第2章 太陽王

      1

 ルシアは泣かなかった。

 アジェスがシフォンの港から消息を絶ったことを聞いても。

 ルードは、ルシアがやけになって船を降りようとするのではないかと恐れていたようだが、ルシアは落ちついた態度を保った。

 ルシアは船の中で炊事や掃除の仕事を始めた。自分だけ何もしないわけにはいかない、と自ら申し出たのだ。数日が経つ頃には、すっかり船になじんでいた。

 船乗りたちもルシアを大事にした。変な色目などは決して使わなかった。もしもルシアを誘惑などしたら、アムゼイやルード、その他の船乗りたちに半殺しの目に遭わされたに違いない。

 ルシアの毎日は充実していた。船には数限りない仕事があった。掃除、洗濯、繕い物――船は決定的な男所帯で、料理こそは専属コックが腕をふるうものの、その他のことについてはずぼらな船員たちのやることなすこと穴だらけだった。ルシアは、それらの仕事に取り組み解決していくことに専念した。

 身体を動かしていればアジェスのことを考えずにすむ。一日へとへとになるまで働けば、夜ぐっすり眠ることができる。それに、シフォンにいたときとはちがう。船のなかにはルシアの居場所があった。必要とされていた。だから、ふさいだ様子は見せたくなかった。

 そうして一週間が過ぎようとしていた。

 航海も順調だった。

 《愚者の海》でも、もっとも荒涼とした地域と呼ばれる《三日月の涙》付近を航行していたが、風もよく、天候にも恵まれ続けていた。

「ただ、気がかりなことがひとつあるとしたらなあ」

 ルードがルシアを怖がらせようとしてか、こんなことを言い出した。

「《三日月の涙》にはとんでもなく凶暴な野盗がいるって話だ。今までに何隻もの陸船がこの近くでやられてるんだってよ」

 《三日月の涙》というのは、塩湖である。太古にはここに湖があり、多くの川が流れ込んでいた。その川が枯れ、湖の水も失せ、そして残ったものは膨大な量の塩だった。

 この塩湖は地表がみがいたように滑らかで、陸船の航行に向いている。そのため、多くの陸船がこの上を通る。逆に、野盗に狙われることも増えるわけである。

 ルシアがおびえて見せると、ルードは大笑いした。

「大丈夫さね、ルシア。リクスヴァ号はボロ船だが脚だけは速い。野盗なんかにつかまる前に、一気に船足をあげて逃げきるさ」

 とはいえ、用心を怠ってはいなかった。

 常に見張りを立て、不意の襲撃に備えていた。


       2

 《三日月の涙》に入って最初の夜が来た。

 リクスヴァ号は帆走を続けていた。

 月が出ていた。奇しくも三日月。月の光が塩の平原に照り映えていた。

 きらり、と光を反射するものが動いた。不寝番は気付かない。半ば寝ていた。きらり、きらり、光るものは数を増やしていく。

 はっ、とした。

 目を凝らした。馬が走っている。何頭もいる。

 野生の馬の群れか、と思っただけ、この不寝番は寝ぼけている。草の生えない塩湖に野生馬のいるはずがない。

「野盗だ!」

 ようやく思い当たり、喚いた。

 その時には、野盗の群れは肉眼でもはっきりわかる距離にまで近づいている。

 ひゅっ――ひゅ――ひゅんっ!

 矢が飛んでくる。矢はセラミックの舷側に当たって跳ねとぶ。

「敵襲だ! みんな、起きてくれえ」

 不寝番は慌てふためいた。鐘を鳴らす。船乗りたちがわらわらと甲板に出て来る。アムゼイも厳しい顔をして現われた。

「馬か……近くに船もいるな」

恐らく、野盗たちは船を使い、人と馬を運んで来たはずだ。馬は水なしでは長時間行動できないから、そう遠くないところに船もいる。

「大砲でも持ってられると厄介だな」

 馬は機動力は高いが、攻撃力は低い。リクスヴァ号は老朽船だがセラミック張りの船だ。いくらまとわりつかれてもどうということはない。

 だが、野盗が船を持っていて、それに大口径の砲でも積んでいたら、状況は厳しい。だが、そんな装備を持っている野盗はそう多くない。

「風をとらえろ! 一気に逃げるぞ」

「方角は!? 親爺」

ルードが大声で指示を仰ぐ。

「北北西だ。野盗の囲みの薄い方へ!」

 騎馬は、リクスヴァ号を包み込むように展開していた。その囲みが完成していない間隙を縫うしか道はない。

 ぐうん、と帆が真ともに風を受けて大きくはらんだ。

 船足が一気に速まった。ルードは巧みに風を掴んでいる。

「よし、引き離せるぞ!」

「親爺! 前方、地面がありません!」

 引き裂くような悲鳴が舳先から上がった。

「何だと!?」

 追われる者の習性で、後ろばかりを見ていたのが運の尽きであった。

 いや、恐らく、それすらも襲撃者の意図の一部だったのかもしれない。

 大きく溝が穿たれていた。

 陸船は斥力発生機によって、かろうじて地面から浮いている。溝が掘られていれば、当然、その角度に応じて陸船は傾く。入り口はなだらかに、そして出口で切り立っていれば、陸船は行くてを阻まれることになる。

「酉舵だ! 急げ!」

 アムゼイは叫んだ。

 だが、間に合わない。リクスヴァ号はぐっと沈み込んだ。

「斥力を切れ!」

 このままでは溝の壁に激突する、そう見たアムゼイは伝声管にありったけの大声を放った。

 リクスヴァ号を浮かせていた力が消失し、地面に落下した。かなりの衝撃が襲ったが、落下距離はわずかだ。船体が壊れることはない。

 船腹が塩を削り、しばらくは慣性で船は進む。だが、摩擦には勝てず、リクスヴァ号は停止した。

「ルード、脱出できるか?」

 アムゼイはルードに訊いた。

「ちくしょう、風が止まりやがった!」

 悔しそうにルードは喚いた。

 風さえあれば、帆の操作でこの状況から抜けでることも不可能ではなかった。だが、風がなく、斥力を切ってしまった今となっては、リクスヴァ号は単なるセラミックの張子に過ぎない。

