第4話砂山の上で 4

  午前中は会社で通常の作業をし、午後は砂山に出かけた。あれ以来軽トラは貸与されず、自分の車で砂山に通う。別に構わないが、軽トラを取りに来たのが社長の弟で、なんと、デリヘルの店長だと言う。つまり、経営者は社長だと……。加えて、息子に土建会社を任せていると佐古は言う。それは解る。土建屋を立ち上げ、それを元に産廃の会社を興したに違いない。何とか建設とか何とか建築の会社だろうに、社長に学歴は無い。仕事は出来るが資格は取れない。そのジレンマを解消する為に息子を大学の建築科や土木科に入れ、継がせる。そんな奴を何人か知っている。そこに疑問はないが、デリヘルは別だ。佐古には言えないが、間違いなく日本人の石川さんには訊ける。そんな商売をするのは素人では不可能じゃないのかと。ヤクザの7割ぐらいは在日だと言われているが、この粉屋もヤクザのシノギのひとつなんだろうか? そうなると本当にヤバイ。

 「金さえ貰えれば、どうでも良い」

 石川さんは全く動じてない。関わりを持ちたくないのは解るが、好むと好まざるとに関わらず、関わってしまうのは目に見えている。全部承知で働くのだから、幇助になるだろうに、そこまでは考えずに無視する算段だろうか。

 「モノホンのヤクザだろうか?」呟いてみる。

 「無関係ではないだろうが、どこまでの繋がりなのかは想像するだけ無駄だと思う」やはり石川さんにも相応の経験はあるみたいで、ひょっとしたら若い頃、ヤンチャしたのかも知れないし、まだまだ奥は深そうな感じだが、道徳とか道義的責任とかの、謂わば幼稚な純情は、もうとっくに世間の泥にまみれ、心の奥底に押し込んで蓋をしてしまい、思い出す事もないのかも知れない。解らぬでもないが、そう簡単に処理や始末し得ないのも事実だ。不意に頭をもたげて来て、変な正義感に駆られてしまい、暴力オヤジになりそうな時がある。かと思えば逆に、若い男などが自分は正しいのだと正論をかざして悦に入った弁論をしようものなら、常識を疑わぬようでは改革は出来ないよと、知ったかを食らわして煙に巻くことも厭わない。困った性格なのだが、こんな、と言ってはいけないのかも知れないが、土建屋と産廃の仕事で悩むような問題ではない。石川さんが正しい。

 社長はデリヘルの事を隠さなかった。

 「社長、デリヘルも……」と、ストレートに訊いたら、「何だ、いつでも女の子を紹介するぞ」と、何の屈託もない。ネットの情報では、デリヘルも在日が握っていて、女の子は韓国からやって来た子が殆んどらしく、つまり、同胞に売春させている事になる。それも日本で稼いだ金を仕送りさせ、家族はヒモのような生活をしている場合もあるみたいで、妹が躯で稼いだ金で遊び呆けているチンピラの兄を詰る書き込みを見て、胸の塞がるような思いに駆られ、デリヘルがとんでもなく悲しく、同情と憐憫を誘う言葉に変わった。そんな感情が沸き上がるのを抑え、へらへらと「もうそんな元気はありませんよ」と、答えなければならない自分は情けないが、一方で、そんな商売に関わらなくて済んだことを感謝してたのに、ここで働く事が間接的にだが、手を貸しているのかと危惧する気持ちも芽生えた。産廃とデリヘル、普通は繋がらない職種が繋がり、真逆な物の混合で、頭だけでなく感情もぐちゃぐちゃになり、ユンボの運転の最中に売春の2文字が頭に浮かんだり、砂山の上で、また叫んだりした。この社長、メンタルは恐ろしく頑丈か、想像も出来ない程の破天荒なのかも知れない。デリヘルまで経営しなくても困る訳ではないだろう。女の子を抱えて、ただただ悦に入ってる訳でも無いだろう。ピンハネして儲け、それも売春となれば法に触れる事になろうに、算段の答えが見つからない。やはり、法を犯すことも厭わないのは、本物のヤクザなのかも知れない。

 「俺の女でもないのに」

 「抱いてもいないのに」

 社長の弁だ。専務に関する言葉で、肉体関係はないと言う。それどころか、衰えが酷く、もう不能だとの告白だ。こんなバカな話があろうか。言葉通りに受け取るなら、インポの男が売春の斡旋をしている事になる。己に用の無くなった性を、若い女の肉体を、見知らぬ男に用意し、女性たちの仕送りに協力しているとでも言うのどろうか。そして、同じ若い女である専務にも手を出していないのが証拠だとの主張にも聞こえ、まるで慈善事業家の言い種だ。また、口癖は、"儲けを独り占めする気はない"と、まさか本気ではないだろうと見返しても、嘘や冗談の顔をしてなくて、急いで専務の表情を確認したのだが、専務は決して目を合わせる事なく、頷く事もない。ここでも自分の感情に蓋をして意識を押し込み、結果、社長の意に反する言動は慎んでいて、正にイエスマンだ。女性と言うのは馴れてくると隠れていたワガママが少しは顔を出す、もしくは、そういった素振りに気づく筈なのだが、それが少しも無いのは不思議だったが、答えは、ハッキリとは言えないが、専務の身の上にありそうだった。

