第10話 各市長の施設視察⑥
薬師寺広則が、慣れた手つきで簡易ベッドを小さく折りたたむ。決して素早い動作ではない。それでも、作業に取り組む広香市長の姿勢からは、人与活家にはないスマートさを、滑石魅風は感じていた。
「上手になりましたね」
「ありがとう。ところで、3つ目の支援内容というのは?」
「ああ、そうでしたね。すっかり忘れるところでした。説明いたしますので、私の案内の下、食堂まで来てください」
人与活家からそのように言われた、薬師寺広則と滑石魅風の2人が、センター長の誘導に沿って、1階の食堂まで歩いて移動する。中は、綺麗に整えられたテーブルと椅子が、遠く離れた場所までズラリと配置されていた。その大きさは、少なく見積もっても40mは超えているように思われる。
「さあ、着きました。ここが食堂です」
「広いですね。どれくらいの方が客席に座れるのですか」
「今この状態で言えば、400人ほどですね」
含みのある言い方だった。人与活家の受け答えから察するに、テーブルや椅子の並べ方次第で、より多くの避難者が同時に食事をすることも可能だということだろう。その点に関して、気づいていたのかどうか分からないが、質問者である薬師寺市長が、センター長の発言部分について言及することはなかった。
「そして、食堂においては常に温かい物を提供するだけでなく、避難民が、複数のメニューから好きなものを選んで、注文できるようになっております」
「それが、このセンターにおける、3つ目の支援内容ということですね?」
「はい、その通りです。良ければここで、避難民が食べるような食事を味見していきませんか?栄養バランスに優れたメニューばかりなので、とても健康的ですよ」
すると、薬師寺広則は、唸るような声を出しながら、腕時計が示す時刻を確認した。広香市薬草協会の本部で13時から、市長講話を実施することを考慮すれば、悠長に料理が完成するまで待っている時間的余裕はあまりない。それゆえ、頼んだメニューをすぐに届けられるのか、センター長に直接、聞く必要があった。
「注文したメニューを、今から10分以内に提供してもらうことは出来ますか?」
「もちろん可能です」
「それなら結構。では、今日のメニューを教えてください」
「かしこまりました。こちらが本日、お出しできるメニューになります」
人与活家から、厚紙に手書きで書かれたメニュー表を受け取った薬師寺広則は、そこに記されている複数のメニュー内容を見比べた。メニューにあるのは、コルウオのハーブグリルに、ロルベジの肉野菜詰め、アプソース付きマッシュポルの3種類。広香市長は、その中でも特に調理の手間が短そうな、アプソース付きマッシュポルを注文することにした。
「すみません、アプソース付きマッシュポルをお願いします」
「分かりました。すぐにお持ちいたしますので、少々お待ちください」
センター長が、薬師寺市長からメニュー表を回収し、小走りで厨房に急ぐ。そうして、厨房の前に到着したセンター長が、料理人に薬師寺広則の注文を伝えている間、広香市長はテーブル席に腰を下ろし、長い息を吐いた。加齢による疲れなのかもしれない。疲れた身体を休めるため、椅子の背もたれに上半身を預ける。
そして、6分ほど経った頃だろうか。指定していたメニューが運ばれてきた。大皿に盛られた山盛りのマッシュポル。その隅っこには、アプソースの入った小さめの容器が、ちょこんと置かれている。
「こちら、食器具の入ったケースになります。スプーンや、フォーク、お箸などが一式入っていますので、お好きな物を取って、食事をお楽しみください」
人与活家がそう言って、薬師寺広則の座るテーブル席から離れていく。広香市長は、テーブルの上にある食器具入りケースから、スプーンを取り出し、山のように盛られたマッシュポルから、一口分をスプーンですくい、口の中に入れた。
「うん、悪くない。それなら次は……」
薬師寺市長が小さめの容器を持ち上げ、アプソースを全体に程よくかける。今度は、アプのソースを絡めたマッシュポルだ。どうだろう。何もかけないで食べたときとの違いを確かめるように、ゆっくりと咀嚼していく。