「やむをえん、みんな、武器を取れ! 戦うしかねえ!」

 アムゼイは一同に宣告し、自らも短剣を手にした。

「ルード、おまえはルシアを守れ」

 ルードは無言でうなずいた。いつもは陽気なその顔も、死人のそれのように青ざめている。

 馬群が接近した。歓声をあげている。腹の底が震えるようなおめきだ。

 矢が甲板に降り注いだ。溝に突っ込んで座礁した格好のリクスヴァ号には、この矢に対する防御法はない。

 たちまち、何人かが矢を受けた。絶叫が甲板に響く。

「くそっ! 来るなら来やがれ!」

 アムゼイは叫んだ。

 数十の野盗がリクスヴァ号に突進した。

 甲板に跳び移って来る。ここでも溝に落ち込んだことが大きくものを言っている。段差の上から飛び降りて来るのは、どうにも防ぎようがない。

 野盗たちは刀を引き抜いていた。三日月の光にそれと似た形の銀光がはねる。。

 それが船乗りの首を薙ぐと、赤い飛沫が甲板を濡らした。


      3

「ルード! いったい、何が!?」

 ルシアは、下層甲板に下りてきたルードに問いかけた。船の異常な振動に目覚めたルシアは、既に身支度を終えていた。

「野盗だ。やつらの罠にかかって、足を止められた。こうなれば、もう死力を尽くしてやつらと戦うしかない」

 ルードは細身の剣を持っていた。抜こうとして、手こずった。錆びているらしい。

「安物め! ええい!」

 ようやく抜いた。おもちゃのような刃だ。

「わたしも戦います。何か武器を」

 思い詰めた声をルシアは出した。

 ルードは笑った。ここに来て、やっとルード本来の調子が戻ってきたようだ。

「ばかいうな、ルシアはここでじっとしていればいいんだ。おれが守ってやる。へへへ。一度言ってみたかったんだよな、こういうの」

「ルード……」

「おっと、おれに惚れるなよ。おれには一応女房がいるからなあ。もっとも、惚れてくれるわけはないか」

 ルードは周囲に気を配りながら、軽口を叩き続けた。

「おれが独り身だったら、絶対にルシアを嫁にするんだがなあ。ちっと、会うのが遅かったよな、おれたち」

 その口元は引きつり、声はかすれがちだ。それでも、ルシアを不安がらせまいと喋り続けている。ルードとはそういう男なのだ。

 すぐ上の甲板からだろう――ものすごい悲鳴がつんざいた。

 ルシアはルードの側に身を寄せた。

「上では、何が……」

「修羅場だろうな。だがよ、ああ見えてアムゼイの親爺は実戦慣れしている。大丈夫さ、きっとうまく行く。絶対にな」

 絶叫、喚き声、そして荒々しい恫喝の声が続き、そしてどやどやと人が船内に下りて来る気配がする。

「来たか……ちくしょう」

 ルードの顔が泣きだしそうに崩れている。

野盗は五、六人。いずれも血刀をぶら下げ、表情が失せている。それは殺人者の顔であった。

「てめえら、ここは一歩も通さねえぜ!」

 怒鳴るルードには多分に表情が残っている。これが普通の人間と、一時的にせよ人間でなくなったものとの差だ。

 野盗たちは無造作に襲いかかった。

「うおう!」

 ルードは剣を振り上げた。素人くさい大きな動きだ。無駄が多い。

 黒塗の刃が走った。ルードの右腕が血を吹く。剣を握ったままの右腕が切断されている。

 ルードは目を見開いて、絶叫した。

 その下腹部をもう一人が突く。

「がふう」

 ルードは大きく息を吐いた。膝から力が抜け、倒れこむ。凄まじい出血だ。鼓動のたびに赤い熱い液体が吹き出している。

「ルード! 死なないで!」

 ルシアはルードの背中にすがった。熱い血がルシアにもかかった。

 生きている。ルードはまだ。

「いてえ……エイリア……もう会えねえ……おやじにも、おふくろにも……いてえよ、エイリア……」

 微かな息をルードは吐いていた。最期の命の雫を絞り出すかのように、ルードは愛しい人の名を呼んだ。

「……!」

 ルシアはすがった背中から、急速に生命が抜け出ていくのを感じた。どんどん冷たくなる、どんどん重く固くなっていく。

「……ルード」

 ルシアはうつろな目で呟いた。

「娘、顔を上げろ」

 頭上から声が降った。強引に上を向かされた。下卑た野盗の顔が間近に迫っていた。

「ほう、こんなボロ船にしてはしゃれたものが乗っているな」

 野盗は臭い息を吐きかけた。暖かい湿った息だ。

 ルシアは冷たい床に投げ出された。男たちがのしかかってくる。それが襲撃者の正当な報酬であるかのように。

 (アジェス……アジェス……)

 いつか同じような状況で自分を助けてくれた男のことを想った。だが、その男はここにはいない。ルードは殺されてしまった。アムゼイも恐らく生きていない。ルシアを助けてくれる人はもうどこにもいない。

 もう、誰かの手によって救い出されることは願わない。

 自分が戦うのだ。自分で自分を守るのだ。その上で敗れたのなら蹂躙されてもやむを得まい。あるいは、蹂躙を拒絶して死を選ぶことも、戦った上でなら恥ではない。

 ルシアは、自分にのしかかっている男が置いた剣を握った。重い、大きすぎる刀だ。だが、ルシアは片手でそれを持ち上げて、振った。

渾身の力を込めた。手応えはあった。

 男は甲高い声をあげて身体を離した。傷は浅い。が、血が出ている。

 ルシアは壁に背をつけて立ち上がり、両手で刀を握りしめた。

「このアマ……ぶち殺してやる」

 斬られた男は双眸に憎悪をみなぎらせて、ルシアににじり寄った。

「そこまでだ」

 静かな声が割って入った。男の殺意が吹き飛ばされる。

 (アジェス……?)

 そんなはずはないと理性では知りつつも、ルシアはアジェスの姿を脳裏に描いた。奇跡が起こったのではないか、と。

 奇跡は起きてはいなかった。危機が去ったわけでもなかった。野盗たちを制止したのは、やはり野盗だったのだ。

 長身の若い男だった。他の野盗の態度からして、この男が頭目であるらしい。

「この船にいるのはこれで全部か?」

 質問していた。それがルシアに向けられているものだ、と気付いた時には、男はすぐ側にまで近寄っていた。髪が長い。金髪のようだ。

 ルシアは刀を構えた。

 金髪の男は、面白そうにルシアを見ていた。

「勇ましいな、お前。名前はなんという」

「ルシア」

 自分でも意識しないうちに返事をしていた。

「いい名だ。おれはギャラハット。今でこそ《三日月の涙》を縄張りにする野盗の頭目に過ぎんが、いつかはこの大陸の王になる男だ」

 やけに壮大な名乗りをこの若者はした。

「刀を捨てろ。このおれを前にして、お前に勝ち目はない」

 決めつけて、ギャラハットはルシアの手をつかんだ。不思議な説得力をルシアは感じ、あっさりと刀を奪われてしまう。

「これでお前はおれの虜だ」

 にこにこと笑いながら、そう言う若者に、ルシアは呆然としてしまう。不思議な美しい獣を見るような気がした。


       4

ギャラハットという男――誇大妄想狂ではないか、とルシアは思う。大言癖がひどい。

「おれの称号を知っているか? 太陽王というのさ」

 そう言って大笑する。別段酔っぱらっているわけではない。ふつうの食事時にそういう話を唐突に始めるのだ。

 リクスヴァ号が襲われ、ただ一人の捕虜としてギャラハットの船、フ・リュウ号に連れて来られた時、ルシアは死を覚悟していた。だが、ギャラハットはルシアに死を与えず、また、凌辱を加えることもなかった。ルシアは、言葉としては変だが、拍子抜けした。

  それどころか、紳士的と表現しても差し支えないほど、ルシアに対するギャラハットの態度は清潔であった。ただ、話をするだけだ。身体に触れることすらしない。その話といえば、自分のことをえんえんと喋るのだ。まるで、沈黙を恐れるかのようにまくしたてる。

「おれは愚者の海のど真ん中で生まれ育ったんだ。船すらめったに寄りつかねえクソ田舎さ。冗談じゃねえ。おれのような男に似合う村じゃあなかったね。だから、飛び出したのよ。最初は野盗の下っ端から始めたよ。何でもやった。生き延びるためだったからな。で、五年も経ちゃあ幹部よ。幹部になって子分ができてみりゃあ、頭に立っているやつが邪魔になった。邪魔者はぶちのめす。で、おれが頭よ。力の強い者が上に立つ、これが道理というもんよ。だがな」

 ここで必ず声が大きくなる。眼が輝く。

「おれはたかが野盗の頭に収まっているつもりはねえぜ。おれは王になる。くだらねえオアシスのひとつふたつを抱えて満足しているチンケな王じゃねえ。この世界をまるごと手をするような王だ。そうさな、大昔にアモン大陸を一代で平らげたルーサン・アルトのような王にだ。おれならばできる。おれならばな!」

