第2話

 真っ赤に塗られた大きなディーゼル発電機の脇を抜けると穴蔵のような部屋があり、低い天井の真ん中からガラの漏斗がコンベアの上まで落ち、瓦やブロックの破片をバラ撒いて並べ、斜めに上がって破砕機に放り込んで砂に砕く。その音は凄まじく、アスラムは耳栓をしている。部屋は暗いが片方の壁が敷地を囲う矢板の並びになっていて、その板をずらせてスリットを作り明かり取りにしている。だから光は横から入り、コンベアに流れるビニール、紙、金属の選別には寄与しない。当然、照明は必要で、奥のコンクリート壁の前に立って仕事をしているアスラムの頭の上には蛍光灯があるのだが、ワット数が低く、トイレの照明ほどしかない。従って晴れた日の昼間でも薄暗く陰気だ。夕方のこの時間、ターバンを頭に巻き、鼻と口をマフラー巻きにしたアスラムは、アラブの戦士のように砂埃の中で眼だけギラつかせ、無言で迎え入れた。

 コンベアの下には石油缶が置いてあり、紙とビニール、木屑、金属と、コンベア上から分別して投げ入れる。紙や木屑は、まんま粉砕されても実害はないが、金属はそうは行かない。釘の一本でも流してしまうと、粉砕機の音が変わり、悲鳴のような金属音が響く事になる。それだけなら良いが、粉砕機の超硬は鉄をも粉砕して尚も高速回転し、水銀の玉のような物を吐き出し、コンベアの上に転がせる。沸騰して液体になり、丸くなって転がるのだ。従って熱い。取り除こうとするとゴム手袋を焦がし溶けてくっつき、手を振っても離れない。用心して下に軍手をしているので火傷はしないが、熱さは感じる。そしてパニックに陥る。

 初めての事でパニクって大袈裟に手を振り、大急ぎで手袋を脱ぎ捨て、頬を膨らませて指先を吹き、大騒ぎをしているのを見て、アスラムは笑ったに違いない。布で覆われて顔は見えないが目が笑っているような気がして、コントのような演技をした甲斐があろうと言うものだが、少しでも"ザマアみろ"と言うような雰囲気があれば、関わるのは止めて無関心になり、やり過ごそうと考えていた。まあ、そんな奴じゃないとの判断は着いていたが。

 昼飯を事務所の一階で取るのだが、日本語を上手くなりたいアスラムは会話をしたくてしょうがなく、そこで大体の、と言っても日本に来てからの事だが、お喋りを通じて履歴は知れた。

 最初の仕事はコンクリートで側溝や、その蓋を造る会社で働いたらしい。ここで日本人のやり方にしてやられ、痛い目を経験して懲り、用心深くなったと言う。それは日本人でも経験するかも知れないのだが、日本特有な事なのかどうか、手の込んだやり方だ。

 インド、スリランカ、あちら方面だけでは無いだろうが、太っていなければモテない。だからアスラムも大柄で太い。先ずその体格を褒められ、さぞ力もあるだろうと製品を持ち上げさせられ、持ち上げると、流石だと誉めそやされ、得意になってホイホイと運ぶ羽目になり、遂には腰を痛めて辞めざるを得なくなり、そこで、ようやっと嵌められたと気付いた訳で、愚かな自分を嘆くしかなく、八つ当たりも出来ない。これが日本人のやり方かと、恨みたいが、自ら進んで運んだ経緯もあり、それも変だ。誉め殺しと言う言葉があるが、そんな諺、外国には無いのかも知れない。そんな経験をし、それでまたタダ働きだ。それも15分、20分のいじましい搾取で、抗議しても握り潰されるだろうし、恥ずかしい事だが、日本では普通にやられている事だ。それをアスラムに言っても解っては貰えないだろう。日本人なら逆手に取ってタイムカードを遅く押し、残業代を稼ぐのたが、オーバーステイのスリランカ人にタイムカードは無い。多分、日割りで貰っているだろうから残業は丸っと損だ。だが、どうしてやることも出来ない。別にこちらが心配する義理はないのだが、どうしてか、ちょっかいを出さずには居られない。面白がる好奇心がまだあるのだ。

 20分もしないうちにガラは無くなり、アスラムが壁のスイッチを押すと粉砕機が止まり、嘘のような静寂が訪れた。矢板のスリットからは早苗の植えられた田んぼが透けて見え、稲田を渡った涼しい風が吹き込み、多少だが、砂埃を吹き流して新鮮な空気を吸わせてくれる。鼻と口を覆っていた布を顎まで下げ、アスラムが言う。

 「これで終わりじゃないネ」どうゆう事か解らない。振り向いて首を傾げると、「砂を揚げるネ」と、言ってアスラムは粉砕機の下のピットを指差した。粉砕され砂になった瓦礫は下に落ち、これも又コンベアによって外のコンクリート枡に運ばれる。地下から伸びたコンベアは部屋を貫いて長く上に上がり、ユンボで掬っている砂の枡まで続いていたのだ。その地下の穴にアスラムの後から降りると、コンベアから溢れ落ちた砂が溜まり、砂丘の砂のようにサラサラと音を立てそうな雰囲気の山になって積もっていた。その砂をスコップで出す。狭いので二人一緒には動けず、交互にするので面倒だ。いっそのことコンベアを動かして砂を乗せたらと言うと、アスラムが穴をでてスイッチを押し、コンベアを作動させた。コンベアだけを動かせばいいのだが、そんな風には設計されていないのか、粉砕機も上のコンベアも動いている。だが人力で砂を放り揚げるよりは数段楽で、狭くても腰までの動きなら二人での作業も可能だ。角スコップで砂を掬いコンベアに乗せるのだが、多くを乗せてもダメだ。落ちてしまうのだ。平ベルトなので機械の振動で雪崩のように崩れて落ち、粒子の細かな砂粒は飛んでしまう。だからピットの中の砂はサラサラなのだ。これが大手の自動車部品工場だったのなら、改良点として指摘し、ベルトに引っ掛かりを付けて砂落ちを少なくし、穴の底からの砂出しを十分の一くらいには減らせるだろうに……。