(美味い。ポルが持つ風味と、アプソースの酸味がよく合わさっている)
しかし、薬師寺広則には、料理を完食するほどの時間的余裕も、食欲もない。そのため、半分ほどのマッシュポルを残して、昼食を終わらせることにした。
「ごちそうさまでした」
大皿の上にスプーンを斜めに置き、椅子から立ち上がる。そうして、広香市長は、食べ終わった食器を厨房まで運び、料理人に手渡した。
「食べきれなくて、申し訳ない」
「いえいえ、美味しく召し上がっていただけたのなら、結構です」
料理人に感謝を伝え、人与活家と向かい合う形になりながら、会話を行う。
「薬師寺広則市長、料理のお味はどうでしたか?」
「良かったが、注文したものをその場で提供するスタイルにした方が、広香市民にとっては有難いんじゃないかな?」
「確かにそうですね。スタッフたちと話し合い、よく検討することにします」
センター長が、メモ帳の上にペンをさっと走らせる。おそらくは、先ほどの提案をメモしたんだろう。どこまでの検討が行われるかは不明だが、口先だけの発言で終わらせない人与活家の行動に、薬師寺広則は安心感を覚えた。
「では、時間が迫ってきたので、今日はここまでとさせていただきたい」
「了解しました。またの機会をお待ちしています」
緊急時避難民受け入れセンターでの施設視察を終え、同行していた滑石魅風と一緒に、建物の外に出る。そうして、入退記録の記入や、入館証の返却を済ませた2人は、急ぎ足で、緊急時避難民受け入れセンターの駐車場に移動した。
「予定終了時刻を大分過ぎてしまったな」
「そうですね。いつもより、少しだけ運転スピードを上げて、市長講話に間に合うよう、車を走らせた方がいかもしれません。アレもありますし……」
「うむ。それならば、早速、車に乗り込むとしよう」
薬師寺広則が後部座席に座ったことを確認し、滑石魅風も運転席に乗った。安全運転を心掛けつつ、早めに目的地に着くようにしなければ。そう考えた滑石魅風は、白の公用車に取り付けられたアクセルペダルを踏んで、センターの駐車場を後にした。
「何もなければ、12分ほどで着くと思います」
「分かった」
車外から見える車に目を向けたまま、広香市長が短く答える。この先の検問所で、問題が起こっているか、公道における車の混雑状況から、判断をしている途中なのかもしれない。もちろん、一般的な車であれば、問題なく検問所を通過できるのだが、敵対する犯罪組織の人間が車に乗っていると判明した場合、車の外に連れ出され、連行されることも多々ある。
「薬凶戦線が管轄する検問所が見えてきました」
「特に、トラブルはなさそうか?」
「ええ、今のところは……」
滑石魅風が断定できないわけは、目の前を走る灰色の車が原因だった。前方に見える灰色の車内では、後部座席に座る2人の人物が、何やら怪しい動きをしている。何かの受け渡しをしているようにも思えるが、詳しくは分からない。
「そろそろですね」
薬師寺市長の乗る白い公用車が、検問所でセキュリティチェックを受ける番が回ってくる。しかし、滑石魅風の発したセリフには、もう1つの意味があった。それは、薬凶戦線による灰色の車の検問。だが、何事もなく、検問所を通って行った前の車に、滑石魅風は不自然なまでの違和感を感じた。
(何もなかった?さっきまでの気がかりは杞憂だったのか?)
頭の中に疑問を残したまま、検問所に立つ人間に、車窓を指で叩かれる。
「ちょっといいか?」
「はい」
断ったら、車の外から銃弾を浴びせられかねない。そのため、大人しく、公用車の窓を開けて、これから来るであろう質問や要求を待った。
「まずは、身分証明書を見せろ。同乗している奴、全員分だ」
後部座席にも人が乗っていることは既に知られているので、広香市長にも、身分証明書を出してもらい、2人分まとめて、外にいる薬凶戦線の人間に渡す。
「なるほどな。後ろにいる奴は薬師寺広則か。この事について、話さなければならない相手がいるから、通話が終わるまで、そこで待機してろ」
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