砂山の上から 1
@8163
第1話
カマキリの腕のようなシルエットが遠望され、オレンジ色のパワーショベルが2台、薄いブルーの網の中に霞んだように見えている。それも田植えの終った田んぼの中にポツンと砂山のような高い所があり、その上に乗っているのだ。どうやら産業廃棄物の山の上に置いてあるらしく、ゴミが飛ばないように回りは足場に使うパイプを組み網を張って囲ってある。雨が降ったり止んだりしていて、その青い網が雲の灰色に紛れて霞み、パワーショベルの姿も簿かしている。
あれを動かしたいと思った。義理の兄が水道屋をしていて、手伝いをした時に少し動かし、面白さを感じたのだ。その油圧のパワーは凄まじく、レバーの操作は、ほんの数センチ動かしただけだが、車のハンドルやクラッチほどの重さもない。だが先端のバゲットは軽々と地面を掘り、土を掬った。そのレバーとバゲットのパワーの差に衝撃を受け、多分、ボタン一つで爆弾を落とすパイロットの感覚もこうではないのかと推察する。ユンボを操縦するのは、殆んどロボットを操作するのと同じだと思う。ガンダムとかのパイロット気分になれる。
近づくと、かなり大きなユンボだった。ほぼ正方形の敷地はアルミ合金の矢板でぐるりと囲われ、蛇腹の柵の門を過ぎた所は鉄板敷きになっており、その左手に2階建てのプレハブの事務所があり、外階段を登って踊場に立つと小さな窓口があり、事務員らしき人に面接を告げた。
朝刊のチラシで求人を知り、応募したのだが、年齢、経験は不問とのことで、取り敢えずと思って電話したのだが、直ぐ来いと言われたのでやって来たのだ。
2階から見下ろすと、コンクリートで囲われた中に砂やら土やら、木材も竹や瓦までも混じった、家屋解体で出た廃材が2階の窓の高さ位まで積まれ、全面に青いビニールシートが掛けられ、それをユンボのバゲットで押さえ、風で飛ばされるのを防いでいる。どうやら産業廃棄物を仕分け分別し、処理しているらしい。奥にはベルトコンベヤらしき円筒形の構造物が斜めに持ち上がり、さらに大きなドラムに繋がっていた。多分あれが回転して砂を落とす機械なのだろうが、雨模様なので今は動いていない。敷地の割には大きな設備がコンパクトに配置されている。
アルミの引き戸を入ると、板敷の手前の部屋には黒い応接セットの椅子と木目のテーブルが、奥の部屋にはパソコンのモニターが二つ見えていた。
「ユンボの経験は?」
社長は白い綿パンに赤いゴルフシャツを着たツルツル坊主の大男だ。いかにも土建屋と言う雰囲気で、嗄れた声も太い。
「少し触った程度です」正直に言った。
「経験不問とあったので……」
これでダメかと顔色を窺うと、社長の興味はそこにはないようで、少し遠慮気味に年齢を訊ねられた。どうやらお互い年は近いのではないかと考えていたようで、まるで違う風貌だが、同じ時代を生きてきた同志のような親近感はある。それに加え、ブルーカラーとホワイトカラーの違いによる引け目みたいな意味合いもあったのかも知れず、それが遠慮になったと推察した。しがない営業職だったが、こんな所で役に立つとは思わなかった。つまり、ホワイトカラーをブルーカラーが雇って使う優越感を味わいたいのだ。そう解釈した。
「明日から来てくれ」履歴書も書かないうちに採用が決まった。
ゴミの上のユンボは2台あり、1台は普通のバゲットでダンプされた廃棄物を掻き混ぜて隣の穴に移動させ、次のユンボに渡す役目と、ぐるりと廻って、瓦やブロック等を破砕し砂となつた製品を掬って出す作業を兼務する。もう1台のユンボのバゲットは回転する籠が付いていて、廃棄物を網で掬って回して砂を下に落として分別し、残りのゴミをコンベヤに乗せ、上に運んでトロンメルと呼ばれる大きなドラムの中に入れて細かい土、泥、砂を落とし、次のエアーでビニールや藁を飛ばして固形物だけにして最後のコンベヤに乗せ、数人の作業員で金属を取り除いて破砕できる状態にしてプールする。それをペイと呼ばれるホイールローダーで破砕機のある所に運ぶ。要するに家屋解体の産廃を分別し紙やビニール、木材と石や瓦、コンクリートやレンガと分け、固形物を破砕し砂にしてしまうのだ。社長は自嘲気味に「わしは粉屋だ」と言う。ゴミは別の産廃屋に出し、残るのは砂だけだからだ。その砂と、分別されたゴミは佐古と言う、これも頭をツルツルに剃り上げたメガネ男が2トン車で運んでいる。別に禿げている訳ではない。社長の真似をしているらしい。社長のどこに心酔しているのかは解らないが、新興宗教の教祖の如くに崇拝し、容姿も言動も真似をしていて気持ち悪いくらいだ。多分、裸一貫、事業を興し成功した事に関する尊敬があるのかも知れない。まるでナチの親衛隊のような近寄り難い雰囲気を醸し出している。
