第14話 非日常の狂騒

灰色の道と冷たい空気は、傷ついた私に優しい素振りも見せない。

黒い雲は今にも雨が降りそうで、周囲からは傘で地面を突く音がちらほら聞こえる。


今日が最後の日だった。

淡い期待を抱いていつもより遅く登校する。


頭の中で先日の杉野さんの声が痛いほど反響しているのに、それでも意固地な自分には私も味方できない。


本当に今日で最後にしようと思ったのだ。

九条君に依存するのも、束縛するのも。


曖昧に続く日常を今日で終わらせるのだ。

いや、曖昧になんて続いていなかった。


葉桜を見た日から九条君との関わりはなかったのに、こうして「あと1回だけ」と駄々をこねる子どものような自分に失望する。


私はただ傘を引きずりながら湿りきった風を全身で受けた。



*



靴箱はほとんどが外履きで埋まっていて、各教室からも騒がしい声が漏れている。私は九条君のいる教室の前を少しゆっくり通り過ぎて、自分の教室へと入った。


始業までまだ時間があるとはいえ、今日はいつも以上に賑わっている気がする。実際、亜紀ちゃんの席の周りにはたくさんの女子が集まっていて不穏な空気が流れていた。


「由佳ちゃん大事件だよぉ!」


私の姿を見かけた亜紀ちゃんが、女子たちで出来た壁の隙間から顔を出す。私の顔を見るなり周りの女子たちは道を開けて無言で手招きした。


「あ、おはよ。どうしたの?」

「…もう知ってるかもしれないけどさ」


亜紀ちゃんはいつものように笑みをこぼさない。いつでも「他人事」の亜紀ちゃんの神妙な表情で、一気に不安感が津波のように押し寄せてきて、私は心の準備を急いだ。


「九条君、杉野さんと付き合ってるらしいよ」

「…は?」


意味が分からなかった。


いや、言っていることは分かった。しかし、脳が瞬時にその情報を否定しようとしていて、私は「また噂でしょ?」と口走ってしまった。


自分の口角が痙っているような気がする。


「…あのね、写真もあるの」


亜紀ちゃんは、ポケットからスマホを取り出して私に見せた。私は亜紀ちゃんの手ごとスマホの両端を掴んで中を覗く。


そこには九条君と杉野さんが仲良さそうに笑いながら歩いている姿が写っていた。かなり遠くから撮られているけれど、2人の顔が正面からはっきりと写っているので間違いはない。


「なにこれ…」


私は考えるよりも先に走り出していた。

教室に出た瞬間、私は「わっ!」と驚いて尻餅をつく。


「…杉野さん」

「由佳ちゃん、ちょっといいかな」


杉野さんの悲しそうな表情に不思議と怒りや焦りも飛んで、私はただ強く鳴る心臓の余韻を残して冷静に頷いた。



*



ぽつぽつと落ちる雨は、屋上のコンクリートを徐々に黒く染める。杉野さんはいつもより冷えた手すりに腕を乗せて、大きく息を吸った。


「あの噂聞いたよね?」

「…うん」

「そっか、ごめん」


行方のないその謝罪に再び覚えた苛立ちには、不甲斐なさや嫉妬が狂ったように混ざり合っていて、白いワンピースにコーヒーを溢されたような感覚に苛まれた。


杉野さんから出る数々の言い訳は、その全てが二酸化炭素のように私にとって無意義で、それが再び酸素に戻ることはないように思える。


それでもなんだかんだ気持ちを爆発させられないのは、杉野さんの悲しげな表情のせいだった。


あの噂が本当だったとしても、杉野さんに何か特別な事情があるではないかと少し期待していたからだ。


杉野さんはそんな私を煽るかのように、一瞬口元を緩まして空を仰いだ。


「…私はね、そんなつもりなかったんだ」


杉野さんがあえて白線を越えてきたような気がして、自分の腕に発散しきれないほどの怒りが溜まるのを感じた。


言い争いや口喧嘩に慣れていない私は、先頭を競いながら飛び出そうとする言葉たちが口元でつっかえて、大きなため息を吐き出す。


私は一息置いて、震える唇から声を出した。


「そんなつもりなかったって何?」

「前にも言ったけど、私は健君に振られた日から友達として由佳ちゃんたちの仲を取り持とうと思ってた」

「嘘つかな―――」

「でも、健君の話を聞いたらそれも変わった」


杉野さんは私が攻撃態勢になった瞬間、言い返せないような強い爆弾を落としてくる。だから、会話の主導権は常に杉野さんが握っているのだ。


私は杉野さんの敷いたレールに沿わないように質問を続ける。


「それで九条君に告白したの?」

「私はしてない、」


その一言に私は言葉を失った。

どんな風に言い返しても、聞き返しても、最悪の結果になることが目に見える。


ふと始業のチャイムが鳴って、杉野さんは「じゃあ、そういうことだから」と私の横を通り過ぎて校舎の中へと入っていった。


強まり始めた雨が心の中まで浸み込んできて、自分でも数えられないほどの感情が渦を巻いて溢れる。


瞳の奥に濡れた空は、少し塩辛い雨を降らせていた。

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