第106話 ピーターパン連れ去り事件

三章、ピーターパン連れ去り事件


 古来よりひとは自らの想いを伝えるために様々な方法を用いてきた。始まりは言葉だった。徐々に形を変え絵や文字を使い、やがては便りを出し、時には和歌に想いを添えたりするほどまでに進化していった。


 文明は尚も止まることなく発達していき、いまや紙ですら不要になりつつある。近頃は電子の世界で文を出すこともそう珍しいことではなくなってきているのだと、風の噂で耳にしたこともある。


 だが、最先端のテクノロジーが世の中に知れ渡るにはまだ時間がかかるというものだろうと思う。ましてやそれを使いこなすとなると、今世紀をかけた一大プロジェクトになることはまず間違いない。


「アンタはいったい、いつの時代の人間なのよ」


 食卓で向かいに座っていた姉がぼやく。親の帰りが遅くなるということで、さきに夕飯を食べている最中の話である。もちろん俺は料理が一切できなかったので、姉が作ってくれた料理をありがたく頂戴しているところだった。


 姉も出かけていたのだが、俺を心配してくれたのだろう。早く帰ってきてから料理を作ってくれた。こうみえても姉は案外と面倒見がいいらしい。俺の嫌いなコンニャクがたっぷり入った料理を、必ずと言っていいほどに毎回作りはするけれど、おそらくは面倒見がいいのだろうと思う。


「アンタねえ。そんな言いわけばっかしてないでさ。メヒちゃんにメールのひとつでも送ってあげなさいよ」


 そう。どうやらメヒは最近スマホを手に入れたらしい。それも初めてのだと言う。いままで持っていなかったことに驚いた。現代っ子にしてはとても珍しい話だった。


 小学生でもケータイを持っていたりする時代だ。そして現代っ子は器用にそれらを使いこなしてみせる。そう考えてみたら、実は俺は現代っ子ではないかもしれない。


 手もとのスマホをちらりと見る。そして首を横にふり、視線を食卓に戻す。どうにも俺は筆不精らしい。既にメヒとはアドレスやら、ラインやら交換は済ませてあるが、まだやり取りをしたことがなかった。


「最近メヒちゃんとはどうなの?」

 と姉に聞かれ、食事中の世間話にでもと軽い気持ちで話したがやぶ蛇だったか。


「まあ、その内にな。必要になったら送るとするよ」

 なんとかいう謎の炒めものをいただく。とてもスパイシーな味がする。姉のつくる料理は、世界を股にかけていた。いったいこれはどこの国のものかと頭を悩ませる。


「うわ、でたよ。いけたらいく男だ。やあねえ」


 おお、そんな種族があるのかと驚いた。眉間にしわを寄せ、姉は心底いやそうな顔を覗かせる。だれかの顔を思い浮かべたりしているのだろうか。


 しかしそう言われてもと思う。姉にせよ、メヒにせよ。俺とは種族がちがうのだからとひそかに嘆息をついた。俺が顔に出やすいタイプなのかもしれないが、ふたりともまるでひとの心を読んだような言動をとるのだ。以心伝心とでもいうのだろうか。


 それは俺がわざわざ伝えようとせずとも想いが通じることに他ならない。そうなると、これは言うまでもないことだろうかと思ってしまうのだ。ましてやメヒとは毎日といわずともよく会っている。メールするような内容も特にないというものだった。


 姉はやにわに静かになる。この考えも、正にいま読まれていたりするのだろうか。黙々と箸をすすめる。スパイシーさが意外にご飯とマッチして、箸は止まらない。


「まったく、しょうがない弟だこと」

 姉は口を横に引き結んだ。どういう結論なのかはわからないが、納得したのならヨシとしておこう。


 姉は、

「ん」

 と言って、手を差しだす。

 俺は、

「ん?」

 と返す。

「茶碗、おかわりするんでしょ?」


 おお、また読まれた。やはり姉はサトリなのではないかと、ありがたく茶碗を差しだす。そしてご飯の入った茶碗を受け取る。 


 姉は、

「はい」

 と言って、手を差しだす。

 俺は、

「はい?」

 と返す。


「スマホ、そんなとこに置いてたらお茶をこぼすでしょ」


 それもそうだなとスマホを差しだす。姉はニヤリと笑ってそれを受け取った。俺からスマホを受け取った姉は、そそくさと自分の元いた席へと戻っていく。姉の食器類はいつの間にやら流し台への中へと片付けられていた。どうやら、もうすでに食べ終わっていたようだ。


 手持ち無沙汰になったせいなのか。俺のスマホをしっかり握りしめたまま、手離す様子がまるでない。ニコッと笑みをつくって、そうだと思いつきを口にする。


「ねえ、あたしが代わりにメールを出したげようか?」


 さも、良いことを思いついたかのように喜色をにじませた面持ちで言ってくる。ちらりと姉に視線をやったものの、気にせずにスープ料理へと手を伸ばす。


 なんだ、意外だなと思う。姉も俺と同じくして、文明の利器を使いこなせてはいないとみえる。スマホにはロック機能という便利なものがあって、パスワードをいれないと操作できないようになっているのだ。

 わざわざスマホを取り返しに向かうのも面倒に思ったので、軽い気持ちで答える。

「そうだな。できるものならな」


 過ぎたるは及ばざるが如しだ。やはり、最先端のテクノロジーは人にはまだ早すぎたのだと思う。まずは、ひとのスマホは勝手に触るべきではないということを人びとに教える所から始めるべきだった。


 そっとスープを口に運ぶ。なんだかよくわからないが赤くて、肉の味がしっかりとしていて。ふむ、美味しい。だが、これはいったいなんなのだろうかと首を傾げる。


「それね、ハンガリー料理」

 姉よ。聞いてもわからないし、俺はまだ訊いてもいないのだが。あいもかわらずのエスパーっぷりに舌を巻く。そしてエスパーはまだまだその能力を遺憾なく発揮する。

「よし、送った」


 コトリと、スマホをテーブルに置きながら姉は突然に変なことを言ってのけた。

「送った? なにをだ?」

 テーブルの上のスマホを眺めると画面には煌々と明かりが灯っている。なんとそれは見慣れたホーム画面だったから驚きだ。姉よ、いとも簡単にひと樣のパスワードを突破するではない。と言うかなぜわかったのだろうと訝しむ。


 ほどなくして、スマホがブルブルと震えだした。どうやら返信が来てしまったようだなと手を伸ばすが、タッチの差でスマホは姉の手に奪われてしまった。


「『わひー、Kすん。メールを送るなんち、めずらしいじゃないか』だって。ふぅん、まだ慣れてないみたいね。かわいい」


 メールを読みあげながら姉は言う。誤字はそのまま読まなくてもいいのではないかとも思う。あわてながら入力しているメヒの姿がありありと目に浮かぶようだった。姉の手の中でもういちどスマホは震えだす。


「あれ、もう一通。『いや、Kさんじゃないぬ。きみはお姉さんなのかい』かだって。ふぅん。やるじゃないの、メヒちゃん」


 ふむ、流石だった。どうやらメヒは姉の偽装メールを見破ったらしい。サトリ同士のバトルが勃発するやもしれないと身構えもしたが、そんなことはなかったようで、姉はとても上機嫌に笑っている。

「今度連れてきなさいよ、会いたいわ」

 と、スマホはようやく俺の手に返った。

 いったいなんなのだ。そして何を送ったと、送信履歴を確認してみる。


『メヒよ、もうご飯は食べたのか? 俺はいま、お姉様に作っていただいた美味しいハンガリー料理に舌鼓を打っているところだ。それはもう美味いものだ。今度メヒにもご馳走したいと、お姉様がおっしゃっているのだが、どうだ?』

 姉もあまり隠す気はなかったらしい。


「メヒちゃんはなに料理が好きなの?」

 と訊かれるが、俺も知らなかった。

 メヒは自分の事をあまり話さなかった。母国がどこなのかすら俺は知らない。好物から推理できないものかと訊いてみるが、返ってきたのは、『ボクなら寿司が好物さ』というさらに混乱を招くものだった。


「お寿司かあ。練習がいるわね」

 握るのか、姉よ。面倒見が良いのも困りものだなと呆れていると、スマホが震える。もうひとつの好物をメヒは催促してきた。


『それよりもボクは謎不足なのさ。佐賀市に行こうよ、Kさん』

 ずいぶんと遠出するのだなと驚いていると、ちらとのぞいた姉が難なく言った。

「探しに、よ」

「ああ、なるほど」


 暗号めいたメヒの怪文書とにらめっこをしながら、待ち合わせ場所を決めていく。どこに謎があるのかは毎度のことながらさっぱりとわからないが、向かう先はやはり人通りの多い駅前とかになるのだろうか。いくらかやり取りをしていくと、だんだん文字入力にも慣れが見え始める。


 『Kすん』から、『Kさん』へと俺が進化を遂げるのにさほど時間はかからなかった。ああ見えてメヒも、いまどきの現代っ子だということだろうか。いつもしているあの格好は、十九世紀あたりで止まっているというのに。探偵といえばでおなじみの茶と黒のチェック柄。目深に鹿撃ち帽を被り、パイプでもくわえたなら、小さなホームズの完成だ。あの格好のおかげで俺はいままでメヒを探すのに苦労した覚えがない。


 もっと可愛らしい、女の子っぽい格好もすればいいのになと思う。せっかくの美少年、もとい美少女っぷりがもったいない。そう考えたところで、もやもやした気持ちが沸きあがってきた。そしてそれは、やがて疑問へと変わっていく。あの格好は探偵にとっての制服と呼ぶべき物ではないのか。 


 ならばなぜと不思議に思う。 


 制服は悪魔の発明だと豪語し、あれほど毛嫌いしているというのに、なぜあの格好をするのだろうか。それとも探偵の制服は別腹だったりするのだろうか。


 ブン、と床に置いてあったスマホが震え、我にかえった。考えても答えのでない問題だったなと首をふる。メヒの影響なのか。考えれば、推理すれば、やがて答えに辿り着くことができると、いつの間にかそんな気になっていた。もちろん俺にそんな能力はないのだが、それでもそう感じせてくれる不思議な子だった。


 いつの日か俺も謎が解けたりするようになるだろうかと夢想するも、まだ夢物語。まあ、急くような話でもなかった。その内にそんな機会があるかもしれない。気長に考えてみるさと気を取り直し、俺を呼んだスマホへと目を向ける。


『Kさん、助けておくれよ。へんな広告が、地図が、ボクを襲ってくるんだよ』とメヒからの救援要請が届いていた。


 おお、メヒよ。今度はいったいどうしたというのだろう。よく話を確認してみると、ポップアップ広告にでも引っかかっているらしかった。画面にデカデカと表示されて閉じるボタンが隠されていたり。触った覚えはないのにべつのアプリが起動したり。つぎつぎ勝手に広告が開くという質の悪いものも中にはあったりと、スマホ初心者にとっては恐ろしいものにちがいなかった。


 文章ではらちが明かないと思ったのか、とうとう電話がかかってくる。

「Kさん、あれらはいったいなんなんだい。閉じても閉じても、つぎつぎにポンポンと。いったいぜんたいどういうつもりさ!」

 怒っている。俺に怒られても困るのだが。

「落ち着くんだ、メヒ」

 かるく対処法を教え、訊いてみる。

「何をみようとしてそうなったんだ?」


「これだよ」

 と誘導されるままに見てみると、なるほどつぎからつぎへと広告がでてくる。

「これは、マンションの広告か?」

「221Bだよ」

 電話でみえないだろうが首をかしげる。


「知らないのかい、Kさん」  

 いや、見えてるのかもしれない。テレビ電話になっていないだろうかと、念のためにスマホを離して確認してみる。大丈夫だ。

「ベイカー街221のB。ホームズの下宿先のことさ。ダメだね、Kさん。不勉強だよ。それじゃ留年だろうね、やり直しさ」


 どこからやり直すというのか。言われながらにマンションの広告を眺めてみると、たしかに住所は2の2の1になっていた。ここからも近い。

「なるほどな。それでみていたのか」


 可愛いいものじゃないかと思い、クスリと笑う。だが、聞こえてしまったらしい。

「ボクを笑ったね、Kさん。なんだい、失礼なひとだよ。ボクだってここにホームズがいると思うほどの子どもじゃないさ」

 息を巻いて言い、そして、

「でも近くに221のBがあると思うと、気になっちゃうじゃないか」

 とつぶやく。  

「やはり気になっているではないか」


 しかし、だ。ここはもちろんイギリスではない。ロンドンでもなく日本だ。そしてこの広告にあるマンションも221のBではなく、正しくは2─2─1だった。

 まったくの別物といえるだろう。

「メヒよ、たとえこの住所に行ったとしても何もないぞ」


 そこにはただマンションがあるだけだ。それなのにメヒは電話口で憤ってみせる。

「そんなことはわかってるよ。すこし興味があっただけさ。そこにワトスンくんと、ハドスンさんがいるだなんてこと、ほんのちょっぴりとしかボクは思っていないさ」


 かの有名なホームズの助手と、もうひとりの名は誰のことだったか。頭をひねるが、答えはでてこなかった。

「でもボクはもう怒っちゃったよ。Kさん、いっしょにこのマンションへと乗り込もうじゃないか」

 それはまた、物騒な考えだった。

「乗り込んでどうするんだ」

「こんな悪魔みたいな広告をだすオーナーをね、とっちめてやるんだい」


 ふむ、はたしてオーナーはそこにいるのだろうか。それに文句を言うなら、不動産会社に言った方が適任のような気がする。

 そうは思うものの、意気込むメヒを前に何も言えそうにない。ふたたびマンションの広告に目を通してみると、オートロック完備と大きな文字で書いてある。恐らくは向かった所で、マンションの入り口に阻まれて終わるはず。移動していたらその内に頭にのぼった血も降りてくるかもしれない。それならばいいかと、ふたつ返事を返す。


 ふと頭に浮かんだ疑問を尋ねる。

「なあ、メヒよ。221はわかるが、Bはどこにも付いていないぞ」

 ふふんと得意げに、嬉々として語る。

「そのマンションね。地下もあるんだ」

 それでいいのか?


