第5話 東京写真(中)
全長634mを誇る東京スカイツリーの展望台は学生から家族連れまで多くの人で賑わっている。
手すりから身を乗り出して、そこから見える景色にカメラと目を光らせている私の横で、九条君はいささか納得のいかない表情をしていた。
「晴れててよかったね!結構遠くまで見えるよ~?」
「…そうだな、確かにいい景色ではある」
私はため息をついて九条君の肩を軽く叩くと、声色を少し高くして笑った。
「ほら!過ぎたことをくよくよしない!せっかく綺麗な景色が泣いてるよ~」
「…寺に行って本堂見ないってある?」
「まぁまぁ、てかさ!ここから私たちの学校見えるかな!?」
「見えるわけないだろ…」
冗談交じりなことを言ってなんとか宥めようとするけれど、歴史的建造物好きの九条君は相当なダメージを受けてしまっているようだ。
展望台の下に広がる東京の街は、いつもより私の近くにある太陽の光を反射し輝く宝物のようで、田舎娘の目にはすぐに慣れない代物だった。
「人類の発展を感じたね~」
お土産屋で買った東京スカイツリーのストラップを振り回しながら、ひとっ風呂浴びたような心地で外に出た。
「…痛っ、その凶器振り回すのやめろ」
なんだかんだ九条君の機嫌も治ったようで一安心だ。
私は九条君のいうとおりにストラップをカバンの中にしまって、次なる目的地へと足を早めた。
*
私たちの地元は山に囲まれた内地のため、水族館が存在しない。九条君が云うには単に田舎過ぎるのが原因らしいけれど、私はそれでも内地のせいだと信じている。反例の提示は受け付けない。
水族館に行くには最寄りの大きな都市に行かなければならず、学生の私たちにはなかなか機会が無いので水族館への憧れは非常に強い。
さすがに小学校の課外学習では行ったことはあるけれど、ドラマや映画で見るようなデートスポットとしての水族館を体験したことはないのだ。
今日はすみだ水族館で存分にカップル気分を味わおうと目論んでいる。
「水族館の魚といえば!!せーのっ…クラゲ!!」
「…ペンギン?」
九条君は突然のかけ声に驚きながら絶対に魚じゃない生き物の名前を挙げた。私が「ペンギンって…!」と笑って九条君の脇を肘でつつくと、九条君は私の頭をトントンして「じゃあペンギンは見ないからな」と意地悪を言った。
すみだ水族館はスカイツリータウンの5階と6階にある。
中にはもちろんクラゲやペンギンなどをはじめとする海の生き物たちが展示されていて、江戸リウムや万華鏡トンネルでは映える写真を撮ることができる。
少し薄暗い空間に巨大な水槽が青く光っていて、私たちは時間を忘れて幻想的な異世界に入り込んでいた。
「…すごいね」
「うん、生命力を感じる…」
「昼ご飯は海鮮丼にしよっか…」
「おい」
足元に貼られているおすすめ経路のシールに沿って歩いていると、不意に周りがカップルだらけであることに気がついた。
「ねぇ、私たちもカップルだと思われてるのかな?」
「…え、は?」
「だって周りカップルしかいないよ」
「よし、外出るか」
「ごめんって!」
そんな冗談を言いながらも、水族館が醸し出す幻想的な雰囲気に当てられて、私たちは写真部の自覚を無くしたまま展示に見入っていた。
そのため撮れた写真といえば、ペンギンのブースではしゃいでいる九条君の後ろ姿くらいで、とうてい写真部に活動報告できないなと私はひとりで苦笑いをした。
*
「はぁ、まだ3つ目なんだよね…」
下町の定食屋さんで観光したいとこリストを見つめながら、少し遅めのお昼ご飯を食べる私たち。
窓の外から見える道は、街灯の電気がちらほら付き始め、部活帰りの学生が帰路を急いでいる。
水族館を出てからは、お土産を買ったり服を買ったりといろいろな場所をぐるぐると回ったけれど、観光したいとこリストは一向に更新されていない。
「あといくつあるんだっけ?」
「10箇所」
「うん、はじめっから無理だわ」
「…残念」
私は肩を落として、東京スカイツリーのストラップをいじりながら口を尖らせた。そんな私を見て、九条君はおもむろに自分のカバンから何かを取り出す。
「ほら、これで元気出しな」
「え!何これ!?」
「さっき買ったぺんぎんのもふもふストラップ」
「いつの間に…!」
予想外のプレゼントにテンションが爆上がりした私は東京スカイツリーのストラップを投げ捨ててもふもふペンギンに頬をすり寄せた。
「…由佳、味噌汁にスカイツリー入ってるぞ」
「あぁああああ!!」
―――味噌汁は東京スカイツリーが入っても変わらず美味しかった。
九条君が食べ終わるまで待ちつつ、もふもふペンギンを自分のスマホケースに付けていると、不意に壁に掛けられているテレビから本能的な危険を感じる音がして自然と目を移した。
「ただいま速報が入りました。東京駅のホームにて人身事故が発生し、一部運転を見合わせているとのことです――――」
「ま、まじか…」
ニュースを聞いてスマホを開いた九条君から衝撃の一言が飛び出す。
「俺らの乗る予定だった電車、明日まで運休予定だって…」
「…え、どうする?」
「歩いて帰るか」
「無理」
突然、窮地に立たされた私たちはとりあえずお店を出て、広場のベンチに腰掛けることにした。
高校生の私たちにはタクシーに乗るお金もないのだ。
「泊まるしかないか…」
「え…!?」
「仕方ないだろ」
「私、お金ないよ?」
「それなら大丈夫」
九条君は自分の財布から1万円札を3枚抜き取って見せつけてきた。
「そ、それ何のお金!?ちゃんと持ち主に返さないと!」
「いや落とし物でも窃盗でもないから!」
九条君の話を聞くに、高校の合格が決定してから居酒屋でアルバイトを始めたのだという。ちょうど15日に給料が入ったので、今日その全額を持ってきたとのことだ。
「私、アルバイト始めたの知らなかったんだけど!」
「そりゃ言ってなかったからな」
「何で!」
「…お前も居酒屋で働くとか言い出したら困るからだよ」
九条君の一言で、私の身体が熱くなるのを感じた。その一方で、「どういう意味?」と詰め寄る声は驚くほど冷めている。
「あ、いや、酔っ払いが由佳に絡むとかなったら大変だから、その…」
九条君の照れた表情を見て、私の体温はさらに急上昇した。頭から湯気が出てきそうな気がして、とっさに立ち上がる。
「す、スマホで安いホテル見つけたから行こっ!!」
九条君の反応も待たずに駆け出した私の走りはいつもより速かった。
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