夏の終わり2

 それは休みの私はソファに座りながら結婚式の準備をしていて、太一は部屋で仕事をしていた夕方頃の事。太一の部屋から突然、大きな音がして私は一体何を倒したんだと思いながら聞こえるように名前を呼んだ。だが返事は無い。もう二度ぐらい呼んでみるがやっぱり返事は無い。変に思いながら私は彼の部屋へ行った。


「大丈夫?」


 そう声を掛けながら部屋に入った私はあまりの衝撃に音を立てて息を呑んだ。そこには床に倒れる太一の姿が。驚愕のあまり二~三秒、その場で固まってしまったがすぐに駆け寄った私は彼の体に手を伸ばした。


「太一? 大丈夫? 太一!」


 だけど何度名前を呼んでも返事はない。それどころかピクリとも動かない。何が何だか分からず今にも泣き出しそうだったけど、今すべき事は頭にあってすぐにスマホを取りにリビングへ。慌てながらも救急車を呼んだ。

 それからの事は正直、よくは覚えてない。救急車のサイレンの音、慌ただしい人の声とキャスターの走る音。その音は全て夢の中での出来事のように遠く感じた。まるで海に浮かびで波の成すがまま流されるように私は進む現実の中に居た。

 そしてただ現実に流された私は今、病室のベッドで目を閉じたままの太一を目の前に傍の椅子に腰かけている。彼の握り返さぬ手を握り一人沈黙に溶け込んでいた。でもそれは単なる事実で私は依然と訳が分からないまま。辻津の合わない世界に突然放り込まれたよな気分だった。ただただ不安で、このまま太一が目覚めなかったらなんて思うと怖くてたまらなかった。

 するとそんな私へ手を差し伸べるように太一の目がゆっくりと開き始めた。


「太一!」


 手を握り締めたまま立ち上がり声を上げた。そんな私へ訝しげな表情を向ける太一。


「双葉?」


 私の名前を眠そうな声で呟くと病室を見回した。一周し戻ってきたその表情は私と同じく訳が分からないと言った様子。


「ここ……どこ?」

「病院。太一、急に倒れて。それで私が救急車呼んだの」

「倒れた?」


 恐らく覚えてないんだろう。信じられない、そう言いたげだった。でも彼がもう一度見回したここは、何度見ても家じゃなくて病室。


「俺、どうかしたの?」


 それは私も答えられない質問だった。むしろ私もその答えを知りたい。


「ごめん。私も分からなくて」


 するとただ現状に困惑していた私たちの病室のドアが静かに開くとタブレットを手にした白衣の医師が入ってきた。


「先生! 太一は大丈夫なんですか?」


 私は飛びつくようにまだ足を進める先生に尋ねた。そんな私に対し先生は「今説明いたしますので、まずは腰掛けてください」と言うと私と太一を挟むようにベッド際に立った。そして画像を表示させたタブレットを私たち二人に見えるように構えた。映っていたのは脳の画像(MRIとかCTとか何かは分からないけど)。


「こちらは検査の結果です」


 私の不安がそうさせているのか先生の声はどこか真剣味を帯びているように聞こえた。


「こちらを見てください」


 先生はタッチペンで私も一目見た時から気になっていた箇所を指した。


「大宮さんの脳に脳腫瘍が――」


 その言葉が耳に入った瞬間、私の頭は完全に固まってしまった。それから先生は詳細を説明をしてくれてたようだが、まるで全く知らない言語で話をされたように先生の言葉が理解できないでいた。分かってるはずなのに意味が分からない。その矛盾が私を埋め尽くしこれ以上の情報を受け取る余裕をなくしてしまっていた。


「――たば? 双葉?」


 気が付けば先生は既に病室を出て行った後で、太一が心配そうに私を見ていた。


「大丈夫か?」

「え? あぁ、うん。――そ、それより太一……」

「いや、ビックリだよ。まさか自分がこんな目に合うなんて」


 そう言いながらも太一の表情は穏やかだった。私なんて不安で今にも泣き出しそうなのに。

 でもそんな私に気が付いたのか太一は私の手を握った。


「大丈夫だって。きっと良くなる」

「でも……」

「大丈夫。まずは急だけど明日の手術。位置的に全部摘出は出来ないって言ってたけど……何とかなるって。――ほら、おいで」


 言葉の後、片腕を広げた太一は私の事を抱き寄せた。私なんかより全然平気そうにしながら。でもそんな彼の胸の中で私は未だにこれが悪い夢なんじゃないかって思っていた。とても現実とは思えなくて、目を瞑ればいつもみたいにソファで抱き合ってるみたいで。少しだけ安心する。本当は私が安心させてあげないといけないのに。


「なぁ」

「ん?」

「この事だけど父さんと母さんにはまだ言わないでくれない?」

「何で?」

「俺がちゃんと自分で言うから。でももう少ししてから言いたい。だからいい?」

「うん。分かった」

「ありがとう」


 私よりも太一の方がもっと怖くて不安なはずなのに。私は自分の事で精一杯なのに、太一は既に私や両親の事を考えてる。その強さを直に感じると何だか段々、本当に大丈夫なんだなって思えてきた気がする。何もかもが上手くいって、「あの時は心配したよ」って過去のものとして話せるような気がしていた。

 そしてその日、私は先生に許可を貰って病室に泊まり太一の傍に居続けた。でも本当は一人だけで太一のいない家に帰り夜を過ごすのが怖かっただけなのかもしれない。太一の傍にいて少しでも安心したかったのかも。離れてたらそのまま太一がいなくなってしまいそうで、彼を失ってしまいそうで怖かっただけなのかもしれない。

 だから私は一晩中、彼の手を握っていた。家のより小さなベッドに少し身を縮めながら寄り添いながら。

 それは何時かは分からないけど夜中の事だった。ふと目が覚めた私は目を瞑ったまま左手の絡み合うように握った太一の手の感触を感じていた。触れ合う手から伝わる安心感で更に眠気が深まった私だったけど、何となく太一の顔が見たくなって瞼を上げた。てっきり寝てるのかと思ったけど太一の双眸は開いてて天井を見つめていた。私のように丁度今、目覚めた訳ではなさそうなハッキリとした目。そんな太一を見つめてたまだ夢見心地だった私は気が付けば彼の方に体を向け頬へ手を伸ばしていた。手と頬が触れ合うと彼の視線が私へと移る。


「心配しなくても大丈夫だよ。私が付いてる」


 薄暗くハッキリと太一の顔が見えてた訳じゃないけど、私はそう口にしていた。平気そうな振りをしてたけどやっぱり太一も不安なんだなって思ったから。

 そして言葉を聞いた太一は私の手の上に自分の手を重ね合わせた。


「でももしかしたら……」

「絶対に良くなるって。それより、良くなったら一緒にウエディングドレス選びに行こう。色んなドレス着てどれが一番好きか教えて」

「んー。全部」

「ダメ。ひとつにして」

「絶対に迷うって」

「ちゃんと決めてね。でも今は明日に備えて寝よ」

「そうだね」


 私は彼の頬から手を胸へと下ろすと顔を寄りかからせ目を閉じた。


「双葉」

「ん?」

「おやすみ」

「おやすみ」

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