 つぎの日の夕方、学校帰りに待ち合わせをすることにした。俺が迎えにいってもよかったのだが、俺はメヒの家をしらない。頑として教えてくれなかったのだ。あるいは家の表札をみられるのを恐れていたりするのだろうか。そこには、あの刑事の表札が神々しく掲げられているだろうから。


 不意にあの刑事と出くわさなくて済むのだから、それは俺としても好都合だった。あの妙な迫力に気圧され、いまだに慣れていない自分がいる。メヒはもう慣れているのだろうか。ふたりの暮らしぶりを想像してみるものの、まったくといっていいほどに想像はつかなかった。


 そもそも、本当の兄弟ではないふたりがなぜいっしょに暮らしているのだろうか。そこに秘められた理由は、いったいどんなものなのだろう。


 そんな事をモヤモヤと考えている内に、あの探偵らしい後ろ姿がみえた。制服姿のままきた俺とはちがい、わざわざ探偵服に着替えてからやってきたようだ。メヒの制服嫌いっぷりには、苦笑いさせられる。考えごとでもしているか。近付いてもこちらに気付く様子はない。ほんの思いつきで、すこしイタズラをしてやろうという気になった。 


 後ろからこっそりと手を回し、目もとをそっと覆ってみる。ちいさい頃によくした子どものおふざけだった。声色を変えて、声をかける。

「動くな」

 む、間違えた。

「だーれだ」

 と問わないといけないところだ。


 あまりにも久々過ぎたおふざけに思わずセリフをまちがえてしまう。これではまるで強盗か、追い剥ぎだ。

「ひゃっ」


 不意に強盗に襲われたメヒは、たまらずに悲鳴をあげる。だがそこからの反応は、俺の思っていたものとまったくちがうものになった。

 もっとも、俺の思っていたのは、

「だーれだ」

 への反応にちがいなかったのだが。


 メヒはガクガク肩を震わせ、前を向いたままふり返りもせず、ピクリとも動こうとしなかった。悲鳴をあげてからはなにも言わずに、ただおとなしくしている。まるで地蔵のように固まり、身を固くするメヒ。俺の言い間違えのせいでどうやら怖い思いをさせてしまったか。わるい事をしたなと思い、あわてて声をかける。

「すまん。俺だ、俺」


 声をかけてからしばらく。メヒはそろりとふり返った。不安げだった顔はみるみる内にしかめっ面へと変わっていく。

「Kさんだったのかい。なんだい、きみは。いったいどういうつもりなのさ!」

「ちょっと驚かそうと思ったんだ」


 まさかこんな事になるとは。結果としては俺の方が驚くことになってしまった。

「Kさん。まったく、きみって奴は。淑女にいきなり何をする気なんだよ。配慮が足りていないね」


 ぷんすかと拳を振りあげている。淑女はそれを、中々振りあげるものではないとも思う。無論、俺とて誰彼かまわずにこんなことをするような節操のない男ではない。男相手ならまだしも女の子が相手ならば、なおさら気を使ってしかるべきだろう。


 おお? ならばなぜ、メヒにはそうしてしまったのだろうかと自問自答する。あごに手をやり首をかしげ、うーんと唸ってから思いついた答えは。

「少年のようだから、だろうか」


 うっかりと口に出してしまったか。それともメヒが俺の心を読んだのか。ポカポカという擬音で叩いていたメヒの拳に段々と力が入っていき、やがてガツンゴツンという擬音へ変わっていく。メヒよ、ちと痛い。

「Kさん。きみはまったく、ほんとうに失敬な奴だよ。こんなに可憐な、美しい乙女を目の前にしてさ。少年のようだなんて」


 やはり声にだしていたのだろうか。この口はそこまで緩くなかったと思うのだが。しかし誤解だ。俺はなにも可憐で美しいことを否定する気なんてさらさらないのだ。ただ性別の問題として、などと言えるわけもなく。されるがままに立ち尽くす。


 メヒの憤りはなおも止まる様子がない。そもそもがマンションの広告に腹を立ててやってきていたのだから、その分の怒りも上乗せされているのかもしれない。

「いいさ、Kさん。きみがそこまで言うのならハッキリとさせようじゃないか」


 相変わらず俺は、なにも言っていない。メヒはぐるりを見渡してなにかみつけたのか。すっと指を立てる。見てみると、例のマンションを出てすぐ脇にある小さな公園のようなものを指しているようだった。

「客観的にみてもらおうじゃないか」


 俺の返事を待たずして、ずかずかと歩きだしてしまう。その後を追いかけて公園に行ってみると数人の子どもたちの遊ぶ姿があった。そばにランドセルが置いてあるのをみるに小学生なのだろうか。子どもたちに近付いていき、開口一番、メヒは言う。

「やい、ちびっ子ども。ボクの質問に答えるがいいさ」


 おお、メヒよ。それはどんな絡み方だ。少年少女は口をぽかんと開けて、こちらをみつめた。その気持ちは痛いほどわかる。

「ボクをみてどう思う、何を思うんだい」

 えへんと、ふんぞり返っている。


「なんだ、おまえ」

「へんなかっこう」

「たんてーだ、たんてー」

「あっちいってよ」

 と散々な言われようだった。


 だがメヒはふふんと不敵に笑い、鹿撃ち帽を取っては金色の髪を揺らしてみせる。

「これならどうだい」

 金髪彗眼をあらわにしてみせると、少年少女はわあと驚き、にわかに色めき立つ。


「へんなやつ」

「ふりょーだ、ふりょー」

「きんぴかー」

「わあ、きれいなおねえさん」


 三人の少年は変わらずだったが、ひとりの少女は印象が変わったらしい。くるりと向き直り、翡翠の瞳が柔らかくほほ笑む。

「ほら、Kさん。ほらほら」


 ほらみたことかと、口もとは悪魔のように大きく横に開いていた。俺は肩を落とす。メヒはそれでいいのか。俺は知っている。三人の少年もまんざらでもないようにメヒのことをみていたことを。最初のひと言がアレでなければ、みんなが口を揃え美しいと言っただろうに。お兄さんと呼ぶのか、お姉さんと呼ぶかは別にしてもだ。


 気を良くするメヒに、少年は言う。

「でもそいつ、うそつきだぜ」


 少女を嘘つき呼ばわりする。満面の笑みで得意げになっていたメヒは目を剥き、肩をそびやかせつつ反論しだす。それもそのはずだ。なんといったってその少女は、メヒのことを綺麗なお姉さんと言ったのだから。


「こら、ちびっ子。まったく、きみはなんてことを言うんだい。この正直者のE子ちゃんが、嘘つきなわけないじゃないか」

 E子ちゃんを嘘つきにさせまいと、メヒは必死に弁護する。緑の瞳は力強かった。しかしE子ちゃんと名付けられた少女も、三人の少年たちも、そして俺も。みんながみんなして目をぱちくりとさせていた。

 訊くのは俺が適任だろうか。


「なあ、メヒよ。この子はなぜにE子ちゃんなんだ」

「あたし、E子なの?」 


 自分のことを言われていると気付いたE子ちゃんは、さも不思議そうに小首をかしげる。どうやら、実際にそういう名前だというわけではないらしかった。


「きみは見たままの、素直な感想を口にできるいい子だからね。E子ちゃんなのさ」

「じゃあ、おれたちは?」


 少年よ、その質問はやぶ蛇だ。おそらく悪手にちがいない。だが時はすでに遅い。

「きみたちは真実をねじ曲げちゃう、あきれた子たちだからね。だったらきみはFくんさ。そしたらね。きみたちはGくんに、そしてHくんだよ」


 ほら、言わんこっちゃないと思ったものの、少年たちは、

「おまえ、Hだってさ」

「やあい、エッチー」

「やめろよ。なんでぼくがエッチなんだ」

 とじゃれ合っている。


 案外楽しそうにしているのでこれはこれでヨシとしておこう。しかしなぜにFなのだろうかと思い、すこし頭をひねってみる。

 ふむ。メヒよ。それは、FOOLの頭文字のFではないだろうなと思いもしたが、訊かずにそっとしておく方が良さそうだ。何くわぬ顔で、メヒは話をつづけていく。


「それで、Fくん。どうしてきみはE子ちゃんを嘘つきだなんていうのさ」

 名前を受け入れた少年が、

「おれだけじゃねーよ。おまえらもそう思うよな? な?」


 キョロキョロと視線をくばりながら言うと、周りの少年たちもうなずいてみせる。

「まあ、そうだろうね」

「うそつきだ、うそつき」


 これはいったいどうしたことだ。なんと満場一致の嘘つきコールが巻き起こった。言われたE子ちゃんは、口をキュッと結んでふくれっ面をしている。


 ちらり、メヒと目を見合わせる。やはりこれはどこか異常だ。みんながみんなして嘘つきと言うからには、なにかがあったのだろう。E子ちゃんは彼らにどんな嘘をついたというのか。

「いったいなにがあったのさ」

 と、メヒはFくんに向きなおる。 

 俺からは見えないが、鹿撃ち帽をかぶり直したその悪魔の口もとはきっとほほ笑みを携えているにちがいなかった。


 少年たちはお互いの顔をみやり、Fくんが代表して口をひらく。その瞳はE子ちゃんを横目に捉えながら、どこか小馬鹿にしたような面持ちをしていた。

「だってこいつ、みたっていうんだぜ」

「なにをさ」

「妖精」


 ん? 聞き慣れない言葉に俺は上を向いて記憶をたどる。妖精とはなんだったか。もちろん言葉としては知っているが、それがどんなものかのイメージが掴めなかった。羽根をぱたぱた羽ばたかせ、時には光ってみせたり、時には魔法を使ったりもする。あの空飛ぶ小人のことだろうか。


「いるわけねーよなあ」

「やっぱり、うそつきだよ」

「うそはよくない」

 E子ちゃんは首をふり、

「うそじゃないもん。あたしみたもん」

 とは言うけれど、俺も少年たちの判断に概ね賛成せざるを得なかった。


 さすがに妖精はどうだろう。いないのではないか。妖精とおなじくらい希少とされる悪魔ならどう判断するのだろうと、メヒの様子を伺ってみる。

「ふぅん、面白いじゃないか。ボクはE子ちゃんを信じるよ」


 どうやらメヒは、少女が見たという妖精の話を鵜呑みにするようだった。彼女には正直であってもらいたいのだろう。そうまでして綺麗なお姉さんにこだわるかと思い、ひっそりと苦笑う。だがしかし、メヒよ。その主張はただでは通して貰えない物で、もちろん反論を生みだてしまう事になる。


