第三章:夏の終わり

夏の終わり1

 夏祭りから帰った私と太一は早速、双方の家族にこの事を報告した(もちろん後でみんなにも)。うちの両親もお姉ちゃんも太一の両親も私たちと同じぐらい喜んでくれた(というよりみんな一日千秋の思いだったらしく、ようやくといった雰囲気だった)。

 それから残りの帰省を幸せの絶頂で過ごした私たちは、家に戻ると慌ただしい日々を送り始めた。まずは住む家を探して、引っ越しをして。大学まで家は隣同士だったけど何だかんだで一緒に住むというのは初めて。これからずっとそう言う意味でも一緒だと思うと新鮮な気持ちだった。落ち着くまでは毎日、仕事以外でもやる事が多くて太一は頭痛が続いたり体調を崩す日があったりしたけど私たちは幸せに満たされた日々を過ごした。

 特にあの瞬間は忘れもしない。新たな家に越してきた最初の夜。元々あまり家具を買ってなかった私たちはこれを機に家具を新調する事に決めその夜は段ボール以外何もない部屋で二人、床に寝ころんで眠った。枕代わりに私の持って来たクッションに二人で頭を乗せて。下は床だし結構暑いし(実はクーラーや冷蔵庫とかは事前に買ってたのだが日付を間違えてしまい届くのは明日)あまり良い睡眠じゃなかったんだけど、私にとってその朝はこれまででも一番良い朝だった。

 目覚ましに頼ることなく自然と目が覚めると、カーテンの隙間から差し込む朝日が丁度私の顔に当たっていた。暗闇に慣れすぎた所為でそれはあまりにも眩しくて二度寝へと誘おうとする眠気と共にその光に背を向けた。そんな私の寝ぼけ眼の双眸に映ったのは隣でぐっすりと眠る太一。その横顔を靄のかかったような意識の中で見つめながら私はこれから毎朝こうやって目覚めるんだと思った。これから毎朝この世で一番愛してる人の隣で目覚めるんだと。そう思った瞬間、私の中にはこの朝日より眩しく真冬のベッドの中のように温かな幸せが広がった。私は少し空いた二人の隙間を埋めると呼吸に合わせ微かに上下する彼の体に手を伸ばした。そして彼の温もりと匂い、呼吸を感じながら瞼を閉じた。これからの幸せと今の幸せに胸を一杯にしながら。

 そしてそれは引っ越しも終え新婚生活が日常として馴染んできた頃。


「太一。そろそろ結婚式について考えない?」

「そうだな」


 私たちはソファに並んで座り、タブレットを片手にまず結婚式準備でやるべき事から調べ始めた。


「うわぁ。大変だって聞くけど結構あるね」

「もう既に疲れて来たかも」

「正直に答えて欲しんだけど、太一は結婚式したい?」

「んー。したらしたで楽しくて想い出になると思うけど、別にしないならしないでそれでもいいかな。双葉は?」

「私は……。でも結婚式やる機会なんてこれが最後な訳じゃん。だからしてみたいかな」

「じゃあ決まり。それにウェディングドレス着た双葉も見たいし。だって絶対綺麗でしょ」

「えー。そんな期待されると恥ずかしいなぁ。和装にする?」

「どの道、最高に似合うのは間違いないし好きな方でいいよ」

「好きな方か。どっちも良さそうだけどね。太一はどっちの私が見たい?」

「それは難しいなぁ。――でも夏祭りであれは。浴衣姿は見てるからドレスかな。でも浴衣があれだけ良かったから和服も捨てがたい」


 そんな感じで私たちの結婚式についての話し合いは始まった。まだ本格的に始まった訳じゃないけど、これから更に忙しくなるんだなということを感じるぐらいには決めるべき事は膨大。


