日常

第2話 初登校

――6年前・4月初旬。


河川敷の桜並木は新入生に春の息吹を感じさせる。

雪解け後、久しく踏んでいなかった地面の感触に心を躍らせながら、肩の合わない制服とテカテカの鞄を持って、偶然の接触を図る私。


「あ、あれ~、九条君じゃん!」

「いつから待ってたんだ?」


九条君は一言呟いて私の前を素通りする。

急いで追いかける私を横目に、しっかりと歩幅を合わせてくれるところに優男の片鱗が垣間見られる。


「やっぱりさ、青い空に桜って良いよね~。青い春!青春!!」

「由佳ってすげぇ桜好きだよな」

「やっぱり香りがいいよね」


九条君は「梅の花じゃないんだから」と笑いながらポケットに手を突っ込んだ。


「てかさ、どうして同じ高校来るんだよ」

「うわ~そんなこというのか…」


いつも通りの照れ隠しで辛辣なことを言ってくる九条君に頬を膨らませながら、私は大きな声で言い放った。


「あんたが私に付いてきたんでしょー!もう一緒に学校行ってあげないからね!!」


私が冗談半分で走り出すと、九条君は周りの学生の反応を気にしながら私を追いかけて走り出した。



*



正門のカーブで差をつけたはずの私の襟を九条君が掴む。


「くそ~あとちょっとだったのに!」

「お前、あほか…!」


九条君は息を切らしてぐったりしている。

お詫びに水を買えと要求してきたので、仕方なく私たちは購買に向かった。


といっても初登校の私たちには購買のブースの位置など検討もつかず、たどり着くまでにしばらく歩き回ることとなった。


九条君の首に滴る汗を集めたら天然水になるのではないかという妄想をしている私の横で、九条君は美味しそうに水を飲んでいる。


「ほら、由佳も飲めよ」

「え、あ、え…、」


唐突に出現した間接キスイベントに動揺を隠せないままあたふたしていると、校内にチャイムが流れ始めた。


「や、やべえ遅刻じゃん!」


こうしてイベントに参加もできず落胆している私の腕を引っ張って、九条君は走り出した。が、九条君は方向音痴である。


「…こ、ここどこだ」

「学校で遭難って超はずいんだけど…?」


気がつけば私たちは屋上にいて、そこから見える体育館からは入学式のアナウンスが漏れている。


「入学式始まってんじゃん」


手すりに身体を預けて落胆の表情を見せる九条君に、私は少しニヤつきながら青い風に目を閉じた。


「屋上は桜の木より高いから青い春を感じられないね!」

「何を呑気なこと言ってんだよ」


ここから飛び降りれば体育館まで迷わず行けるぞと冗談を言う九条君は、今もどこかで迷っているようなため息をついて、私の顔を見た。


「何か言いたいことがある顔だね?」

「さすがだな」


九条君は声を落として笑うと息を吐いて言った。


「実は昨日、杉野から告白されてさ…」


その一言に全身の筋肉が硬直する。口すらも強ばって思うように動かず、言いたいことも言うべきことも何も出てこない。


次に広げる言葉をポケットから探しながら、九条君に自分の表情を見られないよう、体育館とは逆側の手すりに駆け寄って身体を押し付けた。


「それで…?」

「断ったんだけど、」

「うん」


早くその続きが聞きたくていつもより早い相づちをしてしまう私。

そんな自分に情けないなと思いつつ、時間の止まったようなその一瞬の長さに驚いた。


「おい!お前らそこで何してんだ!!」


九条君の爽やかな声とは正反対の太い怒鳴り声が後ろから聞こえて背筋が凍る。道に迷ったなんて言い訳が果たして通るだろうか。


ため息をついて、青空に1つ雲を作った。



*



――現在。


飽き性の私が日記をつけ始めたのは、高校に入学する少し前のことだ。確かきっかけは九条君が日記をつけていたからで、私も単にその真似をしただけだったはずだ。


高校を卒業して大学に入学するときは、親元を離れるということもあって日記をつける暇もなくその日を生きることに精一杯だったため、3年間も続けた日記もつける癖がなくなってしまった。


こうして読み返してみると、買ったばかりのノートみたいに初日のページだけは丁寧な字で書いてある。


ボールペンにも憧れて、少し高いものを新しく購入したような気がする。


自分しか見ないというのに、九条君に対する気持ちや想いを赤裸々に書くことはどうもできなくて、かなり言葉を選んで悩みながら日記をつけていた。


あれだけ時間をかけて書いたのに、数ページ読むのに5分もかからないのは月日の流れる速さと似ているように感じる。


大学に入ってからの想い出も形としてたくさん残っているけれど、実家に持って帰って飾っておくのも気が引けるし、この日記と一緒に廃棄してしまっても良いかもしれない。

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