 真顔でこう言うのである。その口調は自信に満ち溢れていて、ゆるぎない。

 ルシアはいつも不思議に思う。こんなに子どもっぽい眼をした野盗の頭が実在していいのだろうかと。

 何気なく歳を聞いて驚いたのは、この若者がまだ二十歳前だということだ。それで、気の荒い野盗たち数十名を統括しているのだから、確かに首領になる器量はあるのだろう。

ルシアが目撃した例では、一人の年嵩の野盗が、つまらないことでギャラハットに口答えした。次の瞬間、その野盗は左手の指の何本かをへし折られていた。無造作に野盗の手を掴んだだけなのにだ。凄まじい怪力であると同時に、様々な格闘術を身につけているらしい。

 ギャラハットの支配力の源泉がその超人的な強さにあるのは確からしい。だが、ただ強いだけの男かというと、どうもそうではないような気もする。

 多くの野盗たちが、ギャラハットを頭として持ち上げている様子が窺えるのだ。それは、変な言い方だが、ギャラハットが理想を持った男だからだろうとルシアは思う。

 ギャラハットは常に言う。おれは王になるのだ、と。お前たちがおれを助ければ、おれが望みを果たした時には貴族の地位をも手に入れられるのだぞ、と。

 それが妄言であることは、野盗たちも知っている。たかが野盗風情が、一国の王になれるはずもない。それでも、ギャラハットの言葉には夢がある。

 いかな悪人であっても、生き延びるためにただ殺戮と略奪を繰りかえすのは虚しいのだろう。だから、夢を求めるのだ。

組織を支えるのは、たとえ野盗集団であろうとも、一個の理想であるらしい。

 しかし、ギャラハットは妙である、とルシアは思う。

 ルシアを抱こうとしないのは彼の勝手だが、しかし、自分の配下に対しては、ルシアが自分の所有物であるように振舞うのだ。

 フ・リュウ号においても、一人部屋というのは頭目であるギャラハットと、他数人の幹部だけにしか許されていない。なのに、捕虜であるはずのルシアに、中でもいちばんまともな一人部屋が与えられている。

 夜、ギャラハットはルシアの部屋を訪れる。逆に、ルシアを自分の部屋に呼び寄せることもある。それを部下の前で見せびらかすようにする。それでいて、二人っきりになると話ばかりをする。数時間潰すと、おやすみを言って自分の部屋に戻るのだ。

 女に対して初心なのか、とも思ったが、そうでもないらしい。

 ある時、フ・リュウ号が港町に着いた時、ギャラハットは町の女を数人船に上げ、一晩中騒いでいた。

 ルシアの部屋はギャラハットの部屋のすぐ隣にあったから、彼らが部屋でどのように戯れていたかは容易に聞き取れた。ルシアは耳を手で押えて眠ろうとした。だが眠れなかった。それほどまでに隣室の痴態はあからさまだった。

 ルシアはギャラハットを呪った。呪って呪って呪い抜いて、ようやく朝が来たとき、ほっとして眠り込んでしまった。

 目覚めたときは、ギャラハットが側にいた。一緒に飯を食おうと言って、にこにこしている。悪びれたふうはなく、実に爽やかな顔をしている。

 結局、なんなのか、わからない。

 正直いって、今のルシアの最大の関心事は、この妙な金髪の若者のことだった。


       5

 アジェンタ、という名の国があった。別名、《陸の真珠》という。愚者の海には多い、いくつか隣接したオアシスをまとめた国家形態だった。

 その中心であるオアシス・ベルンは、愚者の海内陸部では有数の港を持ち、産業、商業とも栄え、闘技場や公園といった公共施設も備えた大都市だ。そのベルンの王がアジェンタ全体を統べる《諸王のなかの王》の称号を持ち、権力を行使する。当代のベルン王はフェリアス・イスティハーサ・モルグン。その知性溢れる物腰、豊かな審美眼から、《風雅王》の別名を持っている。

 だが、《風雅王》は単なる粋人ではない。治世の才もあれば人を見る目もある。また果断な勇気にも富んでいる。王となるにふさわしい人物であった。

 いかにも王らしい、といえば、この人の色好みもそうだ。后は十八人、いずれも美女の誉れが高い。妾に至っては枚挙に暇がないほどで、フェリアスの王宮は《女の都》と呼ばれるほどだ。むろん、その都の住人の大半はフェリアスのお手付きだ。

 この精気に溢れた王は、客観的にみてもまあ善政といえる政治をアジェンタに布いていた。だが、まったく問題がないわけではなかった。アジェンタには内患があった。反乱の芽である。

 フェリアスには二つ違いの妾腹の兄がいた。アレイス・ヴァンドルマンという男だ。その勇猛さで弟を凌ぎ、また人格的にも王者として申し分のない男だった。フェリアスがもしも愚物であったら、文句なくベルンの支配者に推挙されていただろう。だが、正統のフェリアスが統治者として充分な資質を持っている以上、アレイスの才能は無意味だった。

 自尊心の強いアレイスは、フェリアスの元に残ることを自ら許せず、アジェンタ連合国を構成する一支国ヴィネルタの王となった。そして、この小国をもってベルンに匹敵せしめようと考え、それを半ば以上実現してしまったのであった。

 ヴィネルタは、造船業で栄え、さまざまな工房が軒を連ね、その作り出す道具は高い評価を得ていた。アレイスはこの工業力を軸に費用を貯え、強力な軍隊を組織した。むろん、この指揮権は本来ならば宗主国の王たるフェリアスのものなのだが、アレイスはそれを無視した。

 鉄甲船から成る優勢な艦隊を率い、ベルンに入る貨物船を度々拿捕した。密輸の疑いありとし、合法的な臨検と称していたが、なんのことはない、ベルンに対する嫌がらせだった。

 ヴィネルタ艦隊はベルンのそれをはるかに凌駕していた。ベルンがヴィネルタに対してしびれを切らし戦端が開かれれば、艦隊戦に持ちこんで勝てる、そう見ての挑発であった。

 フェリアスも黙ってはいなかった。

 陸戦隊ではベルンの方がたち勝っている。その陸戦隊をヴェネルタに運ぶことさえできれば勝利は疑いない。だが、制海権をヴェネルタに奪われていた。

「船がほしい」

 フェリアスは呻いた。

 だが、アジェンタの造船工房はヴィネルタに集中していた。ベルンで一から艦隊を作り上げてヴィネルタに対抗するのは難しい。

 船を雇い入れるしかない。それも、戦いに慣れた船員を抱えた船ならばなおのことよい、となる。

 そういう船を探した。

自然、集まるのは船を持つ野盗ばかりであった。


噂は愚者の海に拡散した。当然、ギャラハットの耳にも入った。

「こういう機会を待っていたんだ」

 ギャラハットは嬉しそうにルシアに語った。

「戦(いくさ)だ。戦でおれという男を世に知らしめてやる。見ていろよ、ルシア」

  ルシアとしても、野盗稼業で罪もない人々を襲い続けるよりは、その方がいいとは思った。

 だが、戦争である。

 ルードの死が脳裏に浮かぶ。あれをまた繰り返すのだ。それも、今度はもっと大がかりに、大勢の人と人とが殺しあうのだ。ギャラハットは子供のような笑みを浮かべながら、その恐ろしい「戦」に自分の夢を賭けると言う。

 ギャラハットという男がわからない。男という生き物そのものが謎の獣に思える。

 アジェスもそうなのだろうか、とルシアは思った。

 アジェスは《賢者の森》を探すために、ルシアをあっさりと切った。邪魔者と捨て置いた。それは恨まない。だが、そうまでして《森》を求める気持ちがわからない。

 《森》が何を与えてくれるのだろうか。おそらく、アジェス自身も《森》のなんたるかは理解していないのではないか。

 それでも捜し求める。

 男というものは、どこかしら似かよった部分を持っているような気がする。彼らはみな、ルシアには窺い知れない奇妙な幻想に従って生きているのではないのか。

 ギャラハットはフ・リュウ号をベルンに向けさせた。

 ヴェネルタの軍船の襲撃を用心しつつ、フ・リュウ号は無事にベルンの港に入った。ルシアの暦では、この船で生活を始めてからひと月を数えていた。


      6

「町へ出ないか、ルシア」

 港に入って二日目、ギャラハットが突然持ちかけて来た。ルシアは意外な面持ちで聞きかえした。

「町へ?」

「そうだ。ベルンの町は《陸の真珠》と呼ばれる大都会だ。見物のしがいがあるぞ」

 でも……とルシアは言いかけた。自分は捕虜ではないか。町に出れば、助けを求めることもできる。ギャラハットの手元から脱出しようとすればできるのだ。しかし、ギャラハットはルシアが逃げるなどとは露ほども疑っていないらしい。