「双葉。渡してたあれ決めた?」

「あれって?」

「あれだよ。あれ」

「だからどれ?」

「――そう! 式場! 俺が良いかもって思ったリスト渡したじゃん」

「あぁ、あれね。まだ。でも絞ってはいるよ」


 でもその全てが楽しく感じる程には今の私は幸せで一杯だった。まるでこの世に存在する全ての人間が善人で世界が幸福で包み込まれているようなそんな感覚。朝起きた時も夜寝る時も仕事中や家に居る時だって毎日が幸せ。でもいつも一緒にいるはずなのにたまにするデートは特別な感じがした。恋人同士でたまにしか会えない時のようなときめきと喜びに包み込まれた感覚。

 私はこれからずっとこんな生活が続くんだと心から思ってた。


「なに? なんで笑ってるの?」


 ソファに座ってスマホを見ていた私は視線を感じふと隣を見遣ると、イヤホンをしながら口角を上げた太一の顔と目が合った。私の言葉に太一はイヤホンを外して答えた。


「ん? いや……。俺、結婚して一緒に住んだらもっと慣れると思ってたんだよね。その前は付き合って時間が経てば慣れるって思ってた。けど思ったよりそうじゃなくて」

「慣れるってなにに?」

「双葉に」

「ん? どういう事?」

「俺たちってずっと長い間お互い好きで一緒にいる訳じゃん。時間が経てば別に好きが無くなるって訳じゃないけどその感覚に慣れるって思ってた。というより落ち着いてその感情を受け止められるって言った方がいいのかも。でも……ちょっと恥ずかしいけど俺、未だに初めて双葉への気持ちに気が付いた時と同じような気持ちになるんだよね。こう……胸の奥が締め付けられるような感覚がして、溢れ出す気持ちをどうにかして伝えたいってもどかしくなって。そういう、初恋の感覚っていうのかな? ふとした瞬間にそんな感覚になる事があるんだよね。今みたいに何気ない時に双葉の顔みたりあとはデートしてる時とか朝起きた時とか。――双葉はそういうのない?」


 正直に言うと太一の言ってる事はよく分かる。何気ない顔に見惚れたり、ただただ触れたくて手を握りたくなったり、好き過ぎて顔を見るのすら照れてしまったり、でも見たくて。それに抑えられない気持ちで抱き締めたくなったり抱き締めて欲しくなったり。恋をしたばっかりみたいって思うような好きが不意に込み上げてくる時がある。そしてその時は決まって深い幸せにも包み込まれてる。


「あるよ。高校生のまだ告白される前の、一人で太一への気持ちを抱えてる時みたいな気持ちになることが」

「分かる」


 すると太一は軽く笑い出した。


「なんかちょっとバカみたいだよな。あれ……親バカっぽいっていうか」

「私が可愛くて仕方ない?」

「そう。それに好き過ぎてたまらない――いや、愛し過ぎて? まぁそんな感じ」


 その言葉に次は私が軽く笑いを零す。


「まぁいいんじゃない。実際にそうなんだし。人前だったらちょっとあれかもしれないけど、二人だけの時なら私はいいよ。ちょっとぐらいバカになっても」


 私はそう言うとスマホをテーブルに置いて彼に近づいた。首に手を回し鼻先が触れそうな程まで。


「でもこういうのに恥ずかしさを感じなくなったのは慣れかも」

「そうれはそうかも。でも私は未だにドキドキはするよ?」

「それは俺もだけど、最初の頃みたいな照れ臭いって感じとは違くない?」

「確かに。でも私は太一とこうしてる時にドキドキしなくなるのはヤだな」

「分かる。でも俺はおじいちゃんになっても同じ気持ちでいられそうな気がしてる」

「分かる」


 今度は同時に笑い合った私たちは、その笑みが少しずつ消えていくと何も言わず更に顔を近づけた。

 それは毎日が幸せの絶頂だって思うような日々。だったはずなのに。たった一日の――いや、たった一つの出来事でそれは大きく変わってしまった。

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