「あ、うそつきがふえたぞ」

「うそつきの仲間だ」

 そう言う少年らを、

「きみ達はなにをいうのさ。ボクのどこが嘘つきなんだい」

 と真っ向から迎え撃つ。

「おお、メヒよ。小学生相手にケンカするものではない」


 どちらも落ち着かせようと、両者の間に割って入る。両手を広げて距離をとるよう促していると、彼らの中でもすこしぽっちゃりとしたGくんが質問をなげてきた。

「メヒってなあに?」

「それならボクの名前さ。ボクは、メフィストフェレスだからね」


 腰に手をあて自信たっぷりに言ってのけているが、それは火に油を注ぐような行為ではなかろうかと思う。案の定、メガネをかけたHくんがあっと声を張り上げた。


「ぼく知ってる。それ悪魔の名前だよね」

「悪魔? やっぱり、うそつきじゃんか」 

「なにをー!」


 前に出るメヒを、まあまあとなだめる。ヤンチャそうなFくんとメヒは、どうやら相性がわるいらしい。偽名である以上は、嘘つきであることが否定できそうにない。こちら側の旗色は最初から悪そうだ。


 嘘つきか、正直者か。妖精を見た少女はいったいどちらなのだろうか。自然と争いの火ダネになっているE子ちゃんの元へ、みんなの視線があつまる。

 きまりが悪そうに、

「でもでも。あたし、みたんだもん」

 うつむき加減につぶやく様は嘘を言ってるようにはみえないが、どうなのだろう。


「ボクは信じてるからね。まずは話してごらんよ。きみが妖精をみた時のことをさ」

 味方を得たE子ちゃんは何度も頷く。

「ちぇっ」

 と頭の後ろに腕を組み、Fくんはどっかりと座った。


 それに倣って俺たちも石だったり遊具だったり、それぞれに腰かける。E子ちゃんはスカートの裾をすこし気にしながらも、そっと座って話しはじめた。


「あたしその日すっごい疲れたのね。学校から帰ったあと、すぐ寝ちゃったのよ」

「ええ、もったいね。俺ならぜったい遊びに行くのにな」

「おまえ、学校で寝てるもんな」

 茶々が入り、メヒの口がやや尖りだしてきていた。事を起こす前にと思い、そっと話を促す。


「まあまあ、少年たちよ。まずは話を聞こうではないか。それで、どうしたんだ?」

「目がさめたの。もう夜だったのかな」

 やや疑問形だった。どうやら時計をみたわけではなさそうだ。俺がそう考えていると、ひょっこりとメヒが口を挟んだ。


「きみはどうして、夜と思ったんだい?」

「えと、へやの電気が消えてたの。たぶんお母さんがけしたのね。外も暗かったし」

 ふむ、妥当な判断だ。ふぅんと、メヒも引っ込んでいく。


「それでね、あたしが目をさましたのはね。妖精に起こされたからだったのよ」

 おお、ずいぶんと突拍子もなく妖精が現れてしまったものだなと驚く。少年たちのくすくすという笑い声も聞こえはじめた。


「どういう風にだい。妖精はきみの身体をこう揺さぶって起こしたのかい?」

 メヒは俺の腕をつかみ、ブンブンと揺さぶってみせる。妖精のサイズを俺は知らなかったが、小さいようなイメージだった。いくら子どもとはいえ、人間を揺さぶるのは難しいのではないかと思う。魔法でも使えば、あるいは可能だろうか。


 E子ちゃんは首を横にふり、

「窓をね、ノックしてたの」

 と中空をコンコン叩く。


 妖精にとってのそれはノックか、体当たりなのかはわからないが、それなりに大きな音が鳴りそうではある。ふむ。それなら、目がさめたとしてもおかしくはないのか。妖精が窓をノックし、寝ていたE子ちゃんの目をさまさせたというわけか。


 すこし鼻白む。言ってしまってはわるいが、それは夢だったのではないだろうか。寝ぼけていて夢と現実が混ざるようなことは稀にしてある。小学生ならばなおの事、十分にありえる話ではないか。


 そう考えているとちらりと視線を感じたものの、メヒは何も言わずに向き直った。

「それは、どんなノックだったんだい? ちょっとやってみておくれよ」

 妙なことを訊く。


 はたしてノックにちがいなどあるのかと考える。強いてあげるとするならば、回数がちがうのだろうか。海外と日本ではノックの回数がちがうのだと、いつだったか姉が話していたような気がする。


 おお、メヒよ。さては妖精が何人なのかを調べるつもりだな。E子ちゃんは小首をかしげ、自分の手のひらを控えめにトン、とノックする。


 ふむ、一回か。一回はどこの国の文化だったかと記憶を辿っていると遅れてトン、とE子ちゃんはまたノックをした。ずいぶんと間のある、特徴的なノックの仕方だ。

 じゃあ、とメヒが口を開きかけると、

「そっちは口をはさむのかよ」

 とFくんが突っかかる。


「ボクのは質問だからいいんだい。きみ達みたいな野次じゃないんだからさ。まったく、同じにしないでもらいたいものだね」

 鼻息が荒い。メヒの言わんとすることは良くわかるのだが、同レベルで争っているように見える。


「それにね、質問の返事によどみがないんだよ。それはこの話が本当にあったことを示しているからなんだと、ボクは思うね」


 Fくんは黙り込む。たしかにE子ちゃんは、メヒの細かな質問にもスラスラ答えていた。本当の事を話しているからなのか。作り込まれた嘘ならそれもまた可能だろうが、ボロの出ないような嘘を小学生が作り込めるとも思えなかった。


 だとすると妖精は本当にいたとでもいうのか。下からマンションを見上げてみる。数えてみると九階建てだったマンションは、ここいらで一番背の高い建物だった。

「E子ちゃん。君の家は何階にあるんだ」

「三階よ。あそこ」 


 とある部屋を指さしている。ふむ、三階か。それならば誰かが外から登り、ノックすることもできなくはなさそうに思える。もちろん目立ちはするから、ひとの目を気にしなければの話になってくるけれど。

 同じように見上げていたメヒが問う。

「まわりの住民はどんなひとなんだい?」

「みんなよ」

 と少年らを手で示す。


 E子ちゃんの説明をまとめると、彼女の家の真上にHくん。右隣がGくん。左隣はFくんと、それぞれが住んでいるらしい。みんなはご近所さんだったようだ。あとは名前も知らないひとで会ったこともほとんどなく、交流もないようだった。


 ふぅんと頷くメヒに、

「俺たちがやったって言いたいのかよ」

 とFくんが噛みつく。

「ボクはまだ何も言ってないじゃないか」

 二言三言やりあってから、先を促す。 


「それでE子ちゃんは、目をさましてからどうしたんだい?」

「えとね。ノックはベランダからだったのね。それで近付いてみたら、カーテン越しにね。キラキラと光ってたの」


 E子ちゃんは手ぶりで球をつくり、光の大きさをあらわしている。だいたいサッカーボールくらいの大きさだろうか。

「何色に光っていたんだい」

「緑だったよ。あれ、赤だったかな」

「ハッキリしないな。やっぱり嘘なんじゃねーの」

 あくまでもFくんは認めようとしない。


「ちがうもん。点滅してたの。ティンカーベルは、あたしのところに来たんだもん」


 ティンカーベル。有名な妖精の名前だ。たしかピーターパンに登場する妖精だったような。ああ、とその姿を思い出す。たしかその妖精も緑の服を着ていたような気が。いや、赤だったかな。点滅はしてたかな? ティンカーベルと聞き、俺はいったいどんな顔をしていたのか。Fくんは俺を指さし、口の端を持ち上げて笑う。


「ほらな、見てみろよ。そんなバカなって顔してるじゃないか。やっぱいるわけねーよ。ティンカーベルなんかさ」

 メヒに肘で小突かれる。そんなつもりはまるでなかったのだが、E子ちゃんはまじまじと俺を見つめて、さも泣きだしそうに顔をくしゃりと歪めてしまった。


「いたんだもん。窓をあけてるあいだに、羽ばたいて飛んでっちゃっただけだもん」

「おお、すまん。消えていったんだな」

「でも、直接はみてないじゃんか」 

 Fくんが言うとGくんもHくんも、口々にそうだそうだと賛同する。これはまずいな、このままでは泣いてしまいかねない。


「みたもん。あたしにはわかるんだもん」

 少女の声はか細く沈んだ。奇妙な体験はだれにも理解されず、嘘つきと呼ばれてしまった。しかたがないだろうな。夢物語を本気で信じるひとなんていない。

「ボクもいたと思うね」 

 ただひとりを除いては。


「ええ、なんでだよ」

 不満そうなFくんに、メヒはマンションをスッと指さす。

「ご覧よ。このマンションのベランダは出っぱっていて、登るにしても下るにしても、手のやり場がなくてひと苦労するほどさ。きっとパルクールも出来やしないよ」

「ぱるくーる?」

 それには答えないようだ。


「三階ともなれば高さもそれなりにあるからね。きみ達だって。いや、大人でも外からあのベランダに向かうのは至難の技さ」

「なら、横はどうだ?」

 と聞いてみると、

「そうだね。横にも仕切りがあって、アレを乗り越えるのは難しいんじゃないかな」

 と返ってきた。


 なるほど、見てみると仕切りがあった。乗り越えようとするなら一度外へまわり、太い柱のような壁を乗り越えてこないといけない。あの仕切り自体は壊せると聞いたことがあったが、壊されたのをその部屋の住民が気付かないとも思えなかった。


「上下にせよ、左右にせよ、移動は難しそうだよ。ましてや窓をあける間の短い時間で消えるなんてのは、人間業じゃないね」

 今度はFくんが沈んでいった。その分、E子ちゃんが浮上するかのようだ。信じてくれるひとがいるだけでひとは笑顔になれるのだなと感心する。その笑顔はさながら妖精のようだ。


 その時、妖精ことE子ちゃんから軽快な音楽が流れはじめた。なんだなんだ、これは妖精のハーモニーなのかと狼狽えるが、動揺したのは俺だけだった。E子ちゃんは難なくケータイを取りだして電話にでる。小さなケータイだった。キッズケータイという奴だろうか。

「お母さんからだった。もうおそいから、帰ってきなさいだって」

 電話を切ったE子ちゃんは言う。もう夕刻だった。子どもはそろそろ帰る時間だ。


「きみもスマホを持っているんだね。ほらボクもあるんだよ、ほら」

 メヒは嬉しそうに見せびらかしていたが、子ども達はしらっとしたものだった。

「俺ら、みんなもってるし」


 それぞれがポケットからキッズケータイを取り出してみせる。現代っ子にとってそれはもう珍しくもない、どこにでもある物になっていた。つい最近、現代っ子になったばかりのメヒには刺激が強すぎたかもしれない。目が点になっていた。


 その様子に子どもたちは満足したのか。ぞろぞろと上機嫌でマンションに帰っていく。E子ちゃんも笑顔で手を振っていた。よかった、どうやらメヒのおかげで笑顔を取り戻せたようだ。


「さて、俺たちはどうするか」

「そうだね、すこし妖精を探そうか」

 マンションの周りをぐるりと回ってみるものの、妖精はおろか、羽のひとつもみつかりはしなかった。

「なあ、メヒよ。妖精はいると本当に考えているのか?」

「いるって言うんだ。じゃあ、いるんじゃないのかな。なんだい、Kさん。きみはあのE子ちゃんのことを疑るっていうのかい」


 そう言われると返答に困り、窮した俺は天を仰ぐ。するとそこはE子ちゃんの家の真下に位置していた。もちろん下から覗いてみても妖精の姿はない。すると、チリンチリンとベルが鳴った。


 む、妖精のベルだろうかと背後から聞こえてきたたベルの音にふり返る。

「おら、どけどけ。邪魔や、邪魔」

 罵声と共におじさんがひとり、自転車で乗り付けてくる。ぶつかりかねない危ない接近に、俺もメヒもあわてて飛びのいた。


「お前ら、ひとの家の前でなんの用や」

 去れとばかりに手で追い払われる。おじさんは自転車を窓のすぐ前に止めて睨みを効かせながら、肩を怒らせつつマンションの中へと入っていった。ここの住人か。

「なんだいあれは、乱暴な運転をしちゃって。いったいどういうつもりなのさ」

「ああいうひとも、まあいるだろう」


 メヒの怒りをなだめていたら、目の前の部屋からアップテンポな音楽が大音量で響いてきた。音波で窓がビリビリとしびれるかと思うほどに大きな音で、顔をしかめて耳を塞ぎたくなる。確信はないがさっきのひとだと思う。ひとの家の前と言っていた。一階の住人か。ずいぶんと困ったひとのようだなと、他人事ながらに嘆息をつく。