 結局、ルシアはギャラハットと同行した。

 フ・リュウ号が停泊している埠頭の周辺には、多くの陸船がひしめいていた。その多くがベルン王の布告によって集まった船だ。乗り手はと見ると、やはり凶々しい顔つきの連中が多い。類は友を呼ぶ、といったところか、彼らもやはり野盗・野臥りの類であろう。

 それにしてもベルンの港は大きい。港育ちのルシアが見ても驚嘆するほどだ。見上げるような巨船―――リクスヴァ号の三倍もありそうな輸送船―――が幾艘となく並んでおり、積み上げられた荷が山を為している。働く人々も多く、その肌の色も色々だ。ルシアが生まれ育ったシフォンの港とはとてもではないが比較にならない。

 港を出て繁華街に向かった。驚きは持続している。いや、拡大した。広場ではないかと思われるほど道幅の広い大通りが真っ直ぐに走り、その上を数え切れない馬車やら人やらが通行している。通りの両脇には露店がひしめき、人だかりがすごい。ルシアは今までにこれほどたくさんの人間の群れを見たことがなかった。

「たいした栄えぶりだが、それもこれも交易あってのことだ。ヴィネルタの艦隊を野放しにしておいたのでは、この賑わいも遠からず枯れるだろうな」

 ギャラハットは冷徹に評した。

「つまるところ、この世で一番重要なのは力だということだ。特に、陸船だ。おれに千隻もの陸船を与えてみろ。すぐにも、この大陸の覇者になってやるさ」

「千隻の陸船?」

 ルシアは思わず吹き出した。

「おかしいか?」

 ちょっと不快そうにギャラハットは訊いた。

「だって、陸船を作る材料はどんどん足りなくなっているのでしょう? どこの造船工房でも、古い船をバラしてようやく材料を集めているというわ」

 それなのに、千隻もの新造船をどうやって作り出せるというのか。

「さすがは港育ちだ」

 ギャラハットは肩をすくめた。得意の大風呂敷もルシアの正論の前では不発だったようだ。

「さて、目指す店に着いたようだな」

 気を取り直してギャラハットは言った。にやにや笑いながら、ルシアの顔を見ている。

「ここは……」

 ルシアは驚いた。今日は意外なことばかり起こる。

 そこは婦人服を扱う高級店の前だったのだ。



出てきた女店員は、まずルシアの服装を見てあからさまに侮蔑の表情を浮かべ、次にギャラハットの風体に驚いて後退った。

 ルシアの格好はあまり褒められたものではない。リクスヴァ号に飛び乗って以来、着た切り雀だ。むさくるしい輸送船、次に殺伐とした野盗の船と乗り継いでいたのでは、女物の服など手に入るはずもない。

 ギャラハットに至っては身なりからして野盗の頭目である。衿なしシャツの胸は大きくはだけているし、腰には物騒な人斬り刀を差している。

 上流階級の淑女や、妻への土産を求めに来た富裕な商人ばかりを相手にしている女店員が、この二人連れに対してとっさに対応できなかったのもやむを得まい。

 ギャラハットはずっしりと重い財布を取り出した。財布の中味を掌の上に出してみせる。混じりけなしの純金の粒だ。愚者の海では水と黄金が物の価値の基準になっている。ベルンのような豊かなオアシスでは黄金の方がレートが高い。

女店員の目が丸くなり、次の瞬間、頬が笑みを形作った。

「この娘の服を見立ててもらいたい」

言いつつ、萎縮しているルシアの肩を抱いて、前に押し出した。

「そんな、ギャラハット、わたし……」

 ルシアは慌ててギャラハットを振り返った。ギャラハットは微笑んでいる。若干照れ笑いが混じっている。

「そんな格好で歓迎の酒宴に出るつもりか? うまくするとフェリアス王にも目通りできるかもしれんのだぞ」

「え?」

「とにかく、服を選べ。下着から靴から、頭のてっぺんから爪先まで、何でも好きなので揃えるんだ」

 女店員は俄然張り切り始めた。

「さあさ、奥さま、こちらへどうぞ」

 むりやりルシアを店の奥に連れ込んでいく。

 そこには服を見立てるための狭い部屋が幾つもあった。それぞれ天幕で仕切られており、部屋の中には姿見の鏡が置いてある。

「ご主人は外でお待ちくださいね」

 ルシアをその中に押し込みながら女店員はギャラハットに向かって微笑みかけた。にっこり、というよりも、にたあ、と表現すべき粘質の笑みだ。

 部屋の中でルシアは下着まではぎ取られた。女店員は次々と衣装を持って来てはルシアに着せ、また脱がし、また着せた。鏡の中のルシアはめまぐるしく変わった。

 深いスリットの入った南国ふうのドレス。ボンネット入りスカートが豪奢な北方ふうドレス。美しい刺繍で飾られたミルト教国の民族衣装ふう晴れ着。肌もあらわな夜会服はルヴィアン製の最新モードだ。そのそれぞれがルシアにはよく似合った。

 お見立て甲斐がありますわ、と女店員はお決まりのせりふを吐いたが、あながちお世辞だけでもないらしい。服を選ぶ女店員も楽しそうだ。とはいえ。

「どうでしょう、この服に似合う装身具も揃えられては? 夜会にご出席なさるのでしたら、必要になるかと思いますが」

 褒めつつも商売は忘れない。したたかだ。

「でも……」

 ルシアは口ごもった。

「何でしたら、ご主人さまにご相談申し上げましょうか」

 女店員はルシアの返事も待たずに天幕を開けた。

 少し離れて立っているギャラハットの背中が見えた。

 天幕の側に立っているのが恥ずかしかったらしい。

「ご主人さま」

 女店員が声を掛ける。

「奥さまのお召し物はこんな感じでいかがでしょう」

 ギャラハットが部屋の中を覗き込んだ。

 ルシアは赤くなってうつむいた。いま身に着けている夜会服は、肩が剥き出しで胸の谷間まで見える。身体の線を強調するデザインになっているので、裸で人前に出ているような気がする。

「素晴らしいね。とてもよく似合っている」

 深く感嘆したらしいギャラハットの声が聞こえた。

「どうでしょう、この服をお選びになるのでしたら、ぴったりの装身具がございますが」

 女店員は商売に余念がない。さっそく売り込みにかかる。

「いいとも。見せてもらおう」

 鷹揚にギャラハットは諾いた。

 女店員は店の展示ケースを開き、いそいそと高額商品を取り出し始める。ギャラハットはそれを見送ってから、ルシアに向き直った。ずかずかと小部屋に踏み込む。

 ルシアは身体を固くした。

たがいの体温を感じる距離までギャラハットは近づいた。

「あの女店員、すっかりのぼせあがっているな。店中の品をおれに売りつけるつもりらしいぞ」

 くつくつ笑いながらギャラハットは言う。

「どういうつもり? わたし、こんなドレスは要らないわ」

 ルシアは強い声音で言った。

「なぜだ?」

「わたしはあなたの囚人のはずよ。囚人にこんな高い買物をするほど、あなたは愚かだとは思わないわ」

「おれに支払うつもりがないというのか?」

 ギャラハットは楽しそうに言い、腰の刀の柄を軽く叩いた。

「なるほど、ちょっくらあの店員の背中を斬り裂いて、服と宝石をかっさらって逃げるとするか」

「やめて!」

 ルシアはギャラハットの腕にしがみついた。身を賭して止めるつもりだった。

 ギャラハットは笑った。

「ばかだな。こんな町中で騒ぎを起こすほどおれは間抜けではないぞ。それに、ベルンで強盗を働いたとあっては、ここでの仕事にありつけなくなってしまう」

 だが、まだルシアはギャラハットの腕を抱きしめたままだ。油断はならない。

「それに、おまえを着飾らせるのにはちゃんとした理由がある。さっきも言った通り、今夜歓迎の酒宴が、おれたち傭兵志願の者たちを集めて行なわれるのだ。おそらく、おれたちの様子を調べて部隊編成の参考にしようという肚だ。ベルンの高官たちにしても、油断のならない野盗くずれを扱うのに、できるだけ上品なやつをまとめ役にしようとするだろう。つまり、今夜の酒宴で優雅に振舞えれば、傭兵艦隊の中でいい位置を占められるってわけさ。その点、美しいレディをともなっていれば有利だろ?」

