夏の終わり4

 それから私と太一の闘病生活が始まった。太一は放射線治療と化学療法を受け、私は仕事(多少なりとも仕事量を減らしてもらったりしてた)をこなしつつ太一のお見舞いに出来る限り行っていた。(無理してる日もあっと思うけど)体調の良い日はなんてことないかのように笑って、これまでのように何気ない会話をした。


「林檎持って来たよ」

「林檎? 嫌って訳じゃないしむしろ嬉しいけど、何で?」

「ほら、お見舞いって言ったらなんか林檎の皮剥いて切り分けてるイメージない?」

「まぁ、あるけど……。俺、林檎って皮ごと食べる派だし」

「知ってる。だから皮は剥かないよ。はい」

「えっ? 丸ごと?」

「冗談だって。今から切るから待っててね。一緒に食べよ」


 私は太一の元に通いながらある事を密かに決めていた。それは彼の前ではなるべく今まで通り振る舞うという事。少しでも太一が頑張れるように出来るだけ暗く悲しむ部分は見せずに接しようと決めていた。

 そして突然の闘病生活により変わったのは私たちの生活だけじゃなかった。


「そう言えば結婚式の事だけどさ」

「大丈夫。もう電話はしておいたよ」

「ごめん」

「いいよ。でもいつかは挙げようね」

「もちろん。だって双葉のウェディングドレス姿、諦めてないし」

「そういえば! 私カワイイの見つけたんだよね。――これ! どう?」

「いいじゃん! でも隣の双葉がこんだけ可愛いと心配なのは俺なんだよな。ちゃんと釣り合ってるかって」

「大丈夫に決まってるじゃん。私の隣は太一以外、似合わないって」

「えっ? 何それ? 今、めっちゃキュンときたんだけど?」

「もしかして惚れさせちゃった?」

「それはずっとだって」


 お見舞いに行って太一と一緒にいると自然に笑みが溢れて、その間は嫌な事も忘れるぐらい楽しかった(体調が悪い日は心配になるけど)。

 でも家に一人で居る時は、暗闇のような静寂が心を襲った。家中に二人の記憶が散らばってる分、余計に一人だと感じる。隣に居るはずの太一はいなくて今すぐにでも帰ってきそうな気がするのに、それを否定する病室の姿が思い浮かぶ。このままずっとこうして一人ぼっちになっちゃうかもって考えるだけで泪が溢れ出した。太一と二人でゆっくりできる家での時間が大好きだったはずなのに――今はただ不安に心が苦しく怖い時間へと変わってしまった。早く太一に会いに行きたい。私はそう思いながら毎晩、いつもより広く寂しいベッドで眠りにつく。


「太一……」


 太一の最初の手術後、彼は自分の両親へ病気の事をちゃんと伝えた。そして私は私の両親へ。それから彼の両親も私の両親も(そしてお姉ちゃんも)時間を作ってはお見舞いへと来ていた。私は仕事以外のほとんどの時間、病室へ行っていたからそんな彼らと会う事も屡々。


「あっ、おじさん。こんにちわ」

「おぉ。双葉ちゃん」

「今日はおばさんは一緒じゃないんですか?」

「今から用事があってね。その前にちょっと寄ったから今日は一人なんだ」

「そうだったんですね。でも折角来たのに寝てますね」

「そうだな。まぁでも顔が見れただけでも良かったよ。それよりちょっといいかな?」


 おじさんはそう言うと先に病室の外へ出た。何だろうと思いながらも私はその後に続く。


「どうしました?」

「双葉ちゃん。うちの息子を支えてくれて本当にありがとう。家内も感謝してるよ」

「いえ、そんな事。当然です」

「でも仕事もして大変だろうしあんまり無理はしないでくれよ。何かあれば遠慮なく私たちを頼ってくれ。息子の事やお金の事、君個人の事でも何でもいい。相談したかったり話したいことがあったらいつでも電話でも家に来てくれても構わないからね」

「ありがとうございます」

「君は息子の結婚相手でもあるが、小さい頃から見てきた君を私と家内は本当の娘のように想ってる。それを忘れないでくれ」

「――ありがとうございます。私も二人の事は本当の親のように想ってます」

「これからも息子を――太一をよろしくな」

「はい」


 その言葉と力強いハグは少し孤独を感じていた私を勇気づけてくれた。太一だけじゃなくて私は沢山の人がついてるんだと。お父さんにお母さん、おじさんとおばさんにお姉ちゃん。会社の人だって私の事情を知って協力してくれる。それに友達のみんなも。


