第4話 市政の課題

 市長として市民の期待を背負って働く最初の日。望月明は、夜泣市職員から5階の市長室の案内を受けた後、何をするべきか自分の中で答えを出せないでいた。約束を取り付けているわけではないので、他の市長と重要な問題について話し合うことは出来ない。


「夜泣市役所で働いている部長クラスの方々に挨拶して来るのはどうでしょう?何か有益な情報が得られるかもしれませんよ」


 望月明もちづきあきら夜泣市長にそのような提案をしたのは、夜泣市役所のまちづくり部秘書課の日計文栞ひばかりふみかだった。


「分かった。私は、夜泣市役所の幹部たちから部署ごとの課題を聞いてくる。もし電話がかかってきたら、後で掛け直すように伝えてほしい。メールについては、必要だと判断したものだけを残してあとは削除するように」


 望月明は、腰かけ椅子から立ち上がってそう言うと、きびきびした動作で市長室の外へ出た。公約の目玉として繰り返し夜泣市民に主張してきた、犯罪対策連携協定の成立。これを実現させる為には、まず夜泣市の中の北側に位置する犯罪特区について知ることが必須に違いない。このような結論に至った望月明は、その足で4階の治安向上推進部へと階段で向かった。

 

 4階に着いた望月明は、タイルカーペットの上を移動して治安向上推進部と書かれた扉の前に立った。ドアノブの上に取り付けられているのは、手動で施錠するタイプのテンキー錠だ。テンキー錠のテンキーカバーを外した望月明が、8桁の暗証番号を入力していく。そうして、望月明の手元のテンキー画面から数字が消えて、代わりにYESの3文字が表示された。暗証番号が合っているというサインである。望月明は、テンキー画面が元に戻る前に中に入ろうとドアノブをひねって扉を開けた。


 夜泣市の新市長が入ってきたことが分かると、直前まで事務作業をしていた男性職員が即座に駆け寄ってきた。


「お初にお目にかかります。治安向上推進部の御鍵みかぎと申します。差し支えなければ、ご用件をうかがってもよろしいでしょうか?」

「突然の事で申し訳ないんだが、治安向上推進部の部長と今から面会できるかどうか聞いてきてほしい」

「かしこまりました」


 御鍵みかぎは丁寧な言葉で答えその場を離れた後、数分もしないうちに、男を1人連れて戻ってきた。


「こちらが、治安向上推進部の高見政治たかみまさじ部長です」

「初めまして、治安向上推進部で部長を務めております、高見政治です」

「こちらこそ、初めまして。夜泣市長の望月明だ」

「それでは、どうぞこちらへ」


 案内されたのは、高見政治たかみまさじ部長が仕事で使っている仕事場だった。デスクの上は驚くほどスッキリしていて、パソコンと電話機以外何も置かれていない。必要なものはその都度、引き出しから出して使う人物だと見てとれる。


「何からお話しましょうか」


 近くにあった椅子を自分の椅子の横に持ってきて、それに座るよう望月明に勧めながら、高見政治が尋ねてきた。


「まずは、犯罪特区にどんな犯罪組織が存在しているのか、詳しく聞かせてもらえないだろうか」

「承知致しました」


 高見政治たかみまさじ部長が1番下の引き出しから水色の紙製ファイルを1冊取り出した。ファイルの背見出しには、『犯罪特区調査報告書』と書かれている。


「これは約半年前。夜泣市が管轄かんかつする民の盾が、当時の夜泣市長である朝橋紡紀あさはしつむぎさんに依頼される形で作成したものです。この報告書によると、半年前の時点で5~10の犯罪組織が、犯罪特区と呼ばれる地域の中で活動していることが判明しています。次に、主な犯罪組織について説明させていただきますね」


 そう言うなり、治安向上推進部長の高見政治はパソコンの方に向き直り、キーボードを操作し始めた。そして、間を置かずに2枚の写真を表示させる。そのうち1枚は、全身黒づくめの人々を撮った写真。もう1枚は、白いローブを着た人々の写真だった。


