寄り添う蛍4

「いいって……。どういう――」


 まるで未来を見るかのように勝手に予想した続きの言葉に私はもう泪が溢れ出しそうだった。今にも「嫌だ」と泣き付きたい気持ちだった。それらを堪えるのに必死でもう何も分からない。何も聞きたくないし、最後まで声も出ない。

 だが太一は私の言葉を遮るように予想なんて微塵もしていないような行動をした。彼は目の前で片膝を着いた。そして同時に羽織のポケットから小さな箱を取り出し差し出すように開く。


「俺と結婚してください」


 開いた箱の中で堂々と腰かけていたのは、夜空からひとつ貰った星のようなダイヤの指輪。その背後ではあの頃のように緊張した太一の顔が私の返事を待っている。

 だけど私は思わず口に手を当て言葉を失い、頭は真っ白になっていた。完全に処理能力を超えてしまったコンピューターのように少しの間、固まってしまった。緊張した面持ちの太一には悪いがその状態のまま徐々にだが現状を理解していく。まずは彼の言った言葉をもう一度、脳内で再生。てっきり振られるのかもなんて思っていた私へ贈られたその言葉は正反対のもの。

 しかしながら未だハッキリとした意識と現状を繋ぐことが出来ていない私。でも独りでに昂った感情は泪となって双眸から溢れ出していた。少しの間、訳が分からず先行した感情にされるがまま泪を流していたが、次第に真っ白だった頭が彩られていくと私の顔は喜色満面に溢れていった。

 そして泣きじゃくりながらも最大限の喜びを見せた矛盾のような表情のまま考えるまでも無い返事を口にした。


「はぃ」


 それは今にも泪に呑まれ消えてしまいそうな声。でもちゃんと届いたらしく太一の表情から緊張が消え安堵へと変わると直後、あの時と同じ様に彼は「よしっ!」とガッツポーズをした。

 そして立ち上がると指輪を取り出しながら近づき私の左手を取って、薬指へ塡めてくれた。まだ信じられないまま薬指で輝く指輪を見つめる。その背後で太一はそんな私を見つめてた。

 視線を指輪から太一へ向け目が合うと腰に両腕が回り、私は彼の首へ両腕を回した。


「双葉、愛してる。これまでも、そしてこれからも」

「うん。私も」


 二人を繋ぐ糸が縮まり引き寄せられるように私たちは顔を近づけ、一足先に誓いを交わした。言葉は無く重なり合う唇。足りない分を補うように強く抱き寄せ合う腕。言葉にならない強い想いを伝えるように私たちは抱き合い口づけを交わした。何度も、何度も。唇から伝わる彼の愛と温もり。幸せが私を満たしていった。

 そして少しの間、愛を語り合うとそんな幸せに包み込まれたまま私と太一の顔はゆっくりと離れた。だがお互いに回した手は依然と相手を抱き締めたまま。そこにまだ言葉は無く、嬉し涙を流しながらも笑みを浮かべる私と安堵の笑みを浮かべる太一は互いに見つめ合うだけ。

 私はそんな中、ついさっきまで抱えていた重く黯い感情を思い出した。やっぱりあの人とはそういう関係じゃなかったんだと、勝手に安堵していた。胸の中が一気に軽くなったようで、息苦しさが嘘のように消えたようで。鳥篭を飛び出し大空を羽搏く鳥の如く心へ解放感が広がり、同時に体の緊張も解けた。そして自然と今流している泪の勢いが増し、首に回していた手を離した私は彼の胸に顔を埋めた。


「太一、ごめん」


 それは事実確認をすることを恐れ、一人疑念に囚われていたことへの謝罪。


「何で謝るだよ?」

「私、最近ずっともしかしたら太一が――浮気してるんじゃないかって思っちゃってた……」

「えっ? 何で?」


 少し困惑したような声のそれは当然の返しだった。


「実は前に偶然見ちゃったんだよね。太一が女の人と歩いてるの。別にそれだけだったら友達かなって思うんだけど、でもその日太一は仕事って言ってたし。――何よりその直後、「どこにいるの?」ってラインしたら家だって言われたから。それに、それからよく誘いを断る事も増えてずっと誰かとラインしてたじゃん。それで……」


 その時の事を思い出したのか彼は納得したような声を漏らした。


「――そうだったんだ。心配させちゃってこっちこそごめん。でも安心していいよ。彼女は友達だけど、仕事でそういう結婚指輪とかに詳しいくてさ。だから選ぶの手伝って貰ってたんだよ。それにどういう風にプロポーズしたらいいかとかも女性目線の意見を貰ってた。最近はそれに必死で。でもそれで心配かけちゃってたんなら、駄目だよな。ごめん」

「ううん。私こそ。だって素直に訊かなきゃいけなかったのに怖くて訊けなかったんだ。もし本当に浮気してたらって。もし別れることなったらって。だってあの人、美人だったし……。そう思うと怖くて。それで一人で疑って抱えて」


 私はその時の不安や恐怖そして自分の情けなさを思い出し少し声が震えてしまった。そんな私を太一は慰めるように強く抱き締めた。


「俺から別れるなんて絶対にない。双葉以上の女性なんていない。気が付いたら俺の傍には最愛の女性がいた。その人の手を俺はあの時この場所で、取ることが出来たんだ。絶対に手放す事はない。それに確かに彼女は綺麗な人だけど、俺にとっては双葉の方が美人に見える。メイクした顔もそうだけど、メイクを落とした顔だって俺にはもったいないぐらいすっぴん美人で、どんなモデルや女優よりぶっちぎりだし。だから安心してくれていいよ。俺にとって双葉より美人で綺麗で可愛い女性なんていない。俺は相ヶ瀬双葉を心の底から愛してる。そしてこれからも愛し続ける」

「ありがとう。でも一つだけ間違ってる事があるよ」

「間違ってる事? 何?」

「私はもう相ヶ瀬じゃなくて大宮でしょ?」


 私は左手の薬指で蛍とは違った輝きを放つ指輪を見せながらそう言った。


「そうだな。――愛してる、双葉」

「私も愛してるよ。太一」

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