太陽を見た日
権俵権助(ごんだわら ごんすけ)
太陽を見た日
ハッ、ハッとリズムよく呼吸を繰り返し、ポニーテールを揺らして走る。年の頃は二十歳くらい。バカンス中の彼女は夕刻の海岸沿いをマラソンコースに選んだ。沈みゆく美しい太陽を眺めながら走るのは心地よかった。
砂浜に老夫が座っているのが見えた。太陽に向かってあぐらをかき、静かに目を閉じている。生きているのか、死んでいるのか。気になった彼女はコースを外れて老人のもとへ向かった。
「あの、おじいちゃん」
隣りに座って声をかけると、老人はゆっくり目を開いて彼女を見つめて笑った。皺の多い顔がもっとしわくちゃになった。
「やあ、お嬢さん」
「こんなところで何してるの? もうすぐ陽が沈むよ」
「ああ、それなら心配いらないよ。あの太陽が見えなくなる頃、私は老衰で死ぬんだ」
突拍子もないことを言い出した老人に女性は目を丸くした。
「はは、驚かせてしまったね。これは秘密なのだが、実は私には未来が見えるんだ」
老人の戯言に、女性はため息もつかずに「へえ、それはすごい」と相槌を打った。もちろん本当に信じているわけではなく、彼女の優しさだ。
「おかげで私は労せず大金持ちさ。おまけに苦しまずに逝けるんだ。思えばいい人生だったよ」
「それは羨ましいなぁ。でも、最期はやっぱり家族と一緒にいてあげた方がいいんじゃない?」
いくら春とはいえ、夜になれば肌寒い。こんなところに老人ひとり置いていくわけにはいかない。彼女はうまく帰宅を促したつもりだった。
「はは、あいにく私はずっと独身だよ」
「そうなの? ……うーん、若い頃は結構モテたんじゃないの?」
老人から皺を無くした顔を想像して言った。
「君くらいの年の頃に理想の女性に出会ったがね。そう上手くはいかないものさ」
「でも、未来が見えるならその女性とどうすれば上手くお付き合いできたかもわかったんじゃない?」
「……いいかい、お嬢さん。どれだけ金があっても、たとえ未来が見えたとしても、決して対等になれない立場の違いというものがあるんだよ」
「えっ! もしかして、どこかの国の王女様? 告白はしたの?」
なんだかロマンチックな話になってきた。彼女もそういう話は好きだった。
「いや、名前を聞いてそれで終いさ。それから結局、彼女が忘れられずにこの年まで独り身というわけだよ」
「なあんだぁ」
がっかりした彼女は立ちあがって砂を払った。
「おじいちゃん、陽が沈んだらちゃんと家に帰んなよ」
そう言ってまたマラソンコースに戻った。夕陽は赤みを増し、彼女の目を細めさせた。砂浜にぽつんと小さな老人の背中が見えた。太陽が高度を下げるにつれて、その背中は逆光の影に埋もれていく。なんだか、日没が来たら本当に消えてしまいそうに思えた。
※ ※ ※
「戻ってくると思ってたよ」
暗くなり始めた砂浜。彼女はまた老人の隣りに座った。
「ほっとけなくってさ」
「ふふ、ありがとう」
「……………………」
「……………………」
ふたりはしばらく海を見つめて波の音を聞いていた。太陽が水平線に触れた時、老人は彼女に尋ねた。
「お嬢さん、お名前は?」
-おしまい-
太陽を見た日 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA
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