「あなたの出世に協力しろというの? 言っておくけど、わたしはあなたに捕らえられただけ。逃げ出す機会があれば、すぐにでも逃げてやるんだから」

「そうかい」

 ギャラハットは意地悪そうな笑みを口元に浮かべた。

「だったら、どうして、さっきの女店員に助けを求めなかったんだ?」

「それは……」

ルシアは詰まった。ギャラハットは押しかぶせるように言いつのる。

「おまえはおれのものだ。おまえの心も、そうなりたがっている」

 ギャラハットはルシアの肩を抱き寄せた。自分からしがみついていただけに、ルシアは逃れられない。

「は、離して」

「おまえから抱きついてきたんだぜ?」

 ギャラハットの口元がルシアの顔に近付く。

 控えめな咳払いが聞こえた。二人が振り向くと、女店員が満面に笑みをたたえて立っていた。手には凄まじい量の装身具が。

 この後、ルシアが再び着せ替え人形になったことは言うまでもない。


      7

 パーティはベルン港湾事務局の会議室を使って行なわれた。

主催者側はできるだけ砕けた雰囲気を作ろうと努力していた。それでも彼らはお役人である。「砕けた」というのは、「基準から少し品を悪くした」程度のものであり、その「基準」自体はフォーマルなパーティなのである。

 だが、出席者たちの大半は野盗であった。役人たちの思惑は崩壊していた。パーティ会場は野放図な酒宴と化していた。

 ぼろぼろの船乗りの風体をしたあらくれたちが、酒瓶を片手に大声で放談している。歌う者がいる。酔って口論を始めている一群まである。

 役人たちは頭を抱えていた。今までの彼らの経験ではとても扱いきれない連中だと今さらながら思い知ったのであった。

「こんなやつらを頼らねばならぬとは……」

 会場の隅で嘆息したのは初老の上品な紳士だ。

 フェリアス王の命により、傭兵艦隊の組織化を託されたケイン提督である。提督とはいいながら、既に船は降りてしまっている。以前はベルンの艦隊司令を務めていた。もっともベルンは海防には消極的で、数年前ヴィネルタにアジェンタ全体の守りを任せてしまった。ベルン艦隊はその時に解体されたのだ。ケインもその時を潮にして一線から退いた。

小柄だが、骨柄の太い老人である。黙って笑っていると柔和な印象を与える相貌だが、ふとした時に鋭い表情を垣間見せることがある。

 そのケインが吐き捨てるように呟く。

「王陛下はアレイスめを信頼なされすぎたわ。ためにアレイスが艦隊の実権を握ってしまった。おかげでこのザマだ」

 側にいた腹心の部下が心配そうに注進した。

「そのようなことを申されて、もし王陛下のお耳にでも入ったら」

「かまわぬ。風雅王は浮世のことには興味は持たれないのだ。風雅王にとって大切なのは、古代ハーディール時代の芸術品だけよ」

愚痴であった。このケインはアレイスの反乱以前からベルン独自の艦隊の必要性を力説していた。だが、彼の提案は王に容れられなかった。それなのに、アレイスがヴィネルタ艦隊をもって反旗をひるがえすと、王は掌を返したように艦隊組織の至上命令を出した。それをやらされるケインとしては文句のひとつも言いたくはなる。

「ケイン様……」

 腹心はケインの注意を引くように呼びかけた。

「あの者たちをご覧ください」

「んむ?」

腹心がさりげなく指し示した方向にケインは目をやった。

「ほう」

 思わず声が漏れた。

雑然としてしまった会場の中で、異質に思える二人連れがあった。

その一人は若い淑女だ。すばらしいドレスを身にまとい、まるで華のように輝いている。遠目に見ても愛らしい顔立ちをしていることがわかるが、なによりも、その肢体のみずみずしい若さが好ましい。

 その隣にいるのは長身の若い男だ。この男の服装も礼にかなった立派なものだ。長い金髪を背中に垂らしているのがケインにはちょっと気に食わないが、その身のこなし、目の配りようはただ者ではない。

 いずれにせよ、そのカップルは、王宮の正式なパーティ会場にあっても人の注目を集めたに違いないと思われた。

ケインは腹心に小声で告げる。

「あの者たちを、ここへ」

「はい」

 短く答えると腹心は人波をかき分け、消えていった。



「わしはケイン提督という。以前はわしも愚者の海を往く船に乗っていた。いわば、お仲間というわけだ」

 ギャラハットとルシアを呼び寄せて、まずケインは名乗った。

「ギャラハットと申します。フ・リュウ号の船長です。こちらはルシア嬢、わたしの船の客人です」

「ルシアと申します」

 ルシアは控えめに、それでいながら礼を失しない程度の優雅なお辞儀をした。

 ケインは好感を持った。この娘は礼儀作法をわきまえている。きっと、上流家庭の出に違いないと思った。

 実はルシアが文字すら満足に書けず、作法もへったくれもない育ち方をしてきたと知れば、ケインは目を剥いたであろう。そして、このルシアに即席に作法を教え込んだのが、傍らにいる若い男であることを知れば、もっと驚嘆したに違いない。

 ルシアも意外なことに、ギャラハットは宮廷のマナーにまでも通じていた。ルシアがその訳を訊くと、彼はすまして答えたものだ。「なに、将来、王になった時に恥をかかないための用心さ」と。

「ギャラハット船長」

 と、ケインはギャラハットを呼んだ。敬意をこめた呼び方だといっていい。

「あなたの船のことをもっと知りたいものだね」

「なに、つまらない船ですが」

 と謙遜しつつ、ギャラハットの目は輝いている。魚が餌に食いついた手応えを感じていた。ギャラハットは優雅に、かつ微笑みを忘れずに弁じたてた。

「わたしのフ・リュウ号は自由運搬船です。自由運搬船というのは、定期輸送ではありません。不定期に発生する緊急の輸送を請け負うのです。なにしろ、急ぎの仕事ですから、通常の航路をいつも取るという訳にはいきません。航路図もないような原野を行くことも多く、野盗に狙われることも度々です。だから、わたしの船はセラミック甲板を張り、自衛のための砲も積んでいます。一見すると、野盗の船と変わりないように見えてしまいますがね」

 端で聞いていて、ルシアは笑いを堪えるのに必死だった。なんとも、珍妙な作り話だが、なるほど、それならばフ・リュウ号が野盗の船に似ている理由の説明はつく。

「ほほう」

 ケインは顎を撫でた。そこには白い髭がたくわえられている。

「なかなか、冒険的なお仕事ですな。で、この度われらの誘いに応じてくださったというのは? そのようなお仕事であれば実入りも少なくはないでしょうに」

「義ですよ」

 しれっとギャラハットは言ってのけた。

「ヴィネルタのやっていることは、義にもとる所業。ならば、それを討つ鉄槌というものがあらねば、愚者の海は無法の海になってしまう。それを厭うからこそ、ここへ参上したのです」