 メヒはマンションを見上げ、何を思ったのかにやりとほほ笑む。それはもう見覚えのある、悪魔のような笑顔だった。勢いよく一歩を踏みだそうとするのを止めた。

「待て、メヒよ。なにをする気だ」


 止められるとは思っていなかったのか。キョトンとした表情で、大きく目を開く。

「よく見ていたじゃあないか。大したことじゃないよ。ちょいとそこの自転車を蹴飛ばしてやろうかと思っただけなんだから」

 にっこりと笑顔で物騒なことをいう。


 腹を立てたのはわからないでもないが、争いの火ダネを自ら作りに向かわなくても良いものだ。どうしてそんな事をするんだと問う前に、メヒは指をさして答えた。

「ちゃんとあそこに駐輪場があるんだよ。あのひとは面倒がってるみたいだけどさ。まったくさあ。自分勝手にひとへ迷惑をかけるひとのこと、ボクは嫌いだな」


 俺も目を見開いた。説明はもう終わったとばかりに足を踏み出したので、あわてて間に入る。

「わかった、わかった。だったら俺があの駐輪場まで運ぶから」


 カギのかかった自転車の片輪を浮かせ、半ば担ぐようにして駐輪場へ移動させる。窓からあのおじさんが顔をださないかと、すこしヒヤヒヤしながらのことだった。

 移動させ終わり、

「平和的な方法もあるんだぞ」

 と思い出したように、家庭教師の本分をすこしのぞかせてみる。


 わかったのか、わからないのか。メヒは幾分と満足そうだった。その後も妖精の姿を探してみるが、なにも見つからず。辺りも暗くなってしまったので俺たちも引き上げることにした。帰り道すがら尋ねてみる。


「ずいぶんとE子ちゃんの言葉を信用するんだな。綺麗なお姉さんと呼ばれたのが、そんなに嬉しかったのか?」

 ふふとやはり嬉しそうに笑い、

「ボクは綺麗なお姉さんだからね。それもあるんだけどさ。あの時、あの子には嘘をつく必要がなかったからだよ」

 と言う。

 それはどういう意味だと頭をひねる。


「わからないかい。あの時、ちびっ子どもはボクをけなしていたんだよ。周りが是を唱えているときに否を唱えるのは簡単じゃないからね。嘘なら、なおさらだよ」

 なるほどなと感心し、頷いた。嘘をつく必要はどこにも見当たらない。周りに合わせて是を唱えればいい場面、わざわざ嘘をついてまで反論はしないというものか。


「それにね、Kさん。子どもの証言も、意外と馬鹿にはできないものなんだよ」

「そうなのか?」

 得意げに、ふふんと鼻を鳴らす。

「ホームズも言ってたよ。『ああいった物乞いの子供ひとりが、十人もの警官に匹敵することだってあるんだ』ってね」


 ちとひどい。あの子たちもまさか物乞い扱いされているとは思うまい。だが子どもの言うことも、一理あったりするものか。

「たしかに、メヒは綺麗だからな」

「ひゃっ」


 ひゃっ? 見るとその顔は紅く染め上げられていく。おお、口をついて出てしまったのか。そのまま逃げるようにしてメヒは去っていってしまった。つい失言をした。


 しかし、と思う。メヒよ、たしかきみはそう言われたかったのではなかったのか。


 つぎの日もメヒは妖精を探しに行こうと言ってきた。俺もきっとそうなるであろうとは思って心積もりをしていた。どうやら、何かしらをみつけるまでは221通いをすることになりそうだった。


 ティンカーベルの姿を求め旅立つ。ネバーランドを目指す俺たちは、遠目にマンションを捉えたところで異変に気がついた。マンションの前に何台も車が止まっていて、ポツポツとひとが集まってたむろしていた。

 嬉しそうにメヒが、

「おや」

 と声をあげたのは、その中にパトカーをみつけたからだろう。


 なにかあったのだろうかとすこし進むと、お巡りさんが女のひとに話を訊いているのがみえた。その様子を遠巻きに、何人かの主婦らしきひと達が眺めている。お巡りさんの周りでヒソヒソ話す彼女らをすり抜けてマンションに近付くと、建物のかげから鋭い声が飛んできた。その声は聞き覚えのあるハッキリとした、すこし萎縮してしまうような威圧的な声だった。

「ここでなにをしている」

「やあ、義兄さんじゃないか」


 そこにいたのはメヒの兄であるところの刑事だった。眉間にしわを寄せた表情から察するに、どうも俺たちが歓迎されているとはいえない状況らしい。傍らには、もうひとり怖い顔をしたひとが住人とおぼしきひとに話を訊いているようだった。いまはお仕事中なのだろうか。


「なにかあったんですか?」

「質問しているのは俺だ。お前たちはここでなにをしている」

「妖精を探しにきたのさ」


 ニコニコとして話すメヒをぎろりと睨みつけ、ついでだとばかりに俺も睨まれる。監督不行き届きを責められたのかと思い、すこし身を固くした。

「ここの子どもが妖精をみたっていうんで探しにきたんです」

「どういうことだ?」


 ありのままをそのままに話す間、刑事にじろりと目をのぞき込まれていた。あまり生きた心地がしなかった。話を訊き終えた刑事は、逡巡するかのように間を空ける。


「部外者は帰れ」

 身を翻す刑事に、メヒが問いかける。

「いったいなにがあったのさ」

 スッと目に力が込もった。

「何度も言わせるな。警察が、おいそれと捜査状況を漏らすわけないだろうが」

「なんだい、けちんぼ。きみ達はひとからは話を訊くクセにさ。不公平じゃないか」


 メヒの抗議は相手にされず、刑事は踵を返してもうひとりと合流してしまった。

「困った義兄さんだよ」

 と首をふるメヒは、きっと何度も刑事に注意されてきたのだろう。


 そして、

「じゃあ、ボク達はボク達で調べようか」

 悪びれずに言うメヒは、何度もその注意を不意にしてきたにちがいなかった。今回もきっとそうなるのだろう。刑事の苦悩の日々はまだまだ続いていく。

「とは言え、どう調べる気なんだ?」


 あの様子ではドラマで見たように事情を話してもらえるとは思えない。建物に近付けるのかどうかもあやしいものだ。周りで噂している住人たちもどうだろう。俺たちに話を聞かせてくれるだろうか。本職の刑事が訊き回っているところに、高校生以下の俺たちが行っても結果はみえたものだろう。大人にとって俺たちは、まだ子どもなのだから。


「Kさん、昨日言ったばかりじゃないか」

 む、なんのことだと首をかしげる。

「子供ひとりが、十人もの警官に匹敵することだってあるんだよ」

「子ども。おお、E子ちゃん達のことか」


 たしかに彼女なら、俺たちにも話を聞かせてくれるだろう。そして何を隠そうここの住人である。なにがあったのか知っているかもしれない。俺たちにとっては大人十人に話を訊くよりも価値がありそうだった。


 鹿撃ち帽に手を伸ばし、ふふんと笑って茶と黒のチェック柄を翻す。その足は悠々と、そして迷うことなく歩みを進める。

「さあ、ベイカー街遊撃隊を探すよ」


 あの子たちはそんな名前だったろうか。ベイカー街遊撃隊はすぐみつかった。探すまでもなく彼らは昨日とおなじ場所に再びあつまっていたのだから、苦労ない。


 いや、ひとつだけは昨日とちがうところがある。E子ちゃんの姿だけそこにない。すこし不思議に思いながら近付いていき、やあと声をかける。Fくんは顔を持ちあげプイとそっぽを向いた。HくんとGくんとも挨拶を交わすが、ふたりともどこか元気がない。肩を落としてすぐに下を向いた。

「なんだよ」

 と言うFくんも、昨日の鋭さがない。

「いったい、どんな事故があったのさ」


 メヒがそう言うと三人ともビクリと身を震わせた。事故? 事故があったのか?

「なあ、メヒよ。どうして事故があったと思うんだ」

「お巡りさんと、義兄さんがいたからさ」


 それは答えているのかと首をかしげ、ケラケラと愉快そうなメヒに説明を求める。

「お巡りさんがいたよね。事故、窃盗、放火、詐欺といろいろ考えられる。でも義兄さんがいたからね。お巡りさんだけで処理できない管轄外のことが起こったわけさ」

 ふむふむと相づちを打つ。


「でもみた限りでは、義兄さんともうひとりの刑事しかきていなかったんだ。事件の可能性はほんのすこしなんだろうさ。野次馬もいたし、子ども達も外にいるからね」

 翡翠の瞳は、一際きらりと輝きを増す。

「事故にひとの手が加わる、ほんのり殺人疑惑の事故といったところじゃないかな。義兄さんはあれでも、捜査一課だからね」


 殺人。それはどこか非現実で、俺の日常からは遠くかけ離れたもののはずだった。ほんのりとはいえ、ヒタヒタと忍び寄る血生臭さにザラリとしたものを感じる。

「俺たちのせいじゃねーよ」


 ツンと尖った口でFくんは言う。それはどういうと言いかけ、嫌な予感が頭を過る。その嫌な予感が言葉に変わるよりも早く、メヒが言葉にしてつぶやいた。

「そう、E子ちゃんが落ちたんだね」


 驚き、思わずバッとマンションを見上げてしまう。落ちた、転落事故。E子ちゃんがあそこから落ちたというのか。

「どうしてだ」

 取り乱す俺の問いにメヒは答えず、小さく頭をふった。あ、と思ったときには大概もう遅かったりする。俺の言葉は、だれかを傷付けるナイフになり得ることもある。


 もしかしたら、妖精がまた現れたのかもしれない。E子ちゃんは散々に嘘つきと呼ばれていた。再び現れた妖精を、自らの手で捕まえようと思ってもおかしくはない。ベランダから身を乗り出し、手を伸ばし、妖精を掴もうとした手が、自身を離してしまうことも起こり得たのではないか。


 もしそうだとしたなら、彼らが自責の念に苛まれていることも想像に難くかった。俺の言葉は鋭いナイフとなって彼らにつき刺さる。すこし不用意な発言だった。


 だが、それよりもまず確認しておかねばならないことがある。逸る気持ちを抑え、なるべく柔らかい声を意識して話す。

「E子ちゃんは無事なのか?」

 Gくんがコクコクと頷き、Hくんがボソリと答える。

「救急車ではこばれたんだ。運よく、軽いケガですんだみたい」


 不幸中の幸いというやつか。ホッと胸を撫でおろし、地面を眺める。落ちた場所が良かったのか、ひょっとしたら上手く芝がクッションにでもなったのかもしれない。

 そのときハッと思い出した。あの場所には昨日、自転車がとまっていたことを。


「メヒよ。あの自転車を蹴飛ばそうとしたのは、もしかして」

「うん? まあね。万にひとつくらいは、そうなるかもしれないねと思っただけさ」

 難なく言ってのけるメヒに素直に驚く。


 感嘆して、

「まるで未来がみえているようだな」

 と褒めると、

「いくらボクがすごくて、可愛くたってね。さすがに未来まではみえないよ」

 めずらしく謙遜する。

「みえたらよかったのにね」

 と淋しげにほほ笑むメヒの緑の瞳には、すこし未来がみえているのかもしれない。


 少年たちはどんよりとした空気に沈んでいるようだった。ブクブク沈み込んでいき、水面はもう遥か彼方だろう。浮上は難しい。あんな事があったのだ、無理もないだろう。せめて俺がワラにでもなってやれたら良かったのだが、それもまた難しそうだった。


 だがメヒならば、ワラどころか大木になってやれるのではないかと視線を向ける。すがっているのは俺もおなじだった。

「容疑者がいたんだね。証言でもあったのかな。きみ達は何か見ていないのかい?」


 口をぽかんと開けた俺の外側をちらと見て、俺の内側と勝手に会話をはじめる。

「妖精が出たってだけじゃね。捜査一課は動かないんだよ。それに義兄さんも妖精の話を知らなかったからね。ほかに犯人らしき、目撃情報でもあったんじゃないかな」

 内側の俺が納得し、外側の俺が頷くより前に、メヒの視線は俺から外されていた。

 Fくんがぽつりと溢すようにつぶやく。

「……俺もみた」


 なにかを思い出してしまったのだろうか。すこし声が震えている。その発言を皮切りにGくんも、Hくんもそれぞれが自分も見たと告げだした。

「何だい何だい、みんなして見たっていうのかい。ふぅん、そうなのか。昨日の妖精騒ぎを、みんなは気にしていたんだね」


 E子ちゃんを嘘つきと呼んだ彼らだったが、みんながみんな窓の外を気にしていたらしい。それは昨日のメヒの推理を聞いたせいだったのだろう。ただの与太話ではないかもと、きっと彼らなりに考えてのことだ。妖精とおぼしきものが、マンションの周りをウロついているかもと警戒したのだろう。