 「アナタ頭いいネ」

 「気づかなかったヨ」アスラムは素直に認めてくれたようだ。あとはこのアイデアを誰に話し、どう実現させるのかだ。社長に進言したらスリランカ人を助ける事になり、果して賛同してくれるものかどうか、分からない。専務に相談しても、それは社長に言うのと同じだろう。秘密にしては貰えないだろうし、専務の独断で決裁出来るのかどうか心許ない。本来は会社の効率に関する事だし、延いては利益に繋がる話しなのだが、新入りの半人前のオペがでしゃばって目立つと、その後が面倒な事になりかねない。組織は何かと面倒くさい。ご存知の通りだ。そこで佐古に動いて貰おうと考えた。社長を崇拝しているのなら、社長に認められるのを望んでいるに違いないから、このアイデアに飛び付いて来る筈で、砂のコンベアだけでなく、藁のコンベアにも当てはまり、佐古にとっても一石二鳥の話だ。


 あのデカイ円筒形のドラムはトロンメルと呼ぶらしい。ロンメルならば砂漠のキツネと呼ばれたドイツの将軍だ。産廃の設備もドイツ製が幅を効かせているのか、知らないが、名前からすればそうなる。その中に入る事になった。内側は10ミリの穴が無数に空いているステンレスの網になっていて、それが回転する篩の役目を果す。それが詰まる。壁土などの粘土が多く、しかも濡れていたりすると穴を塞いでしまうのだ。しかも、その責任はガラを入れるオペにあると言われ、ユンボの二人と上の選別の三人、アズラン、おばさん、リーダーの斎藤さんの五人で機械を止め、ついた泥をスコップや鑿でこそげ落とす。べっとりと茶色い泥の付いた面を剥がすと、輝くステンレスの網の目が現れ、まるでバカでかい洗濯機の回転槽みたいで面白い。詰まらせた罰としての泥落としなんだろうが、粉砕機のピットにくらべれば楽な作業だ。しかし、泥を剥がす度に土の臭いがドラムの中に充満し、慣れる迄は罰としての作用はする。何十年の時を経た壁土の臭いは形容し難い。基本は補強の為に混ぜられた藁の臭いだと思うのだが、だとすれば植物の腐臭だ。ヘドロのニオイに近い。

 「詰まるとこうなるんだ」社長が外から声を掛ける。

 「わかったな」念を押すように付け加えた。言葉はユンボオペの二人に向けて言われているように思えるし、主に私に向かっての訓示なのだが、それなら、詰まらせなくするのなら、私一人に言えば済む事で、選別の人達に言う必要はない。彼等に聞こえるようにアピールしたのは、自分の方が上だとの謂わばマウントなのか? ホワイトカラーの新入りを使って小細工をしなきゃならない相手がこの中に居るって事なのか? なら多分リーダーの斎藤さんだろう。他には考えられない。あとの人は威圧する必要はないと考えられるからだ。

 定年を過ぎた斎藤さんは朝、牛乳配達をしてから来るらしい。軽自動車を使っての配達なので販売店なのかも知れない。時間が余るので来ていると話していたので、ここが主ではなく、アルバイト感覚なのだろう。従って100パーセント服従ではない。社長にとっては使いにくい人物なのかも知れない。それでも責任ある仕事を任せられるのは必然で、見た目も雰囲気も、企業で役職ある仕事をしていたのは間違いないと思われる。

 容貌は、明らかに現場の人間ではない。選別場ではジーンズにパーカー、ベスト、濃い色の野球帽を被っていて分からないが、飯時になると胡麻塩でザンバラ髪の、まるで風呂で洗髪したようなパサパサの髪型を見せ、理数系の学生の雰囲気だ。あれに整髪料を付け整えれば、サラリーマンの風貌の典型が出来上がる。かつて営業で訪問した時に応対した受付の後から出て来る上司の風貌で、丁寧な扱いをされればダメかと落胆し、文句や要望を一つでも引き出せれば脈ありと判断した、手強い交渉相手を彷彿とさせた。

 「日本人じゃないからな、ああゆう言い方をするんだ。気にするな」

 吃驚して斎藤さんを見返した。本当なら、産廃を在日が牛耳っているとの噂は事実なんだなと納得する。そして、それを告げた斎藤さんと社長の確執は退引きならない状態だと知れる。それと、他にも色々と認識の修正をしなければならない。先ず、ホワイトカラーとかブルーカラーとかの区別だけでなく、民族的な区別とその優劣と劣等感。日本人を雇うのは、そうした感情の綾があるのかも知れず、そうなると、単純なパワーバランスでの説明は不可能だ。専務も佐古も、日本人でないのなら、通常の推理では不十分で、在日の仲間意識があるのかも知れず、それは我々には理解出来ない要素だろう。斎藤さんの一言で、途端に全てが動いて半回転し、そこに載せたものが下に落ち、別の、仮面が現れた。いったい誰が仮面をしていて誰が素顔なのか、確実なのは社長とスリランカ人だけだ。社長は在日の朝鮮人で、スリランカ人の二人はイスラム教徒のタミール人、スリランカでは少数派の、かつては反政府ゲリラ、タミールタイガーとして戦っていた民族なのだ。こんな田舎の田んぼの真ん中で、外国がこんなに近いなんて、思いもしなかった。

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