 ある日の昼休み、入り口の鉄板の上でバドミントンをする女の子を見つけた。専務が相手をしている。二階に客がいて、その子供の世話をしているのかと思ったが、どうも雰囲気が違い、専務に甘えているようで訝しい。中学生なのかセーラー服姿で、身長は専務と同じくらいか、少しぽっちゃりしていて愛嬌もある。まさかと思って聞き耳を立てていたら、"お母さん"と、呼ぶ声がして、どうやら専務の娘なのは間違いなさそうだ。そうだとすると十代で産んだ事になる。そんなに早く子持になるのはヤンキーなギャルしかいない。髪の毛を金髪に染め、ツナギの戦闘服を着たまま、蹲んで上目遣いにメンチを切るレディースが思い浮かぶ。そして、その唇は紅ではなく、紫か青、最悪は黒。どうしてか、そんな連想をしている。ぶっきらぼうな言葉遣いは名残りで、だとすれば社長との繋がりも納得だ。

 「悪いけど、これを捨てておいて」

 仕事に向かおうとしたら専務に呼び止められ、籠に入れられた使い古した鍋や薬罐、フライパンの類いを渡された。どうやら、引っ越しをしたらしく、ワンボックスカーの中には、その他不用品もあり、女の子は本や雑誌などを紙のコンテナの所へ持って行き、背伸びをして紐で縛った束を中へ捨てている。それが嫌々させられている雰囲気ではなく、嬉しそうな素振りを隠さず、鼻歌を口ずさむようなリズムがある。その事から、引越が楽しく希望に満ちた出来事なのが判る。つまり、多分、狭い襤褸アパートから広くて綺麗な部屋へ移り、出世して嬉しいに違いない。捨てられた鍋釜も、綺麗に掃除された形跡はあるが、いずれも古くて垢じみていて、アルミの片手鍋など、鍋底の焦げ目に金属たわしの擦れ目があるばかりではなく、取っ手の黒いプラスチックが欠けていて、グラグラと動くようだ。

 母子家庭の貧しい生活を想像した。若い男なんて、女に子供が出来たのなら、飽きて、子育てなんかするものか。そして離婚のシングルマザー。ありきたりだが、外れた推理では無いだろう。専務も独りで子育てしたのだろうか。十代で出産して子育てなんて、男には無理だ。専務も、よく投げ出さずに仕遂げたものだ。逞しさ、負けず嫌いはヤンキーの属性なのかな。そんな感慨も湧いてくるが、そこに社長も絡んで来るのだろうか。勿論、今度の引越は専務の収入が増えたお陰で、その金は社長が出していると言えばそうなのだろうが、母子家庭への援助金みたいな性格を社長が考えたのかと問われれば、それは違うだろうと言わざるを得ない。どだい、デリヘルとは相容れない、矛盾だらけの想定になってしまう。けれども、専務がイエスマンとして、決して社長に逆らえないのは解るし、当たり前だろう。

 この専務、見かけは中肉中背、女としても大きい方ではない。だが、仕事は男勝りだ。ユンボの運転だけでなく、機械修理、溶接までもこなす。工業高校でも出ているのかと訊いてみたが、そうではないらしい。ここの立ち上げに最初から関わり、生コンの打ち出しから機械の設置まで、社長と二人で完成させたらしい。その過程で社長の全幅の信頼を得たらしく、「機械の裏のネジ一本まで、専務の知らない事はない」と、べた褒めなのだ。まあ、ユンボの操作を教えて貰っている身の上だが、そんなことには驚かなかったが、溶接にはビックリだった。大概の女性は吹き出すガスの炎を怖がってビビり、溶接どころではないのだが、専務は余裕寂々、タバコを咥え、バーナーを顔の前に持ち上げ、ゴーと勢いよく音を立て、50センチ程も炎を上げているのを眺めつつ、おもむろに、黒くて丸いサングラスを下ろし、丸いネジでガスを絞って小さな青い火にしてから溶接棒に手を伸ばした。一連の動作は、見ているこちらを意識した演技のようで、咥えタバコはやり過ぎだと思うが、サマにはなっていた。

 ガスだけではない。電気溶接も出来る。こっちも危険だ。工場などは家庭と違って200ボルトの電圧があり、感電したことはないが、触っただけで吹っ飛ぶらしい。こちらは頻繁に使う。なぜかと言うと、ぐるぐる回るバスケットのついたユンボの籠が壊れるからだ。大きな石やコンクリートが入ったまま回すと、当たった衝撃で網目が破れ、切れる。そこを電気溶接で繋ぐ。ここでも儀式のようなデモンストレーションをする。

 ガスの方は酸素とアセチレンの細長い鋼鉄のボンベのカートを、現場まで引いて行けばいいのだが、電気の方はそうは行かない。入り口近くの配電盤から電気コードを繋いで、ゴミの山の上まで持って行き、赤銅色の大きな洗濯バサミのような物で長細い溶接棒を鋏むと、鉄の籠のあらぬ方にチョンチョンと接触させ、火花を出す。と、ここでようやっとアイアンマンの仮面みたいな顔全体を覆うガードを左手で使いつつ、切れた部分を繋いで行く。格好つけるのはその、チョンチョンと火花を出す時の間(ま)と、面と、面を外した時の素顔の対比だ。京劇とか文楽人形の瞬時に変わる顔。あれに近い。仕上がりを見るため、フェイスガードを外して裸眼で溶接具合を確認するのだが、上下に動かさず、左右に扉を開くようにするのだ。それが、まるで蝶が羽ばたくようにヒラヒラと、現れる顔が男の、日焼けした顔なら興味も湧かないが、白く化粧した女の顔ならば、それこそ仮面と素顔が、芋虫と蝶々ほども差のある変身で、驚くほど美しい。

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