 ケインは上品な笑い声をたてた。

「面白いお方じゃな、ギャラハット船長。しかし、そのお言葉は少々飾りすぎですな」

「と、申されると?」

 少し鼻白んだギャラハットを、ケインはやんわりと押しとどめた。

「われらは必ずしも正義の徒を求めてはおらんのです。利に聡い、悪く言えば欲深な連中の方が実は操るには易いもの。あなたのような義の人は、ともすれば、この会場にたむろする野盗、野臥りの類よりも始末に負えないこともある」

 ケインは目を細めつつ、ギャラハットを見上げる。ケインも初老の男にしては、充分立派な体格をしているが、ギャラハットと並ぶとやはりかなり背が低い。だが、場数はギャラハットよりもはるかに多く踏んで来ている。その経験の差が出ているようだ。

「正直に言っておしまいなさい、ギャラハット船長。わしは充分あんた方に好感を持っておるよ。野盗であろうが密輸業者であろうが、われわれと利害を一致させてくれるのなら歓迎するよ」

 苦笑いをしながら、ギャラハットは頭をかいた。わざと、地を見せた。

「慧眼恐れ入りました。確かにわたしは、ついこの前まで野盗を生業にしておりました。ですが、機会があればこの稼業から足を洗いたいと、ずっと思ってきたのです。もしも、今回の戦いで手柄が挙げられたら、然るべき地位を得たいと望んでおります」

 ケインは、うんうん、と諾いた。

「それでよいのだ。これで、わしも安心しておまえさんを使えるというものだ。時に、おまえさんが野盗だった頃、どんな戦法を得意にしたのかね?」

 それから、宴が終わるまで、ケインとギャラハットは艦隊戦の戦法についての議論をえんえん戦わせたのだった。


 その日以来、ギャラハットはケイン提督の補佐的な役割を担うようになった。

 なにしろ、ベルンには実戦経験のある船将は皆無に近い。ケインが作戦を練ろうにも相談相手がいなかった。

 しかし、ギャラハットは充分すぎるほどの経験を持っていたし、ケインが連れて歩いてもおかしくない外見を持っていた。他の野盗の親玉では荒っぽすぎて、ベルンのお偉方の前にはとても出せなかったのだ。

 ケインはギャラハットをあちこち連れ回した。 集まった傭兵志願の者たちとの面談、およびその配置についての打ち合せ、装備の補充、艦隊運動の演習などなど、やるべきことは山ほどあった。 

ベルン・オアシスの最奥部にある王宮にも足繁く通った。アジェンタ連合国家の首脳に傭兵艦隊の設立を印象づけ、その行動をやりやすくするための顔つなぎであった。こちらの方にはルシアも付き合わされた。

 ケインはルシアのことを「わしの可愛い外交官」と呼んだ。それほど、ルシアを随行させるのは効果的だった。若く長身のギャラハットと小柄で可憐なルシアの取り合わせは、誰の目から見ても好ましく映った。

 そのおかげで、「ギャラハット船長」の印象も王宮内でよいものになったし、ケインも何かと動きやすくなったのであった。


      8

 ある朝、ルシアが起きると、ギャラハットが呼んでいる、という。

 着替えを済ませ、ギャラハットの部屋を訪れると、ギャラハットはやけに真面目な顔をして座っていた。

「どうかしたの?」

 ルシアが訊くと、ギャラハットは重々しく諾いた。

「出陣の日取りが決まった」

 ルシアの身体が強ばった。日々に流されて、ふだん意識することがなくなっていたが、彼らはここに戦争をするために来たのだった。

「いつ」

「明日の早暁、港を出る」

 急すぎる。だが、そのことをルシアは口にしなかった。ルシアが言って、それが沙汰やみになるわけでも、延期されるわけでもない。それに、ギャラハットにとっては、それが避け難い試練であることをルシアは理解していた。

「わかったわ」

 とだけ、ルシアは言った。もう、重いドレスを着ることはない。愚者の海に出れば、ルシアは本来のみすぼらしいルシアに戻るであろう。そう思うと、むしろ気が楽になった。

 だが、ギャラハットは違うことを言った。

「おまえは船を降りろ」

 今度こそ、ルシアは息を呑んだ。

「え……?」

「ケイン提督に頼んでおいた。おまえはケイン提督の家に引き取られることになった」

 ルシアは絶句して立ちすくんだ。

「どうした? 野盗の船を降りられるんだぞ。嬉しくないのか?」

 ギャラハットは不思議そうな顔で訊いた。その声がルシアにはすさまじく冷徹な響きに感じられた。また、捨てられるのだ、と思った。

 アジェスもそうした。《賢者の森》に一人で向かった。一緒にいたいというルシアの意志を無視した。それはいい。アジェスは恨まない。今となってはむしろ感謝している。だが。

 傷ついた心はルシアが抱えたままだ。その傷がまた開いた。

ルシアの肩が震えた。

 慌てたのはギャラハットだ。椅子から立ち上がった。

「どうした、なぜ泣く」

 ルシアは涙を堪えた。堪えつつも、肩が震える。その肩を、ギャラハットが掴んだ。

「戦場に行くんだぞ。この船も沈むかもしれない。どうして、おれがおまえをそんな危険に晒すと思う」

 ギャラハットは真剣な声で言った。

「おれは必ず戻る。船が沈もうが、火だるまになろうが、絶対に帰って来る。おれを信じて、待て」

 ギャラハットはルシアの頬を撫でた。情愛がこもった仕草だった。

「ギャラ……」

 ルシアはギャラハットを見上げた。ギャラハットの表情がいつもと違う。制御しきれない思いが溢れ出しそうな、そんな思い詰めた表情だ。

「ルシア」

 呼びかける吐息がかかる。それほどまでに接近している。

「おまえは、おれのものだ」

 ルシアの脊髄に電流が走った。

 そうかもしれない、と一瞬思う。だが。

 ルシアの唇をギャラハットが奪っていた。灼熱の太陽に焦がされるような、そんな激しいくちづけだった。ギャラハットに焼き尽くされる怯えを、ルシアは感じた。

 ルシアは身をよじってギャラハットの腕から逃れた。

「ルシア?」

 ギャラハットは一瞬呆然としてルシアを見詰めた。

「怒ったのか?」

「違うの、ギャラハット。でも、今は、まだ……」

 ルシアは詫びた。頭が混乱していた。一瞬、ルードや船長の顔が浮かんだ。ギャラハットは彼らを惨殺した野盗の頭目なのだ。でも、拒んだのはそのせいではなかった。ギャラハットに対する憎しみは驚くほど薄れている。そのことがまず信じられない。ルシアは自らを嫌悪した。 

同時にギャラハットに対する罪の意識さえ感じていた。なぜだろう。どうして、すまないような気がしたんだろう――アジェスのことがふっと胸をよぎる――だからなのだろうか。まだ、ふっ切れていないのだろうか。

 自分でも自分がわからない。だから、詫びるしかなかった。

 ギャラハットはルシアに背中を向けた。顔を見られるのが嫌だったらしい。

「行けよ。急いで身支度をするんだ。午後には提督から迎えがくる」

「ごめんなさい、ギャラハット」

 言うなり、ルシアは逃げるように部屋を出た。



 埠頭に夜の風が吹きつのっていた。早暁の出陣に備えて、艦隊の大半が港を出発しようとしていた。港の外で艦隊を組み、作戦行動に入るのだ。

 艦隊、とはいっても、その構成する船自体は小型から中型の普通の陸船をセラミック装甲板で強化したものにすぎない。その装備もいくつか種類があるようだった。

 まず、フ・リュウ号など中型の戦闘船。これは、艦隊の中では優勢な火砲を持つ分、速力にやや劣る。だが、総合的な攻撃力は高い。

 そして、小型の戦闘船。これは装甲板が薄いかあるいはまったくない。火砲も貧弱で、ごく接近しないことには用を為さない。しかし、速力は高く、小回りもきく。

 最後に、輸送船を少し改造しただけの船。これには火砲も搭載されず、装甲板もない。その分、輸送力が高められている。おそらくは、この船が艦隊の兵員や補給物資を積載するのだろう。