「最初に紹介するのは、犯罪特区において最大の勢力を誇る夜泣国です。この写真に注目してください」


 高見政治が黒い服を着ている人々の写真を指さした。写真に写る彼らをじっくり観察していた望月明に、高見政治が問いかける。


「何か感じることはないでしょうか?」

「服装はばらけているが、服の色が全員、黒で統一されているな」

「おっしゃる通りです。夜泣国の構成員は、活動時、全身を黒で固めています。もちろん、夜泣国を代表している夜影迅も例外ではありません。しかし……」


 高見政治部長は、その先を言いかけて口を閉じた。何度も口を開閉させている。望月明は高見政治が言い淀んでいる訳が気になった。


「どうした?」

「彼と言った方が良いのでしょうか、彼らと表現した方が適切なのでしょうか。夜影迅は最低でも3人います」

「どういうことだ?全く理解ができないのだが」

「つまりですね、本物の夜影迅の他に、影武者と呼ばれるような偽物の夜影迅も存在しているという事です」


 望月明は、なぜ夜泣国が夜影迅の影武者を作ったのか知りたかったが、その理由は高見政治部長に聞いても詳しいことは分からず、


「暗殺を防ぐためではないでしょうか」


 といった曖昧あいまいな返答が返ってきただけだった。


「次に紹介するのは、神聖領域実現教団です。白いローブを着用した人々が写る、こちらの写真をご覧になってください」


 高見政治は、そう言うと神聖領域実現教団のメンバーが写る1枚の写真を拡大表示した。


「これは、教団本部から出てくる複数の信者を遠くからカメラで捉えたものです」

「全員、何かを携行しているな。銃か?」

「おそらくは。それに、教団の信者は教団に入ろうとしない人々を皆、悪魔と認識しているうえに、一般人を標的とした凶悪な事件を、過去に何度も引き起こしています。従って、夜泣国以上に危険な犯罪組織であることは間違いありません」


 神聖領域実現教団が起こした事件は数えきれないほどある。だが、望月明が詳細な部分まで把握しているのは、『広香市庁舎乱射事件』と『政輝まさき内務相射殺事件』だけだった。それ以外にも教団によって発生した事件は山ほどあるが、今知る必要性はどこにもない。そこで、望月明は、治安向上推進部における課題について高見政治部長に聞いた。


「やはり、情報不足でしょうね。半年ほど前に作られた『犯罪特区調査報告書』においても、犯罪特区で活動する犯罪組織の内情はそれほど詳しく書かれていません。それゆえ、望月明夜泣市長がご指摘している通り、情報面での自治体間協力が不可欠であると私は考えております」


 今までも夜泣市は、何度か情報という分野で相互協力するために、他の自治体と何度か交渉を試みた事実があるのは承知している。しかし、その全ての交渉が失敗に終わっていた。連携することのメリットを伝えきれていないからなのか。それとも、犯罪特区に関係した情報の不足に悩んでいないからなのか。もし、後者が理由だとすれば、夜泣市は犯罪対策連携協定の締結のために新たな交渉カードを出さなければならない。


「最後に1つだけ聞きたいんだが、過去の議事録はどこで見られるんだ?」

「どこが主催した会議かによりますが、各部署の中で行われる会議以外は、すべて秘書室の管轄になるので、そこで見られると思います」


 秘書室か。あとで、まちづくり部秘書課の日計文栞ひばかりふみかに御願いして、ここ数年分の議事録を見るとしよう。


「色々と教えてくれてありがとう。では、私はこの辺で失礼する」


 治安向上推進部の高見政治部長に礼を言ってから、テンキー錠の付いていた扉を開けた。廊下に出てから数秒が経過した後に、背後でカチャという音がする。扉が自動でロックされた時に鳴る音だ。次は、治安向上推進部と同じ4階にある財務部の所に行こう。運が良ければ、現在の財務状況について直接、詳しい話を聞かせてもらえるかもしれない。望月明は、体の向きを変えると財務部の扉がある方向に向かって、静かに歩き出した。

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