「そのことを警察には言ったのか?」

「言ったよ。俺も、みんなも話を聞かれたんだ。でもあいつら、信じなかったんだ」

 Fくんは吐き捨てるように言葉を結ぶ。ギリッと口を噛みしめているようだった。


 悔しかったのだろう。自分たちにも責任があったと感じているはずのこの子たちが、目撃者として協力しようとしたというのに信じてもらえなかったとしたなら、自らの無力さを嘆いたにちがいない。


「まったく、義兄さんはなにをしているんだか。警察当局の怠慢だね。よし、わかったよ。だったらボクに訊かせてごらん」

「なんでおまえに」

「ボクは警察の関係者なんだ。そしてご覧よ、見ての通り探偵なのさ。だからボクには話しを訊く権利があるというわけだよ」


 胸を張り、自信満々に言われるとなんだかそうかと思ってしまいそうになる。たしかに刑事の妹なら、警察の関係者ではあるのだろう。そして見ての通り。探偵服に包まれている姿は、どこからどう見ても探偵だ。ひとつひとつは嘘を言っているのではない。だからといってそれが真実だというわけでもない。なんだか婉曲されている。それも都合の良いようにだ。如何にも悪魔らしいやり口にちがいなかった。


 それでも小学生相手には十分効果があるらしく、うんうんと何度も頷く彼らは納得がいったと見える。 

「それで、きみはいったい何をみたのさ」

 妖精もしくは、なんらかの人影だろうと思っていた。でもFくんが口にしたのは。

「幽霊だよ! 俺は幽霊をみたんだ!」


 幽霊だと言う。妖精につづいて幽霊まで現れてしまった。なんだってと驚いた俺を、メヒはさらに驚かす。

「いま、『俺は』って言ったね。つまり」


 視線に晒されたGくんはビクリと揺れる。まさかメヒのことを恐れているのではないだろう。身を震わせながら少年が口にしたのは、もっと恐ろしいものだった。


「ちがうよ。怪人さ。チェーソーを振りまわす怪人がここにやって来たんだよ」

 恐ろしさのせいかブルリと震えるGくんの隣で息つく暇もなく、Hくんも口にする。


「来たのはピーターパンだよ。窓から連れさろうとしているのをぼくはみたよ」

「妖精に幽霊。怪人にピーターパン、か。このマンションはどうなっているんだ?」


 それが本当なら、どこぞのテーマパークと比べても遜色ない。あの刑事が子ども達の言うことを話半分に聞いてしまう気持ちも、すこしはわかるというものだった。

「さすがにこれではな」

 と苦笑いする。

 ほほもすこしは引きつっていただろうか。


「なんだよ。やっぱりおまえらも同じかよ。俺らの話なんて信じてないじゃんか」

 俺を一瞥したFくんはむすっと膨れ、少年たちはガックリと肩を落としていった。おお、またやってしまった。どうにも俺は顔に出やすい性質らしかった。


「ボクなら信じてあげてもいいよ?」


 不敵に笑うメヒは、心の内を隠そうともしていない。思わぬ味方の登場に少年たちも面食らっているようだった。翡翠の瞳はこちらを向いてきろりと光ってみせる。

「なにをやっているんだい、Kさん。ボクは言ったろうに。いいかい、ホームズは」

「すまん、メヒ。たしかにそうだったな。少年たちよ。俺たちに、もうすこし詳しく事情を教えてはくれないだろうか」


 あわててメヒの言葉を遮っておく。またホームズの言葉を引用でもし、この子たちを物乞い扱いでもしたのならそれは事だと思ったからだ。余計に話がややこしくなるのは目に見えている。


 出鼻をくじかれたのか、メヒはむすっと膨れている。まるで少年のようだと思いもしたが、目を合わさないようにと逸らしておくとしよう。心を読まれるといけない。


 改めて少年らから事情を訊くとしよう。まずは、やはりいちばんレスポンスの良いFくんからになった。口はとがったまんまではあったが話しはじめる。

「俺はみたんだ。ぼうっと光る火の玉をさ。ゆらゆら揺れていて、テカテカとして。そしたらパッと急に消えたんだよ」


 Fくんはパッと手を広げ、そして眉根を寄せた。瞳には暗い色が滲んだ気がする。

「きっと幽霊だったんだ。たぶんあいつが手を伸ばしたときにパッと消えてさ。それであいつは、ベランダから落ちたんだよ」

「ふぅん、なるほど。Fくん。きみはそれをいったいどこからみていたんだい?」

「どこって、俺んちだよ。あいつの家の左側さ。窓越しにヒトダマをみたんだ」


 指さされた部屋を下から眺めてみると、ベランダ越しにすこし部屋の中がみえる。あそこの部屋のカーテンは開けられたままになっているようだ。

「あの部屋は、なんの部屋なんだ?」

 と訊いてみると、

「メシ食うところ」

 と返ってきたので、リビングだろうか。


「ご飯中の話なのか?」

「俺じゃねーよ。父さんが食べてたんだ」

 ふむと想像する。家庭団らんのひと時。父親だけがご飯を食べている。仕事で帰りが遅くなったのだろうか。遅く帰った父親がご飯をたべる側に、母親もいただろうか。ふたりして話していると、Fくんも父親に話を聞いてもらおうとよってきたのかもしれない。見晴らしのためか、カーテンは開けられていた。


 ふとFくんは、窓の外にぼうっと光る火の玉をみる。妖精の話を思い出した彼は窓に近付き、火の玉を目で追うだろう。その目の前で幽霊はふっと姿を消した。

「その窓は開いていたのかい?」


 ビクッとする。俺の妄想をみていたかのようなタイミングでメヒが質問を投げたからだ。偶然だとは思うが、相変わらず心臓に悪い。メヒと一緒にいると、良い意味でも悪い意味でもドキドキとされっ放しだ。すこしは寿命が縮んだかもしれない。


 胸のあたりををトントンと叩いていると、Fくんはブンブンと首をふった。

「窓は開いていなかったよ。俺もその時はそこまで気にしてなかったんだ。あいつが落ちたなんて思ってもみなかったからさ」


 俯く少年の肩はすこし揺れていた。その肩の揺れは悲しみからくるものか、それとも後悔からくるものか。いずれにせよ、己が身を責めるものに違いないだろう。

 ポンポンと少年の肩を叩いて励ましていると、元気な声が聞こえてきた。

「なるほど、幽霊か。ふぅん、おもしろいね。よし、つぎはきみだよ。Gくん!」


 メヒは尚のこと明るい調子で言い放ち、急に指名されたGくんはビクリと身を震わせて戸惑っている。まったく。この悪魔は、と呆気にとられるが、Fくんの揺れはいつのまにか治まっていた。あれはメヒなりの優しさだったりするのだろうかと勘繰る。喜色満面の笑みははち切れんばかりで、そういうわけではなさそうだなと思わせる。俺の考えすぎだったか。


 ともあれ、指名されたのはE子ちゃんの右隣に住むというGくんだ。Gくんは両手で肩を抱くように、身を縮こまらせていた。そういえばこの子だけ恐ろしそうにブルリと震えていたのだった。たしかこの少年がみたものは、怪人という話だったが。


「幽霊じゃないよ、怪人さ。このマンションに怪人があらわれたんだ。たぶん怪人に追われて、逃げるうちに落ちたんだよ」


 キョロキョロ周囲を警戒しながら言う。いまも周りに怪人が隠れていると考えているのだろうか。もしそうだとしたのなら、やはり俺が戦わなくてはならなくなるのかと心構えする。少年たちとメヒを守ることはできるだろうかと考え気合いをいれる。怪人相手では、ちと分が悪いだろうか。


 くすりとメヒは笑い、

「Gくん。きみは怪人と出くわしたのに無事だったのかい?」

 と訊く。


 おお、たしかに。Gくんには武道の心得でもあるのだろうか。だが、それにしてはその怯えようはどういう事だと腑に落ちない。

「そんな怖いことできないよ。ぼくが怪人に会ったりなんてしたら気絶しちゃう」

 会ってはいないようだ。それは怪人の姿をみてもいないということになるのだろうか。そうだとしたなら疑問が生まれる。


「Gくんはなぜ、マンションに怪人がきたと思ったんだ?」 

「聞こえたんだ。ウィーンっていうチェーンソーの音がさ」


 チェーンソーの怪人なら俺にも覚えがあった。きっと昨日は多くのひとがその怪人をみていたのではないかと思う。昨日の夜に、その映画はテレビで放映されたのだ。じつは俺も家でみていた内のひとりだ。

「Gくん。きみが言っているのはテレビの話ではないのか?」


 メヒはみていなかったのだろう。不思議そうに首をかしげている。昨日そういう映画があったんだと教えてやると、ああと手を打って頷いた。


「ちがうよ、ちがわないけどさ。ううん、そうじゃないんだ。映画もみていたよ」

 混乱していったGくんを落ち着かせて話を訊いてみると、こういうことだった。


 Gくんはその時、家族で怪人の映画をみていたらしい。怖いものが苦手なGくんをからかうように、お兄さんが部屋の電気を消してしまったそうだ。Gくんはお母さんに引っつきながら、チラチラとしか画面をみることができなかった。


 その代わりに耳に集中していたせいか、ある音がGくんの耳に届く。それが外から聞こえてくるチェーンソーの音だったと言う。テレビとは別に聞こえてくるチェーンソーの音に彼は怯えてしまい、あとは耳も塞いで、震えるがままにその夜を過ごしたそうだ。


「なるほどな。それでGくんは怪人がやってきたと思ったんだな」

 コクコクと首をふって肩を抱く。Gくんは今夜も震える夜を過ごすのかもしれない。


「きみの家の窓は開いていたのかい?」

「うん。母ちゃんが開けたんだよ。ぼくが引っつくから熱いって言ってさ」

「ふぅん」


 メヒが頷き、俺も納得すると、みんなの視線はつぎに控えるHくんの元へ集まる。彼がみたのは、ピーターパンという話だ。注目されたHくんはしきりにメガネの位置を直しながら話す。焦点が合ってないのか、みんなに見られ動揺でもしたのだろうか。


「ぼくはみたんだ。空から飛んできたヤツが、あのベランダに降りたったのをさ」

 指さすのは、もちろんE子ちゃんの家。Hくんの家はたしかその真上だったなと、見上げたついでにぐるりを見回してみる。このマンションより高い建物はまわりには一軒もなかった。ただ、E子ちゃんの住む三階より高いところはある。だがもちろん建物同士が密接しているわけではない。


 飛び移ろうとしても距離があるのだ。ハングライダーでも使うとするならば、滑空したりもできるのだろうか。やったことがないのでなんとも言えないが、それが現実的だとも思えなかった。


「きみはその降り立ったひとが空を飛んでいるところを、その目でみたのかい?」  

 嬉しそうに質問するメヒにコクリと頷いている。それはどうにも非現実な話だなと思ったが、ほかのふたりの話も大差ない。どれもこれもが非現実な話だった。

「それはどんな格好をしていたんだい?」


 メヒはこの非現実をどうにか現実に当てはめようとしているのか。まだあきらめる気はないらしい。

「全身みどりの服だったよ。頭には羽根のついた帽子をかぶっててさ。あれはぜったいにピーターパンだったよ」


 いかにもなピーターパンらしい格好だ。ふむ、と息をつく。疑問だらけなことにはちがいないが、その上まだ疑問が浮かぶ。話には聞くのだが、俺はまだピーターパンと会ったことはない。ないが、こう思う。

「ピーターパンだとしてもだ。なぜ、E子ちゃんはマンションから落ちたんだ?」


 詳しくは思い出せないが、ピーターパンとは正義のひとだったのではなかったか。すくなくとも、子どもを突き落とすような非道な男ではなかったように思う。 

 ひと間あき、

「知らないの? おじさん」

 と言われる。

「おお、おじさんとな」 


 小学生からみれば俺もおじさんになるのだろうか。メヒは俺を指さしてケラケラと笑っている。おじさんと呼ばれるならば、大人にはなりたくない。俺もネバーランドに行きたくなってきた。