「たいちー、生きてるかー?」

「あんたそんな事言うんじゃないわよ!」

「いって!」

「はいはい。そこのお二人さん。仲が良いのは分かったからさっさと進んでちょーだい」

「太一、久しぶり」

「太一君。調子はどうかな?」


 続々と病室へ入ってきた莉玖に雫、七海、樹、八重。七海と八重は時間がある時に来てくれるけど、残りの三人は、今は離れた場所に住んでるからそう簡単には来れない。だからこうして全員揃うのは初めてだ。


「みんな来てくれてありがと」

「当たり前だろ。でも正直こうして全員の時間が合うとは思わなかったけどな」

「アタシと八重は合わせやすいけど、他はね。来るのに時間が掛かるから」

「樹なんて海外だし」

「にしてもこのメンツから海外で働く奴が出るとはな」

「僕も思ってなかったよ。まさか自分が海外に住むなんて」

「でもこうやってみんなで集まれて良かったよね。太一君も元気そうだし。なんだか昔みたい」


 八重の言う通り(別々でなら会う事もあったけど)こうして七人で集まる事なんて高校以来。みんなの顔を見てると懐古の情に駆られる。それに随分と変わったなって沁み沁み思う。


「みんなあの頃とは随分と変わっちゃったよね」

「はい! 今、双葉がみんな老けたって言いました!」

「えっ! 違うよ! 変わったとしか言ってないし。それに大人になったって意味だから」

「ほんとは思ってるんじゃないの?」

「思ってないって。それにまだそんな歳でもないでしょ?」

「まぁでも確かに七海だけは老けたんじゃねーか?」

「良かったわね莉玖。丁度ここ病院だしすぐに入院出来るわよ」

「入院? 絆創膏すら要らねーな」

「はいはい。そこまで。何でそこは高校の時と同じなわけ? そここそ成長しなささいよ」


 間に居た雫が左右に手を広げながらそう言うと二人は睨み合ったままこれ以上何も言わなかった。でも私はそんな二人が昔みたいで懐かしく思わず笑いを零した。そしてそんな私に釣られるように他のみんなも。高校の時のように病室は笑い声に包み込まれた。

 確かにみんなすっかり大人になって変わったけど、でもこうして実際に会って話をすれば結局あの頃と何も変わってない。むしろあの頃に戻ったような気さえする。朝起きるのが嫌で勉強がめんどくさいけど、みんなと会って笑い合える何だかんだ楽しい学校生活。帰宅部組で部活組の大会を応援に行ったり、放課後や休日に遊びに行ったりしたあの頃が一緒にいるだけで自然と蘇る。それが――どれだけ時間が経っても変わらないということに私は安心したというか感慨深いものを感じていた。

 でもやっぱりあの頃のようにそんな楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。みんなの帰った後、悦楽と懐古の余韻が残る病室。私と太一の表情にはまだ笑みが残っていた。


「高校生に戻ったみたいだったな」

「そうだね。みんな変わってなさすぎ」

「授業中、休み時間、お昼に放課後、休日も。全部が懐かしいよ」


 太一は懐古に染めた表情で私の方を見た。


「双葉に一人恋してた時も」

「そうだね。私も懐かしい。太一の事を想ってたのに言い出せなくてモヤモヤしてた」

「告白した時の緊張も覚えてる」

「私も言おうと思ってたから分かる。でも太一よりはちょっと早めに解放されたけどね」

「じゃあ一足先にあの喜びを味わってたわけか」

「そう言う事」

「想い出だけじゃなくてその時の気持ちまで。結構覚えてるもんだな」

「――じゃあこれは覚えてる?」


 私はそう言うと太一の不意を突くようにキスをした。告白の緊張や喜び、そしてその後した初めてのキス。私と彼の唇はあの時を再現するように軽く触れ合いすぐに離れた。


「もちろん。――いや、やっぱ覚えてない。だからもっかいしてみて」


 太一はわざとらしく惚けて言い直すと私の頭に手を回した。


「しょうがないなぁ。ちゃんと思い出して」


 そしてその優しい力に導かれるように私の顔は彼の方へ。だが今度はさっきよりも少しだけ長く、それにあの頃と違い互いに手慣れたものへと変わっていた。

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