第5話 各市長の施設視察

 朝の定例会議を終えた広香こうこう市長の薬師寺広則やくしじひろのりは、都市計画部の道路交通課に属する職員の滑石魅風なめいしみかぜに運転を御願いし、目的地である緊急時避難民受け入れセンターまで白い公用車を走らせてもらっていた。広香市役所から約4km。時速40kmほどの速さで車を運転しても、着くまでに普通であれば10分もかからない。しかし、広香市の一部を支配している薬凶戦線が、中心地から外につながる主要な道路全てに検問所を設けているせいで、それだけの距離だとしても移動するのに、30分以上の時間を要する時もある。


「もうすぐ、緊急時避難民受け入れセンターに到着します」


 薬師寺広則は、公用車を運転する滑石魅風なめいしみかぜと、バックミラー越しに一瞬だけ目が合った。公用車の後方を視認しておきたかったのだろう。後方の安全確認が終わると、滑石魅風の両目はすぐに正面に向けられた。公用車の後ろの左端に座っていた薬師寺広則が、視線を外の景色の方に移す。すると、左斜め前方に、クリーム色の大きな建物が見えた。緊急時避難民受け入れセンターである。滑石魅風は、緊急時避難民受け入れセンターの脇にある駐車場に、白の公用車を停めて、後ろを振り返った。


「薬師寺市長、着きましたよ」

「それじゃ降りよう」


 薬師寺広則は、公用車から降りると首筋を流れる汗を白いハンカチで拭き取り、身だしなみを整えた。降りてくる様子のない滑石魅風なめいしみかぜを車外から覗くと、ペットボトルに口をつけていた。ラベルには、分地わかち山脈を思わせる山々が印刷されている。薬師寺広則は、公用車の車窓をコンコンと右手の人差し指の第2関節に該当する部分で優しく叩いた。


「君も来るんじゃないのか?」

「行きますよ。今日の施設見学人数は2人ということで申し込みましたからね。今はちょうど、水分補給をしていたところなんです」


 滑石魅風は、運転席の左側にあるボトルホルダーにペットボトルを入れてから車外へと出て、電子キーで白の公用車のドアをロックした。その後、うんと背伸びをした滑石魅風はすっきりとした顔を見せると、


「さあ、行きましょうか」


 と言い、広香市の薬師寺市長に先頭を譲った。薬師寺広則は、滑石魅風なめいしみかぜの小さな気遣いに感謝の言葉を述べると、駐車場から緊急時避難民受け入れセンターまでの緩やかな坂を登り始めた。滑石魅風も、薬師寺市長の後ろを1~2m程度の距離を保つように歩いていく。


 そうして、坂を登り終えた薬師寺広則と滑石魅風を待っていたのは、2人の男性警備員だった。両人とも、一目で警備会社の人間だと分かるような服装をしている。外見から判断するに、右側に立っていた体格の良い警備員が20代後半。左側に居た、やや小柄な警備員が60代といったところだろうか。顔に刻まれた皺の数や、その深さを考慮すると70代という可能性もあり得るかもしれない。薬師寺広則が頭の中で、そのようなことを考えているうちに、白髪の生えた60代とおぼしき警備員が小股に近づいて来た。


「こんにちは。薬師寺市長さんですね?そして、こちらの方は……」

滑石魅風なめいしみかぜです。道路交通課の職員としてお役所仕事をしつつ、必要に応じ広香こうこう市長の運転手もしています。簡単に言えば、兼任運転手ってところでしょうね」

「これは、大変失礼いたしました。では、薬師寺市長さんと滑石さんにお願いなんですが、念のために、持ち物検査をさせてもらえないでしょうか?」


 薬師寺広則は、今までに何度もこの施設に足を運んでいる。そのため、ほとんど間を置かずに承諾の返事をし、持ち物検査に移った。滑石魅風も同様に、肯定的な返答をして持ち物検査を始めたが、円滑には進まずに地面に自分の持ち物である手帳や、ポケットティッシュを落としていた。横目で観察していても、慌てているように思える。平常時の滑石魅風からは想像もできない慌てぶりに、薬師寺広則は、滑石魅風の新たな一面を発見した。

 

