら片手で液タブを操作し一枚の絵を画面に表示させた。それは幼い頃の私の横顔。周りは薄暗くて蛍が飛んでる。


「これって……」

「そう。双葉のとこのおじさんにあの場所へ初めて連れて行って貰った時。確か俺が双葉の手を引いて走って先にあの場所に入ってさ。あの忘れられない景色を見たんだよね。で、その時に何となく双葉の方を見たんだけど、その時の双葉の横顔がすっげー綺麗っていうか可愛いっていうか――忘れられなくてさ。ずっと覚えてるんだ」

「いつ描いたの? これ」

「こうなるずっと前。ふと思い出して、それで描いた。ちょっと恥ずかしくて見せてなかったけど、俺のお気に入り」


 まさか太一も同じ事をしてたなんて。あの日、あの場所で感じた胸のざわめき。その時は分からなかったけど、今なら――初めて太一への気持ちに気が付いてからは分かる。私はあの時から既に恋をしていた。


「多分俺、あの瞬間から双葉に恋してたんだと思うんだ。気が付くのには少しかかったけど」


 その言葉に何だか私は心が繋がり合った気がした。別に今までがそうじゃなかったって訳じゃない。だけどあの時、誰よりも近くてすぐ傍に居たはずなのに目を向けてなかっただけでまるで宇宙の彼方のように彼が何をしてたかは分からなかった。それなのにも関わらず私たちは同じ行動をして同じ気持ちになっていた。これが偶然か必然か運命か分からないけど太一も同じだったということが気恥ずかしくも心嬉しい。もしタイミングが違えば目が合ってたかもしれない。もしそうなってたら何か変わっていただろうか。そんな事さえつい考えてしまう。

 でも一番は自分と同じくらい相手も自分の事が好きで愛しているということを改めて感じた事に心躍った。同時に自分の中にある彼への愛も更に深く感じた。


「実は――私もなんだよね」

「どういう事?」

「私もあの時、太一の事を見てたんだ」

「えっ? ほんとに?」

「うん。気が付いたら太一の方を向いてて、少しの間は目が離せなかった。多分、私もあの瞬間からなのかなって思ってた」

「じゃあそれから高校までただの幼馴染だったって事は……俺たちって随分と長い間一人で抱え込んでたみたいだな」

「お互い好きなのにね」


 私たちは同時に笑い合った。

 その最中、私はもう一度太一の描いた絵へ視線を向ける。


「ねぇ。私に絵、教えてよ」

「うーん、どうしよっかな。だって確か双葉の絵って……酷かったよな?」

「そんな事ないよ! 確かに太一程は上手くないけど。ていうかそれいつの話してるの?」

「小っちゃい頃。二人で絵を描いた時あったじゃん。その時に確かちょっとビックリした記憶があるんだけど?」

「小っちゃい頃って……まぁ見てて」


 私はそう言うと液タブとペンを手に取り早速、絵を描き始めた。だけど当然ながら液タブで描くのは初めてで思った以上に描きずらかった。その所為で(きっとそれが原因に違いない)出来た絵は、太一の言葉を否定するには少し弱いものだった。


「まぁ……上手いんじゃない?」


 その言葉が言い終わる前に私はすぐさまその絵を消去。太一の方を見た。


「まずは基本的な事からで」


 それから私は太一に教えてもらったり自分で調べたりしながら割と本格的に絵を始めた。私も描きたい絵があったから。そしてそれを少しでも早く太一に見せたかった。だから家に居る時やお見舞いに行ってる時など時間があれば練習した。そのおかげで家に一人で居る時に感じていた不安や淋しさからは幾分か目を逸らす事も出来ていた。早く太一に見せて喜んでくれるのを見たいから。


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