 そのそれぞれを、第一、第二、第三艦隊と呼んでいるのは、滑稽と言えばそうだった。だが、その発案者がギャラハットである、ということをルシアは知っていた。

「この三つの艦隊をうまく使えば、ヴィネルタの艦隊は泡をくうことになるぜ」

 いたずらを計画している悪餓鬼のように、ギャラハットはほくそ笑んでいたものだ。

 ルシアの視界をフ・リュウ号が横切っていく。甲板にギャラハットの姿を捜したが、みつからなかった。

「ギャラハット……」と呟いた。

 もう二度と会えないかもしれない、とルシアは思った。

 アジェスもそうだった。みんな、何かに憑かれている。追いかけなければ窒息してしまうかのように、走り続けている。そして、どこかに行ってしまう。落ち着くことを知らない、不思議な生き物だ。

風がルシアの髪を乱した。頬に張り付いた髪が戻らない。涙が頬を濡らしているからだ。

 悲しいのではない。寂しいと言い切ることもできない。不安だからか、恐怖を感じているからか、それも違うような気がする。

強いて言えば、ルシアは一緒に走ることができない自分を泣いていたのかもしれない。

(また、一人になった……)

 ルシアは、ただ、港に立ち尽くしていた。


       9

 山地がある。名前をアルマンド山塊という。

 丘と言った方がふさわしい、標高にして200メートル足らずの隆起地帯だ。剥き出しの岩塊は侵食を受けて縦に深い谷が走っている。大地を覆う瘡蓋のようにも見える。

 その瘡蓋の近くで砂煙が軌跡を描いていた。愚者の海最強を謳われるヴィネルタ艦隊である。

 一列縦隊の先頭にあるのは旗艦アグノーランである。大型の斥力発生機を二十八も積む、世界有数の大戦艦だ。砲も十二門積載している。口径は、古代兵器事典ふうに呼べば二十サンチ砲ということになる。ヴィネルタの誇る特殊鋳物工房で製造され、新作の砲としては抜群の破壊力を持っている。

 《アグノーラン》に随行するは《ティホン》《アシュガルタ》《リフ・マベール》の戦闘艦三隻、そして十数隻の小型戦闘船だ。

数の上では圧倒的といえないが、その火力は他の追随を許さない、大陸随一の艦隊だった。

 各艦の砲は、今あわただしく発射準備が進められていた。ヴィネルタ艦隊の前方にベルン傭兵艦隊が現われたのだ。

 傭兵艦隊は、ヴィネルタ艦隊がベルン向け輸送船を襲撃してから港に戻る、その航路に待ち伏せしていたのだった。その数二十数隻。先頭に立っているのは、中型の戦闘船、フ・リュウ号だ。

 だが、ヴィネルタ艦隊もその待ち伏せを予測していた。むしろ、寄せ集めのベルン艦隊を一網打尽にしてやろうと手ぐすね引いていた、と表現した方が正確だろう。

 満を持して《アグノーラン》の砲撃が始まった。それを合図にして、《ティホン》《アシュガルタ》《リフ・マベール》の砲も火を噴いた。

 凄まじい土煙が上がった。続けざまに大地が炸裂し、風景が陰る。

 愚者の海の海戦は、このような視界の中で行なわれる。

 傭兵艦隊は音なしだ。彼らが装備している小口径の砲ではまだ射程距離に入らない。

 《アグノーラン》の放った弾体が、ベルンの戦闘船の一隻に命中した。その船はセラミック張りではなく、薄い金属で補強しただけの貧弱な造りであった。一撃で船体がへし折れた。構造材が散乱し、あたりに降り注いだ。人間の身体の一部が、降り注ぐものの中に混じっている。

 傭兵艦隊の運動に乱れが生じた。

 本来であれば、敵の砲撃に耐えつつ射程距離にまで入り、砲戦を挑むしかあるまい。彼我の位置関係からは、そんな単純な作戦しかありえない。だが、《アグノーラン》を主力とするヴィネルタ艦隊の火力の前ではその作戦は無意味であった。

 距離が詰まるにつれ、弾着の正確度は増した。一方、撃たれる側の傭兵艦隊の砲は沈黙したままだ。応戦できるだけの余力もないらしい。行動不能になる船が続出した。

そして、ついに、砲弾は傭兵艦隊の旗艦を捉えた。

 装甲板が砕け散った。砲弾は船内に入り込み、そこで炸裂した。マストがへし折れた。太陽神の紋章に火が移る。

 フ・リュウ号の足が止まった。何人か、舷側から飛び降りた。火が、凄い。

 止まったフ・リュウ号に、また砲弾が吸い込まれた。爆発した。もはや船体の形すらなしていない。

 旗艦が沈み、ベルン艦隊は統一性を失った。でたらめに逃げ出す。潰走状態だ。

ヴィネルタ艦隊はかさにかかって攻撃を加えた。逃げるベルン艦隊にとどめを差そうとする。足の早い主力戦艦四隻が、後続を無視して追跡にかかった。

 そのために、縦列が長く伸びた。



 空気が裂ける音がした。

 ヴィネルタ艦隊はその瞬間になってもまだ気付かなかった。弾体が一隻の戦闘船の甲板を貫いて、ようやく新たな敵の出現を知った。

大地の瘡蓋に刻まれた峡谷から、軽快な戦闘船の一群が現われたのだ。ヴィネルタ艦隊はそれに対する備えがまったくできていなかった。

 新たな戦闘船団は、ヴィネルタ艦隊の後続部隊に襲いかかった。猛烈な砲撃だ。ほとんど接射に近いため、的を外すことはまずない。ヴィネルタ艦隊の後続は大混乱に陥っていた。

 先行していた主力艦四隻はそれに気付き、あわてて回頭を開始した。その回頭が終わらないうちに、また異変が起こった。

 峡谷のひとつが、また数隻の戦闘船を吐き出したのだ。しかも、今度の船は装甲板を外し、砲も積んでいないかわりに、甲板にまで武装兵を満載していた。

 峡谷から吹き降ろす風に乗って、みるみる《アグノーラン》に接近した。

 回頭中でなければ、もっと早く発見でき、かつ、素早い対応もできたであろうが、今は注意が各方向に分散していた。ために、致命的な遅れが出た。

 激しい衝突音がし、戦闘船が《アグノーラン》の舷側に突き当たった。梯子がかけられた。気勢をあげつつ、武装兵が乗り込んできた。

 これは。

 まさに野盗の戦法である。

 《アグノーラン》の乗組員は射撃には長けているが、白兵戦については素人だ。彼らの大半は元商船の船乗りで、それをヴィネルタが召集して戦艦の乗組員としての訓練を施したのだ。剣で渡り合うような荒っぽい仕事には慣れていない。それに対して、襲撃者は明らかにこの段取りに習熟していた。