「ティンカーベルが来なかったからだよ。空を飛ぶには、ティンカーベルの魔法の粉が要るのにさ」

 Hくんの言葉に首をかしげていると、メヒが噛み砕いて説明してくれる。

「つまりきみは、E子ちゃんが空を飛ぼうとしたんじゃないかというんだね?」


 ネバーランドに行こうとでもしたのか。魔法の粉を待たずに空を飛ぼうとしたE子ちゃんは、空を飛べず落下してしまった。と、そういうことなのだろうか。

「ふぅん、ティンカーベルはこなかったんだね。きみは光をみていないのかい?」

 Hくんはコクリと頷いたのだが、Fくんが大きな声で否定した。


「嘘つくなよ。光ってたじゃないか」

「光ってなんかないよ。ぼくはベランダにいて、みてたんだからさ」

 口争いがはじまった。

「ケンカはやめるんだ、少年たち」

 あわてて仲裁にはいる。メヒは鹿撃ち帽に手をやり、翡翠の瞳を輝かせていた。


「Hくんはベランダにいたんだね。じゃあ、チェーンソーの音は聞いたのかい?」

「ううん、聞こえなかったよ」

「うそだよ。聞こえたじゃないか」 


 Gくんまでも争いに参加してきて、お互いを嘘つき呼ばわりしはじめる。少年たちの間に割って入り、両手を大きく広げて静止をうながす。おお、メヒよ。引っかき回すようなことを言うでない。


 三人とも主張は曲げなかったが、

「だって、ふたりはベランダには出ていないじゃないか。みまちがいじゃないの?」

 Hくんのそのひと言が決め手になる。

 言われたふたりは言葉に詰まって黙り込む。ううむ、俺はピーターパンも見間違いではないのだろうかと思っているのだが。


 その時、ピロリロとメロディが流れた。おお、妖精のベルだな。と今回はさすがに思わない。おそらくはまたキッズケータイが鳴っているのだろう。思った通り、軽快なメロディを鳴らしながら取り出される。


 Hくんが電話に出ると間髪入れず、

「どこにいるの!?」

 と離れていた俺たちにも聞こえるほどの怒声があがった。

「ごめんなさい」

 謝るHくんも驚いているのか。答える声は怯えているかのように弱々しい。


「だれなんだい。そのヒステリーな声は」


 おお、メヒよと危惧する。知らないだろうから無理もないが、最近のスマホのマイクはあれでなかなか侮れないものだった。

「だれかいるの? 聞こえたわよ」


 予感が当たる。ほらな、言わんこっちゃない。もっとも、知っていたとしてもメヒなら言ったのかもしれない。そしてそれは、思ったとしても言葉にすべきものではない。

「だれが言ったの! 画面に出しなさい」


 金切り声があがり、Hくんはキッズケータイの画面を印籠のようにして恐る恐るこちらに向ける。ビデオ通話だったようだ。画面に映る女性は眉を吊り上げ、見るからに怒り心頭といったご様子だった。まあ、だれでもそうなっただろう。わからいでか。


「あれはなんだい?」

 メヒがとくに悪びれた様子もなく、指をさして首をかしげるものだから、そのHくんの母親と思しきひとは怒りを顕にする。


「その声、あなたね。指をおろしなさい。いったいどういうつもりでああいう事を言うの。だいたいあなた達だれなの。見かけない顔ね。うちの子となにしてるの!」


 これはマズイぞ。明らかに怒っている。対面ならまだメヒの悪魔的な美貌で誤魔化せたのかもしれないが、電話越しの小さな画面ではそれも望めないのかもしれない。容姿が武器にならないのならば、メヒは敵を作るのがとても上手い、ただの生意気な子どもへと成り下がってしまう。


「すいません。口が過ぎました。俺が言ってきかせます。申しわけないです」

 何度か頭を下げながら、メヒの前へ出ていく。もうこの際、俺の大きな体で隠してしまったほうがよさそうだなと思ったのだ。ひょこりと俺の背から顔を出したメヒが、すこし頭を下げるのが横目にみえる。ただ揺れただけだったのかもしれないが。


「なに、あなた。その子のお兄さんなの? ちゃんとしつけときなさいよ。いい? 小さな子は、親とか兄弟を手本にして──」

 なにやら、ガーッと叱られる。


 どうやら怒りの矛先は俺に向いてしまったようだった。身を乗り出し、メヒがなにか言いたそうにするのを手で制す。もうこれ以上の燃料投下はお呼びでない。


 しばらく叱られて、俺もすこしは子育てに詳しくなったかもしれないと思った頃、気をつけなさいよと締めくくられた。

「物騒なんだから、早く帰ってきなさい」

 そう言い残して電話は切れてしまった。Hくんはあわてた形相でそそくさと帰る。

「あいつの母ちゃん怖いんだ」


 すこしだけ遅い忠告をしてくれたFくんに返しておく。

「身を持って体験した」

「お父さんも怒られて逃げ出したもんね」


 そう言うGくんが肩を抱いてるのは、怪人が怖いからなのか。あのお母さんが怖かったからなのか。どちらなのだろう。少年たちとメヒの手前、俺も逃げ出したかったとは言わずにおく方が良いと思う。逃げ出したお父さんの気持ちが、すこしはわかるというものだった。


 メヒを除く全員が身の縮む思いをしたからか。少年たちはばつが悪そうにお互いの顔を見合わせ、どちらからともなくもう家に帰ると言ってマンションに入っていく。メヒはずっとなにか言いたそうな顔をしたままだった。もうふたりきりだから、なにを言っても咎められる事はないだろう。


「どうしたんだ、メヒ」

 水を向けるとやはりなにかあるのか、眉間にシワを寄せて小難しい顔をしていた。

 首をかしげ、

「あれはなんだったんだい?」

 と指を曲げ、手のひらをみせつけた。

「おお、なんだそれは」


 メヒはやにわにキュッと口をすぼませ、やきもきとしながらスマホを取り出した。

「コレだよ、コレ」

 とスマホを印籠の様にしてみせる。

 ははあ、と控えればいいのだろうか。


「メヒよ。俺だってスマホは持っているのだからな。控えるほどの物ではないんだぞ」

「Kさん。きみはなにを言っているんだい。Hくんはさっき、なにをしてたのかって聞いているんじゃないか」

 ああ、とようやく合点がいった。


 メヒは最近スマホを入手したばかりで、何度か俺と電話やメッセージのやりとりはしたことはあるけれど、あまり使いこなせていないのだろう。つまりは知らないのだ。

「ビデオ通話のことか」


 言いながらメヒのスマホにかけてやる。かくいう俺も最近姉に教わったばかりだ。すぐに通話はつながるものの反応はない。文明の発展に驚いてしまったのだろうか。


 俺もそうだったからわかるぞ、と頷く。姉はそんな俺の姿をみて指をさして笑っていたが、俺はそんなことはしない。だれでもはじめの一歩は戸惑うものだろう。

「電話相手と動画をつなげることができ、相手の顔をみながらに会話できるんだぞ」

「ふぅん。それは、だれとでもできるのかい?」


 思ったよりも感動が薄く感じる。すこし腑に落ちないものを感じつつ答える。

「できるぞ。ああ、でも少年たちの持っていたキッズケータイはどうなんだろうな」

「ん、それはどういう意味だい?」


 キョロっと翡翠の瞳が動く。俺も詳しいわけではないのだが、と前置きして話す。

「たしかあの子らのスマホは防犯上、登録された番号としか通話できないはずだぞ」

 ハッとしたように口を開け、

「ふぅん、なるほどね」

 悪魔はほくそ笑む。

「なにかわかったのか?」


 こうやって笑うとき、メヒはいつもすでに謎を解いたあとだった。今回もそうだと思ったのだが、なぜか返事は芳しくない。

「わかったけど、よくわからないよ」

「それは──」

 どっちなのだろうか。スマホをぷらぷらと揺らしながら尋ねてくる。


「ねえ、Kさん。きみたちはそんなにひとの顔を見て話がしたいのかい?」

 そう言われると、すこし迷う。どうしても絶対というわけではない。だが多くのひとが望んだからその機能はあるのだと思っている。実際に使ってみると、便利は便利だ。

「まあ、多数派だろうとは思うけどな」


 そう言ってやると、メヒは口をへの字に曲げてしまった。さらに首をかしげるのをみるに、納得した様子でもない。

「そういう物なんだね。Kさん、ボクへの連絡にはそれを使わないでおくれよ」


 快く思ってもいないのか。ああ、わかったとだけ伝えておく。すると二度三度首をかしげて、ううんと唸って不服そうに呟く。

「よくわからないけど、わかったよ」

 それは──。やはりどっちなのだろう。


「今度はなにがわかったんだ?」

「事の真相さ」

 マンションを、おそらくはE子ちゃんの部屋を眺める翡翠の瞳は、夕日に照らされたせいだろうかキラキラと輝いてみえた。

「おお、なら聞かせくれ。このマンションでいったいなにが起こっているんだ」


 俺をみつめるその顔は淋しげで、悲しげで、やるせなさを感じさせるものだった。

「妖精はね。来ていなかったんだよ」


 さも大事なことのように言うが、そこに驚きはなかった。最初から、俺もそうではないかと思っていたのだから。鹿撃ち帽を深く被り、メヒはささやく。

「さよなら、妖精」

 ガックリと肩を落とす。E子ちゃんの話をそこまで信じていたのか。すこし大袈裟に感じたので、つい口を出したくなった。


「なあ、メヒよ。さすがにな、そこまでは落ち込まなくてもいいのではないか」

「ん、どうしてそんなことを言うんだい」

 ぐったりしながら、半眼の面持ちで見上げてくる。

「妖精がいないのは、わかっていたろう」


 何となしに口にした。同意を求めただけの何気ないあたり前の言葉だったのだが、意外なことにメヒは激怒した。

「Kさんもなのかい。きみたち大人はいつだってそうさ! どうして子どもの言うことを最初から嘘だと決めつけちゃうのかな」

 思ってもみない反応に困惑する。


「おお、だがメヒよ。妖精や幽霊、怪人にピーターパンだぞ。さすがにそれは……」

 いないのではないかと言葉にする前に、メヒはふるふると首を振った。真っすぐに翡翠の瞳をのぞかせる。その瞳は力強く、クワッと大きく開かれていた。


「あの子たちはね、嘘なんてついていないのさ。あの子たちを嘘つきにしちゃうのは、きみたち大人の勝手な解釈の方だよ」

 はたしてそんな物があっただろうか。

「俺たちの解釈とは、なにを言っている」

「あの子たちはね。目にしたものをただ口にしただけなんだ。小さな子にとっては見た物こそが、そのままの世界なんだからね」

「む、そのままの世界?」

 臆面もなく、はあとため息をつかれた。


「まったく、いいかい。あの子たちの世界ではね。ウルトラマンはちゃんと怪獣と戦っているし、サンタクロースだって煙突からやってくるんだよ」


 おお? キョトンと目を瞬かせて驚く。子どもにとってはそうなのかも知れないが、それはどれもが真実というわけではない。首をかしげる俺に、悪魔は小さくかぶりを振ってからつづける。


「中にだれかがいるから嘘だとかさ。親が代わりをしているから真実じゃないなんてのはね。事情を知っている側の、きみたち大人の勝手な解釈に過ぎないんだよ」


 知ってる側と、知らない側。それぞれにとっての真実があり、それは決してイコールではない。その真実を片側が、一方的に嘘と決めつけてもいいものなのだろうか。

 あの子らにとっての真実は、本当に嘘と呼ぶべきものなのか。真実じゃないからと、切り捨ててしまってもいい物なのか。

 ううんと唸る。


「どちらも真実であると。メヒ、つまりはなんだ。こちらの解釈が、理解が足りないだけであって、あの子たちはただ本当の事を言っていただけだというのか?」

 にこりと口の端があがり、ほほ笑む。

「親の心子知らずなんていうけどさ。子供の心だって親知らずなんだよ。心が読めるだなんて勝手に思いあがらないことだね」


 ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 子どもの言うことだからと、彼ら彼女らの言葉をどこか軽んじた節はある。俺も、そして警察も、反省せねばならなかった。ふんぞり返るメヒに返す言葉はない。

