好きを知らない君は青い春を待たない
酸素
はじまり
第1話 プロローグ
――現在・3月中旬。
桜の香る季節になった。
ビルの間を抜ける強い隙間風に荒れる髪を抑えて私は青空を見上げる。
当たり前に桜の香りなんて少しもしないけれど、そう言うと「梅の花じゃないんだから」と九条君に笑って貰える気がした。
そんなことを考えていると、不意に後ろから声をかけられた。
振り返ると、少し遠くの方から石橋君が「お待たせ!」と笑顔で駆け寄ってきた。
石橋君は高校からの友達で、最近はあまり会っていなかったけれど、私に用があるとのことで久しぶりに会うことになったのだ。
近くのカフェに入り、苦いホットコーヒーで沈黙を埋める。石橋君は角砂糖を5個入れてかき混ぜると、カップを静かに置いて息を吸った。
「久しぶりだね」
「そうだね、なんだか緊張しちゃう」
私は笑いながら窓の外に目を移した。
石橋君は「ここのコーヒーおいしいね」と小さく呟くと、私の小さな返事を聞いて頭を掻いた。
「…あのさ、まだ九条君のこと好きなの?」
唐突な質問に気が触る。
「それどういう意味?」
「…僕さ、由佳ちゃんのこと好きなんだよね」
予想外の一言に全身の筋肉が強ばった。
石橋君は続けて言う。
「そりゃびっくりするよね。これまで嘘ついてたのは本当に申し訳ないと思う。だけど、高校の頃からずっと好きで…」
言い訳のように止まらない石橋君の言葉に私は手が震えた。
「…本当に最低な人だね」
「で、でも、九条君だって…」
聞きたくもない言葉が飛び出しそうな気がして、「もういい!」と席を立った。店を出る私の背中に石橋君の叫びが刺さる。
「――嘘つきじゃないか!!」
「子どもみたいな言い訳しないで!」
私は全力で店の扉を閉めた。
*
4月に入ればいよいよ青い春の到来だ。
なにかと毎年はしゃぐ私だけれど、今年はあまり待ち遠しくない。
玄関の扉を無造作に開けると、何足かの靴が転がっていた。
ソファーの上にカバンを投げてそのまま自分も倒れ込む。
途中までしか詰めていない段ボールの山に囲まれながら、あとで片付けようとだけ考えてばらまいていた荷物たちに目をやる。
ぼんやりと石橋君のことを考えた。あの告白になんだか自分の大切にしてきたいろいろなものが傷つけられたような気がして、ソファーに沈む自分の身体が重くなるのを感じた。
―――石橋君はすごく子どもだ。
あんなに甘くしたコーヒーをお店の味みたいに言わないでほしい。
でも、私だってコーヒーが好きな大人になれたわけじゃない。
だから、人のことが言えない自分に嫌気が差すのだ。
不意に雲が少し動いて夕日が差し込んできた。同時に、荷物の山に埋もれた何かがキラキラと光を反射させている。
重い腰を上げて手に取ってみると、それは高校時代の日記だった。表紙に貼ったプリクラが光を反射させていたようだ。
ふと「懐かしいな…」と口にした自分に、時の流れを感じさせられた。
最近は1年の経過が異様に早い。考えてみれば、高校入学からすでに6年も経っているのだ。
6年という月日は長いようで短くあっという間に過ぎ去るけれど、良い意味でも悪い意味でも人を成長させる。というか加齢させる。
今の私にはそんな度胸も勇気も環境もない。
大学卒業を控えて就職先も内定し、今や変わらないモノだけに安心感を覚えるつまらない私に、煌びやかな高校時代の日記は必要ないように感じる。
しかし、憂鬱だった引っ越しの準備を忘れて、過去の余韻に浸るのが今できる最適な時間潰しのように思えてやまない。
彼の到着まであと2時間。
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