「薬師寺市長さんの持ち物検査はこれで終わりです。久隆ひさたかくん、滑石さんの方は問題なさそう?」


 白髪頭の警備員に、久隆と呼ばれた若く筋骨隆々な警備員は、大きな声で


「今のところ、大丈夫そうです」


 と伝えた。兼任運転手である滑石魅風の持ち物検査は、滑石本人が慣れていないせいもあるのか、まだ終了していないらしい。その後、1分程度が経過した辺りで


「甲賀さん、報告です!滑石さんの持ち物検査、異常なしです!」


 という元気な声が聞こえた。確か、久隆という名前だったか。甲賀は、警備員2人の短い会話のやり取りから、体の少し小さい警備員の名前であるという事が判明した。


「薬師寺市長さんも、滑石さんも持ち物検査はクリアです。次になんですが、受付で入退記録を書いてくださいね。万が一、分からないことがあっても受付の方が説明して下さるので、慌てなくても大丈夫ですよ」


 甲賀という男性警備員に誘導されて、防弾ガラスで囲われた受付前まで来る。受付の向こうに座っていたのは、目つきの鋭い、ふくよかな女性だった。女性が服の上から付けているネームプレートには、安藤という名字が刷られている。


「ここに代表者1人の名前と人数。あとは、今の時間を記入してください。腕時計や携帯の画面を見れば時刻は分かると思いますが、ない場合は私の後ろの壁にかかっている時計を見れば書けますので」


 丁寧さに欠ける対応に薬師寺紘則は、苛立ちを覚える。それでも、安藤という名前の女性を受付に配置したのには深い理由があるのだという結論に頭の中で達し、腹立たしい気持ちを顔には出さないことにした。代わりに、受付の女性から借りたボールペンを使用して、空欄を埋めていく。決して、綺麗な筆跡とは言えない。これは、安藤にムッとしていたからではなく、昔からの薬師寺広則の癖だった。


「出来ました」


 薬師寺広則は、ボールペンを安藤に返した。それと引き換えに、2枚の入館証が薬師寺広則と滑石魅風に手渡される。


「お帰りの際は、入退記録の記入と入館証のご返却をお願いします」

「分かりました」


 薬師寺広則が2人を代表して応答を行った。その後、受付を済ませた薬師寺広則は、緊急時避難民受け入れセンターの正面玄関まで歩くことを滑石魅風に告げると、困った顔をした。


「この建物の正面玄関、どこにあるかまだ理解していないんですよね……」

「君はここに来るのが初めてだったね。でも、私の後ろを歩いていれば分かるから安心しなさい」


 そう言うと、薬師寺広則は前に向かって歩き出した。置いていかれぬよう、後ろから滑石魅風なめいしみかぜが追いかける。これにより詰めすぎてしまった距離を、滑石魅風は適切に調整し、薬師寺市長の歩調に合わせて歩くことを心掛けた。正面玄関は大した時間もかからずに見つかった。それよりも、気になる人物が腕組みをして外壁にもたれかかっているのを、滑石魅風は発見した。


「意外にも近くでしたね。ところで、あそこに立っている人は誰なんでしょうか?」

「緊急時避難民受け入れセンターの人与活家ひとよかついえセンター長だよ」


 謎の人物の正体を明かした広香市長が、人与活家センター長に向かって、大きく手を振った。


「おーい!」


 薬師寺広則の呼びかけを聞いた人与活家が、腕組みをほどいて、薬師寺広則と滑石魅風の元に接近してきた。


「お久しぶりです、薬師寺広則市長。本日は、2名でのセンター視察という事でよろしいですね?」


 最終確認の意味を込めて、センター長が聞いてくる。


「はい。2名でお願いします」

「かしこまりました。今回の視察目的はセンター内での避難民支援の取り組みという事で、その部分を重点的に説明しながら案内していきたいと思います。お2人とも準備は良いでしょうか?」


 人与活家が、薬師寺広則と滑石魅風を交互に見つつ、確認を行う。施設視察の準備は既に整っていることを薬師寺広則と滑石魅風が伝えると、


「それなら入りましょう」


 と言って、正面玄関の扉を開け、緊急時避難民受け入れセンターの中へと進んだ。

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