 俺の納得を見て取り、その声は弾む。


「ホームズは言っていたんだ『しかるに、視点をほんのすこしずらしてみると、そのおなじ証拠がまったくおなじ揺るぎのなさで、それとは正反対のなにかを指し示しているとわかるんだ』ってね」

「嘘のような少年らの証言も、彼らの目線で見ればなにかを示すということなのか」


 パチパチと手を叩かれる。

「そうさ、鋭くなったじゃないか。見えるものはずばり、この騒動のあらましだよ」

「ふむ。侮れないものだな、ホームズ」

 彼ならば子どものいうことからも真実を導き出せるのだろうか。少年と同じ目線でケンカをし、少女の言葉を信じてみせたこのメヒのように。しきりに感心して悩む俺に、悪魔はサービスまでしてくれる。


「みんなが本当の事を言っていたよ。ただひとりを除いてはね。そのひとりの嘘に注目すれば、事の真相がみえてくるはずさ」

「嘘に注目しろ、か」


 俺からすればみんな嘘もとい、夢物語を語ったように思えてならないのたが。メヒはひとりだけ嘘をついていたと言う。それはいったいだれのことかと腕を組み考える。


 事のはじまりはE子ちゃんからだった。きっかけは綺麗なお姉さんだと言われたからなのかもしれないが、メヒはあの少女のことを信じると言っていた。

 ならば。


「E子ちゃんは嘘つきではないな。彼女は妖精をみたのだったか。おお、だが妖精が来てないと否定したのはメヒではないか」

 推理はいきなり暗礁に乗りあげたらしくてこのままでは遭難。いや、迷宮入りしてしまうのは時間の問題ではないかと嘆く。ちらりと船頭の顔色をうかがってみると、額に手をあて頭を抱えていた。


「Kさん、きみって奴は。たしかにボクは言ったよ。あの子たちを信じなよ、ってね」

 ううむ、と唸る。なんだかメヒは頭を押さえたまま、うなだれたような声をだす。


「だからってさ、鵜呑みにしてどうするんだい。忘れちゃならないよ。相手は理解の及ばない、小学生の話なんだからね」

 バッサリと切り捨てる。やはり悪魔か。まったくひどい言い草だ。さっきと言ってる事がちがってきてはいないかと精査する。ううむ、待てよ。違いもしないのか?


 頭痛が治まったか、気付けばメヒは鹿撃ち帽を脱いでいた。見えやすくなったその翡翠の瞳に吸い込まれていく。表情こそはあきれた風を装っているが、その瞳は生き生きと輝いているように思える。


「いいかい、考えを省くんだよ。あの子たちがあげた、事実だけを考えてみるのさ」

 事実だけ、E子ちゃんのあげた事実は。

「窓をノックされたのだったな。それからキラキラと光っている。そう、たしか点滅する物をみたとも言っていたはずだ」


 メヒは手をパタパタと動かし、

「それは、羽ばたいて去っていったね」

 付け加え、

「どうしてそう思ったのかわかるかい?」

 と訊く。

「どうしてもこうしても、そんなものは去るのを見たからだろう。──あ」

 言って気付く。それはないな、と。


「いや、ちがうな。E子ちゃんは妖精の姿を目にはしていないのだったな」

 彼女はたしかに見ていないと発言した。そのことをFくんにからかわれていたのだから。窓越しでなら見たかもしれないが、カーテン越しでの話だった。それじゃあ、不十分だ。なのに羽ばたいて消えたと思う理由とは。


「音、ではないか? E子ちゃんは妖精が羽ばたき去る、その音を耳にしたのだな」

 柔らかく口の端が持ちあがる。どうやらこの方向に舵をきってもいいようだ。メヒの照らす灯台の灯りめがけて、俺は大海原へと乗り出していく。


 次はどうかなと問われ、

「Fくんに話を訊いたな。彼がみたのは、火の玉だったか。燃えていたのだろうか?」

 そう答えたら、

「ダメだね、Kさん。それはFくんの想像じゃないか。必要なのは事実だけなんだよ」

 とダメ出しを食らう。 


 この灯台は、俺の身も焦がすほど力強く照らしてくれるらしい。プスプスと真っ黒に焦げる前に目的地へたどり着かねばならない。俺の身の為にも。様子を窺いつつ、ソロリと口にする。

「幽霊だというのは置いておくとして」


 当然だよ、とばかりにメヒは腕を組む。それは俺のマネをしているのだろうか。

「光る物をみたのだな。それはゆらゆらと揺れ、テカテカとして消えた」

「テカテカってなんだい?」


 む、なんだろう。てかりを表す言葉だが、自ら光り輝くものにそれは見えるものかと考え、違和感を覚える。

「これは単に、ボクの想像なんだけどね。チカチカと言いたかったんじゃないかな」

「言葉足らずだったということか?」


 メヒは肩をすくめて返事とする。ふむ、これが小学生への理解の差というものか。たしかにうまく言葉におこすというのは、大人でも難しい時があったりもする。


「もしチカチカだったとすると、点滅か。揺れて光る点滅する物。おお、それはE子ちゃんがみた妖精と同じものではないか。片や妖精、片や幽霊。両方とも光る玉だ」

「Fくんの家は窓を閉めていたから、音が聞こえなかったのさ。もしも羽ばたく音を聞いていたとしたら、Fくんがみたものも妖精になっていたのかもしれないね」


 不思議な話だった。E子ちゃんとFくん。ふたりが見たものはおそらく同じものだ。だが目にした側の受け取り方、条件次第で同じだったはずの姿がちがう風に見えた。


「おお、とするとだ。もしやチェーンソーを振りまわす怪人も同じものなのか?」

「Gくんは怖がってその姿をみていないからね。ましてや、そんな怖い映画をみてる最中だったら尚更さ。イメージする姿は、そっちに引っぱられちゃったんだろうね」


 怖いと思えばこそ枯れ尾花も幽霊に見えるもの。妄想が膨らみ、確認を怠ったか。そんな怯えながらのGくんも、ひとつゆるぎない事実を教えてくれた。それは。

「チェーンソーの音で想像したわけだな」

 ほっぺを膨らますメヒを手で遮る。


「待て待て、チェーンソーでないことも理解しているぞ。だが、それはなんの音だ」

「モーターの回る音だったんだろうね」

 と、口でモノマネをしてみせる。


 モーターの機械的な回転音。恐怖と夜とホラー映画が少年を惑わす。それらのせいで、少年の耳には怪人の持つチェーンソーの音に聞こえてしまったという所だろうか。

 音、か。


「E子ちゃんは妖精が羽ばたく音を聞いたのだったな。それも同じものなのか?」

「たぶんね。閑静な住宅街でさ。夜遅くにベランダで聞こえる音なんてね。そうゴロゴロとあるものでもないだろうさ」


 それもそうかと中空を眺める。怪人の姿こそ捉えてなかったが、GくんもまたE子ちゃんと同じ体験をしていた。本当に十人十色、感性とはひとそれぞれなのだなと思わされる。


「つぎはHくんだな」

 最後に控えるのは夢の国の住人、ピーターパン。Hくんが目撃した空飛ぶ人影からわかる事実は──。

「ベランダへ降り立つ人影か」

「Kさん、きみはひとが空を飛ぶのをみたことあるのかい?」


 む、ちがうのか。それなら。

「全身みどりの服装だな」

「まさか、ハロウィンじゃあるまいし」

 むむ、これもちがうのか。だったら。

「メヒよ。Hくんの話に事実は含まれているのか?」

 ニッと口を横に引きのばし、

「いいかい?」

 人さし指をくるりと回し、教鞭をとる。


「みんなはそれぞれ色んなものをみたよ。妖精、幽霊、怪人、ピーターパン。まったく、ちびっ子どもには手を焼かされるものだよね。困っちゃうよ」


 それを言う姿を目にしながら俺は深く。そう、深くうなずいた。今頃はあの刑事もうなずいているのかもしれない。

 メヒの口が、ツンと尖る。


「だけどね、みんながみたものはぜんぶ同じものさ。てんでバラバラの話だけれど、それぞれすこしずつ共通点があったよね」

 共通点とは、光と音だろうか。


 端的にまとめると、

『E子ちゃんは光と音を感じた』

『Fくんは光を感じた』

『Gくんは音を感じた』

『Hくんは光と音を感じてない』

 と、なる。


 首をかしげた。

「おお、メヒよ。やはりHくんに共通点はなくないか?」

「あるよ。ピーターパンさ」


 首をかしげた上に、更にひねってみる。悪魔は愉快そうにケラケラと笑っていた。

「Hくんの共通点だけがね。E子ちゃんの『妄想』と共通しているんだよ」


 E子ちゃんは妖精。いや、ティンカーベルを目撃していた。そう、ティンカーベルはピーターパンの登場キャラだった。

 だが、それはすこしおかしくないか。


 事実ではなかったからだ。E子ちゃんは光って音のするなにかを目にしているが、それは幽霊だったり、怪人だったりもするものだ。妖精だと思ったのは、E子ちゃん自身がそうだと推理したにすぎない。


「光も音も感じなかったHくんが、なぜ、E子ちゃんの妄想とだけ共通するんだ?」

「Kさんきみはいまから偽名をつかうんださあ名前を考えてごらん五秒で準備しな。五、四、三、二、一、はいどうぞ」


 メヒは口早に話し、パンと手を叩いた。俺はおろおろと戸惑いながらも口にする。

「ええと、立木、……比呂とか」


 ふぅんとメヒは訝しげな目で俺をじろり

とみつめ、くるりと背を向けてから話す。

「嘘っていうのはね。あれで中々に難しいものなんだよ。Kさん、きみののその偽名もさ。まわりによく似た名前のひとがいたりはしないかい?」


 視線を上に向け、ううんと唸る。いや、呻るまでもないことだったとすぐに視線を戻した。もうすでにその姿は脳裏に浮かんでいた。とっさに飛びだした偽名は、友人の名前をもじったものにすぎなかった。

「それはきみに近しいひとじゃないかい。そしてそのひとのことを憎からず思ってる。どうかな、ちがったかい?」


 あたっていたのでドキリとする。メヒはふり返りもせずにくつくつと笑っていた。背を向けているというのに、まるでみえているかのように振る舞うものだ。 

「ちがわないぞ」

 と言ってやると、悪魔は笑ったままこちらを向く。


「偽名と言っても自分をあらわすものさ。罪を犯そうって時ならまだしもね、なにをするかもわからない時に嫌悪感を抱く名前を使ったりはしないものだよ」


 悪魔の偽名を使っておきながらよく言うものだと思う。メヒはその悪魔の名に嫌悪感を抱きはしないのだろうか。それにだ。メヒの言うことにはすこし同意しかねた。


「メヒよ、俺はそこまで考えていないぞ。ふと頭に浮かんだだけの名前だ」

「無意識とか、長年の勘とか、ボクはそんなものないと思ってるんだよ。ひとは案外よくできたものさ。そうと意識できないだけでね。経験からとっさに選んだものを、そう呼んでいるだけだと思うよ」


 そう言われると今まで思い当たるフシがなかったわけでもない。無意識にできていることは、日頃から意識していることが多かった気がする。それはスポーツでもよく聞く話だった。意識はせずとも、たゆまぬ練習がとっさに身体を動かすことは往々にしてあるだろう。


「日本をしらない、見たこともないひとが白装束の幽霊をみるとおもうのかい?」

 参ったと首をすくめる。意識の外と思えることも、じつは意識の範疇ということなのだろう。だがそうだとしていったいなにがどうなるのだと、そう考える俺の思考もまたメヒの範疇だったのかもしれない。


 そうだとするとね、と続けた。 

「完全なる嘘はつきにくいということさ。ましてや、嘘に整合性を持たせようとしたのなら、なおさら難しくなるだろうね」


 Hくんは嘘をつこうとし、完全なる独立した嘘というものはすこしばかり難しい。意識はせずとも無意識という意識の下で、さきに聞いた話を引用していたわけか。

「それでか。Hくんは、E子ちゃんの妄想とだけ共通点ができてしまったのだな」

 うん、とうなずいてメヒは指をさす。

「そう、『だけ』なんだよ」

 うん? と眉をあげる。


「Hくんはね。ほかの子たちと話をあわせてもよかったんだよ。でも彼はそうしなかったよね。それはなぜか、簡単さ。きっとそれが嘘をついた理由なんだよ。Hくんが隠したがったことなんだろうね」


