夏の終わり3
次の日、私は朝一で会社に連絡をして休みを取った。この日は一日、太一と一緒に居ようと昨日から決めていたから。始まるまでの間もその後も少しでも太一の支えになれたらと。
そしてあっという間に時間が過ぎていき、
「じゃあまたあとでね」
「行ってくる」
運ばれ行く太一を見送った私は椅子に倒れるように腰掛けた。後はただただ待つのみ。太一と一緒だったさっきまでは何となく大丈夫な気がしてたのに一人になった途端、一気に掌を返すように不安が湧き上がってきた。まだ一分も経ってないのに既にもう待ちきれない。一日千秋どころか一分千秋のような気持だった。
そしてそれからも私は、どんな権力者の願いでも世界を買える程の大金があったとしても一秒すら早める事の出来ない時間の中でただ拷問のように待つことを強いられ続けた。
でも時間を早める事も遅める事も出来ないのが世界の真理であると同時にその動きを止める事が出来ないのもまた真理。そして動き続ける限りその瞬間はいずれやってくる。それがせめてもの救いだったのかもしれない。
椅子に座り俯く私を呼ぶように太一が運ばれて行ったドアが開くと手術を終えた先生が出て来た。顔を上げた私はその姿にすぐさま駆け寄る。
「先生」
「予定通り最大限の摘出には成功しました」
その言葉に私は安堵の溜息を零した。同時にその溜息と共に鬼胎が出て行ったおかげか体が軽くなった気がする。
「ですがまだ腫瘍を全て摘出した訳ではありませんし、完治した訳でもありません。今回の手術も辛うじて出来たという状況ですので、まだ油断は出来ません。これからの治療についてはまたお二人揃ってご説明致します」
「はい。ありがとうございました」
先生の言う通りまだ一先ずの安心なんだろうが待機時間に積もらせたものが消えただけでも幾分か気分はよくなり少しばかりスッキリとした気持ちだった。
そして病室に戻ると太一が目覚めるまで彼の隣で久しぶりのようにも感じる気持ちのままその手を握っていた。そうしながら彼の顔を見つめていると朝目覚めるようにゆっくり瞼を上げ目を覚ました。
「おはよ」
寝ぼけ眼が私を見つめ返す。
「――どうだって?」
「予定通りだって」
「そう。良かった」
「でもまだ治った訳じゃないから油断するなとも言ってた」
「だけどとりあえずは良かった」
「気分は?」
「ぼーっとする。寝起きの悪い朝みたい」
「ならいつもの私とおんなじだね」
太一は力なく笑った。
「双葉はほんと朝弱いからな」
「普通だよ。太一が強いだけ」
それからそんな他愛ない会話をしている内に段々と太一の目も覚めてきて病室にいるってこと以外は普通の日常と変わらない雰囲気だった。
私たちがそんな風におしゃべりをしていると病室へタブレット片手に先生がやってきた。
「気分はどうですか?」
先生はそう尋ねながら私とは反対側のベッド際へ。
「大丈夫です」
「それは良かった」
「それで。俺の具合はどうなですか?」
一瞬の沈黙。普段の会話でも出来るような何てことない間。そのはずなのに私は気になってしまった。それが酷く恐ろしいものに聞こえた。
「先程、奥様にもお話ししましたが油断が出来る状態でありません。現在、大宮さんの脳腫瘍は悪性のもので神経膠腫やグリオーマと呼ばれています。その中のグレード四、膠芽腫。最も悪性な腫瘍です」
「でも治るですよね?」
深刻さを同時に伝える先生の表情へ真っすぐ視線を向けながら私は微かに震えた声でそう尋ねた。既に心臓は鼓動を早めている。一秒でも早く答えを聞きたいけど、でも何も聞きたくない。嫌な言葉には耳を塞いで、都合の良い言葉だけを聞いていたい。
だけどそんな私の気持ちに関係なく質問をされた先生はちゃんと答えてくれた。
「膠芽腫はとても進行が早く五年生存割合は十%程、二年生存割合は三十%程と言われています。そして大宮さんの場合、発生位置もあまりよくなく断言することは出来ません」
それから先生は難しい言葉もあったが今の太一の状態について説明してくれた。今後は手術の回復をして放射線治療をしていく予定なんだとか。でもあまりにも突然で初めての事だったから私はちゃんと理解することが出来なかった。だけど太一の頭にあるものが悪くて危険な状態だって事は嫌でも分かる。良い方向に進む可能性はほとんどないってことも。それにさっきから太一は助からないかもしれないって言葉が頭を埋め尽くしてる。気が付けば話を聞く太一の顔に視線は向いてて握る手に力が入った。