ただ佐古はユンボのオペレーターではない。だから作業は教えられない。今は社長と専務がオペレーターをしているらしく、この専務が教育係らしい。そして専務と言っても、まだ若い女だ。こちらは愛人だろうか?朝から晩まで二人は一緒、片耳にイヤホン型インカムを付け、常に連絡を取り合っている。業務連絡では無いだろう。漏れ聴こえる内容からすると、あれはどうしたとか、これはどうしたとかの世間話みたいで、意味のある内容では無い気がして、遊びなのかと疑るしかない。どうも、そうゆう遊びにまで付き合うことで社長の機嫌を取っているのかなと思う。ワンマン経営者に有りがちな事なので驚きはしないが、会社で愛人に、は、初めてだ。
「こうやって少し戻すのよ」専務のレクチャーは簡潔で解りやすい。随分と男性的だが、一緒にユンボの中に入ると香水の匂いが強く薫って、女性を意識させる。ゴミや油の臭さを嫌っての事だろうか。
「やって」専務は直ぐに運転を代わり、キャタピラーの上に立って様子を見ている。
言われるがままにすると、籠から溢れる事もなく掬って回せる。要するに、八分目くらいを掬うつもりでやれば良いのだ。それが言葉に出来ないから実践して見せるのだが、なぜやって見せるのか、それも言葉に出来ないから(ぶっきらぼう)になり、他の従業員からは尊大で冷酷だと誤解され嫌われる。それと、その嫌悪感の大部分は社長への反感を代わりに背負っている感もある。つまり、社長の独断と偏見に対する怒りの矛先が愛人に向けられ、それを貶めることで溜飲を下げているのだろう。女が上に立つだけでも風当たりが強いのに、へつらい、一日中べったりくっついて機嫌を取っている愛人。男としては嫌って当然なのかも知れない。その筆頭が佐古だ。
「どうやって教えたんだ」いつの間にか社長が来ていて専務に聞いている。
「一度教えただけですよ」専務が答えた。小声だったがユンボのドアは開いていて漏れ聴こえたのだ。もう一人のユンボのオペレーターも新人で、同じく研修中で、こちらは社長が教えているのだが、どうも経験者らしく心配は無用らしい。経験者と比較されれば見劣りするのは明らかで、操作に慣れるまでは何を言われても我慢するしかない。実力がなければ従うしかないのだ。
もう一人のオペレーターは石川さんだ。四十半ばだろうか。十歳は若いだろう。林業で重機を扱っていたらしく、山を降りて平地での仕事は初めてだと言った。朴訥な印象だが独り者らしく、離婚しているのかも知れない。
テレビでの情報だが、林業の重機は大型だ。木を切り、枝を払い、長さを揃えてカットする。そこまでを1台の重機でこなし、もう1台が搬出する。あと、これは宅地整備で見たのだが、木の根を掘り出してチップに加工するような事もあり、何れも大きな重機だ。あれを運転していたとなると、ここでの仕事なんて、オチャノコサイサイだとしても不思議じゃない。背の低い小男だが、ガッシリとした横幅があり、決して喧嘩を吹っ掛ける気にはならない相手だ。その男が敬語で話し掛けて来るので、面映ゆい気分だ。
「俺って専務に嫌われているんでしょうかねぇ、そんな気がするんですが、何か聞いてます?」この男とはコンビを組んで仕事をして行かなければならない。おざなりな答は今後に影響し、仕事に差し障りが出るかも知れない。
「専務はぶっきらぼうだが別に悪気はないと思うよ。嫌っているのは石川さんの方で、それが跳ね返っているだけじゃないのかなぁ……」彼が女上司を快く思ってないのは明らかで、露骨に嫌な顔を見せていたので、そりゃあ専務が嫌うのも無理はない。せめてフラットな評価をしないと融和は無い。