 それとは他のみんなが言っていた、音と光のことだろうか。

「それはフラフラと揺れる光の玉で、光はときに点滅もするんだよ。そしてモーター音を響かせながら空を飛ぶのさ。どうしたんだい。ピンとこないのかい。現代っ子にあるまじき行為だよ」


 現代っ子アピールするメヒも、俺とそう大差はないと思う。十九世紀に包まれているであろうその姿に言葉を返す。さすがの俺でも、ここまで言われたら答えがわかるというものだった。


「ドローンだな」


 ニコリと笑顔がみえてほっとする。どうやら現代っ子の面子は保てたらしかった。妖精の正体はドローンだった。夢や妄想といった類いのふわふわしたはずのものが、急に現実のものに置き換わる。

「Hくんが飛ばして遊んでいたのか?」

 ゆっくりと首を横にふられる。


「光は消えたはずだよ。ベランダってね、下はのぞくことができても上はみえないんだよ。ドローンは下から上にあがっていったんじゃないかな」


 下から上。つまりは外から四階のHくんの家まで。そのドローンの目的はHくんの家にあったのだろうか。

「む、しかしE子ちゃんは窓をノックされたと言っていたではないか。起こされたとも話していたぞ」


 ため息をつき、なおさらゆっくりと首をふられる。

「ボクは言ったじゃないか。事実だけをみたまえよ。E子ちゃんは目が覚めたとき、どうして夜だと思ったんだっけ?」


 記憶をたどった。外が暗かったからか。いや、それだけではなかったはずだ。

「外も、中も真っ暗だったからだろう」

「そうだね。寝ているE子ちゃんをみたお母さんが部屋の電気を消したんだったね。もしその瞬間がさ。ドローンの飛行中だったら、いったいどうなると思うんだい」


 辺りは暗い中。ドローンの上昇中に部屋の明かりがパッと消える。突然の出来事に驚いてコントロールを失うかもしれない。ゆらゆらと揺れるドローンは──。

「妖精のようにノック。もとい、窓に体当たりするというわけか」


 首のふれは縦へと変わる。音に気付いたE子ちゃんが窓をあける間に、ドローンはコントロールを取り戻し離れていったか。

「いったいだれが飛ばしていたんだ」

「Hくんのお父さんじゃないのかな」


 親子で遊んでいたのかなと考えてみたが、なんとなく腑に落ちなかった。もやもやとした物が胸にのこる。夜遅くにそんな遊びをするだろうか。お父さんだけが外にいるのも、なんだか妙な感じがする。

「お父さんはなにがしたかったのだろう」


 口をついて出た言葉を、メヒは我がことのように喜ぶ。

「ふぅん。ちゃんと推理できるようになってきているじゃないか、Kさん。ボクも師匠として鼻が高いよ」

 すこし高い鼻を指でさすった。


「Hくんのお父さんは、あの怖いお母さんに怒られて逃げ出したそうじゃないか」

「たしか、そんなことを言っていたな」

 俺も身を持って体験し、それもやむ無しと納得したものだった。


「子どもからみて、逃げ出したといわれるようなことってさ。それはどんな状態だと思うんだい?」


 逃げ出すにもいろいろとあったが、大人が逃げ出すようなことは早々ないと思う。それがよその子から見ても逃げ出したとわかる状態とは。一時的な物ではないのか。ああ、と思い至る。


「離婚か、別居か。そういうものだな?」

「そうだろうね。どっちに原因があるのかはボクにはわからないけどさ。お父さんはHくんと満足に会えていないと思うんだ」


 Hくんはあのお母さんと暮らしている。お父さんは近寄りがたいのかもしれない。お母さんも会わせたがるとはとても思えなかった。


「だが文明の利器があるではないか。直接は会えずとも、電話をすればいいだろう」

「お父さんとしては家の電話は避けるんじゃないかな。そしてHくんの持っていたのは困ったことに、キッズケータイなのさ」


 なぜ困るのだとすこし悩む。メヒにそれを教えたのは俺だった。キッズケータイは登録された番号としか通話できなかった。つまりそれは、お父さんは。

「登録されていないのか」

「たぶんね」


 そうか。それが保護者であるお母さんの意思なのだろう。どちらが悪かったのかも、なんとなしにわかるというものだろうか。なるほど。段々わかってきたぞ小さく頷いていると、メヒが代弁してくれた。

「空を駆けたのはふたりのかけ橋なのさ」


 そのドローンは夜の空を飛び、親と子、ふたりを繋げるかけ橋となっていた。

「運んでいたんだな?」

「うん。きみたちはこれがあれば繋がれるんだろう」


 その手にはスマホが握られている。メヒの好みではないが、会えない親子がビデオ通話に繋がりを求めたとして、それはそうおかしな話ではないと思う。

「でも、なんでドローンなんだ?」


 スマホの受け渡しならもっと別の方法があるのではないかと思う。投げたりとか、棒を使ったりとか。いや、さすがに四階の高さでは厳しいのだろうかと頭を悩ます。

 メヒは目をつむり、

「んー」

 呆れたような、困ったような息をつく。


「Kさん。きみはもう、あそこの一階に住むひとのことを忘れちゃったのかい?」

「ああ、そうか。いたのだったな」


 あそこには乱暴な運転をするおじさんが住んでいる。すこし佇んだだけの俺たちにも噛みついてくるくらいだ。家の前で何かしていたら文句を言われたかもしれない。


「騒ぎはできるだけ避けたいさ。お母さんにバレないようにスマホを回収する必要もあったからね。そうするとさ、ドローンは都合がよかったんだよ」


 ストンと胸に落ち、納得がいく。Hくんのお父さんはドローンでスマホを運び、彼との時間を作っていたのだろう。その様子を他の階の子どもたちが目撃してしまった。お母さんには秘密の会合だ。露見することを恐れ、Hくんはみんなにもそれを隠したわけだ。妖精といわれていた内はよかったのだろうが、それを捕まえようとしたE子ちゃんは窓から落ちてしまった。警察まで出てくる羽目になり、事件に発展しそうになったいま、困ったHくんはとっさに。


「お父さんをかばおうと嘘をついたのか」


「そうさ。幸いなことに幽霊とチェーンソーの怪人もマンションに来ていたからね。ピーターパンが来てもおかしくはないさ」

 にやりとメヒが笑うので、

「その上、悪魔までやってきたからな」

 と肩をすくめておく。


 とんだお化け屋敷になったものである。こうして子どもたちの証言は虚実入り混じった物になり、警察も鼻白んでしまうほどの夢物語となったというのが真相だった。


 起きたことをザッとふり返り、言う。

「なら、これは不幸な事故ではないか」

 あの親子がドローンに頼らざるを得ない理由、またそうしようとした理由はわからないものではない。ほんのすこし、まわりの環境と運がよくなかったのだろう。敷地内でドローンを使うのはもちろん褒められた行為ではない。厳密にいえばきっと何らかの罪になるだろう。でもそれを捕まえようと身を乗り出す子どもがいるとは、誰も思いもしなかったのではないか。


 やはりこれは事件ではなく、事故だったと感じた。そして罪を咎め、会えない親子をよりひき裂いてしまうのもどうか思う。そんな悪魔みたいな真似をしたくはない。すこしは情状酌量の余地があって欲しい。


「なあ、メヒよ。どうする気なんだ」

「ん、べつに。どうもしないさ。ボクらは妖精をみつけることができなかった。ただそれだけだよ」


 パチパチと大きく瞬いて、いまの言葉を反芻した。む、どうもしないのか。なんとそれは意外な返答だった。メヒならもっとこう、謎を解いたと。大仰に犯人を名指しでもするのかと思っていたのだが。

「それでいいのか?」


 再度確認すると、うんうんと首をふり、ニッとほほ笑む。

「それにさ。やっぱりE子ちゃんがみたものは妖精だったかもしれないじゃないか」  

 苦笑う。

「いまさらそれは、ちと苦しくないか」


 いままでの推理はいったい何だったのかとなる。いや、待てよとアゴに手をやり、思案顔になると、メヒは難なく言い放つ。


「あの子の目にしたのものが妖精かどうかなんて、どっちでもいいんだよ。そんなものは、E子ちゃんが決めることじゃないか」

「おお、メヒよ。身も蓋もないことを」

 これまたひどい言い草であると思うが、しかし、ハッとした。言い方こそぞんざいなものだが、メヒはもしかしてこう言っているのではないだろうか。


 事件の発端になったのも、事故の被害者もE子ちゃんなのである。その彼女がもしも見たものは妖精だったと言ってくれるなら、今回の出来事はなにも起こっていない。ただの事故として処理されるだろうと。


 そうなれば、あの親子が引きはなされることはない。E子ちゃんは幸い大きな怪我も負ってないと聞いている。彼女が回復したのなら、俺もいちど話をしてみる価値があるのではないかと思う。

「なんだ、メヒ。優しいではないか」


 ぽろりと溢れでる本音の言葉は、メヒを茹でダコにするのに十分足るようだった。それは面白いほどに、みるみる間に茹であがっていく。

「ボ、ボ、ボクのどこが優しいって言うんだい、Kさん。きみはなにか大きな勘違いをしているよ。そうにちがいないんだよ」


 褒められ慣れない自信家は困りものだ。しかし俺は知っている。メヒは、ちゃんとした優しさを持っていることを。

 なぜならこの推理を俺に聞かせたから。もしも本当にどうともせず、E子ちゃんの判断にだけ任せたいのならば、ただ黙っておけば良かった。俺に話す必要などない。 


 聡いメヒのことだ。この話を聞いた俺がどう動くか、すでにわかっていたことなのだと思う。照れくさくなったのか。メヒはホームズを引き合いに出す。


「そう思いたいなら思うといいさ。ホームズは復讐さえ見逃したこともあるからね。ボクだってそれくらい見逃す事もあるさ」

「メヒよ。褒められ、嬉しいときは素直にありがとうと言ってもいいんだぞ」

 ぷいっと横を向いてしまった。


 しかたのない奴だ。ならば俺はその期待に応えてみせるとしよう。むん、と気合いをいれてから答えた。

「事故になるといいな」

 翡翠の瞳はまあるくなった。


「なんだい、Kさん。ずいぶんと発言がワイルドだね。とても悪魔的じゃないか」

 む、俺もすこしはメヒに影響されてきたのかもしれない。さて、事の真相はこれですべてだろうかと深く息をつく。だがメヒはまだどこか悩んでいる風に首をかしげる。


「どうしたんだ?」 

「ん、お父さんってさ。そこまでして子どもの顔がみたいものなのかと思ってさ」 

 大事なひとならそうではないか、という一般論が口から出かけたがやめておいた。本当のところは俺にもよくわからない。


「親の心子知らず、だな」


 そうつぶやいたが、メヒはなにも返してこなかった。俺も親になってみれば気持ちがわかるようになるかなと思いを馳せる。

「おお、そうだ」

 わからない事ならもうひとつあった、と声をあげる。

 その言葉に、メヒはなぜか拳を握った。


「なんだい、Kさん。またなのかい。いつもいつもきみは、ボクの推理にいちゃもんをつけてさ。やるってのかい、このヤロウ」

 なぜにそう攻撃的なのだろう。俺としてはそんな事をしてきた覚えはないのだが。


「いや、ただ不思議に思ってな。メヒは俺や刑事さんとちがい、子ども達の話を最初から嘘だと決めつけることをしなかった。むしろ、信じてさえいたではないか」

 拗ねた口のままでコクリとうなずく。


「なぜHくんに訊かなかったのだ。ピーターパンはどんな顔、人相をしていたかと。メヒならば嘘も簡単に見破るだろう。もっと早くに解決できていたのではないか?」


 すこし返事につまり、

「カラーバスの法則さ」

 と答えた。

「なんだそれは」 


「ひとは自分が見たいものを見る生き物だからね。人相なんてあてにならないよ」

 メヒの表情は冴えなかった。様子もおかしく、もう帰ると言い残して去ってしまう。するとメヒが去るのを待っていたかのように、どこからともなく刑事が姿をみせた。


 開口一番、

「なにかわかったのか」 

 と問われるが、俺は、

「妖精はみつかりませんでした」

 とだけ答える。


 俺もずいぶんとメヒ色に染まってきたものだなとひとりごちる。刑事はあきれた目でみていた。その目をまじまじと見返して、意を決してからゆっくりと口にする。


「刑事さん。お話があるんですが」


 話すのはもちろん妖精のことではない。──メヒのことだ。

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