「では失礼します」
説明を終えた先生が病室を出て行った後も私は太一を見つめていた。すると彼の顔が私に答えるようにこっちへ。
「大丈夫?」
最初に先生から説明をされた時を再現するように太一は私にそう問いかけた。そんな太一を私は少しぼやけた視界で見つめる。
「大丈夫じゃないよ……」
絶対に離れない、そう言うように自然と彼の手を両手で固く握っていた。
「だって太一が死んじゃうかもしれないんだよ?」
「そうだよな」
一滴の頬を流れ落ちる泪を感じていた私と違い太一は落ち着いていた。また最初みたいに平気そうな振りをしているだけなのかも。そう思ったけど当の本人である彼がそこまで平気そうなのが(例え振りでも)私には分からなかった。
「何でそんなに落ち着いてられるの? 別に私の前で無理しなくていいのに」
すると太一は微笑みを浮かべ私の頬を拭った。
「別に無理してる訳じゃないよ。でも自分でも分からないけど、昨日の夜、一人で考えてる時に何となくこうなる気もしたんだ。だから心の準備は出来てたって言うか予想通りって言うか」
「なんで、そんな事……」
「分からない。でもただの気のせいって可能性もあるし、それにそんな事言ったら双葉を余計に不安にさせるかもって思ったから言わなかっただけ」
私は何て言えばいいか言葉が見つからずただ口を開くだけだった。
「だけどショックじゃないって言ったら嘘になるし、こう見えても少しぐらいは混乱してる」
「私は――怖い」
「分かるよ。でもまだ完全にダメな訳じゃない。再発しないまま十年以上元気に過ごしてる人もいるって言うし」
「そうだけど」
私の脳裏には先生が言っていたあまりにも低すぎる数値が浮かんでいた。
「平均余命は二年くらいだって言ってたし。それにその間ずっと元気に過ごせる訳じゃなくて段々と悪くなっていくって事でしょ」
「そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない。ほら、おいで」
そう言うと太一は少し横に寄りスペースを開けた。私は腕枕をするように伸びた太一の腕を見遣るとベッドに上がり彼の横に寝転がった。そして私の体を彼の腕が包み込み抱き寄せる。
「こんな風に言うのはどうかと思うかもしれないけど、なっちゃったもんはしょうがないじゃん。どれだけ悲観に暮れようが、どれだけあり得ないって思おうがもう現実になった事は変えられない。別に悲しむなって言う訳じゃないけど、遅かれ早かれいずれは前を向かないといけない。分かる?」
「うん」
「だから俺は折角手に入れた双葉とのこれからの時間を一秒でも無駄にしたくないからこそ、すぐにでも出来る事に全力を注ぐ。そう、先生の説明を聞きながら決めたんだ。でも覚えておいて。別に双葉が取り乱したり現実に向き合えなくても責めないし無理に急かしたりもしない。ゆっくりいいよ」
そんな事言われたら私だけ現実から目を背ける訳にもいかない。確かにまだ噓だって思いたいけど、それでも太一がこれだけ強く決心してるのなら私は自分の気持ちを置いてでも支えたい。
そう思うと同時に不思議とさっきまで混乱していた心は少しばかり落ち着きを取り戻していた。
「ありがとう。強いね。太一は」
「本当は違うけど、そう見えるんだったらそのままにしとこうかな」
「でも辛かったら無理してほしくない。頼りないかもしれないけど、私の事も頼ってね」
「頼りないどころか、こうして頑張ろうって思えるのも双葉のお陰だから。双葉と少しでも一緒にいたいから、頑張ろうってそう強く思える」
「私も太一とずっと一緒にいたい。――だから頑張って支えるから。二人で乗り越えよう」
「確かにそうかも。さっきのは訂正するよ。ゆっくりじゃなくて出来るなら一緒に進んで欲しい。一緒に頑張りたい。無理して欲しくないのは変わらないけど」
「うん。正直、すぐには受け止められないかもしれないけど私も頑張って太一を支える。だって――ちゃんとはまだだけど、病める時も健やかなる時も、でしょ?」
「俺は今すぐにでも誓えるけど?」
「私だって」
互いの目を見つめ合いながら私たちは誓ますという言葉を互いに言い合ったような間を空けると、そっと誓いの口づけを交わした。
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