「そんなに嫌な顔をしてました?」自分で気付かないのは無理もないが、少しは自覚もあるだろうに、頷いて肯定すると、納得はしたようで、俯いて右足で石を蹴るような動作をした。意外に子供っぽい、純粋な奴かも知れない。擦れっ枯らしの、箸にも棒にも引っ掛からない奴なら、それなりの対応をしようと思っていたのだが、信頼できる相棒になるかも……と、考えた。専務を好きになれとは言わないが、好きなんじゃないかと思わせるだけで待遇は百八十度、変わる可能性がある。女性とはそうゆうものだろう。
2メーター四方の漏斗みたいな中に瓦やブロック、レンガ等の欠片をバゲットで掬って入れてやる。山のように積んでもすこしずつしか落ちて行かないので他の仕事をしても、時間は十分余る。下では粉砕機が回ってケタタマシイ音を出し、石も瓦も砂粒大に擂り潰している。下に居るのはスリランカ人のアスラムだ。ここには二人のスリランカ人がいる。もう一人のアズランは2階のラインで選別をしている。どちらもムスリムで、スリランカでは少数派、独立闘争をしていたタミール人に違いない。どうもオーバーステイな様なのだが、借金をして来たらしく、帰れないので、こんな所でゴミまみれの仕事をしている。体の大きなアスラムは未だ二十代で独身らしいが、アズランの方は既婚で子供が居るらしい。その情報もアスラムからの又聞きで、滞在が短いのか、アズランは日本語が上手くない。一方のアスラムは英語も日本語も達者だ。話をしていても頭の回転の速さが分かり、会話の先読みも日本人と変わらない。そのアスラムが頭の先から靴まで砂埃を被って現れ、派手なスカーフのように首に巻き、口を覆っていた布を外して腕を上に伸ばし、何かを叫んでいる。
実は、何を抗議しているのかは、解っているのだ。ユンボの運転席から見るアスラムは、声が聴こえないのでパントマイムそのもの、声を上げる度に腕が上に伸び掌が揺れる。その掌の色が甲より薄いので、ヒラヒラと目立つ事になり、いかにも外人の抗議の典型みたいで、俯いて苦笑を噛み殺してエンジンを絞り、ドアを開けてキャタピラーの上に出て耳に手を当て、話を聞くジェスチャーをする。
「そんなに入れたら5時には終らないヨ」
言い分は尤もだ。終るんなら45分には空にして、それから掃除でギリギリ間に合うかどうかで、45分にガラを一杯にしたのでは到底5時には終われない。つまり残業になるのだが、それが金を貰えない残業になるのだ。多分、と言うか確実にアスラムは社長命令だと知っている筈なんだが、それを承知でアピールしているのなら、社長のやり方に反抗しているとの意思表示に違いなく、厄介なことに発展するかもしれなくて、その意図を確かめる必要がある。太いキャタピラーを降り、ゴミの山を下って下に向かった。途中、尖った板や木屑があり、針金や釘だけではなく、こういった木材や竹なども、踏み抜いたのなら危険で、安全靴を買わなければと考え、そんな顔をしたままアスラムの前に降りた。
「あんなに入れたら終らないヨ」
もう腕は上ではなく、胸の高さで揺れ、ジェスチャーをしている。大きな目は睫毛が長く、その長い睫毛に砂埃の細かい粒子がくっついて眉毛にまでクモの巣状に覆っていた。
「俺じゃないよ」知ってるだろう? とは言わない。こちらも社長だよとは言いたくないのだ。アスラムも直接に社長を責めたくないんだろう。クビになったら困るのは目に見えている。それでもタダ働きは嫌なので何らかのアピールは当然なんだが、解決策は今のところ、無い。まあ、少し付き合って手伝うぐらいは出来そうな感じだ。
「後で手伝うよ」そう言ったら、アスラムは降ろした腕を肘から上を曲げて挙げ、掌を上にして指を開いて空け、肩を窄めて、しょうがないとのポーズをして引き下がった。矢張り理解はしているのだ。それでも、言いたいことは言わないと弱い立場が益々弱くなり、悪くなる。それも事実だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます