小学校、苦手なこと①

 ぼくは四月から小学生になった。 


 最初に教科書や体操服や給食服、さんすうセットなんかをたくさんたくさんもらって、ママと一緒にぼくの名前を書いた。

「いっぱいあるね~」

ってぼくが言って、

「いっぱいあるね~」

ってママも笑った。ぼくは、いっぱい新しい勉強をするのが楽しみだったし、新しい友達や新しい先生に会えることも、いっぱいワクワクしていたし、いっぱいドキドキもしていた。



「さぁ、教科書の四ページを開いてね。そこにあるのはなんでしょう?」

「はい」、「はい」、「はい」、「はい」

みんなが手をあげた。

「海があります」

「空があります」

「男の子がいます」

「男の子は走ってま~す」

「白い鳥がいます」

「鳥は飛んでま~す」

みんな元気な声で発表した。


「そうね。じゃ、そこに書いてある文章を読んでみましょう。先生が一度読みますからね。二回目はみんなも一緒に読んでください」

 あおいそら

 しろいくも

先生の声は大きくて強い。そして、透き通っていて気持ちいい。

 あおいそら

 しろいくも

二回目は、みんなも元気な声で読んだ。ぼくも元気な声で読んだ。


そして、先生は、

「じゃあ、今度は、一人ずつ読んでもらおうかな」

って言ったんだ。ぼくはびっくりした。

(こんなにたくさんの友達が静かにきいているところで、一人で読むの? ええ~)

ぼくが困っていることには、気づかないみたいに、先生は言った。

「ええと、じゃ、ここの一列の人はみんな立ってください」

ぼくの隣の隣の列の子がみんな立った。みんな一人ずつ、上手に読んでいった。ええ~。困るよ、困る。ぼくの列は当たりませんように。もう一列当たったところで、先生は黒板に向かって字を書き始めて、ぼくの列は「一人ずつ読む」のには当たらなかった。


「は~。びびった~」

耳の奥がキーンってなって、なんだかちょっと回りの景色がぼんやりして、体じゅう心臓になったみたいにドキドキがすごかったからだ。よかった、当たらなくて。ぼくは一安心したけれど、次からもこんなことがあるのかなぁ、と思うと、ちょっとこくごの授業が好きになれないかもしれない気がした。


 たんにんの渡辺先生は、若い女の先生で、本当は体育の先生なんだって。だけど、こくごもさんすうも、ずこうだって教えられるんだ。すごいなぁ、とぼくは思う。先生っていろんなことを勉強してないといけないんだなぁ。勉強は好きだけど、ぼくにはなれないや。だって、ぼくはあんなたくさんの人の前で一人で大きな声を出すなんて無理だもの。でも、ああ、そうか、体育の先生だから、他の先生よりも声が大きいのかもしれないね。

 

 前におばあちゃんのお友達の「さつきおばちゃん」が、おばあちゃんちに遊びに来たとき、ぼくを見て、

「あらぁ、はるちゃんはそんな分厚い本を読むの?」

って言ったことがあるんだ。ぼくは、いつも通り、『こども百科事典』を読んでただけなんだけどね。

「あらあら、まあまあ。はるちゃんは頭がいいのねぇ」

ってすごくほめられて、ぼくは、ちょっと照れくさかったけど、ちょっと嬉しかった。


「大きくなったら何になりたいの?」

おばちゃんにそう聞かれて、ぼくは答えがすぐみつからなくて、

「えーとね、うーんとね……」

って考えてた。そしたら、さつきおばちゃんに、

「はるちゃんは先生になるといいわよ。そんなに賢いんだもの~」

って、言われたんだよね。

「うん。そうだね」

ぼくは、そう言うとおばちゃんが喜ぶだろうな、おばあちゃんも喜ぶんじゃないかな、って思ったから、そう答えたんだ。


 だけど、本当の先生はやっぱりすごい。ぼくになれるかな? って、渡辺先生を見ててそう思った。


 学校の授業は楽しかった。ぼくは『こども百科事典』で勉強してることがほとんどだったけど、それでもみんなでもう一回勉強するのは楽しいことだった。



 だけど、二つだけ、ぼくにとって苦手なことがあったんだ。


 一つは「発表」。ぼくは先生が出す問題や、プリントに書いてある問題の答えはすぐわかったんだよ。それで、いつだって発表する用意はできてたんだけど、

「はーい、じゃ、この問題がわかる人~」

って先生が言って、みんなが、

「はい」、「はい、先生」、「はーい、わかりました~」

って元気に手をあげ始めると、ぼくは全然ダメになる。答えはわかってるのさ。だけど、手があげられないんだ。先生やみんなは、ぼくのことを、「こんな問題もわかんないのか、馬鹿だなぁ」って思ってるにちがいない。ちくしょう。ダメな自分にすごくすごく腹が立つ。だけど、自分でもどうしようもないんだ。


 それでも、手をあげて発表しないといけないときは、まだよかったのさ。手をあげなければ立って元気な声で発表しなくてよかったからね。ぼくが本当にイヤだったのは…


「はーい、じゃあ、この列の人、この文章を読んでみましょう。元気にはっきりとした声でね」

って、急に「列」とか「班」とか「出席番号」とかで急に自分が立って教科書を読まされたり、問題の答えを言わされたりすることが、本当にイヤだった。だって、

「たちばなくん、もっと大きな声で読みましょう」

って先生に言われるんだよ、いつも。で、もう一回元気に読もうとするんだけど、

「たちばなくん? もっとおおきな声で、元気よく」

って、また言われて、三回目には、みんなも、

「全然かわってねえよ!」

とか、

「もっと大きな声出るだろ、はると!」

とか、言い始めて、先生がため息をつきながら、

「んー。じゃ、たちばなくんは、次までに練習しといてね。じゃ、次の人」

ってぼくを置いてってしまう。

 ぼくはうつむいて座るんだけど、悔しくて悲しくてたまらなくて、泣き出してしまうんだ。

それで、みんなに、

「せんせ~、たちばなくんが泣いてます~」

って言われちゃって。先生も「またか」って顔をしてるんだ、多分ね。


 だから、ぼくは突然自分が立って教科書を読まされたり、問題の答えを言わされたりするのが、本当にイヤだった。イヤでイヤでたまらなかった。

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