 《アグノーラン》の甲板上で行なわれているのは、闘いというよりも屠殺であった。瞬く間に甲板が血でぬかるんだ。

「乗っ取ったぞ!」

 そう喚く声につられて上を見上げた者には見えたろう。

 《アグノーラン》の中央マストの天辺にひるがえった旗を。

 それは太陽神リュウの紋章――太陽王の旗印であった。



      10

 ヴィネルタ艦隊敗れる。

 その報だけでも充分衝撃的であったのに、それより遅れて二日後に飛び込んで来た報告はさらに驚嘆すべき内容を含んでいた。

 ヴィネルタ・オアシス占領さる。

 それもこれも傭兵艦隊が独力で成し遂げてしまったのである。

 本来ならば、ヴィネルタ艦隊にゲリラ戦法で痛撃を与えた後、傭兵艦隊は一度ベルンに戻り、そこでベルン正規軍である陸戦部隊を載せて、ヴィネルタ攻略戦に臨むはずであった。

 要するに、本来的な戦闘であるヴィネルタ攻略戦においては傭兵艦隊は単なる運び屋に徹するはずであったのだが、その脇役が一足飛びに最終目的を達成してしまったのである。

 ベルンで待っていた正規軍はばかをみた。出る幕がなかったのだ。正規軍を率いるべく手ぐすねを引いていた門閥の貴族たちも面目を失った。

 ケインのみ、大笑した。それみたことか、艦隊の力を過小評価した、これが報いである、とケインは溜飲を下げる思いだった。なんといっても彼は、艦隊の重要さを王に説き続け、それがために閑職に追いやられた人であったからだ。

 だが、ケインとてもギャラハットの行動には眉をひそめる部分があった。ルシアにだけ漏らした言葉であったが、それはこうだ。

「ギャラハットのやつめ、走りよったわ。あやつめ、まさか、アレイスの跡を襲うつもりではあるまいな」

 既にヴィネルタはギャラハットの率いる傭兵艦隊によって完全に制圧され、王アレイス・ヴァンドルマンは捕らえられたという。ヴィネルタの軍は一旦解散させられたが、すぐに傭兵艦隊に組み入れられる形で再編成され、造船工房、兵器工房も工人ごと接収された。船、人、そして補給のすべてを押え、ギャラハットは愚者の海最強の艦隊を完全に掌握したことになったのだ。

 ベルン王フェリアスもさすがに慌て、ヴィネルタに駐留しているギャラハットに対し、帰還命令を出した。今のうちに首ねっこを押さえておかないと、とんでもないことになるのではないかと思ったらしい。

だが、ギャラハットは容易に腰を上げなかった。フェリアスに対する忠誠を文書の形で寄越しはしたが、すぐ戻る、というようには言って来なかった。

「ヴィネルタには依然としてアレイス派の残党が残っており、その者たちの制圧に手間取っております」などと言いつつ、その実、艦隊の強化にせっせと努めているようだった。

 ベルン王宮はちょっとした恐慌に陥った。ギャラハットを呼び戻そうと、毎日のように使者を立て、その内容も日毎に卑屈になっていった。ギャラハットに提示されていた報酬も、最初は単に傭船に対する金子の授与に過ぎなかったのが、官職を与えると言い出し、その職位もどんどん高くなっていき、しまいには艦隊司令長官とも言うべき海府将軍にまでつり上がった。これはケイン提督ですら就けなかったほどの高官であり、ふつうは王の卷族の名誉職とされている。つまり、ギャラハットは、王と常に同席でき、普通に会話の出来る「王族扱い」になってしまったのだった。

 ここに至り、ギャラハットはようやくフェリアスの命に服し、接収した《アグノーラン》と《ティホン》、そして傭兵艦隊を率いてベルンに凱旋した。

 フェリアス王が直々に港にまで迎えに出たのも異例であったが、ギャラハットを迎える民衆の熱狂ぶりもすさまじかった。

 もともと、沙漠の世界である《愚者の海》では、噂や情報は高価な商品であった。誰もが異国の話や英雄の物語を聞きたがり、それがゆえに吟遊詩人という職が成り立つ。その吟遊詩人たちにとって、ギャラハットはまたとない題材であった。

 彼らは夜ごと色街に立ち、ギャラハットを讃える歌を歌い、かつ敗れたアレイスには憐憫を与え、そしてギャラハットの心を掴むために四苦八苦しているフェリアス王を椰揄した。

 ギャラハットはまさに現代の英雄となり、その印象が一人歩きしはじめていた。いつの間にか、ギャラハットはこう呼ばれるようになっていた。

 太陽王・ギャラハット。

 数カ月前まで、単なる野盗の頭目に過ぎなかった青年が、ただの一戦でその称号を手中にしたのであった。


まぶしい、とルシアは思った。

 群衆に呑まれるようにして、ルシアは《アグノーラン》の入港を見守っていた。噂の英雄を一目見んものと、港はすさまじい人出だった。ベルン中、いやアジェンタ中の人間がここに集まっているのではないかと思えるほどだ。

 ギャラハットが現われた。金髪を風になびかせ、ゆったりと歩いている。身にまとうは、絢爛な衣装だ。金銀の縁どりに宝石をふんだんにあしらった豪華この上ない服であった。おそらくは、アレイスのものであったのではないか。まこと王者の装束であった。

 それにしても、似合う。

 浅黒く焼けた肌に黄金の髪、大柄だが均整の取れた体躯、皮肉そうな笑みを常に浮かべているような口元も、衣装がともなうと気品ある落ち着きようにも受け取れる。

 港で待っているフェリアス王が貧弱にすら見えてしまう。

 本来ならば、桟橋に降り立ったギャラハットは、すぐに王の元に伺候し、ひざまづかなければならない。

 だが、ギャラハットはそうしなかった。しばらく辺りを見回したかと思うと、王がいるのとは全然別な方角に向かって歩き出した。

 群衆から歓声が上がった。

「太陽王ばんざい!」

「不敗の海府将軍ばんざい!」

 その歓声はうねりのように人々の間で増幅し、港を轟かせた。

 多分に造られた虚像に対する酔いもあっただろう。ギャラハットの余りに華麗な登場ぶりもそれに拍車をかけただろう。それにしても、ものみな流れの恐ろしさと言うべきであろう。まさに英雄は造られるものだ。

 ギャラハットを讃える声が群衆という群衆から地鳴りのように響き始めると、フェリアスはその典雅な顔に血を上らせて、周囲の者を見回した。

「わしはいつまでここにおれば良いのだ?」

 皮肉たっぷりにフェリアスは訊いた。

「いつまで、こうして恥ずかしい想いをしながら、あの野盗めを待たねばならぬのだ?」

 言い捨てると、フェリアスは席を立って馬車へと向かった。側近たちが慌ててそれを追いかけた。


 ギャラハットは一直線に進んだ。

 群衆はそれを取り囲むように広がったが、ギャラハットその人には触れられなかった。 ギャラハットの周りには、彼の野盗時代からの手下がついていたし、ギャラハット自身、気安く近付けるような雰囲気ではなかった。

 したがって、群衆は割れた。その亀裂の中をギャラハットは進む格好になった。

 ギャラハットが進むと群衆が動き、道ができる。

凄まじい熱気が港を包んでいた。パーセルニオ、そしてリュウのふたつの太陽が容赦なく照りつけ、砂礫の海には陽炎が立っていた。

 金髪をまばゆく輝かせる長身の若者が歩いている。それを取り囲む群衆は恍惚の表情を浮かべている。口々に太陽王を讃える叫びをあげている。

だが、そんなことはどうでもいい。まったくの無関心であるようにギャラハットは見えた。手を振ることさえしない。微笑みを振りまくわけでもない。もっとも、今それをすれば群衆の熱情に火がついて、どのような騒ぎになるかもわからない。だが、ギャラハット自身、なにもそのような用心から演技をしているわけでもなさそうだった。ただ、ひたすらに一点を目指して歩いている。

 ギャラハットの足が止まった。

はじめて微笑んだ。意外なほどに子供のような笑顔であった。

「ただいま」

 そう、言った。

 ルシアは呆然と立っていた。動けなかった。目前にギャラハットがいた。

ふたつの太陽が空を焦がす、昼下がりであった。



                  第二章 おわり

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