第8話 各市長の施設視察④
罪滅刑務所の副所長が最後のページに掲載されている、スケアード・ストレートの確立に向けた必須事項について軽く触れる。
「スケアード・ストレートの実現に向けて、参加協力してもらう囚人の選定。また、暗暮地方の住民を対象にした新たな更生教育実施の周知。この2点が非常に重要となってきます。さて、未成年非行防止プログラムに関する説明はこれで以上となりますが、何か質問はありますでしょうか?」
心に引っかかる部分が特になかった全光市の市長は、口で答える代わりに首を横に振った。副所長の
「ないです」
と即答したが、教育部の更生教育課職員は違った。
「お尋ねしたいことがあるのですけれども、差し支えないでしょうか?」
「大丈夫ですよ、
「では、私から1つだけ質問をさせていただきます。未成年非行防止プログラムに囚人たちを活用するとの事でしたが、どのような方法で彼らの協力を得るつもりなのか、具体的に教えていただけませんか?」
なぜ、そうした疑問が湧いてこなかったんだろう。全光市長の陽向光は、不思議に思うのと同時に、それに対する
「釈放や嗜好品の購入などといった魅力的な見返りを与えない代わりに、食事面である程度の
どんなことがあっても、重大な罪を犯した囚人たちを刑務所の外に出してはならない。それは俺でも分かる。だが、食生活において柔軟な対応をするという見返りだけで、囚人たちが簡単に合意するとは思えない。たとえ合意に至っても、囚人たちが反故にする可能性もある。そう考えた陽向光は、自身が疑問に思った点について、番代人規に聞くことにした。
「どうやって、囚人たちをスケアード・ストレートに協力させるんです?彼らの場合は合意を破ったところで、失うものが何もない」
「それは……」
番代人規は答えに詰まった。つまり、想定外の質問だったというわけか。陽向光は、答えられずにいる罪滅刑務所の副所長の様子から、そのような判断をした。
「番代副所長は罪滅刑務所のトップではないので、返答できない質問があっても仕方ありません。ただ、
「陽向光様がそのようにおっしゃっていたと、後ほど所長に伝えておきます」
そうしてください。そう言いかけて口を閉じた陽向光は、扉の方に目をやった。誰かが休憩室に入ってきたからである。
「こんにちは。もしかして今は、立て込んでいる最中でしたでしょうか?」
「いえいえ、ちょうど終わったところです」
副所長の返答に安心したのか、男性刑務官は和らいだ表情になった。しかし、空いている椅子があるにも関わらず、彼は頑なに座ろうとはしない。陽向光がその理由を男性刑務官に聞くと、来訪者がいる前で休むわけにはいかないからという
「それでしたら、全光市役所から来ていただいた職員2人を、
「承知いたしました」
という返事で副所長の働きかけに応じた。すかさず、副所長も頷き返す。そして、
「罪滅刑務所においての面会ルールには、持ち物の持ち込みを全面的に禁止する決まりがあります。それゆえ、囚人である深漬柄根との面会が終わるまで、これを預からせて頂けますでしょうか?」
「面会希望者用のロッカーがありそうなものですが……」
「残念ながらロッカーはありません。面会希望をする方の大半がメディア関係者で、たまに、市長の職務に就いている方々から問い合わせが来る程度なので、あまり必要性を感じないのです」
メディア関係者?何かしらの事件を追っているジャーナリストがいるんだろうか?多少なりとも興味はあったが、施設視察と無関係の質問はしないと心に誓った手前、聞くことはしなかった。
「分かりました。可能であれば、こちらにある資料の電子版をデータとして、私か全光市役所宛に、送っていただけますか?」
「陽向光様の施設視察が終わり次第、送らせていただきます」
「ありがとう」
陽向光は感謝の言葉を言って、書類を番代人規に渡した。副所長は書類を丁重に受け取った後、看谷と呼ばれた刑務官に、2つ目の頼み事を依頼した。
「もう1つだけ、
「了解いたしました。こちらで書類を一時的に預かるので、休憩室にお戻りになった際は、私に一声掛けてください。陽向光市長に書類をお返ししますので」
「陽向光様、そろそろ面会受付の窓口へご案内したいのですが、準備はお済みでしょうか?」
「準備なら既に完了していますよ」
「そうしましたら、早速、面会受付の窓口までお連れ致します」
番代人規が立ち上がるのに合わせて、陽向光も席を立つ。彼らは、椅子を定位置に戻すと休憩室から退室して、面会手続きをする窓口までの道順を
「着きました。こちらが面会受付場所となります」
決して広いとは言えない部屋。そこには、1人の男性刑務官が、黒の半円テーブルに囲まれるようにして着席していた。彼は来訪者が来たことに気づくと、手早く所定の面会手続きをこなして、面会室に1人で行くよう告げた。面会室で来訪者が囚人と面会するのに、刑務官が誰1人ついてこなくても本当に問題はないのか。陽向光の心配を
「陽向光様は1人で面会室に入ることに、大きな不安を抱いているとお見受けしますが、ご心配なさらなくても大丈夫です。罪滅刑務所では、来訪者が面会を行う際に、ガラス窓を挟んだ反対側に2人以上の刑務官を配置することを義務付けているので、面会室で囚人が暴れた場合でも、迅速に囚人を押さえつけることが可能です。我々は、囚人を拘束するための訓練も定期的に受けております」
副所長の発言を聞き安堵した陽向光は、入ってきた扉とは反対側にある場所から廊下に出た。まっすぐ伸びた廊下をつきあたり右に曲がって面会室に入る。陽向光は、ガラス窓の向こう側で静かに佇む厚ぼったい唇をした男性刑務官に、面会に来たことを伝えると、彼は陽向光に自身の名前を名乗るよう求めてきた。
「それでは、本人確認を実施しますので、お名前をフルネームで教えてください」
「陽向光です」
「本人確認が取れました、囚人番号B17の者を連れてきますので、少しばかりお待ちください」
分厚い唇をした男性刑務官が奥へと消える。囚人番号B17、つまり深漬柄根を呼びに行ったに違いない。さらには、他の刑務官も……。陽向光はその間に丸椅子に座して待つことにしたが、厚ぼったい唇が特徴的な男性刑務官は、間を置かずに、囚人番号B17と、
「囚人番号B17、座れ!」
屈強そうな男性刑務官の命令口調に不機嫌な顔をしつつも、囚人番号B17は大人しく従った。厚ぼったい唇の男性刑務官は、向こう側の壁に身体を向けて座り、何かを記録し、屈強そうな男性刑務官は囚人番号B17の真横にあるであろう丸椅子に腰を下ろした。
「面会はもう始まっていますよ!」
厚く重たい唇を持つ男性刑務官の声が響いた。囚人番号B17が、わざとらしく大きなため息をつく。
「ここに来たってことは俺に聞きたいことがあるんだろ?早く言ったらどうなんだよ。俺は大体見当がつくが、お前に聞かなきゃ分かんねえからよ」
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