第9話 各市長の施設視察⑤
囚人番号B17に用件を話すように促された陽向光は、しっかりと相手の目を捉えた。この男に前置きなど要らない。
「単刀直入に聞く。ペロリンホットって知ってるか?」
「ああ、そのことか。もちろん、知ってるさ。俺はここに連れてこられるまで薬の売人をやっていたんだからな」
囚人番号B17が、僅かに悔しそうな顔を見せた。おそらく、捕まったことに対する感情だろう。しかし、陽向光が知りたいのは
「それなら、話が早い。実は、ペロリンホットという呼称の違法薬物の使用者が全光市で増えてきている。そこで、ペロリンホットの製造者を特定して捕まえたいのだが、何か情報を持っているか?」
「多少はな。だが、話したところで何になる?俺には、何のメリットもねえ」
なるほど。確かに
「もし、ペロリンホットの製造者に関して知っている情報を話すのであれば、こちらはその対価として、お前の妻と子どもが今どこにいるのかを教えよう。提供された情報の質次第では、家族と連絡を取り合うための便宜を図ってやってもいい」
囚人番号B17の意識が再び、陽向光に向けられる。思わぬ提案に驚いているようだった。
「それは、本当か……?」
「本当だ。約束する」
囚人番号B17が、陽向光の顔を目を凝らしてじっと見つめる。
「いまひとつ信用できねえな。お前は、俺から入手した情報が真実かどうか調べる手段があるんだろうが、今の俺には、それが何もねえ。何たって、刑務所の中に居るんだからな」
俺の提案は、不公平だという事か。
「そうだ。今の条件では、お前との取引には応じられない。それが分かったのなら、別の提案をしろ」
囚人番号B17に自身の出した案を断られた陽向光は、取引における主導権が深漬柄根に移ったことを実感した。この状況から取引の成立まで持っていくには、深漬柄根に有利な提案をするしか方法がない。だが、『犯罪なくし 安全つくる』というスローガンを掲げて、2度の市長選挙を勝ち抜いてきた全光市長の陽向光にとって、それは考えられない選択肢だった。そのため、陽向光は予定よりも早く、囚人番号B17の面会を終わらせることを決断した。
「面会の終了を求めます」
「かしこまりました」
体格がいい男性刑務官が、囚人番号B17から目を逸らすことなく返答する。そうして、丸椅子から静かに立ち上がった屈強そうな男性刑務官は、上から囚人番号B17を見下ろすと、大きな声で命令を下した。
「囚人番号B17、立て!」
「回れ、右!歩け!」
囚人番号B17が、身体を右に方向転換して歩き始める。屈強そうな男性刑務官も後に続いた。間もなくして、囚人番号B17と、逞しい身体の男性刑務官が部屋の外に姿を消したため、面会室内に残されたのは陽向光と、分厚い唇が目立つ男性刑務官の2人になった。
記録が終わって手を止めた、厚い唇の男性刑務官が、向こう側の壁を見つめたまま言葉を発する。
「面会は終わりましたので、速やかなご退出をお願いします」
「そうですね。失礼いたします」
全光市長の陽向光はそう言って、静かに面会室から退室した。長い廊下を歩いて、先程、面会手続きを行った部屋へと戻る。
「早いですね。面会はもう終わりになられたのですか?」
陽向光に話しかけたのは、罪滅刑務所の副所長、
「ええ、終わりましたよ」
「それでは、こちらにて面会終了の手続きを踏んでください」
陽向光の返答を聞いた
「休憩室までの案内をお願いできますか?」
「かしこまりました。では、ご案内致しますので、私の後に続いて下さい」
副所長の番代人規が陽向光の前を歩き、休憩室までの経路を案内した。意外なことに、その道順は、休憩室から面会受付のある部屋までの道筋を辿っていった時とは異なっていた。
「到着です」
後ろを振り向きながら、番代人規が言った。そして、視線を合わせたまま流れる沈黙の時間。お互いに、相手が言葉を発するのを期待していたから生じたのかもしれない。この状態を壊し、先に声を出したのは、全光市長ではなく、罪滅刑務所の副所長だった。
「お開けしますね」
番代人規によって休憩室の扉が開かれる。すると、手元の資料を元に話し合いをしていたらしい3人が、一斉にこちらを向いた。
「陽向光市長、面会はいかがでしたか?」
教育部の更生教育課で働く
「特に何も聞けませんでしたよ。囚人番号B17は、自らの知る情報と引き換えに相応のメリットを要求してきましたからね」
「相応のメリットですか……」
更生教育課職員の
「
「承知いたしました。こちらの書類でお間違いないですね?」
「はい。間違いありません」
「では、お返しいたします」
「ありがとうございます」
陽向光は、
「丸形。それに、行正。少し早いですが、行きましょう」
「はい!」
名前を呼ばれた2人が同時に返事を行い、立ち上がった。罪滅刑務所の出口までの道筋は既に把握してある。副所長の案内は要らないだろう。
「番代副所長に、看谷刑務官。本日はありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
番代人規が謙遜した言葉遣いで返答し、看谷刑務官は、言葉代わりの深いお辞儀で頭を下げた。そして、挨拶を終わらせた陽向光が、2人の全光市職員と一緒に歩き始める。その時、背後にいる罪滅刑務所の副所長から声が掛けられた。内容は予想通り、刑務所出口までの案内を彼が引き受けるという提案。全光市長は前を歩きながら、左手を上げて断った。
「帰りの案内は不要です。それでは」
「承知いたしました。お気を付けてお戻りください」
番代人規の言葉を途中で遮るように休憩室から3人が出る。陽向光は、丸形敬包と行正直使の2人に対して、罪滅刑務所の出口までは自分の後ろを歩くよう、指示を出した。いくつもの廊下を左右に曲がり、青みがかった小さな白い階段を降りる。それだけで、この刑務所の出口にはたどり着くのだが問題はそこではない。三重に仕切られた扉をそれぞれ開ける際は、指紋認証、網膜認証、静脈認証をクリアする必要があるため、例え刑務官だとしても罪滅刑務所の外に出るのは難しい。したがって、初めてこの刑務所の認証システムを3回も受ける全光市職員の2人には、認証の種類とその仕組み、それからクリア方法を詳しく教える必要があった。
「やっと外に出られましたね~、直使さん」
「そうだね」
全ての生態認証を無事にクリアして、大きく背伸びをする丸形敬包を横目に、行正直使は、駐車場に停めてあった白い公用車のカギを遠隔操作で解錠し、車内や周辺に変わった様子がないことを確信すると、全光市長と、丸形敬包を後部座席に乗せて最後に自分も乗り込んだ。運転席に座った行正直使が、バックミラー越しに後ろの安全を確認して公用車を発進させる。
「市長、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだ、行正?」
「うちの自治体で問題になりつつある違法薬物問題に関して、今日は何も新しい情報を得られなかったみたいですが、大丈夫なんですか?」
「心配しなくていい。罪滅刑務所には、
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