第4話 東京写真(上)
―――6年前・4月下旬
まだ薄暗いリビングの電気を消してリュックを片手に外へ出た。
開けた玄関の扉の音さえも空気が軽いせいかよく響く。
いつもよりも青いアスファルトに靴の踵を擦らないように注意するのも、冷たく澄んだ空気のせいだと思う。
無人駅の改札を通ると、日曜日だというのにスーツを着たおじさんたちが電車を待っていた。その中にぽつんと紛れている九条君にいつもより小さな声をかけて、二人青い朝を迎えた。
*
揺れる電車の窓からは、もうほとんど散ってしまった桜の木々が見える。
4月下旬といっても朝の風はまだ肌寒く、裸の木々を不憫に思う私。
「もう青い春も終わりかぁ…」
「早いもんだな」
肩を落とす私に、九条君は2口食べたおにぎりを差し出した。
「朝から米の塊はやっぱきついや」
「私なら食べられるって…そう言いたいのか!」
…まあ食べられるけど、と小声で言って間接キスをした。
「お、間接キスできるようになったのか」
九条君はそう笑ってからかってくるけれど、私だって反省を活かして前に進もうとするタイプなのである。
私が目を細めて睨んでいると、九条君は私の口に付いた米粒を摘まみ「由佳味」と言って見せてきた。
「きもちわるっ…!」
私は急いで九条君の指から米粒を奪い取ったけれど、おそらく九条君はその米粒を食べるつもりはなかったように思える。
「てかさ、出発時間早すぎるだろ…」
まだ眠そうな九条君は欠伸を飲み込んだ。
「だって東京だよ!?やりたいこといっぱいあるじゃん!」
「…本当に写真部の活動で行くんだろうな?」
実際のところ、そんなわけがない。
写真部の活動と言わないと、九条君はどうせ一緒に来てくれないだろうし、朝が早いのも嫌がるはずだ。
「嘘だったらエナジードリンク10本飲ますぞ」
「えぇ…」
「冗談だよ」
九条君は素直な人だから、私に対しては思ったことや考えたことはすぐに口にするタイプだけれど、その反面、人の表情やその場の空気を意識しすぎることがよくある。
九条君が何も気にせず言いたいことを言ってくれるのは、私が九条君にそれだけ信頼されているということだ。そう解釈すると少し嬉しい気持ちになれる。
「そういえばさ、写真部って個人活動だって知ってた?」
「いやこの間まではまったく」
写真部に入部してからわかったことなのだけれど、写真部というのは団体で活動する部ではなくて、個々がコンテストなどに写真を応募するだけに集まったものらしい。
つまり誰にも邪魔されずに好きなだけ九条君と写真を撮りに行けるということで、これは私にとって最高の活動方針といっても過言ではない。
(部長さん感謝…!)
天の部長さんに手を合わせて拝んでいる私の横で、眠そうに目を擦る九条君は高身長の小動物(すきぴ補正)のようでなんだか愛らしい。
しばらく九条君の寝顔を見つめていると、電車から人が乗り降りする音で不意に九条君の目が開いた。私は類い稀なる反射神経で目が合うことを回避し、何気ない雰囲気を装って辺りを見回す。
九条君が何か言いたげな様子であることを察知して、焦った私は瞬時に先手を打つ。
「く、九条君どうしたの?」
ここで「いや別に」と言わせることでまったく別の会話に移行させるという作戦だ。向こうから先に「何?」と聞かれると一巻の終わりだ。
「あ、いや、…乗り過ごしてね?」
「え」
慌てて電光掲示板を見ると完全に一駅通過してしまっている。
「や、やってしまったぁ…」
「起こしてくれよ~」
「わ、私も寝てたからなぁ…?」
「嘘つくな、」
九条君は少し笑って手荷物をまとめ始めた。こういったミスには一見厳しそうな九条君だけれど、意外と冒険やノリが好きで大雑把な人だから、私のおっちょこちょいも笑って許してくれる。
*
予定より10分遅れで到着した東京駅には、観光客やサラリーマンなどでごった返していた。休日出勤のサラリーマンに「ごくろうさん」と涙を流しながら、自分たちの観光に意識を戻す。
実はこの日のために、授業の時間を惜しんで”観光したいとこリスト”を作成しておいた。私はリストをカバンから取り出すと、「じゃん!」と九条君の前に広げた。
「おぉ~結構面白そうだね!…写真部の活動ではないけど」
「もう気にしないで行こう~!!」
右手を空高くに突き上げて、私は走り出す。
九条君も「走る必要は無いだろ…」と言いながら気だるそうに私を追いかけた。
まずは浅草観光だ。
電車はもう懲り懲りだという九条君の強い主張を考慮してバスで向かうことになった。
東武浅草駅から徒歩3分ほど歩くと、かの有名な「雷門」の文字が見えてくる。平日の朝だからか人の数はあまり多くないけれど、私たちの地元で行われる夏祭りよりは賑わっているという事実に少し胸が苦しくなった。
「ねぇ九条君!あれが”らいもん”だよ!!」
「”かみなりもん”な…」
風神と雷神のポーズで写真を撮ろうと提案しても「絶対に嫌だ」と断る九条君。結局、私一人で風神と雷神のポーズを撮ることになってしまった。
「すごいね!”あさくさでら”って!!」
「”せんそうじ”な…」
いちいち細かいところを指摘してくる九条君に頬を膨らませながら、来た道を戻ろうと足を進める。
「え、お、おい…、怒ったの?」
「へ?」
確かにちょっとイラッとはしたが怒っていない。心配性も九条君のかわいいところだなと思っていると急に九条君が私の腕を掴んだ。
「ごめん、言い過ぎた」
「あ、いや、大丈夫だけど」
思い切り腕を掴んでいる九条君とは対照的に、まったく状況の掴めていない私はカバンに入れておいた観光したいとこリストを見直す。
「次は東京スカイツリーなんだけど…」
「え、本殿見ないの!?」
ここ数年で一番大きな声を出す九条君に私もびっくりして「見ないよ!時間ないから!!」と咄嗟に言い返す。そんな二人を冷たい目で見るサラリーマンたちに今度は「ごめんなさい」と涙を流したい私であった。
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